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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
[第3.5話 魔女達と日常の話]
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博愛の魔女 ⑬

『ふぅーっ……、ふぅーっ……!』


 荒れる息を飲み込みながら、彼の頭にめり込んだ瓦礫をゆっくりと抜き取ると、粘り気のある血の架け橋が、瓦礫と彼の頭を繋いでいた。彼の頭頂部は瓦礫の形に沿った窪みが生まれていて、そこからは泥水のような血液が湧水のごとく溢れている。


 その光景が私にもたらす感情は、後悔でも悲哀でも罪悪感でもない。ただただ憎く、ただただ恨めしいドス黒い感情が、殺意の形を作り出しては私の衝動を突き動かすのだ。


 殺せ。この鬼畜米英にトドメを刺してしまえ。チヅちゃん達を殺した鬼の仲間を。ダイゴロウさんから手足や目を奪った畜生の仲間を、決して生かして返すな。


『Please let …… this slide/見逃してくれ』


『……』


 殺意の形は、行動となって私を突き動かした。私は瓦礫をひっくり返し、釘の生えた面を下に向ける。この釘を、頭蓋骨の割れたあの窪み目掛けて打ち付ければ、間違いなく釘は彼の脳へと到達するだろう。今の私ならやれる。私のような痩せこけた子どもでも、手負いの軍人が相手なら確実に殺せる。


 私は瓦礫を持った手を天高く掲げ、彼の脳天へと狙いを定めた。空を見上げると、今なお深夜の東京は業火と悲鳴で真昼のように賑やかだ。きっと彼の断末魔も、この賑やかさにかき消されて誰の耳にも届きはしないのだろう。こんな至近距離から彼を殺めようとしている私の耳にだって。


 でも、それでいい。誰がこんな奴らの遺言なんて聞いてやるものか。お前はこのまま死ね。誰にも知られず、見ず知らずの土地の真ん中で、ただ黙って死ね。せめてもの手向けとして、お前の首だけはお前の子供に送ってやる。


『Please……』


 私は空高く掲げた両腕に渾身の力を込め、明確な殺意を持って彼の頭に叩きつけた。


『やめろカドリーーーーーーっ!』


 叩きつけた筈だった。叩きつけられた筈だった。


 彼の。ダイゴロウさんの到着が、あとほんの僅かでも遅れていたのなら。


 ……いや、違う。彼の到着を呪うのは筋違いだ。彼の到着を助けたのは、他でもない私自身なのだから。私はやろうと思えば、この米軍達の命を一瞬のうちに啄む事が出来た筈である。撃墜させた爆撃機に追い討ちの魔法をかけ、大爆発でも起こせばすぐに彼らは木っ端微塵となって生焼けの肉塊と化していただろう。


 でも、私はそうしなかった。彼らに少しでも長く、少しでも多くの苦痛を味わわせようとして、ジワジワと嬲り殺す方法を選んでしまった。最初の二人は一酸化炭素中毒で倒れるのを待ち、最後の一人は私怨を晴らす為に一思いには殺さず、何度も瓦礫を叩きつけてはいたぶった。そうやってダイゴロウさんが到着するまでの時間稼ぎをしてしまったのだ。


 私が魔法でB29を撃墜した地点からここまで、子どもの足でおよそ三分前後。その程度の距離なら、ダイゴロウさんのような片足で杖をつく酷く不器用な移動でも、少し頑張ればあっという間に追いつける。だからこれは、言ってしまえば私自身が招いた失態。そんな失態の為に、私は引き下がるわけにはいかない。


『やめてくれカドリー……! お前は人を殺すな……っ』


『……』


 私は背後から迫るダイゴロウさんの事など構わずに、釘の生えた面を米軍に叩きつけようとしたのだけれど。


『やめろって言ってるだろぉっ!』


 直後、私の腕に衝撃が走り、私は瓦礫を取りこぼしてしまった。衝撃の正体は言うまでもない。手足のないダイゴロウさんの体を支えていた松葉杖である。後ろを振り向くと、杖を投げた事で支えのなくなったダイゴロウさんが、川の中に半身を埋めながら芋虫のように這いつくばって近づいているのが見えた。私はそんな溺れかけた虫のような彼に呆れながら問うのだ。


『どうして止めるの? お前は殺すなって言われても、他の搭乗員はとっくにみんな殺しているわ』


 私は鉄屑と化した爆撃機を差しながら答えたのだけれど。


『だからだ……っ』


『……』


『お前はまだ、直接手で殺したわけじゃない……。ならまだ……人の道は歩いていける』


『……』


『でも……一度でも自分の手で殺したら、本当に終わりだ……。お前はここから先、いざとなったら平気で人を殺せる選択肢が……、頭に浮かんで来るようになる。そんなのダメだ……』


『……』


『やめてくれカドリー……っ!』


『……』


 私に懇願しながらジリジリとにじり寄るダイゴロウさんは、言葉を話す度に死体の血肉で汚れた川の水で、何度もその口で濯ぐ事になる。それでも構わず、彼は私を止めようとにじり寄るのだ。


 そして遂に彼のたった一つの右手が、私の足首に到達した。これが本当に成人男性の腕力なのかと疑ってしまう程に弱々しい握力で、私の足首を握りしめた。もはやそんな不様な姿から連想されるのは、逞しい人でも強い人でもなく、ただの弱い人である。


 自分の体をそんな風にした敵を確実に殺せるのに、彼は私に殺すなと言う。チヅちゃんやチヅちゃんのお爺さんを殺した相手が目の前で弱っているのに、彼は指を咥えて見逃せと言う。


 ダイゴロウさんがこんなにも弱い人だなんて思わなかった。


『何でそこまでこいつを庇うの? ダイゴロウはそんな体にされて悔しくないの? チヅちゃん達を殺されて何とも思わないの?』


『……』


『私はこいつを許さない。何も悪い事をしていない皆んなを殺したこいつが許せない』


『……』


『こいつは死なないといけないのよ』


 私は足首に纏わりつくダイゴロウの手を振り解き、川底に落とした釘付きの瓦礫を拾いあげた。そして今度という今度こそトドメの鉄槌を振り下ろそうとしたその時。


『なら……、俺も殺してくれ』


 ダイゴロウさんの口からは決して出て来るはずのない、そんな言葉を投げつけられた。


『俺も人を殺したぞ……。九人も殺した。人を殺した人間は死ななきゃいけないんだろ? ……だったら先に、俺を殺せよ』


 なんともまぁ無茶苦茶な理屈を言ってくるものだと、あの時の私は呆れた。私や死にかけの米軍よりもパニックを起こして、自分が何を言っているのかもわかっていないのではないかとも思った。


『ダイゴロウが殺したのって、敵兵の事よね。それの何がいけないのよ。やらなきゃやられる状況なら、人殺しは間違った選択にはならない。でも、こいつらは違うじゃない。こいつらは罪のない民間人を殺したんじゃない。同じ人殺しでも全くの別物……』


 でも。


『敵兵四人に、民間人が五人』


『……』


『俺が殺した人間の内訳だ』


 次にダイゴロウさんの口から漏れ出たその人数に、私は動揺を隠す事が出来なかった。ダイゴロウさんは、彼がよく私に見せてくれた苦笑い浮かべながら、眼帯の奥に刻まれた一筋の切り傷を見せて来たのだ。


 切り傷。眼帯の裏に隠れた彼の左目には、鋭利な刃物で切り裂かれた縦一線の傷が刻まれている。でも、ダイゴロウさんは戦場から戻った際に私に向かってこう言ったのだ。この体は地雷を踏んでこうなったのだと。でも、地雷を踏んだ結果、目に切り傷がつくような事があるのだろうか。


 そんな私の疑問に対する答えを。


『補給部隊が……来なくなったんだ。蒸し暑い森の中で……食べ物も飲み水も尽きて。それでも留まるわけにはいかず、ただ真っ直ぐに進軍して……。そしたらたまたま、現地民が静かに暮らしている長閑な村に行き着いて……』


 ダイゴロウさんは淡々と答えて行くのだった。


『その時点で……既に敵兵を二人殺していた。最初の一人は躊躇ったが、二人目はすんなりと引き金を引く事が出来た。それで……』


『……』


『民家に忍び込んで、水と食糧を奪う事にした……。15人が住む大家族の民家だった。……住人に悟られないよう、夜中に忍び込んだつもりだったけど……、たまたま起きて来た小さな男の子に……見つかってな』


『……』


『騒がれるのを恐れた仲間が……、男の子を殺した。でも、異変に気づいた家族が……次々と目を覚まして来た。それで……』


『……』


『俺も仲間と一緒に……家族を皆殺しにした。この目の傷は……その時に刃物で抵抗されて、ついたんだ。……あのな、カドリー。あの時俺は、何を思って家族を皆殺しにしたと思う?』


『……』


『何も思わなかったんだよ。……正しい人間ならこういう時、住人に頼み込んで食糧を分けてもらおうと思うだろ。どんなに野蛮な手段を選んだとしても、……必要最低限の暴力で食糧を奪って退散するとか……そのくらいの悪事しか思いつかない』


『……』


『でも、既に数人人を殺した俺は……違った。そんな回りくどい事をするより……、住人を皆殺しにした方が手っ取り早いって……そんな選択肢が当たり前のように頭に浮かんだ。自分の手で人を殺すっていうのは、そうなるって事だぞ。カドリー。だから』


『……』


『だから……』


 だから俺も殺してくれ。俺も罪のない民間人を殺したんだから、そいつと同じように俺の事も。ダイゴロウさんは神にでも懺悔するように、私にそう縋った。


 私は空に掲げた瓦礫をゆっくりと下ろしながら、ダイゴロウさんに問う。


『なんでそんな事言うのよ』


 自分も殺されるべき人間である事を赤裸々に打ち明けた彼を、心底恨みながら問う。


『私はダイゴロウの仇だって取ろうと思ってたのに……っ』


 罪なき人を殺した者は死ななければならない。その理屈で行けば、私はダイゴロウさんの事も殺さなければならない。……いや、それどころか。


『俺の仇……? 俺はこの体に満足しているぞ。俺はもう、いざとなったら平気で人を殺す選択肢が出てくるような、そんな人間になっちまった。……だけどこの体のおかげで、俺はもう二度と人を殺せやしない。人殺しどころか、子どもにさえ喧嘩で敵いやしないだろうな。いい体が手に入ったって、心から満足しているよ』


 ダイゴロウさんは川の中からガラス片を拾い上げ、自分の喉元に突きつけながら言葉を続けるのである。


『カドリー。後生だ。そいつを殺すな。お前は俺みたいにならないでくれ。せっかく誰も殺さずに済む体を手に入れたのに、お前に人を殺されちゃあ世話ねえよ。……それでもお前がそいつを殺すって言うなら』


『……』


『俺もここで死ぬよ』


 もしも私がダイゴロウさんを殺さなかったら、私の目の前で自決する。彼は自分を人質に取る事で、私の情動に枷をかけた。そして、そんな彼の時間稼ぎが功を成したのだろう。私は遂に、物理的な意味で目の前の米軍を殺す事が出来なくなってしまったのである。


『おーいっ! ここだ! 敵機が墜落しているぞ!』


 兵隊さんに見つかってしまった。まぁ、爆撃機の墜落という大事故を起こしたのだから見つからない方が可笑しいのだけれど。


 一人に見つかったら、それからは先はあっという間だった。一人が二人に、二人が三人に。そして気がつけば十数人の兵隊さん達が集まり、瀕死の米軍を取り囲んだのである。


 こうして私とダイゴロウさんの長い長い夜は幕を下ろす。尊い命と大切な命が消え果てた夜は、何かを生むどころか私の心から大切な何かを奪い去っていった。

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