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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
[第3.5話 魔女達と日常の話]
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博愛の魔女 ⑥

『……』


 その日の夜もやはり、ダイゴロウさんの部屋からは例の異音が鳴り響いた。一時はなりを潜めていたその異音が、近頃はやけに活発化しているような気がする。この世界に来たばかりの頃に聞いた音より、間違いなく激しさが際立っている。それは私の中で、知りたいという感情が怖いという感情を乗り越えた瞬間でもあった。


 私は布団から抜け出し、浴衣のおはしょりを解く。オンボロ屋敷であるこの家の廊下を普通に歩いては、足を踏み込む度にギシギシと廊下が鳴ってしまうのだ。だからこうしておはしょりを解き、浴衣の丈をグンと落として、足元にまで届いた浴衣の丈を私は踏んだ。そうやってすりすりとすり足でダイゴロウさんの部屋へと、足音を消しながらゆっくりと接近した。そして。


『……ダイゴロウさん?』


 俯きながら、自分の拳や額を何度も部屋の土壁に打ちつけているダイゴロウさんの姿を目の当たりにする。


『何してるのダイゴロウ!』


 咄嗟の行動だった。それまで抜き足差し足で音を潜めていたのも忘れ、ズカズカと大きな騒音を立てながら部屋へ踏み込み、その両手を掴んでしまう。


『何やってるのよ……。こんな事したら痛いじゃない』


 ダイゴロウさんの拳は、骨の出っぱった所を中心に赤く腫れ上がっていた。ダイゴロウさんの拳と同様に、土壁に打ち付けていた額も真っ赤に腫れあがっている。その上落ち着かない様子で、過呼吸にも近い浅く早い呼吸をしているものだから。


『……いや、何でもないよ。晩酌してたら少し悪い酔いして』


 ダイゴロウさんのその言い訳がその場凌ぎの嘘である事は、私でも十分すぎるくらい理解出来た。


『嘘。ダイゴロウ、全然お酒臭くない』


『本当に少し飲んだだけなんだ。中々寝付けなくてな』


『それも嘘だわ。どうして眠れないとこんな事をするの?』


『それはだから……落ち着かなくて』


『落ち着かないって何? ダメよこんな事したら。そうだわ、落ち着かないなら私が子守唄を歌って』


 私はダイゴロウさんの腕からを手を離し、咳払いをして喉を開く。魔界にいた頃、泣きじゃくる私に母がそうしてくれたように、私も同じような事をしてダイゴロウさんを落ち着かせてみようと思い立った。……が、開きかけた私の喉から歌声が流れる事はなかった。


『やめろっ!』


 血相を変えたダイゴロウさんに、口元を鷲掴みにされたからだ。農作業によって鍛え上げられた、大人の男の人の大きくゴツゴツした手のひらが、私の口と喉に纏わりつく。口を閉ざされ、首を絞められ、私の知るダイゴロウさんからは想像も出来ない暴力的な行為が放たれたせいで、私の気は動転してしまった。


 体をくねらせ、やめてくれと叫び声もあげようとしたものの、しかし子どもの体で大人の圧倒的な腕力を振り解けるはずもなく。


『…………ご、ごめんっ!』


 だからもしダイゴロウさんが、あと一歩正気に戻るのが遅れていたら。大人の自分が子どもの私に何をしているのか、ほんの数秒でも気づくのに遅れていたら。きっと私は、あのまま彼に絞め殺されていたのだろう。


 ダイゴロウさんは私から距離を置き、絶対に手の届かない射程まで身を引く。これだけ離れれば絶対に私に手は伸ばせないと、目で見てわかる距離まで離れてくれたのだけれど。


『……でも、あの歌は歌わないでくれ』


 しかし、わざわざそんな事をしなくても、私は彼が害を成す存在だとは決して思わない。それは他でもない、怯え切った彼の表情が教えてくれている。彼は私の首を絞めていた時でさえ、助けを求める弱者の顔で怯えていたのだ。


『怖いんだ。天国とか、あの世とか、幽霊とか』


 おじいさんの時計。ラジオで流れたその曲の日本語歌詞は、元の英語歌詞から大きなアレンジが加えられた日本独特の解釈がなされていた。御伽の国だの、お姫様だの、シンデレラだの。やたらとメルヘンチックな単語が羅列している夢物語のような歌詞であり、題名でもあるおじいさんの時計の要素はさほど多く見受けられない。


 けれどその曲は本来、おじいさんが生まれた日にやって来た時計が、おじいさんと共に90年間生き続け、おじいさんが亡くなると同時に動きを止めると言った歌詞であり。


 ……それで。


『死を連想させる言葉、全部が……』


 そんな曲の歌詞をご丁寧に日本語訳した私のせいで、ダイゴロウさんをここまで怯えさせているのだと。誰も死なない世界を願う彼を、赤子のように怖がらせてしまったのだと。その時、ようやく私は理解した。だから。


『ダイゴロウ』


 私はそんな彼の側まで歩み寄り、胡座をかいた彼の足に腰を落とした。彼の震えを全身で受け止めながら。


『落ち着くまで一緒にいてあげるわ。落ち着いたらお話しましょ?』


 彼が冷静さを取り戻すのを、いつまでも待ち続けた。





『カドリーは、お母さんから俺についてどう聞いている?』


 ダイゴロウさんの荒れた吐息が落ち着きを取り戻し、その体から震えが治まりだしたのは、それから一時間程が経った辺りだった。私はダイゴロウさんと同じ布団に潜りながら、また彼が震えてしまわないよう、その手のひらをぎゅっと握る。思えばこの世界に来たばかりの頃から、彼は私と一緒に布団を並べて寝ようとはしなかった。貞操観念を身につけさせるには早過ぎる年齢だとは思ったけれど、思えばあれは自分の弱さを私に見せたくなかった、彼なりの強がりだったのだろう。私は魔界にいた頃の母の言葉を思い出しながら、そんな彼の問いに答えた。


『誰も死なない世界を作りたがってるって。この世界で一番戦争が起こらないのを祈っている優しい人だって、お母様はそう言っていたわ。違うの?』


 私の返事に対して、参ったと言わんばかりに困惑した笑みを浮かべたダイゴロウさん。そんな彼の表情を見た私は、ダイゴロウさんがいつもの彼に戻りつつある事に安堵の息を漏らした。


『その言い方だと、まるで俺が皆んなの幸せの為に願いを叶えようとしているみたいだな。あの人は、昔の想い人に俺を重ねている所があるから、俺の事を聖人君子だと信じて疑わないんだろう。実際は違うさ。俺は皆んなが死なない世界を作りたいんじゃない。他でもない、俺自身が死なない世界を作りたいんだ。でも、俺だけが不老不死になるのは死と同じくらい怖い事だ。だから俺は、この世界全てを巻き込んで不老不死の世界にしたいと思った』


 赤裸々に自分の本心を晒すダイゴロウさん。つまるところダイゴロウさんは、私達母娘が考えるような聖人ではないのだと、私達の期待を真っ向から否定したいらしい。


『ただ死ぬのが怖いだけの臆病者なんだ、俺は。自分が死ぬのも嫌だし、誰かに死なれるのだってまっぴらごめんだよ』


 自分は英雄ではなく、ただの臆病者だと。自分一人が生き続けるのさえ怖いから、この世界全てを巻き込んで生き続けようとしている卑怯者なのだと。自分の事を、そう嘲笑った。……ただ、私にはそんな彼の卑下よりも気になる所が一つあって。


『それって、ダイゴロウさんのお父様とお母様の事?』


 誰かに死なれるのもまっぴらごめん。そう呟く彼の言葉に、こんな田舎の屋敷に一人で暮らす彼の人生が重なって見えた。


『……そっか。まぁそうだな。気付くよな、そりゃあ』


 小さく笑うダイゴロウさん。彼と四ヶ月も過ごして来た中で、彼の口から両親の話が出て来た事は一度もなかった。……が、それでも幼いながらに、両親の痕跡さえ匂わせない彼の人生には、どこか思うものがあったのだ。ダイゴロウさんのお父様とお母様はどこにいるの、と。聞くだけなら簡単だった。けれど幼さ故の動物的な直感とでも言うのか、彼にその事を聞いてはいけないような気がしていた。


 そして今、ダイゴロウさんの方から両親の話を切り出してくれた事で、私は初めて彼の人生の一端に触れる事となる。


『二人は震災に殺されたよ』


『震災?』


『俺がまだ子どもだった頃に、大きな地震があったんだ。色んな建物が崩れて、あちこちで火事が起きたりしてな』


『……ダイゴロウさんのお父様とお母様、潰されちゃったの?』


『……違うよ。言ったろ? 二人は死んだんじゃなくて、殺されたんだよ』


 ダイゴロウの口から、それまでほんの一欠片も語られなかった彼の過去が紡がれる。


『震災の後に、東京中に一つのデマが流れた。「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた。混乱に乗じて徒党を組み、略奪や暴動を企てている」ってな。デマの出所は、今となっちゃ知る術もない。実際にそういう事をした朝鮮人がいた可能性も否定しきれないし、或いは朝鮮人に悪役を押し付ける事で共通の敵を作り、震災の鬱憤を晴らそうとか思っていた人達がいた可能性だってある。何にせよ、そういうデマを鵜呑みにした人達が一致団結して、自警団を結成して、朝鮮人の虐殺が始まって。それで俺の両親もな』


『ダイゴロウのご両親は日本人じゃないの?』


『殺されたのは朝鮮人だけじゃない。朝鮮人に疑われた人は、自警団に「15円50銭」と言うように促された。これをしっかり発音出来なかった人が朝鮮人だと見做されて殺されたんだ。だから中国人や、訛りの残った地方出身の日本人も朝鮮人に間違われて殺された。そういった人達を自警団から庇った日本人も殺されたりもした。それが俺の両親だった。親父は屠畜業を仕事にしていて』


『屠畜業?』


『あー……まぁ、言っちまえば動物を殺して肉にする仕事だよ。周りから、あまり良く見られない仕事でな。だから従業員の殆どは部落の朝鮮人だったり、もしくは地方から上京して来た仕事のない連中が多かった。そんな仕事のせいで昔は近所からしょっちゅう白い目で見られたらしいが、俺のお袋はよく笑う世渡り上手な人で、俺が生まれた頃にはすっかりご近所さんと打ち解けてたってんだからすげえもんだよ』


 心の底から両親の凄さを誇らしそうに話すダイゴロウさん。しかし私は知っている。ダイゴロウさんの両親が辿る結末が、決してハッピーエンドではないのだと言う事を。


『……ほんと。あんな事がなければ、二人とも今も元気に下町で暮らしていたんだろうな。今でも覚えてるよ。親父が職場の朝鮮人や田舎もんを家に匿って、自警団から庇ったんだ。「あんな話はデタラメだ、根も葉もない噂話だ」って。それで怒り狂った自警団の連中に、朝鮮人の居場所を吐けって詰め寄られながら』


 私と握り合う彼の手のひらに。


『最後は撲殺された』


 殺意にも似た力が込められた。


 そんなダイゴロウさんの昔話を聞きながら、私はふと思ったのだ。


『だったら、ダイゴロウさんのお願いはお父様とお母様を生き返らせてじゃないの?』


 両親を亡くした事を深く悲しんでいる彼に最も相応しい願いは、両親を生き返らせる事ではないのかと。自分が不老不死になった所で、両親と再び会う事は出来はしないのだからと。しかし、そこで私は思い出す。


『二人が死んだ後、俺は何日も泣き続けた。二人が死んだのが悲しかったからじゃない。それもあるにはあるけど、根っこの方ではただ死が怖くてたまらなかったんだ。親父やお袋が死んだ事実より、自分もいつかはこうなっちまうって思うのが恐ろしく怖かった』


 彼の願いは、ただの不老不死ではないと。自分だけでなく、世界全てを巻き添えにした不老不死という、貪欲なまでの生への執着だったと。


『我思う、故に我あり。デカルトっていう、フランスの偉い学者さんが残した言葉だそうだ。自分が本当に存在しているのかわからなくなっても、自分の存在を疑っている自分は、間違いなくここにいるという事らしい』


 ダイゴロウさんが、私に握られた手のひらを振り解き、その大きくゴツゴツした手で私の頭を優しく撫でて来る。


『カドリー。お前は可愛いな。素直で、真っ直ぐで、ちんまりしていて。そりゃあお前の我儘に頭を抱える日も少なくはないさ。でも、お前の我儘に困らされる自分が、俺は案外嫌いじゃない。いつまでもそうやって俺を困らせて欲しいって、心の底から思っちまう。そう思えている俺が、間違いなく今ここに存在する。……でも、それはやっぱり生きている今だからこそ言える事なんだと、俺は思う』


 私の頭を撫でるダイゴロウさんの腕が、動きを止めた。決して避けられない恐怖を前にして、抵抗を放棄したようにダイゴロウさんは言葉を続けた。


『俺は極楽浄土や輪廻転生なんて信じらんねえ。人は死んだら、きっとそれまでだ。働いて汗を流す事も、飯食って美味えって感じる事も、それにお前を可愛いと思う事だって出来なくなる。何も考えられなくなるんだよ。それって何だ? 今当たり前のように考えていられる俺がなくなるって、どういう意味なんだ?』


 ダイゴロウさんは縋った。


『死にたくねえな』


 ダイゴロウさんは願った。


『いつまでもいつまでも、ずっと今が続いて欲しいな』


 それが死恐怖症(タナトフォビア)を抱えて生きる、ダイゴロウさんの苦悩だった。


 死恐怖症。高所恐怖症や閉所恐怖症と同じ恐怖症の一種で、いずれ必ず訪れる死に対する恐怖と不安に押し潰されて、パニックを引き起こす精神の病。現代ならば抗不安薬や抗うつ剤を服用する事で恐怖の誤魔化しが効くものの、精神医療分野が未発達な昭和初期、それも精神科への通院が知られればキチガイと噂されるような時代において、心の病というのはある意味伝染病よりも厄介な代物であった。


 が、しかし。私はすぐに違和感に気がつく。決して抗えない恐怖を泣き言のように漏らすダイゴロウさんだったが、私の頭に置かれた彼の手からは、先程のような震えが一切感じ取れない。恐怖を吐くその言葉からも、声の震えは微塵も存在しない。日常会話でもするように、淡々と言葉を漏らすのである。


『ダイゴロウさん。今も怖い?』


『……いや。そういえば不思議だな。いつもはこう言う事を考え出すと、あっという間に正気でいられなくなるのに。なんだか今は、心が落ち着く』


 ダイゴロウさんの答えを聞いて、私は合点がいった。私は彼の落ち着きの理由に心当たりがあったのだ。それはきっと、長い間一人で生きてきたダイゴロウさんにはわからなくて、この世界に来る前は母と暮らして来た私だからこそ理解出来た答えなのだろう。


『それはね、私がいるからよ。私も怖くて怖くてどうしようもない時は、お母様がこうして一緒に寝てくれたわ。そしたら怖い気持ちがスゥってなくなって、ぐっすり眠れるの』


 私は母とのやり取りを思い出しながら、言葉を続ける。


『ごめんねダイゴロウ。ずっと気づいてあげられなくて。でももう心配しないで。今日からは一緒に寝ましょう? 生き物を殺す遊びもこれからはしないって約束する。誘われても嫌だって、ちゃんと断るわ』


 私に寂しい思いをさせないよう尽力してくれた彼に報いるように、今度は私が彼に怖い思いをさせない番だと、そう思った。


『大丈夫よ。戦争だって絶対に起きない。戦争が起きるよりも先に立派な魔女になって、私が魔法で止めてみせるんだから』


 でも、それは決して彼に恩返しがしたいとか、彼の事を救いたいなどと言う大層立派な気持ちから来る行動ではなかった。


『だからね、ダイゴロウ』


 だって。


『明日からのご飯には、漬物とお味噌はいれないでね?』


 私はただ、ご飯に嫌いな食べ物を入れて欲しくなかっただけなのだから。


 隣で寝ていたダイゴロウさんから、クスクスと笑みが漏れて来たのが聞こえた。どうやらこの平和は、まだまだ崩れてはくれないようだ。





 そんな平和が続くと思っていたのが、八月の末の事。それから一週間が経った1939年9月1日。


『……ダイゴロウさん』


『……あぁ』


 ラジオから速報が流れる。それはドイツがポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦の幕開けを報せるニュースだった。

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