第五章 第三話 章末
聖心愛の部屋に入るのは初めてだ。部屋はこざっぱりとしているようで、しかしどことなく散らかっていた。
家出してきた、と言うくらいだから、身一つで来たのだろう。散らかってるものはこちらに来て半年足らずで買い集めたものばかりのようだ。親権が正式に父親にうつったから、いずれは田舎から荷物を運んでくるのかもしれない。
「うちん中、誰もいねーけど、変な気起こすなよ」
「起こすなってほうが無理だよ」
「無理なら帰れ。変な気起こす元気があるなら帰れ」
「やだ。ここまで来たんだから、押し倒すくらい元気になるまで帰らない」
「勝手にしろ。ほら、水だ」
「ああ、ありがとう……」
志信は処方されていた痛み止めをのみ、身体を休めた。しばらくこうしていれば、じきに歩けるようになるだろう。
「……で、なんの用だ」
「ええと……聖心愛に会いに来た」
「よし、会ったな。じゃあ帰れ」
「なんだよそれ、この雌豚!」
「なんでそこで雌豚呼ばわりされなきゃいけねーんだよ」
「なぜ豚を嫌う?」
「あー、もう嫌いだよ豚!このやりとりも嫌いだ!」
「なんでそんなにイライライラしてるんだよ」
「イライライラ?えっ、イライラって普通偶数じゃねえ?」
「いつもはヘラヘラヘラしてるのにさ」
「ヘラヘラだって偶数じゃねえか普通は」
「ニコニコニコした聖心愛が見たいんだよ」
「あのな、もう突っ込まねえぞ……」
聖心愛は疲れた様子で言った。志信のペースに完全に呑まれている。
「オメー、あたしが疫病神だってわかってんのか?」
「疫病神だなんて、そんな……」
「あたしがいなけりゃ、オメーは刺されなかった。……いや、あたしがカードのチャージ切らしてたせいか?あたしが余計なことしなけりゃ、オメーはあのババアに食われるくらいで助かったんだよ」
「刺される替わりに差す方に回るところだったけどね、性的な意味で。でも、そんなの嫌だよ。僕の童貞は聖心愛に捧げるって決めたんだから」
「あたしの処女はオメーに捧げるつもりはさらさらねーぞ」
「えっ、バイブに捧げちゃった?」
「せめて他の男に捧げたとか思われてーなー!」
「だって、聖心愛はショコラママを反面教師にして育ったんだろ?それが使い終わったティッシュみたいに処女捨てるタイプじゃないって」
「……オメーにはかなわねーな。そのとおりだよ」
「よかった。二割くらいは疑ってたから」
「それより!あの時のババアの狙いはあたしだったんだぞ。なんでオメー、余計なことしたんだよ。あたしが刺されてりゃよかったんだ」
「守りたかったから守ったんだ。聖心愛を大切に思ってるから」
「あたしを守ってヒーロー気取りかよ。その後、あたしがオメーの母ちゃんにどんな目で見られたか、知ってんのか?」
「お母さんが君に何かしたの?」
「……冷たい目で見られた。それだけだ。けど……それだけで充分だ!」
聖心愛は声を荒げて言った。
「あたしのこと疫病神だって、そういう目だった!」
「それがどうした!」
志信も負けじと声を荒げる。
「お母さんは僕じゃない。君がショコラママじゃないように。だから、僕は聖心愛を疫病神だなんて思ってない」
「オメーとかかわる上で、オメーの母さんは避けて通れねえんだよ!オメー、結婚してくれるって言ってくれたじゃねーか!」
聖心愛の言葉に、ようやく志信は気づく。
志信の気持ちが届いていないわけじゃない。聖心愛は、恐れているのだ。
「オメーの母ちゃん、父ちゃんの母ちゃんと――つまり、姑と仲が悪かったんだろ?で、父ちゃんは自分の母ちゃんの味方ばかりしてたんだろ?わかるんだよ、そういう未来が。あたしとオメーが結婚したらどうなるか、わかるんだよ!」
聖心愛はずっと、志信の母である倫江に迷惑をかけてきた。今回のことだけじゃない。産まれたときからずっとだ。
そして志信はずっと、母のために戦ってきた。しかも、育児を押し付けられた母を聖心愛から解放するために戦ったのが最初だ。
この先、いざ聖心愛と倫江が対立した時、志信が倫江の味方につかないという保証はどこにもない。いや、それどころか、聖心愛の味方をしてくれるはずがないとさえ、聖心愛は思ってるのだ。
「聖心愛」
志信は努めて優しい声で言った。
「僕、君といたずらするのが楽しかった。こどものときも、つい最近も」
「なんだよ、いたずらって……」
「最初に聖心愛とやったいたずらは、君のお母さんの不倫スクープだったね。あの時、聖心愛が先に逃げ出したときには、どうしようかと思ったよ」
「だから、あたしは……そういう女なんだよ……」
「でも、それでよかったと思ってる。君はいつも、最後には僕を助けてくれた。切符を用意して改札で待っててくれたし、レコーダーを仕掛けて僕を助けてくれた。それは僕のためじゃなく、君自身のためかもしれないけど、結果として僕は助かった」
「……それは……」
「僕の人生のピンチは、いつも君が助けてくれたじゃないか」
「……違う。オメーの人生にピンチを呼ぶのがあたしなんだ。だから、あたしは……」
「それも違う。僕にとっての疫病神は、君のお母さんだよ」
「ほら、あたしがオメーとかかわるのにオメーの母ちゃんを避けられないように、オメーはあたしとかかわるのに、うちのババアを避けられないんだよ」
「違う。よく考えてくれよ、聖心愛」
志信はいっそう声を張り上げて、言った。
「『テメーで勝手に産んどいて、飽きたからいらねーって捨てられたあたしの気持ちがわかるかっての!』だっけ?」
「……ああ」
「僕にはその答えはわからない。それは確かに、君にしかわからないんだから。それは君のお母さんにもわからない」
聖心愛はもう、何も言わない。ただうつむいて、志信の言葉をかみしめている。
「だからさ、君のお母さんは、僕たち二人の、共通の敵なんだよ。僕の人生のピンチは君の人生のピンチでもあったんだよ。だからさ……」
志信は、次の言葉に殊更力を込めて言った。
「君の人生のピンチにも、いつも僕がいてあげたいんだ。君の疫病神になりたいんだ」
聖心愛は、はっとした目で志信を見つめた。
「お互いがお互いのピンチを助け合う。そんな関係になりたいんだよ」
「志信……」
「だからさ、聖心愛。僕と一緒に……助けあってくれないか」
聖心愛は目をそらす。
「あのよ……それって、マジで受け取っていいのか?」
「うん、マジ」
「おふざけ、ナシなのか?」
「うん、ナシ」
「信じるぞ。あたし、オメーのこと信じるぞ?」
「ああ、信じてほしい。僕は僕の家族になる予定の、君とこどもを大切にすると誓うよ」
「志信……」
そこで聖心愛は、感極まったように大声を上げた。
「……うん。……うん、わかった。志信、助けあう……あたし、オメーに助けてもらう!志信はあたしを助けてくれる。あたしはオメーを助ける、助けられるようにする!……ううっ、うわあああああああん」
聖心愛が泣きだしたのを見て、志信はその頭を優しく撫でた。
いつも母がしてくれたように、優しく、愛おしく。




