第四章 第二話
次の日、部活を終わらせて聖心愛と正門を出ようとしたところで、志信は再びその怪人と遭遇することになった。
「待ってたよぅ。志信くん!」
げえっ、と思った時には、すでに聖心愛の姿はそこにはなかった。
「ショコラママ……さん」
エスカレーター制の私立をそのまま進学したのが悪かったのだ。考えてみれば、昨日も家のある辺りではなくこの学校の辺りをうろついていたのだから、最初から志信を足がかりに聖心愛を探そうとしていたのかもしれない。
「志信くん、ちゃんとここの学校続けてたんだねぇ。それより、志信くんさぁ――……」
「えっ?」
志信には、ショコラママの言った言葉が、聞き取れたが理解できなかった。
「聞こえなかった?もうちょっとこっち来て聞いてよ」
志信は危険を感じたが、逆らうほうが危険だと思い、ショコラママの方に足を進める。
突然、手を掴まれて、ショコラママの胸に押し付けられた。おっぱいを揉みしだく形にさせられる。
「うちとイイコトしない?って言ったの。別に童貞ってわけじゃないでしょ?もう高校生なんだしぃ」
その貞操観念はどうなんだ。と、志信は思った。だが志信の普段の言動を知るひとであれば、志信も似たようなものだと思っているかもしれない。
「は、離してください!」
「遠慮しないでいいよぅ。うちのおっぱいどう?すごいでしょ。聖心愛の貧乳なんかと全然違くてさぁ」
恐ろしい、という意味でならすごい。
誰か助けて……大声で叫びたかったが、あまりのことに声が出ない。部活帰りなので、他の生徒も姿が見えなかった。
「先生、あいつっす!あれが痴女っす!」
そのとき、聖心愛の声が聞こえた。見れば、教師を連れて校舎から走ってくる。
「なにしてるんですか!生徒から離れてください!」
「あっ、ヤバ……クソ!」
ショコラママは教師の姿をみると、志信を離して一目散に逃げ出した。
「聖心愛てめえ、覚えてろ!」
ショコラママから解放された志信は、またもその場にへたり込んでしまう。教師は変質者を追うことより、志信を介抱することを優先した。
「大丈夫か?」
教師はそれから、聖心愛に向き直る。
「加藤さんはあのひとのことを知ってるのか?君の名前を呼んでいたようだけど」
そうだ。ショコラママは聖心愛の名前を呼んだ。つまり聖心愛がここにいることが、バレてしまったのだ。
「なるほど……話はわかりました」
二人は職員室に保護され、志信の担任の女性教師がやってきて、二人から話を聞いた。
「まず志村くん。正門前をうろついていた不審者を見逃していたことについて、ごめんなさい。学校にも非があります」
「あ、いえ……」
「それから、加藤さんの家庭の事情については……学校からはこれ以上詮索しないほうがいいですか?」
「そうしてもらうとあたしも助かるっす。で、提案なんすけど……あのババアがあたしの母親だって、学校は知らないことにして警察に通報してくれませんか?」
「仮にもお母さんに向かってババアとは、よくないことですよ」
志信の担任は、教師としてまずそこをたしなめた。
「あんな変質者が母親だと思いたくねーんですよ……」
「……まあ、家庭の事情はそれぞれありますが、学校としては建前があります。一応いまはお母さんと呼ぶようにしてください」
「わかりました」
「それから、知らないことにして警察に通報しろとは、どういうことですか?」
「オブラートに包んだ言い方すると、うちの母親、キチガイなんです」
「オブラートが破れてます」
「いろいろありまして、今後の志信を守るためには、どこにいるかわかんねーあたしの母親をどうこうするより、警察に通報したほうが安全なんすよ。あたしの家庭のことはなんとかしますから……。学校は志信を守ってくれませんか、っつー話っす」
「ふうん……」
担任は聖心愛の話を聞き、少し考えて答えた。
「この件は、学校ではなく、ご家庭にそれぞれ預かってもらったほうがいいでしょう。学校ができる範囲を超えています」
「あ、やっぱそーっすよね。わかりました」
「志村くんもそれでいいですか?今日はご両親に迎えに来てもらったほうがいいでしょう」
「あっ……はい。……いいです」
志信はそれしか言えなかった。
結局その日は、志信は祖母の慶子に連れられて家に帰ることになった。この年でそんなことをしてもらうのはなんとも気恥ずかしかったし、家庭がほぼ崩壊状態になっているのでかなり気まずかった。
その夜、聖心愛から電話があった。
「警察に通報するってこと、父ちゃんに話したか?」
「……いや。多分、お父さんはそういうの嫌がるから……」
「ま、そうだろうな。センセも役に立たないし、仕方がねえや。あたしらだけで警察に行こう。本当は大人の男が居たほうがいいんだけどさあ」
「なんで?」
「女こどもの言うことは話半分に聞いたほうがいいって思ってる警察官もいるんだよ」
翌日は土曜日だったので、志信と聖心愛は朝早くから学校近くの警察署に駆け込んだ。総合窓口で事情を説明すると、生活安全課という窓口に回され、話すことができた。
「えー、そうですね。この場合、未成年者にわいせつ行為を働こうとした不審者、ってことになるんですがね」
小太りの中年の警察官が、聖心愛の話を聞いてすぐ、ぺらぺらと話しだす。
「まず、相手が知り合いなので、民事不介入といってね、警察は介入できないんです」
またこの言葉だ。民事不介入。ショコラママが相手だといつもそうなってしまう。
「それにねえ……男性が女性の胸を触ったのなら強制わいせつなんですが、逆でしょう?無理矢理胸を触らせられられた、となると……。もうすこし何かされてから来てもらわないと」
やっぱり、警察はこうだ。何かされてからじゃないと動けないと言う。
それでストーカー殺人事件が、もうニュースにもならないほど起きてるというのに。何かされてからじゃ遅いんだ。
「それはそれで構わないんで、この、いまあたしたちが相談したって記録だけ残してもらえますか?」
警察官がしゃべり終えるのを待って、聖心愛は言った。
「あー、はいはい。やっておきますよ」
「それと、悪いんすけどお巡りさんの名前と階級を教えて下さい」
聖心愛がそう言うと、警察官は一瞬固まって、そして何事もなかったかのように自らの身分を明かした。
「それじゃ、記録だけお願いします。鈴木巡査部長。あたしも鈴木巡査部長にこのことを相談したって、日記につけておきますんで」
前もってこのことは聖心愛から聞かされていたのだが、警察官は名前を階級を聞かれたら必ず答える義務があるらしい。当然、仕事の手を抜けば上に告げ口をするぞ、という牽制にもなるわけだ。
「今度はどんな悪巧みをしてるの?」
警察署を出て歩きながら、志信は聖心愛に聞いた。
「悪巧みたあ失礼だな。オメーを助けてやろうとしてんのによ」
「どうせなら身体で慰めて欲しいよ」
「ふざけんな。オメーが慰み者にされるところだっつーのに」
「そうでした、てへ」
志信はいつもどおりふざけた後、真面目な顔で言った。
「あとさ、オメーこのあと、もしかすると警察に今度は一人でいくことになるかもしれねーんだ」
「えっ、何がバレるの?」
「バレるとまずいことしてんのかよ。そうじゃなくてよ……あのババアに巻き込まれて、ってことだよ。そしたら、さっきの鈴木巡査部長の名前を出せよ。わかったか?」
「わかった……けど、なんで?」
「余計なことは考えないほうがいいってことよ。なけりゃないで助かるんだから」
嘘だろ……志信は現実から目を逸らしたくなった。
家の前の一本道を歩いていると、もう暖かくなってきたというのに、ロング丈のヒョウ柄コートにすっぽり身を包んだ女性が、志信の家の前に立っていたのだ。
言うまでもなく――その女性は妖怪ショコラババア……もとい、ショコラママである。
志信はとっさに、スマートフォンで聖心愛に電話をかけた。スピーカー会話モードにした状態でポケットに隠す。これで聖心愛が電話をとってくれれば、こっちの声は聞こえるはずだ。
そうこうしていると、ショコラママも志信に気付いたようだ。
「昨日はごめんねぇ」
だが、最初にかけられた声が謝罪だったので、志信は拍子抜けしてしまった。
「そりゃ、学校の前じゃ志信くんもやだよねぇ。うちバカだから、そういうのわかんなくってさぁ」
「そ、そういう理由じゃないんですけど……」
「悪いと思ったけど、家まで来ちゃった。いい家住んでんじゃん。ママとパパが上で、下がばあちゃんかな?」
もしかして、昨日学校からつけられてたのだろうか。
だとすると、今日警察に行ったこともバレていたりしたのだろうか。
「でさ、改めてなんだけどさぁ……。志信くん、うちとイイコトしない?」
「イイコト……って、なんです?」
ゲームとかカラオケとかじゃないのは、火を見るより明らかだ。いつも志信が言ってるようなことをするのである。
「だから、キモチイイことしようよっての。な、嫌いじゃないだろ?」
「い、嫌です!」
志信は勇気を振り絞ってそう言った。そりゃ志信だって、いつも言ってるとおり性的なことには昔から興味がある。でも相手を選ぶ権利は志信にだってある。大切な童貞をこんな女で捨てたくない。
「ふーん……やっぱそうなんだ」
ショコラママはしかし、あっさりと引き下がった。
「まあ、そう言うとは思ってたけどさー。残念だなー。志信くんうちの好みだったのにさー」
「すいません……」
「それにうち思い出したんだけど、こどもの頃の志信くん……うちのクソガキとつるんで、ひどいことしてくれたよねー」
「……ごめんなさい……」
「ま、それはいいんだよ。それよりさ……」
ショコラママが一歩足を進めてきた。志信は一刻も早くここから逃げだしたかったが、足がすくんで動けない。
「女に恥をかかせた責任はとってもらいてーんだよな」
その手にはいつの間にかハサミが握られている。まさかそれで僕を?そう思ったが、しかしショコラママの行動は想像も付かないものだった。
ショコラママはハサミを志信の方に落っことす。志信は咄嗟に、武器を奪うつもりでそれを拾った。それを見たショコラママは、にやりと笑ってコートを脱ぎ捨てる。その下に着ていたのは、すでにハサミでボロボロにされた服だった。
「えっ」
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
絹を裂くような悲鳴と言うのはこう言うことだろうか。近所中に響き渡る声で、ショコラママが悲鳴を上げた。
「助けてええええ!レイプされるうううううううう!」
ショコラママが着ているのはボロボロの服。そして志信の手にはハサミ。
正義感の強い近所の住人がとった行動は、語る必要はないだろう。




