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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
[第3.5話 魔女達と日常の話]
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博愛の魔女 ⑧

 ダイゴロウさんが戦争に駆り出されたその日から、私の地獄が始まった。


『あの』


『ん?』


『これって……』


『見てわからんかい。ご飯だよ』


『……』


 ダイゴロウさんきっての頼みで、私はチヅちゃんのお家に居候させて貰う事になった。


 チヅちゃんのお宅である中田家は、狭い家に9人が密集して暮らす大家族である。祖父母が二人に父母が二人、そして五人の男兄弟とチヅが一人で、家族全員畑仕事に勤しむ働き者一家でもあった。チヅちゃんのお母さんはダイゴロウさんとも仲が良く、喘息は移る病気ではないというダイゴロウさんの言葉を真っ先に信じてくれて、また村人の中で最も我が家に野菜のお裾分けをしてくれた人でもある。私もこれまでに何度も世間話に付き合った、気の良いおばさんだった。


 そして、そんなおばさんが私に突き出した食事は、お米が10粒程しか入っていない雑炊だったのである。私は目を疑って、おばさんの顔を覗き込んでしまう。しかし、平然としている彼女の表情を見て、私はこれが冗談でも何でもないのだと言うことを理解した。


『でも』


 冗談でないというのは理解出来たけれど、それを受け入れられるかどうかは別の話である。太平洋戦争前はあんなにもよくしてくれたおばさんが、邪険そうに私の事を見下している。それに食糧が不足しているのはわかっているけれど、おばさんの家族は器いっぱいのお米を食べていた。こんな露骨なまでの食事の差を見せつけられて、黙って食べろと言われても納得が行くはずもない。


『なんだい』


『……』


『何が言いたい。この子達はこれから畑で働くんだ。あんたより食べて何が悪い』


『……なんでもないです』


 しかし、私はおばさんを言いまかすだけの言葉も頭も持ち合わせていなかった。実際、他でもない私自身が彼女の言い分の方が正しいとわかっていたのだ。


 私は黙って食事を貪る彼らの方に、もう一度視線を配る。あれは本当に私の知っている食事なのだろうか。食事というのは楽しいものの筈だ。行儀が悪かろうと、和気藹々と無駄口を叩き合いながら食べるのが、私の知る食事という行為の筈だ。そうやって食べると、どんなに貧相な食事でも楽しい気持ちになるのだ。私はこの世界に来てから今日に至るまで、そう言う食事をして来た筈なのに。


 静かだ。この家の食卓は、ただただ静かだ。これだけの大家族な筈なのに、誰一人として視線を合わさず、早く食べなければ自分の分まで他の誰かに取られてしまうとでも言わんばかりに、一心不乱に食事を貪っている。以前ダイゴロウさんと一緒にこの家の夕飯に招かれた時は、この人達だって間違いなく笑顔を浮かべていたんだ。


『……』


 それなのに、こんな……。


 貧しさは人の心から余裕を奪い取る。どれだけ食卓が貧しくなろうと、私の前で笑顔を作り続けたダイゴロウさんの方が異常だったのだろう。この家は家族が多い分、食い扶持を繋ぐ事に関しては特に敏感になってしまったのだ。


 私は自分の器を手に取り、雑炊を静かに啜った。チヅちゃんはそんな私に哀れみの視線を向けてきて、そして。


『……あの、カトリちゃん。これ』


 私のお椀に自分のご飯を半分程取り分けてくれようとしたのだけれど。


『チヅッ!』


 その手をおばさんが掴み取る。


『あんたもこれから畑仕事だろ。あんたが食べるんだよ』


『……』


 おばさんの威圧に耐えかねたチヅちゃんは、申し訳なさそうに、それでいてバツが悪そうに。せめて私の見えない所で食べようと思い立ったのか、襖に遮られた隣の部屋ヘ移動して食事を摂った。





 日が沈み、畑仕事から帰った中田家の面々と夕飯を摂る。私の夕飯は朝食や昼食と同様にやはり貧相な物で、それでも働いていない負い目や、こんな物でもタダ飯にありつけている負い目から、仕方ないと割り切って静かに食べる事にした。食事の不自由にさえ耐えれば、他は何も不自由しないと自分に言い聞かせた。……が、それも就寝前のお風呂の時間になると考えを改めたくなった。


 この家ではお風呂の順番も食事と同様、働いた者から先に入る事となっていた。家族総出で畑仕事をする働き者一家である。よって私がお風呂に入るのはいつも必ず終い湯であり、畑仕事によって土と泥に塗れた家族達が浸かった後でないと、お風呂に入るのを許しては貰えなかった。


 水がもったいない。そう語るおばさん曰く、風呂の水は五日に一度しか変えないらしい。


 燃料がもったいない。そう語るおばさん曰く、いくら湯が冷めていようと追い焚きをしてはならないらしい。


 そうやって大家族の汚れを洗い落とした浴槽に私が入る頃には、お風呂の水はすっかりと冷め切っていた。大家族の汚れを洗い流した浴槽の上澄みには、土と泥と汗と垢の混じった層がぎっしりと膜を張っていて、すっかり冷え切ったお湯の感触も、ぬめりととろみの合わさった酷く不快なものである。けれど。


『大丈夫。一緒に入れば少しはあったけえよ』


 チヅちゃんはそう言って、目の前の泥水になど少しも臆す事なく、垢の膜を桶で掬い取って浴槽の外に捨てていった。


 私より少し年上とは言え、畑仕事に貢献しているチヅちゃんは、本来ならば私より一つ前にお風呂に入る筈だった。だけど私が来るまではいつも自分が最後に入浴していたし、だったら私より先に入ろうが一緒に入ろうが大して変わらないし、なんなら私と一緒に入って人肌で温め合った方が得だと言い、私とお風呂に入る事を選んでくれた。……でも、チヅちゃんが私と二人きりでお風呂に入りたかった本当の理由は、もっと別の所にあって。


『それと、これ』


 チヅちゃんは脱衣所に脱ぎ捨てた衣服を漁り、その中に忍ばせたサツマイモを一つ取り出し、コソコソとお風呂場に戻ってくる。


『じいちゃんがカトリちゃんに食べさせろって、こっそり持たせてくれたんだ』


 そう言ってチヅちゃんは据風呂の燃料口を開いて、その中にサツマイモを投げ入れた。


『うん。ほんのちょびっとだけど、まだ火は残ってる』


『……』


『焼けるまでお喋りしながら長風呂しようぜ?』


『……チヅちゃん』


 幼少期の私はあまり泣くような子ではなかった筈だけれど、その時ばかりは珍しく視界が潤んだのをよく覚えている。


 サツマイモを燃料口に投入して、すぐに私達は二人で据風呂に足を入れた。私の足に、とろみのついた泥水が纏わりつく。果たしてこれを本当にお風呂と呼んでいいのかなんてわからないし、なんなら泥池の方がまだ衛生的に感じるような風呂だ。でも。


『あっはっはっ、気持ち悪ぃな?』


 チヅちゃんが自虐するようにそう笑いかけてくれるだけで、地獄のような環境も一つの笑い話として受け入れられるような気がした。私達は身を寄せ合い、冷えたお湯の代わりに体温で温めあいながら、くすくすと笑みを浮かべて芋が焼きあがるのを待った。


『あのな、カトリちゃん。母ちゃんの事、悪く思わないでくれな? 食いもんが沢山あった時は、母ちゃんもあんなんじゃなかったんだよ。それに一番上の兄貴も去年大人になっちゃったせいで、戦争に連れてかれちまったの。それで母ちゃん、少しずつ可笑しくなっちまった』


 一通り笑いが尽きた辺りで、私の事をあまり快く思っていないおばさんの事を、チヅちゃんが庇う。私を責めるような態度を取るおばさんについて申し訳なく思う気持ちと、それでも実母である彼女を悪者だと思って欲しくない気持ちが拮抗しているのだろう。


『いいの。おばさんのおかげで、私チヅちゃんと一緒に暮らせるもの。全然怒ってなんていないわ』


 だから私がそう答えると、チヅちゃんはホッとしたような笑みを浮かべながら。


『ありがとな』


 と、小さく声を漏らすのだった。





 それからも私の地獄は続いていった。資源の枯渇、それに伴った国民達の勿体ない精神。私に出される貧相な食事は相変わらず変わらないし、お風呂だって毎度のように汚れたぬるま湯にしか浸かる事は許されない。チヅちゃんのお爺さんがこっそり食糧を分けてくれたとは言え、やはりその程度の恵みでは育ち盛りの体には栄養が足りなくて、夜中にこっそり抜け出しては、食べられる野草やキノコを漁ったりもした。


 しかし当時の基準で言うなら、それでも私は恵まれている立場だったのだと大人になってから知る事となった。当時の食糧の配給量に関しては、やはり食糧を生産してくれる農家に対してはそれなりの優遇があったようで、私はご飯粒が数個入っただけの雑炊(と言う名の野菜汁)に不満を持って生きていたものの、しかし生産者ではない都会の一般市民は、そんな雑炊さえも口に出来ない程に食糧の配給が冷遇されていた所が多かったのだと言う。


 お腹いっぱいとは言わずとも、物足りなさを感じないくらいのご飯を食べさせてくれたダイゴロウさんに、どれだけ優しくされながら育てられたのか、やっとわかった。どんなに畑仕事で疲れても、一番風呂を必ず私に譲ったダイゴロウさんに、どれだけ甘やかされて育てられたのかもやっとわかった。


 確かに今の生活は、彼に育てられた日々には遠く及ばないくらいに過酷なものだ。でも、幸運にも私には親友がいた。チヅちゃんと言う蜘蛛の糸があれば、どんな地獄でも居心地の良さを感じる事が出来た。そして私にチヅちゃんと言う親友が出来たのも、やはりダイゴロウさんが無理をしてまで真空管ラジオを買ったおかげであり、本当に私はこの世界に来てから彼の世話になりっぱなしなのだと思い知らされる。


 ……だから。


『……待って』


 どんな地獄でも、チヅちゃんがいれば耐えられると言う言葉に嘘偽りはないのだけれど。


『待っておばさん!』


 でも。


『お願い、それは……!』


 だからこそ。私に幸せと親友と愛情を注いでくれた彼を。ダイゴロウさんを奪われる、その現実だけは。


『やめて……』『うるさいっ!』


 どうしても我慢する事が出来なかった。


 金属類回収令。それは戦況が不利に傾き、いよいよ資源の枯渇が著しくなった日本政府が発した令であり、これにより一般家庭に存在する金属類の多くは、兵器開発の為の資源として、強制的に日本政府に没収される事となった。


 そこには当然鍋や包丁のような生活必需品も含まれており、有名どころで言えば渋谷のハチ公像まで分解されて政府に徴収される程であった。


 都会では比較的早期から実施されていたこの徴収ではあるが、農家では食糧の生産に農具という金属が必須であった為、金属回収令発令後もやむなしに見逃して貰えたいたらしい。けれどそれも1944年という第二次世界大戦後期ともなればいよいよ資源に限界が来て、農家も金属回収の対象となってしまったのである。


 ……それで。


『ラジオなんて村に一つあれば十分だろ!?』


 当然、真空管ラジオという高級品は真っ先に回収対象に見なされたわけで。


『我儘言うんじゃないよ! 兵隊さんは皆んな今もお国の為に命かけてんだ! その兵隊さんの中にはダイゴロウだっているんだよ! わかってんのかい!?』


 ダイゴロウさんの家から次々と金属類を持ち出していく兵隊さんに抵抗を示す私に、おばさんの怒号が降り注ぐ。


『ダイゴロウを守る武器はどうするのさ! あんたがそうやって金属を出し惜しみして、身を守る武器も作れずにダイゴロウが死んだらあんたはどうするんだ! あんただけが辛いなんて思うんじゃないよ! 皆んなお国の為に、戦争に行った家族がほんの少しでも生きて帰れるように金属を差し出してるんだ! 包丁も、鍋も、全部! 全部! 全部ッ!!』


『……』


 そして私は遂に何も言い返せなくなり、ダイゴロウさんの家具が根こそぎ奪われていくその光景を、黙って見守る事にした。


『聞き分けのない子どもで申し訳ありません。どうぞ持って行ってください』


 私がようやく抵抗を諦めた所で、おばさんが兵隊さん達に頭を下げた。私はただただ涙を流しながら、思い出の品々が奪われて行く様を見守るばかり。それでもダイゴロウさんの生存に少しでも希望を持つ為だと自分に言い聞かせ、目の前の現実を黙って受け入れるしかない。


 おばさんの言う事を受け入れたくはなかった。けれど私が金属を出し惜しみしたばかりに、ダイゴロウさんが戦地で死ぬかも知れない可能性は、やはり拭い切る事が出来なくて。だから私とダイゴロウさんのお家がいくら荒らされようとも、私は彼の生存を祈ってやむなく金属を差し出して。


 そして、1945年2月。

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