第四章 第五話
「ここで、子作りしてみねえか?」
「「「えええええええええええええええっ!?」」」
驚愕の声をあげたのは志信ではなかった。
聖心愛がつかつかと、部室のドアに駆け寄り、開く。
そこには功や舞の他、何人かの部員が並んでいて……。
「先輩に先輩に先輩に先輩。盗み聞きたあ、趣味がワリーんじゃねーですか?」
「いやー、その、入りづらくなっちゃって。なんかいい雰囲気だったからさ」
他のメンツに押し出される形で、功が代表として答える。
「おかしいと思ったんすよ。昼休みだってのに誰も来ねーっすから」
「で、聖心愛ちゃん。子作りって本気?」
「ぶ……部室で、そんなの……不潔です」
功に続けて舞が言った。
「いや、だから先輩、本気なわけねーっすよ!先輩たちの気配を感じたからあぶり出しただけっす」
「そ、そうですよね。志村さんは仲本さんと……」
「高木先輩、俺を巻き込まないでください」
「そうだ。それに、志村くんは本気だったようにみえるけど?」
二人の後ろから、晴れて新部長に就任した智代が言った。
「えっ、ま。まあ。僕は全ての女性が好きだから」
「照れ隠しはいらないよ。志村くん。本気かどうかはわかるの。さて――今日のミーティングのお題は、部内恋愛の是非について、といきましょうか」
それから下校するまで、志信と聖心愛とはきまずい空気が続いた。ミーティングの時も会話は必要な分だけで済ませたし、下校も別々だった。
倫江のマンスリーマンションの最寄り駅まで放心状態だった志信は、電車を降りて改めて思い出す。
ああ、あれはちょっとやりすぎた。
流れだったけど、好きだとはっきり言ってしまった。
小学校の時には、聖心愛に言わせてもらえなかったけど、ついに言ってしまった。
答えがもらえたわけじゃない。断られたわけでもない。
でも、言った。言えた。志信は長く心の底で引っかかっていたものがとれたようだった。
じゃあその後は?
その後なんてなにも考えていなかった。
好きだと言った方は言っただけで楽だった。けど、言われたほうがどんな気持ちになるかなんて考えてもいなかった。
聖心愛はどんな気持ちになったのだろう。
『好きだなんて言うんじゃねえよ!それはオメーの勘違いだ。あたしは手近なセクハラのターゲットでしかねーよ。あたしみたいなの好きになるわけねーんだよ!』
あのとき、聖心愛はそう言って志信を拒絶した。
よく考えるんだ。志信は自問した。それは『志信のことを好きじゃない』って意味だったのか?
……わからない。そうかもしれないし、違うかもしれない。
もし違うのであれば望みがある。嫌われたわけじゃない。
さっきの態度だってそうだった。
否定じゃなかった。
否定じゃなかったんだ。
日を改めて、また話そう。うん、そうしよう。
志信がそう決心したのと、家に着いたのはほぼ同時だった。
「ただいま」
「おかえり、ノブくん」
「あ、……このにおい」
玄関を入ってすぐキッチンなので、以前の家よりもすぐに、志信はそのにおいに気付いた。
それは因縁のビーフストロガノフ。あの時食べそびれて以来、一度も口にしていない。
「久しぶりに作っちゃった。一人じゃ食べないから」
「やった!」
「さ、あともう少し煮込んだら出来上がるから、宿題やっちゃいなさい」
「はーい」
さっきまで悩んでいたのが別人のように、志信は笑顔で1Kの部屋に駆け込んだ。自分の部屋があるときとは違い、宿題をしているふりをしてまんがを描くことはできない。素直に宿題を片付けよう。
ピンポーン。
志信が教科書とプリントを机に並べたその時、チャイムが鳴った。
「あ!……ああ……」
倫江はレンズで外を見て、蒼白になる。
ただならぬ様子を感じて志信は玄関を覗きみたが、倫江がその志信に向けて、口元に人差し指を当てた。
ピンポーン。
チャイムがもう一度なる。
「志村さーん。裁判所からの書留でーす」
その声を聞いて志信も理解した。
声色を変えているが、それは間違いなく志信の父、勇助の声だった。
そもそもこの家は倫江の旧姓の、本田名義で借りている。そこに志村宛の郵便物が届くわけがないのだ。
なぜ勇助がここに?志信はすぐに気づいた。学校からあとをつけられていたのだ!そうに違いない。
「ごめん、お母さん……」
「しいっ……」
「いるんでしょう、志村さーん」
ピンポーン。ピンポーン。
ドンドン。ドンドン。
チャイムだけではなく、ノックの音も混ざり激しくなる。
十分が経過する。だが、どうやら諦めそうにもない。
根負けしたか、倫江が立ち上がった。
ドアにチェーンをかけて、ほんの少しだけ開く。
瞬間、勇助の手が倫江の手を掴んだ。
「はっ!離してください!」
「倫江!倫江なんだな!」
「やり取りは弁護士を通すようお願いしたはずです。帰ってください!」
だが勇助は掴んだ手を離すつもりはないらしい。強い口調で言う。
「いま謝れば、母さんも許してくれると言っている」
「それが間違ってると言うんです。わたしは謝るようなことはしていません!」
「それじゃあ俺に謝れと言うのか!」
「その必要はありません。謝ってもらっても意味がありませんから。これ以上は弁護士の先生にお願いします」
「そうはいくか、せっかく家を突き止めたんだ!帰らないしまた来るぞ」
「いい加減にしてください!警察を呼びますよ!」
実際はまた例によって民事不介入だろうが、それでも勇助は躊躇したようだ。一瞬言葉に詰まって、言い返す。
「呼べるものなら呼んでみろ。志信もいるんだろう?誘拐扱いでそっちが逮捕されるぞ!」
「……うっ……」
「それに、おまえだけにじゃない。志信にも用があるんだ」
「志信くーん」
甘ったるい猫なで声が、そこに割り込んできた。ドアの向こうに第三者がいる。しかもその声は間違いなくショコラママのものであり――。
「加藤さんも連れてきたっていうの!?」
「志信に一言謝らせたくて、呼んだんだ」
「うちもう怒ってないから、出といでー。志信くーん」
志信はその声を聞いて自分の迂闊さを悔やんだ。学校からあとをつけてきて、前の家を突き止めたのはショコラママだ。勇助とショコラママが協力したというなら、勇助をショコラママがここまで連れてきたようなものだ。
すぐ釈放されるだろうからって鈴木巡査部長は言ってたけど、ほんとに早かった。
「わかりました、わかりました……」
倫江は言っても無駄だと思い、譲歩することにした。
「大通りに出たすぐのところのファミレスに入っていてください。ちゃんと人前に出られる格好に着替えたら、すぐ行きます」
人目のあるファミレスであれば、勇助たちも暴力に訴えたりはしないだろう。そう考えてのことだ。
「話し合いなら部屋に上げるのが筋だろう」
「ここでは隣近所の迷惑になります。それとも、隣の人に顔を見られるまで、そうやって大声でわめきちらすつもりですか?」
「くっ……」
倫江は静かに冷静に畳み掛けた。勇助はそんな倫江に圧倒され、掴んだ手を離した。
「十分しか待たないからな。それでも来なければ、またこっちに来るぞ」
乱暴にドアを閉じ、勇助とショコラママは足音を響かせて引き上げた。
「ノブくんは、うちにいて」
「ううん。行くよ。お父さんだけならお母さん一人でも戦えるかもしれないけど、ショコラママは僕の問題だから。女一人片付けられなくてなにが男だよ」
「それ、お父さんにも聞かせてやりたいわね」
倫江は念のため弁護士に電話したが、残念ながら今は連絡がつかなかった。
大通りのファミレスに二人がつくと、奥の喫煙席に勇助とショコラママが憮然とした顔で待っていた。
ショコラママの服装を見て、志信は一応安堵した。こないだのようなコート一枚とか、そういう非常識な格好ではない。ごく普通の……いや、多少……いや、すごく派手な格好で、タバコをぷかぷかとふかしている。
「謝る気になったか?」
開口一番、勇助は言った。
「なりません」
「強情なやつだ。志信、おまえはどうなんだ?加藤さんに謝ることがあるんじゃないのか」
「ないよ」
お父さんは警察でどんな説明を受けたんだろう。どうせまともに聞いてないに違いない。志信は諦観にも似た悲しみを味わっていた。
「今日の会話は全て記録させて頂きます。いいですね」
「勝手にしろ」
倫江はそう言ってノートを取り出した。実はこの『記録』は録音の意味も含まれている。見えるところにレコーダーを置いたのでは、勇助やショコラママのことだ。奪い取られる可能性がある。そのためレコーダーは志信が隠し持っている。『記録する』という言葉がレコーダーに録音されているので、隠し録りにはならないそうだ。
「いま謝れば、母さんも許してくれるって言っているんだ。これが最後のチャンスだぞ」
「わたしが何を謝るんですか?」
「そんなこともわからないのか」
「質問に質問で返さないでください。わからないから訊いているんです」
「それくらい、自分で考えろ」
答えない、と言うことは勇助も薄々わかっているのだろう。どちらに非があるのか。
だが、それを認めてしまっては負けだ。意地だけで戦っている。だからこうして脅すような手段に出ているのだ。
「わたしが何をされて、何を許されなかったかという記録を、弁護士の先生を通して送っているはずです。お読みになりましたか?」
「あんなもの読む必要はない」
「読んでないんですか?」
倫江は呆れたような口調で言った。心なしか、芝居がかってるような気がする。
「読む必要はない、と言ったんだ。目は通したが、くだらないことしか書いてなかった」
「民法第七七〇条に該当する離婚原因を添えてあるはずです。それは読みましたか?悪意の遺棄および、婚姻を継続し難い重大な事由、と書いてあったはずですが」
倫江のノートには難解な法律用語がわかりやすく整理されて並んでいた。同時に、勇助たちに送った手紙のコピーも貼りつけられている。
「生活費を渡さなかったことは謝ってるじゃないか」
「ですが頂けなかった時期があるのは事実です。それに、もう一つの婚姻を継続しがたい重大な事由についてはご理解頂けましたか?」
「母さんと君が上手くやれないのは君に原因がある。母さんが理由なく君にひどいことをするわけがないじゃないか」
「ですが事実です」
「家族なんだぞ!」
「では聞きますが、あなたにとって家族とはどこからどこまでを示すんですか?」
「母さんと、俺と、君と志信だ」
「私と、あなたと、志信が家族です。お義母さんは世帯を分けた別の家族です」
「住み方の形式なんか関係ないだろう!法的にも君は志村家の嫁なんだぞ!」
倫江はそれを聞いて、ノートに挟まれたコピー用紙をすっと机にだした。
「お義母さんの戸籍抄本と、わたしたちの戸籍抄本のコピーです。よく見てください。法的には、お義母さんは家族ではありません」
片方の紙には、慶子の名前だけが書かれていた。もう片方の紙には、勇助と倫江夫妻、そしてそのこどもである志信の名前が書かれている。
「ど、どういうことだ?母さんと俺が別の戸籍になってるじゃないか!」
「婚姻届を出した時点で気付かなかったんですか?戸籍は夫婦を一つのかたまりとして扱うんです。あなたもわたしも、両親の戸籍から離脱して、新たにあなたが筆頭になる、わたしたちの戸籍を作ったんですよ」
「むむ……」
勇助は悔しそうな顔でコピーを見つめていた。
一方、ショコラママはその横で退屈そうにタバコをふかしている。
同じく話についていけない志信は、ショコラママのタバコの箱を見ながら、『緑色の箱のタバコは男が吸ったら勃たなくなるって聞いたことがあるな』などと考えていた。
その視線に気づいてか、ショコラママが志信にウィンクを送る。
志信はぞっとして目をそらした。
「こんな紙切れがなんだ!君が志村家の嫁であることには変わりはない」
「いいえ。私はただのあなたの妻です。言葉遊びが嫌ならもう一つ思い出してもらいますね。あなたの言葉です」
「俺の言葉?」
「二人で新しい家庭を築こう。プロポーズの言葉としては陳腐ですけど、その言葉は志村家の嫁になれと言う意味とは相反しています。覚えていますか?」
「そんなもの、いちいち覚えていられるか!」
「……残念です。それだけでも覚えていてくださればよかったのに」
倫江は言葉を切った。志信の手を握る力が強くなる。
「せめて愛さえあれば、未練が残っていたでしょうに。今の言葉できっぱりそれもなくなりました」
倫江の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。勇助はハッと目を見開いた。
「そんなことはない、俺は君を愛してる」
「もう、その言葉が信じられません。今日は、お引き取りください」
ややあって、倫江が再び口を開く。
「今まで弁護士の先生にまかせきりで、あなたと直接お話しすることがありませんでしたが、今後は弁護士の先生を間にいれて、三人で話し合いましょう。だから今日は、お引き取り下さい。日取りはまた改めて先生から……」
「……わかった」
それっきり、勇助は黙りこくってしまった。
「すみません、私……お手洗いに」
倫江がハンカチで顔を隠して立ち上がった。
その後を黙って勇助が追う。
「えっ……あっ……」
呆然としていた志信が思わずすっとんきょうな声をあげた。
「あっちの話は終わったみたくね?」
ショコラママが煙を吐いて、タバコを灰皿でもみ消す。
まさか両親ともいなくなるなんて……志信は胸ポケットに隠したICレコーダーに手をやった。お守り代わりというわけではないが、これがあればなにがあっても証拠になる。
「別にそんな固くならなくてもいいじゃん?こないだみたいなことしないからさぁ」
「男が固いのは一部分だけで充分ですよね」
志信は虚勢を張ったが、ショコラママには通用しない。
「言うじゃん、あんた」
ショコラママは新しいタバコに火をつけた。
「でさ、聖心愛とはもう寝たの?」
「残念ながらまだですよ」
「別に恥ずかしいことじゃないんだからさぁ、隠さなくてもいいんだよ?うちなんかあんたくらいの歳には聖心愛産んでるんだし。あ、その相手、パパじゃないんだぜ。ここだけの秘密だけどさぁ」
「や、やりますね……」
なんだか重大な秘密を聞いてしまったような気がするが、もういちいち相手にしていられない。聖心愛の父親が誰だろうと聖心愛は聖心愛だ。
「でさ、でさ。こないだも言ったけど、うちとはどうなのよ?聖心愛みたいな小娘よりすっげえテク持ってんぜ?」
「い、嫌ですよ」
「そんなこと言わないでさぁ」
ショコラママはすっと立ち上がると、あっという間に志信の隣の席に移って来た。
逃げ場をふさがれた。志信は後悔するがもう遅い。二人きりになったときに逃げていればよかったんだ。
「何が不満なの?あ、親や聖心愛にチクると思ってる?黙っててやるからさぁ」
そしてショコラママは志信の太股に手を這わせてくる。際どいところまで触ろうとしてくるのを志信は押しとめる。
煙草臭い息が吹きかけられてきた。志信は嫌悪感を覚えたが、勇気を振り絞ってこう言った。
「わ、わかりました……お店、出ましょう」
受けたフリをして外に出ないと逃げられないんじゃないかと思ったからだ。




