第四章 第七話 章末
だが、まさにその時。ベッドサイドの電話が鳴った。
「ちっ……なんなんだよ」
興が冷めたのか、ショコラママは行為を中断して電話をとる。
「……はあ?なんで身分証明書なんかいるんですかぁ?」
『はい。まことに失礼ですが、お客様のお連れ様が、高校生であると仰る方がいらっしゃいまして……』
電話の向こうの声が志信にも聞こえた。えっ、そのひとって誰だ?
『条例でお断りしていますので、年齢を確認できる書類をお持ちではないでしょうか』
「るせぇな、んなもんねぇよ!」
『では、大変申し訳ないのですが、本日のご利用をキャンセルさせて頂きます。お代はお返しいたしますので、どうかご容赦下さい』
「ふざけんなよ!」
その後もショコラママと電話の向こうの声はやり取りを続けたが、ショコラママの言葉がだんだん恫喝じみたものになるにつれ、志信は自分に向けられた注意がそれたのを感じ取った。
今だ!
志信は脱がされたシャツを羽織ってベッドから跳ね起きた。
「あ、テメー待てッ!」
勢いよく入り口のドアを開け放った瞬間、目の前をまばゆいフラッシュが白く染めた。
「未成年者ナントカ条例の現行犯、証拠ゲット!」
デジカメを片手に改心の笑みを見せたのは誰であろう。
「聖心愛!」
「よっ、待たせたな」
聖心愛だった。
なぜ聖心愛がここにいるのかはわからない。けれども、聖心愛が助けに来てくれたのは間違いない事実だ。
「テメーらああああああっ!」
背後から強い殺気を感じて振り向くと、上半身下着姿のショコラママが、真っ赤な顔をして立っていた。
「聖心愛、逃げろ!」
「言われなくても!」
志信は聖心愛の手をとって飛び出した。エレベーターを待ってる余裕はないが、なにぶん狭い廊下、階段の場所がわからない。
「こっちだ!」
聖心愛が志信の手を引っ張って、突き当りのドアをあける。非常口の外階段がそこにはあった。
「待てええええええええっ!」
階段を降りていくうちに上から声が聞こえてきた。振り向いている暇はない。
志信たちはそのまま外へかけ出した。
「聖心愛、僕はこっちに逃げるから、聖心愛はあっちに……」
「だめだ!」
このラブホテルから逃げ出すのは人生で二度目。まえに上手くいった作戦を志信は提案したが、聖心愛はそれを遮った。志信の手を離さず、そのまま走りだす。志信は引っ張られる形で走った。
「あたし、ずっと後悔してたんだ。あの時、オメーを置いて先に逃げたこと」
聖心愛は志信の手を握る力をぐっと込めた。
「だから、今度は二人一緒に逃げるんだ!もうあたし、完全に逃げ切るまでオメーの手離さねえぞ!」
志信もためらわなかった。聖心愛の気持ちは痛いほど伝わってきた。
「駅へ!」
電車のタイミングがよければ、以前のように逃げ出せる。それに、地方に行っていたショコラママは持ってないだろうが、こっちにはICカード型乗車券がある。志信も聖心愛も通学用に持っているのだ。
ピンポーン。
だが、改札を通ろうとしたとき、志信は不吉な電子音を聞いた。
不吉の訪れを告げる、ドアのチャイムにも似た音。
志信の後ろで、聖心愛がパスケースを改札機にたたきつけたまま凍り付いている。
「やべえ……チャージ不足だ!」
ICカード型乗車券は、前もってカードの中に金額をチャージしておく必要がある。定期券区間外のこの駅では、チャージ金額が初乗り料金に足りないとこのように乗車することも出来ない。
「志信、あたしのことはいいから先に行け!」
「なに死亡フラグ立ててんだよ!」
「いいから行け!ここはあたしが食い止める。すぐ追いつくさ!」
「フラグが増えてるってば!」
そうこうしているうちに、木製サンダルを打ち鳴らす派手な足音が駅入り口に入ってくるのが聞こえた。
「ハア……ハア……聖心愛ァ……テメーを産んでからロクなことにならねえ……」
下着姿に上を羽織っただけのショコラママは、それでも高そうなバッグだけは小脇に抱えていた。
「っざけんな!テメーに産んでくれなんて頼んだ覚えはねーよ!」
「ンだと!?」
「テメーで勝手に産んどいて、飽きたからいらねーって捨てられたあたしの気持ちがわかるかっての!」
「こんのガキャア!……殺してやるーッ!」
叫んで、ショコラママはバッグを放り投げ、走り出す。その手には抜き身の包丁が握られていて……。
「危ない聖心愛あああああッ!」
次の瞬間、志信がとった行動は半ば反射的だった。
自動改札機の扉を無視して外に飛び出し、聖心愛を突き飛ばし、返す刃で裏拳を放つ。
志信の拳がショコラママの顔面を強打し、ショコラママはもんどり打って倒れた。
だれかが駆け寄り、それを取り押さえた。
「志信うううううッ!」
聖心愛がどこか遠くで叫んでいた。おかしい、突き飛ばしたくらいでそんな遠くへ行くわけないだろう?志信はこんどこそやったとばかりに、聖心愛に笑顔を向けた。
「やったよ……。しょこ……ら……」
その瞬間から、志信の意識がダークアウトしてゆく。
最後に見たものは、自分の腹に生えた包丁だった。
鮮血が地面を黒く染めてゆく。




