第五章 第二話
志信の退院が決まったのは期末テスト直前だった。
今年から同じクラスになった功が、ノートを届けてくれたので、勉強の方は心配なかった。
ちゃんと歩く練習もしていたので、通学も心配ない。いつのまにか引っ越していた倫江の新居からは、電車も下り方向になっているので、早朝ラッシュに巻き込まれる心配もない。
あれから倫江と勇助の離婚は、とんとん拍子に話が進んで成立した。勇助にしてみれば、ショコラママを連れてきてしまったという負い目もあるのだろうし、あの時の話し合いも影響したのだろう。決して安くはない慰謝料と、志信の養育費を一括で支払ったらしい。
聖心愛も、父親の親権が認められたと功から聞いた。なにせ公衆の面前で『殺してやる』と叫んで高校生を刺したのだ。殺人未遂がおそらく適用されるだろうともっぱらの噂だった。
テスト明けの放課後、志信はまんが研究会の部室に駆け込んだ。
テスト中は学校で聖心愛を見かけることはなかった。だから、これが久々の対面になるだろう。
部室ではミーティングを控えて何人かの部員がすでに集まっていた。みんなの視線が志信に集中する。
「志村くん、これ……」
智代が一枚の紙を見せてきた。
「加藤さんが置いていったらしい。退部届だよ」
志信は、目の前が真っ暗になったような気がした。
「入れ違いだったよ。一年生のほうが授業が早く終わるしね。ただ、わたしも今みつけたばかりだから、先生に提出したわけじゃない」
智代はそう続けた。
「……加藤さんの家は知ってるんでしょう?」
「はい、引っ越していなければですが……」
「行ってあげなさい。会いたいんでしょう?ミーティングはずっと休んでたんだから、あと一日くらい休んでも気にしないよ。退部届は、わたしが提出し忘れるかもしれないしね」
「ありがとうございます!」
志信は部室をあとにした。
聖心愛の家はわかってる。ショコラママが『もらってあげる』をやっていたあのショッピングセンターの近くだ。
だったら、治ったばかりで体力も回復していない志信は、無理に走って追いかける必要もない。大丈夫、聖心愛は逃げない。帰るだけだ。
ショッピングセンターまでは、駅前からバスが出ている。
バスがショッピングセンターに着くやいなや、志信は走りだした。
必要はないが、走りたかった。
体力もないが、走りたかった。
一秒でも早く、聖心愛に会いたかった。
傷口が地味に痛む。
聖心愛の家はそこそこ大きな一軒家だ。ここに祖父母と父と、四人で暮らしているらしい。住所は知っていたが、来るのは初めてだ。表札を確認、加藤希博という、父親の名前があった。
ピンポーン。
聖心愛の家についてすぐ、志信はチャイムを鳴らした。これまで志信はチャイムを鳴らされてばかりだったが、今度はチャイムを鳴らす方だった。
ピンポーン。ピンポンピンポンピンポーン。
だが、返事はない。家の中で誰かが動く気配すらない。
居留守?いや違う。留守なのだ。
しまった。どこかで追い抜いてしまったらしい。聖心愛はショッピングセンターかどこかで寄り道をしたのだ。
「うっ……」
そこで、ようやく志信は気づいた。傷口の痛みが激しくなっている。さっき走ったせいだ。傷口が開いたりはしていないが、痛い。痛くて苦しい。
思わずそこにうずくまる。
走るんじゃなかった……。それより、電話かメールをすべきだった。
「オメー、なにやってんだ?」
そう後悔する志信の耳には、その声はなによりも甘美に聞こえた。
「やあ……愛しの聖心愛」
「病み上がりに寄り道してんじゃねーよ。とっとと帰れ」
聖心愛に会ったら、言いたいことがいっぱいあった。けれども、シチュエーションが悪すぎて、言葉が出てこない。
「なんだオメー……痛いのか?おい、大丈夫か?」
「あんまり、大丈夫じゃない……」
「……あー、やだやだ。しゃーねーな。ちょっと、うち上がってけよ」




