第3話 曲げない球
投手組へ加わった直人を待っていたのは、特別な練習ではなかった。
足を上げ、踏み込み、相手へ向かって真っすぐ投げる。橋本監督から命じられたのは、キャッチボールとほとんど変わらない動きを繰り返すことだった。
違うのは、受ける相手が同級生の中村健太ではなく、6年生の正捕手である藤本雅也になったことくらいである。
「山下、次はもうちょい外や」
藤本がミットを左へ動かした。
直人は頷き、構えられた場所へ投げ込んだ。球は狙いより少し内側へ入ったものの、藤本が身体を動かさずに捕れる範囲には収まっている。
「もう1球」
今度は低めを求められた。
直人は膝を折る位置を意識し、腕の振りを変えずに投じた。白球は藤本の膝元へ落ち、そのままミットへ吸い込まれる。
藤本が立ち上がり、直人へボールを返した。
「ほんまに投手やったことないんか?」
「壁当てはしてた」
「壁はミット動かしてくれへんやろ。なんでこんな狙えるねん」
直人にも分からなかった。
ゲーム内の山下が持っていたコントロールS100は、まだ9歳の身体へ完全に宿ってはいない。それでも、どこへ投げればよいかだけは、指先から先に道が見えるように理解できた。
問題は、その道の上へ実際にボールを通せるかどうかである。肩や肘だけで投げれば上下左右へぶれるため、足の裏から指先まで力を途切れさせないよう、1球ごとに動きを確かめなければならなかった。
藤本が股の間で指を2本出した。
直人は首を横に振った。
次は3本だったが、それにも首を振る。
「真っすぐしか投げられへんのか?」
「投げられへんのやなくて、今は投げません」
「変化球なしで投手やるつもりか」
「身体が出来るまでは、真っすぐでええと思います」
藤本は納得していない顔だった。
この時代、少年投手がカーブを覚えることは珍しくない。真っすぐより遅く、打者の手元で曲がる球は、体格で上回る相手を抑えるための強い武器になる。
変化球そのものが、すぐに肩や肘を壊すわけではない。直人が恐れているのは、指の短い子供が無理に球を曲げようとして投げ方を崩し、疲れた状態でも空振りを取れるからと投球を重ねてしまうことだった。
最初の人生では、打者を抑えられることが楽しくて、覚えたばかりのカーブを何度も投げた。腕が疲れて真っすぐを投げられなくなっても、曲げれば打者は振ってくれる。その成功に頼り、痛みを隠して投げ続けた結果、崩れたフォームと投げすぎが左肘を壊した。
同じ間違いは繰り返さない。
「真っすぐをちゃんと投げられへんのに、曲がる球でごまかしたくないです」
直人が答えると、後ろで見ていた橋本監督が藤本へ声を掛けた。
「本人が投げへん言うとるんや。無理に投げさせんでええ」
「でも監督、試合やったら真っすぐだけでは狙われます」
「お前が真っすぐを狙われんように考えてやれ。それが捕手の仕事やろ」
藤本は不満そうに口を結んだが、それ以上は変化球のサインを出さなかった。
練習が再開されると、直人は同じ握りで内外角へ投げ分けた。高低も加えれば、真っすぐだけでも狙いを絞らせずに済む。
さらに、ボールを少し深く握り、腕の振りを変えずに速度を落とす球も試した。手の小さな今は複雑な握りを作れないが、指先で強く押し出さなければ、真っすぐと同じ軌道から遅い球を投げられる。
初めて受けた藤本が、捕球の直前で身体を前へ崩した。
「なんや、今の」
「少し遅い真っすぐ」
「変化球は投げへんのとちゃうんか」
「手首も肘もひねってへんから」
藤本はボールを握り、直人が使った縫い目を確かめた。
「もう1回、同じの投げてみ」
今度は真っすぐと同じように構え、同じ速さで腕を振った。藤本は先ほどより余裕を持って捕ったが、ミットがわずかに前へ動いている。
「これなら使えるかもしれんな」
「投げすぎたら慣れられる。見せるだけでええよ」
「お前、ほんまに9歳か?」
藤本から疑いの目を向けられ、直人は口を閉じた。
投手練習へ入ってから1か月後、西宮中央リトルは近隣チームとの練習試合を行った。
橋本監督から先発を告げられたのは、試合当日の朝だった。
「山下、最初の3回を投げろ」
「俺が先発ですか?」
「練習試合やから試せるんや。打たれても下向くなよ」
相手には5年生や6年生もいる。直人より頭1つ分ほど大きな打者を相手に、どこまで通用するのかを見るつもりらしい。
直人は不安より先に、マウンドへ立てる喜びを感じていた。ただし、浮かれて投げ急げば身体がついてこない。ブルペンでは球数を増やさず、藤本と呼吸を合わせることへ集中した。
橋本監督から渡された打順表には、8番投手と書かれていた。
「投げるだけやないぞ。打席にも立って、一塁まで全力で走れ。ただし、肩でも肘でも痛かったらすぐ言え」
「はい」
「我慢したら褒めてもらえる思うなよ。黙って壊したら、次は投げさせへんからな」
直人にとって、それは願ってもない決まりだった。
初回、先頭打者へ投じた1球目は、狙った外角から大きく外れた。
練習では感じなかった緊張が、踏み出す左足をわずかに早く着かせていた。2球目も高く浮かび、藤本が立ち上がって捕る。
「山下、こっち見ろ」
藤本はミットで自分の胸を叩いた。
「打者やのうて、俺に投げろ。いつもの距離や」
直人は息を吐いた。
51歳の記憶があっても、他チームの打者と向き合うのは初めてだった。身体は9歳であり、胸の鼓動まで大人の都合に合わせてはくれない。
3球目は真ん中へ置きにいかず、当初の狙いどおり外角を目指した。わずかに外れたものの、藤本が動かずに捕れる場所へ届く。
4球目で初めてストライクが入った。
それでも先頭打者には粘られ、最後は四球となった。直人が悔しさを飲み込んでいると、藤本が人差し指を立てる。
「走者は1人だけや。次を取るぞ」
相手の2番打者は、直人が小さいと見て送りバントの構えをした。
初球から転がされた球は、一塁側へ力なく進んでくる。直人はマウンドを降りながら右手のグラブで拾い、そのまま身体の左側へ持ち替えた。
一塁へ投げれば確実に1つのアウトを取れる。しかし、走者のスタートは遅く、二塁には遊撃手が入っていた。
直人は迷わず二塁へ投げた。
送球はベースへ入った遊撃手の胸元へ届き、先頭走者が封殺される。その間に打者走者は一塁へ残ったが、藤本がマスク越しに笑った。
「ええ判断や!」
続く打者への初球は高めの真っすぐだった。相手は力いっぱい振ったものの、打球は後ろへ飛んでいく。
2球目は外角低め。これもファウルになった。
追い込んだ直人は、ボールを少し深く握った。腕の振りを緩めず、真っすぐより遅い球を投げる。
打者のバットはボールが届く前に回り終わった。
初めての三振を奪った直人は、思わず左手を握りかけたが、すぐに力を抜いた。まだ2つ目のアウトであり、喜ぶには早い。
4番打者には外角の球を右前へ運ばれ、一、二塁となった。それでも直人は崩れず、次の打者を二塁ゴロに打ち取った。
無失点で戻ったベンチでは、健太が誰よりも大きな声で迎えた。
「直人、ほんまに抑えたやん!」
「四球とヒット1本や。まだ抑えたうちに入らへん」
「0点なんやから抑えたんやろ。細かいこと言うなや」
健太に背中を叩かれ、直人はようやく笑った。
2回は3人で終わらせた。真っすぐの速さだけに頼らず、内外角と高低を使い、遅い球を1球だけ混ぜた結果だった。
打席では左打席から中前打を放ち、出塁後は無理に盗塁を狙わなかった。投手として試合へ残っている以上、走塁で余計な消耗を増やす必要はない。
3回に入ると、左足の踏み込みが浅くなり始めた。
球速は目に見えて落ちていないが、直人には分かる。下半身の力が抜け、左腕が少し遅れて出てくるようになっていた。
先頭打者を内野ゴロに打ち取った後、次の打者へ投げた球が真ん中へ集まり、左翼線へ二塁打を運ばれた。
藤本がマウンドへ駆け寄ってきた。
「しんどいんか?」
「足が少し疲れてる。腕は大丈夫」
「監督呼ぶか?」
直人は一瞬だけ迷った。
ここで降りたくないという気持ちはあった。最初の人生なら、大丈夫だと言い張って投げ続けただろう。
しかし、今の目的は練習試合を最後まで投げることではない。この身体を壊さず、大リーグまで連れていくことである。
「呼んで」
藤本がベンチへ合図すると、橋本監督がマウンドへ歩いてきた。直人から状態を聞き、迷わず交代を告げる。
「よう言うた。今日はここまでや」
「まだ3回の途中です」
「3回投げ切るより、自分で異変に気づいたほうが大きい。続きは次に投げたらええ」
直人は藤本へボールを渡し、右翼の守備へ移った。
後を受けた投手は、次の打者に中前へ運ばれた。直人が残した二塁走者は本塁へ生還したものの、それ以上の得点は許さず、西宮中央リトルも試合には勝利した。
直人の初登板は2回と3分の1、1失点だった。
無失点では終われなかったが、直人に落胆はない。9歳の身体で年上の打者と勝負し、どこまで投げれば動きが崩れるのかを知ることができた。
試合後、藤本が直人の隣へ腰を下ろした。
「変化球なしでも、案外いけるもんやな」
「藤本君が散らしてくれたからや」
「次はあの遅い球、もうちょい使おうや」
「使いすぎたら真っすぐを待たれるで」
「分かっとる。俺が考えるから、お前は構えたとこへ投げろ」
最初は直人の考えを疑っていた藤本が、今は同じ方法で打者を抑えようとしている。投手1人では試合を作れないことを知っている直人にとって、それは初登板の結果以上に大きな収穫だった。
その年、直人は練習試合を中心に登板を重ねた。
橋本監督は直人へ変化球を強要せず、疲れが見えれば本人が何も言わなくても交代させた。直人も好調だからと球数を増やすことはせず、登板しない日は一塁手や右翼手として打席に立った。
左投手には右打席、右投手には左打席へ入る。初めは面白がっていた仲間たちも、秋を迎える頃には、それを直人の当たり前として受け入れていた。
12月に入ると、直人はマウンドからの投球を完全にやめた。
投げ込みを減らすだけではなく、一定期間は肩と肘を休ませる。その間は走り方や下半身の使い方を覚え、健太と一緒に短い距離の走り込みやゴロ捕球、基礎体力づくりを続けた。
ボールを強く投げたい気持ちはあったが、冬の数か月を我慢できずに、その先の何年も失うわけにはいかない。
1985年4月。
5年生になった直人は、橋本監督から新しいユニフォームを渡された。前年よりひと回り大きな、上級生用のものだった。
「春から上の組へ入れ。試合では投手か一塁を任せる」
直人は新しいユニフォームを両手で広げた。
「返事はどうした」
橋本監督に促され、直人は顔を上げた。
「はい。投げる日も、投げへん日も試合に出ます」
「欲張りやな」
「両方やるために入ったから」
橋本監督は呆れたように笑ったが、どちらかを諦めろとは言わなかった。
投手としても、打者としても、直人の野球人生は始まったばかりだった。




