第三章 第四話
「志信くん、どうしたの?そのほっぺた」
翌朝、湿布を貼った志信の顔を見た智代がそう言った。
昨夜、遅くに酔っ払って帰ってきた勇助に、志信は抗議したのだ。なんでおばあちゃんがお母さんをいじめてるのを放っておくんだと。
その答えが返って来なかったので、志信はしつこく食い下がった。
結果、志信の頬は隠せないほど腫れ上がった。後頭部にたんこぶもできている。
「いやあ、昨日階段で転んじゃったんです」
家庭内の揉め事を正直に言うつもりはない。もし言うとすれば、それはまんがの形にして、フィクションとして面白おかしく語るつもりだ。
「まあいいや。さて……これで掃除当番組もそろったし、ミーティングを初めます」
智代の宣言とともにミーティングがはじまる。三年生もいるが、形式上はもう引退しているので、議長は次期部長の智代だ。
志信は他校のまんが同好会のやり方は知らないが、ここではそれぞれで好きなようにまんがを描いていることが多い。基本的には個人作業が中心だ。
だからこそ、このように週に一回は最低でもミーティングを行い、『部活動をしていること』を学校側にアピールする必要がある。
まずは各人のいま描いている作品の進捗状況などを報告したり、できた作品を見て意見を欲しいというようなことなどを交換したりするところから始まった。過去には、新人賞の締切に間に合わせるためにアシスタント緊急募集などもこの部会で行ったこともある。
そういうミーティングらしいミーティングをしていると、部室にノックの音がした。
「あのー。学校見学に来た中学生の者なんですけど、いいですか?」
入って来たのは、黒髪ストレートで、目の大きな女の子。知らない学校の制服を着ている。
あれ……どこかで見たことがあるような気がするな。志信は思った。
「どうぞどうぞ。あれ、でもこんな時期にいいの?」
「あ、もう推薦入試で受かってまして。部活を見て回ってるんですよ」
「ああ、そういうことね。どうぞどうぞ」
智代が女の子を招き入れると、抜け目の無い功が椅子を用意し、その子を座らせた。
「いま、ミーティング中なので、あんまりマンケンらしいことはしてないんだけどね。ええと、せっかくなので名前を聞いてもいい?わたしは二年生で来年部長になる狩谷智代。よろしくね」
「はい。加藤っていいます」
加藤?あれ、最近どこかで聞いたことがある。と言うかすごく身近な苗字だ。志信は嫌な予感がした。
「加藤さんね。下の名前は?」
「あー、あの。どうしても言わなきゃいけませんか?」
智代が言うと、加藤と名乗った女の子は言いづらそうに目をそむけた。
「別にペンネームや匿名希望でもいいんだけど、入学したらわかっちゃうことだよ?」
「笑わないって約束してくれますか?変な名前を親につけられちゃったもので」
苗字が加藤で、下の名前が変な名前。
志信はなぜか、逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
「そりゃもちろん。この部にはひとの名前で笑うひとは居ませんよね?」
智代が全員に確認した。もちろん、三年生も含めてみんなが賛同する。
「あの……聖なる心の愛って書いて」
「え……」
志信の喉から声が漏れた。
「ショコラといいます。加藤聖心愛」
「ええええええええっ!? しょ、聖心愛!?」
「えっ、加藤聖心愛ってまさか……?」
「本物の聖心愛ちゃん?え、マジ?」
志信が叫ぶと同時に、智代や功らがどよめき、聖心愛と志信を交互に見る。
「ってことは、オメー志信!元気?どしたのそのほっぺた」
「元気とかじゃなくて……なんでこんなところにいるんだよ!慰謝料と養育費ならちゃんと送ってるはずだろ!」
「オメーそれ、あたしにゃシャレになんねージョークだって知って言ってるだろ」
「あ、そうだった。ええと……それホントに僕の子なの?」
「それは別れ際に言ったじゃねーか」
「う、あ……」
「オメー、キレ無くなったんじゃねーの?」
「歳をとるとどうしてもオシッコのキレがね……」
「オシッコの話なんかしてねーよ!」
「ちょっと、志信くん。どういうことなの?」
智代が声を張り上げた。
「あ、すみません痴情のもつれで」
「真面目に話してるの」
「わ、わかりました」
志信は智代の目が真面目なので、茶化すのをやめて聖心愛を一度外に連れ出す。
「ちょっと……聖心愛。体育館倉庫で話そう」
「廊下でいいだろオイ」
しかしやはり志信に染み付いたおふざけは抜けない。
志信は聖心愛と二人で廊下に出て話し始めた。
「どうしたんだよ、聖心愛……。遠くへ行ったって聞いてたのに。まさかあのショコラママも……?」
「あー、大丈夫大丈夫。いまあたし、親父んとこにいるんだわ」
「えっ、それって父親って意味じゃないパパの……」
「変わってねえなあ……懐かしいや。オメーのそういうとこ」
「そうかなあ」
志信はズボンの中身を覗きこんで呟いた。
「そういうとこじゃねえよ!ああ、もう。懐かしいのに、うぜー!」
「で、お父さんの家ってことは、あのショッピングセンターの近くの?」
「ああ。あのババアさ、地元でも色々やらかすから、あたしもう限界でさ。そんで父さんのとこに逃げてきたってわけ。あっちのじいちゃんばあちゃんには、受験だって話したら快く賛成してくれたしさ」
「えっ、天国のおじいちゃんたちに?」
「その『あっち』じゃねえ!」
「えっ、じゃ同性愛者だったの」
「その『あっち』でもねえよ!」
「指示代名詞ってややこしいな」
「オメーがややこしくしてるんだろーがよ!」
「そうなの?」
「しーのーぶーくん!」
その時、何者かが志信の後ろから抱きついてきた。ミーティングを抜けだしてきたのだろうか、功だった。
「その子が例の聖心愛ちゃん?本物?マジ?実在してたんだねえ」
「なんすか?センパイ。例のって」
聖心愛が聞き返すと、功は志信に抱きついたまま答える。
「あれ、知らないの?まずいよ志信くぅん。本人に黙ってこういうの描いちゃ」
功が差し出したコピー用紙の束には、聖心愛によく似た小学生が、志信に似ても似つかない美少年に別れを告げながら、パンツを脱いで差し出すシーンが描かれていた。
「ちょ、功!」
「な、なんすかセンパイこれ!」
「ほんとに言葉遣い悪いんだね。うん、そこが萌える」
「功、それを聖心愛に見せるのはやめて!」
志信は言ったが、功が何か言う前に聖心愛が志信を一発殴る。
「志信オメー!なんだよこれあたしじゃねーか!」
「はい聖心愛ちゃん。これが志信のまんが。読んだら感想、聞かせたげて」
聖心愛は功からコピー用紙の束を受け取ると、志信をきっとにらみつけた。
「いつまでやってるの?ミーティング途中でしょう」
「へーい。ほら志信くんも戻る戻る。聖心愛ちゃんは、ほらそれ読んでていいよ」
幸い、しびれを切らした智代が三人をよびつけてミーティングを再開したので、志信の命はほんの少しだけ持ちこたえることができた。
それから三十分ほどして、智代がミーティングを締める……と思いきや。
「それでは最後の議題です」
部員たちの間に僅かな動揺がはしる。予定されていた議題はすべて片付いたはずだ。しかしこのタイミングで新たな議題なんて一つしかない。
「実在の人物をモデルにすることについて、みんなの意見を聞きたいの。どうかな」
「大賛成です!」
間髪入れず口火を切ったのは、功だ。
「俺……二次元の女の子に会うのが夢だったんです。そりゃ、聖心愛ちゃんは本当は三次元の女の子かもしれませんが、一度二次元に閉じ込められた女の子が出てきたような錯覚すら覚えます!嫁にするなら、一度二次元になってもらってからっすね」
「それって仲本くんのエゴよね」
「百%そうです」
「モデルにされた人の立場は?」
「考えてません!」
「そうよね……。他に意見のあるひと」
「あの……わたしは……どうかなと思います」
おずおずと反対意見を出したのは、二年生の高木舞。
「モデルにされた方の心情を考えると……自分の名前を知らないところで使われるのはどうかな……と思います。わたしなら、あとで知った時に嫌な気分になりますし。……こんなえっちなまんがですと、なおさらです」
「なるほどね……」
「BLの受け役は大歓迎なのですが……」
「えっ?」
舞がぼそぼそと付け加えた言葉を、智代が聞き返す。
「い、いえ。その……ボーイズラブ同人誌でも、芸能人などはナマモノと呼ばれ、描くのも読むのも慎重に扱い、本人や事務所には絶対に伝えないと言う暗黙のルールがあります。と言いたかったのです」
「へえ、そうなんだ」
「著作権や肖像権ではお目こぼしいただいてるわけですから、堂々と『あなたのホモ同人誌描きました』とやるのは……マナー違反ですよね?」
「た、確かに……」
「でも、あたしなら気にしないけどな」
そこに反論を重ねてきたのは、三年生の荒井美優。引退後も部室に来る数少ない三年生だ。
「本人がいいと思えばいいんじゃないの?あたしならいつでもモデル大歓迎だよ」
「だったら、それこそ無許可で聖心愛さん……加藤さんの名前を使った志信くんは、配慮が足りなかったと思います」
舞の発言でついに、矛先が志信に向けられた。
「しかも、自分の立場のキャラクターは自分をモデルにしていないのに、加藤さんだけそのままって、ちょっとどうかと思います」
「いやいや、ガトーショコラみたいな名前つける奴、って親のキャラを立てるのにこれ以上変な名前ないですよ」
功が言った途端、それまで黙っていた聖心愛がついに口を開いた。
「変な名前で悪かったっすね」
コピー用紙の束は、元通り束ねている。ちょうど、読み終わったのだろう。
「そっちのセンパイが言うように、あたしは志信のこと応援してるから、別に名前を使われようが、モデルにされようが、パンツプレゼントしてようが気にしねーっす。十八禁エロだったら、こいつが昔言ってたルール破って、十八歳未満なのにそんなの描いてんじゃねーよって怒るところっすけど、この程度のエロなら……恥ずかしいけど、まあ許すっす」
「えっ、それじゃ十八歳超えてからならエロまんがに描いてもいいの?」
志信が素直にそれを受け取った。
「うっ……ま、まあ……志信の夢を応援するって決めたのはあたしだからよ……」
「ヒュー、爆弾発言」
功が茶々を入れた。他の面々も驚いたような顔をしている。
「でっ、でも!あたしはこのまんがは正直ムカつきます!」
「ああ、やっぱおっぱい生えてたほうがよかった?小学生だからぺたんこにしたんだけど」
「ちげーよ!続きが気になるんだよこれ!オチこれじゃ弱いだろ?それにオメー、これアレだろ?主人公がいい男なんだからくっつけろよ、あたしとこいつ!」
その言葉に、部員の中に安堵ともとれる笑いが起きた。
「ん、じゃあそのへんが落とし所かな」
智代がまとめに入る。
「実在の人物をモデルにするさいは、可能な限りモデル本人の許可をとることをマンケンのルールにする。それでいい?」
「可能じゃない時ってなんです?」
舞が聞いた。
「有名人を使う時はしかたがないでしょ。有名税って言葉もあるし。だから、逆に、有名じゃない人を使うときは許可をとること」
「あと、内容に口出しする権利がほしいっす」
聖心愛が口をはさむと、智代は笑ってそれに返す。
「そこは部のルールにはしません。許可を出すかどうかの話し合いの席で決めるべきです。ところで――」
智代は続けた。
「このまんが、どこまで本当のことなの?」
「それ言っちゃうとあたしのプライベートだだ漏れなんで言えねーっすよ!」
「にしてもオメーよー。久々の再会でこんな歓迎アリかよ」
帰宅する道すがら、聖心愛が不満をもらした。
「あたしゃもうちょい、ロマンティックなの考えてたんだけど」
「エロマンティック?」
「そう、それだよ!なんでエロまんがなんだよ」
「好きだから……じゃ、理由にならないかな」
「カッコつけて言ってるけど、そんなにカッコよくねーぞ」
「でも、聖心愛ずっと連絡できなかったじゃないか。二度と連絡するなって言ったの誰だよ。いきなり帰ってくるなんて思ってなかったよ」
「あたしだってオメーん家に電話したんだぜ。でも、繋がらなくてさ。オメー引っ越した?」
「ああ、そうだそうだ。引っ越したんだよ。すぐ近くに」
「それじゃ仕方がねーな。オメーも引っ越したことあたしに伝えられなかったんだしな」
聖心愛は携帯電話を差し出しながら言った。
「オメー携帯は?」
「持ってるよ。赤外線ないやつだから、QRコード読み込んでくれる?」
言って、志信はスマートフォンを差し出す。画面には志信のアドレスをQRコードに変換したものが表示されていた。
「ん。……オメーお坊ちゃんだからいい携帯使ってやがんのな」
「ほっとけよ」
「|mesubuta.kaitai@……オメーよ、なんで豚なんだよ」
「なぜ豚を嫌う?」
「嫌ってねえよ。あー、懐かしいなこのやりとりも」
「そうだね。ちなみにそれ、雌豚飼いたいじゃなくて、雌豚解体だから」
「リョナかよ!」
「え、リョナって知ってるんだ」
「うぐ……いや、その……。知らねーよ」
「知らないで言ってたの?」
「うるせー!……ま、とにかくオメーも苦労してなくてよかったよ。そのおかげでまんが続けられたんだろ?マンケンに行って簡単に見つかるとは思わなかったぜ」
ちなみに志信の通う西城学園はエスカレーター式の私立である。小学校から大学院まで、一定以上の成績を維持していれば進学できるようになっていた。だからと言うわけでもないが、聖心愛も志信を見つけることができたのだ。
「絵もうまくなってたじゃねーか。下書きだけどよ」
「そう?ホレた?」
「ホレない。そもそも、あたしを勝手にモデルにしたこととかさー、あの事件まるまる書いたこととかさー。すっげえムカつくよ?それでも許したのは、話の作り方とか脚色が面白かったからなんだぜ。ババアもよく書けてたしよ。これ、つまんなかったらオメー泣くまで殴るのやめねーよ」
聖心愛は言いながら空中を殴る。
「でもアレだろ?主人公はあっちの聖心愛と別れて……続き、どうなんだ?主人公とヒロインが別れたらやっぱり終わりなのか?」
「バカ言うなよ。ほんとうは行き着くとこまで書きたかったんだけど高校生だから我慢したんだぞ」
「お、オメー……」
聖心愛が急に顔を赤くして、自分の身体を抱くように身を守る。
「まさかあたしのこと狙ってたりしてたのかよ」
「描いてる途中で、聖心愛とまんがの聖心愛と全然違うイメージになったから、それはないかなあ」
「あ……そーかよ……」
「それにさ、あのまんがはやっぱりハッピーエンドに描きかえようと思ってるんだ」
「そうなのか?じゃああれで終わりか……。あたし、あれからオメーがどうしてたかとか気になってたんだけどよ。別のヒロインとかいなかったのか?」
「いなかったなあ。一晩の関係とかは別にして」
「一晩の関係なんかあったのかよ!」
「ないよ。あればいいのに」
「そ、そうか……よかった……」
「まあ、平穏無事ってわけでもないけどさ……」
「ん、そうなのか?」
志信はこれまでのことを聖心愛に話した。引っ越したことだけではなく、自分の家庭に隠された亀裂を見つけてしまったことをありのまま相談した。
「それじゃオメー、じぶんのばあちゃんと母ちゃんとの仲が悪いことに全然気づいてなかったってのか?ひでえ鈍感ぶりだな」
「性的には敏感なんだけどねえ……」
「オメーんとこの父ちゃんもアレだろ、昔からそうだけど、自分だけがかわいいタイプじゃねーか。しかもその上マザコンじゃ、苦労するわなー。嫁は」
「母子で身体の関係はなさそうなのが救いだね」
「あってたまるか。んで、オメーはどうしたいわけ?」
「えっ、僕?」
「だからよ、オメーには二つの選択肢があると思うのよ。ばあちゃんと母さんに仲直りしてほしいのか、それともどっちかに味方してどっちかを追い払ったりするか」
「あと、世界中の女の子とエッチなことするか」
「せめて一人に絞れよ」
聖心愛は大きくため息をついた。
「ため息をつくと子種が逃げるよ」
「逃げるのは幸せだろーよ」
「うちみたく、親が先に行動して離婚してくれりゃ楽なんだろうけどな。どっちにつくかだけ考えりゃいいんだから」
「でも、聖心愛は選べなかったじゃないか」
「あたしゃ小学生だったけど、オメーもう高校生だろ。なんとかなるさ」
「そうか、もう高校生なんだった。恋愛だって自由だよな」
「中学生に手出したら捕まるぜ、多分」
「あ、聖心愛はチェンジで」
「デリヘルじゃねーよ!」
「あ、デリヘルって知ってるんだ」
「そ、ま、そりゃ……まあ……色々あったんだよ」
聖心愛はちょっと気まずそうに目を伏せる。
「中学出たらデリヘルで働けって、うちのババアがよ……」
「えっ……」
「いや、まあ。だからそれでなんとかあたし、親父んとこに逃げてきたからなんとかなったんだけどよ……」
「……なんか、ごめん」
「いいよ。オメーのそういうの昨日今日始まったことじゃねえだろ。それに、なんかオメーがそういうセクハラしてくると、ちょっと安心するんだわ。変わってねえなって」
「……うん。あ、でも変わったところもあるんだよ」
志信はズボンのベルトに手をかけた。
「それはさっきやった!」
「あ、そうだっけ」
「自分のやったセクハラくらい覚えとけよ」
そう言って、聖心愛はいたずらっぽく笑った。
「ま、聖心愛様につぎオメーが相談するときは、どっちかにいたずらを仕掛ける時だろうな。昔みたいに暴れることにならないよう祈っとくぜ」




