第4話 小学生の二刀流
5年生になった直人は、西宮中央リトルの上級生組へ加わった。
練習相手も対戦相手も、これまでより身体が大きい。真っすぐを投げ込めば力で押し返され、少しでも甘く入れば外野まで運ばれるようになった。
それでも直人は、変化球へ逃げなかった。
速い真っすぐと、深く握って速度を落とすチェンジアップ。使えるのはその2種類だけだが、投げる場所と順番を変えれば打者の反応も変わる。
外角を意識させてから内角へ投げ、速い球を続けた後にチェンジアップを挟む。打者の足の位置や握ったバットの高さを見れば、どの球を待っているのかも少しずつ分かるようになった。
直人の球を受ける捕手は、藤本雅也から中村健太へ代わっていた。
藤本が中学生となってチームを離れた後、橋本監督が健太へ捕手を勧めたのである。身体が大きく肩も強い健太は、直人と同じ打者を見ながら配球を考えられることを面白がった。
「直人、次は内や」
「さっき外へ投げたからか?」
「それもあるけど、こいつ、外へ投げると思って踏み込んどる」
「分かった。少し高めな」
試合形式の練習で、健太が内角高めへミットを構える。
直人が投じた球に打者のバットは詰まり、力のない飛球となって一塁手の頭上へ上がった。
「ほらな」
健太は得意げだった。
最初は直人に教えられながらサインを出していた健太も、今では自分で打者を観察するようになっている。直人の考えと違う球を求められることも増えたが、それがかえって打者の予想を外すこともあった。
投手として登板しない日は、直人が一塁を守った。
右投手には左打席、左投手には右打席へ入る。両方の打席で同じように打つためには、それぞれの素振りと実打が必要だったが、投球練習を抑えている分、打撃へ使える時間は十分にあった。
春の地区大会では、先発した試合で4回を無失点に抑え、一塁手として出場した試合でも2本の安打を放った。
それでも、西宮中央リトルは大会の途中で敗れた。
直人が先発できない日に守備の乱れから失点し、追いつけないまま試合が終わったのである。直人も右打席から安打を放ったが、走者がいない場面で1本打っただけでは勝敗を覆せなかった。
ゲームの山下なら、どんな球でも本塁打にできたかもしれない。
しかし、今の直人は10歳の小学生であり、能力も成長の途中にある。投げない日まで1人で試合を決められるほど、野球は簡単ではなかった。
負けた後、健太がベンチ裏で泣いていた。
「俺がもっと打っとったら勝てたのに」
「俺も同じや。投げへん日でも、点を取れる打者にならなあかん」
「直人は打ったやろ」
「1本で足りへんかったから負けたんや」
慰めるだけなら、誰も悪くなかったと言えばいい。しかし、勝ちたいと思っている健太が欲しいのは、負けても仕方がないという言葉ではないはずだった。
直人は隣へ腰を下ろした。
「来年は、俺が投げへん日も勝とう。そのために2人とも打つんや」
健太は袖で目元を拭い、しばらくしてから頷いた。
その年の秋、西宮の町は野球一色になった。
阪神が21年ぶりにセ・リーグを制し、その勢いのまま日本一まで駆け上がった。商店街には黄色と黒の旗が並び、普段は野球を見ない母まで夕食の支度を早めてテレビの前へ座った。
日本一が決まった瞬間、父は立ち上がって両手を突き上げた。
「勝った! ほんまに日本一や!」
「お父ちゃん、近所に聞こえるよ」
「今日くらいええやないか!」
母にたしなめられても、父の声は小さくならなかった。
直人も笑いながら、テレビ画面の中で喜ぶ選手たちを見つめた。最初の人生でも知っている光景だが、幼い身体で両親と一緒に見ると、記憶の中にあったものとは違って感じられる。
「直人も、いつか甲子園で投げられたらええな」
父は何気なく言った。
甲子園は直人にとっても特別な場所だった。ただし、今度の人生で目指しているのは、その先にある。
「投げるで。甲子園でも、その先でも」
「言うようになったなあ」
父は子供の大言壮語だと思ったらしく、楽しそうに笑った。
直人は笑い返しながら、テレビに映るマウンドから目を離さなかった。
冬になると、直人は前年と同じようにマウンドからの投球を休んだ。投げないことで感覚を失う不安はあったが、肩や肘を休ませる時間は、成長期の身体にとって練習と同じくらい必要である。
その間に、走る姿勢と下半身の使い方を徹底して見直した。左右両方の打席で素振りを続け、片方だけに負担が偏らないよう回数も揃えた。
食事を残さず、夜は決まった時間に眠る。
地味な積み重ねだったが、6年生になる頃には、前年のユニフォームが窮屈に感じられるほど身体が大きくなっていた。
手足が伸びたことで、投球にも打撃にも使える力が増した。春先の練習で投げた真っすぐは、捕手となって1年が過ぎた健太のミットを後ろへ押すようになっている。
「去年より、だいぶ速なってへんか」
捕球した健太が、右手を振りながら言った。
「身体が大きなった分だけや。まだ力いっぱいは投げてへん」
「これで力いっぱいちゃうんか」
「試合で投げる分は残しとかんとあかんからな」
直人が平然と答えると、健太は呆れた顔でボールを返した。
直人は速くなった真っすぐを土台に、3つ目の球を覚え始めていた。
握りは真っすぐと大きく変わらない。縫い目へ掛ける指の位置だけをずらし、腕の振りも同じにする。無理に手首をひねらなくても、球は打者の手元で左投手の腕側へわずかに動いた。
健太が身体の近くへ入ってきた球を、慌ててミットで押さえる。
「今の、シュートか?」
「無理に曲げてへん。握りを変えただけや」
「ほな、なんて呼ぶんや」
「動く真っすぐでええやろ」
51歳だった直人は、その球がムービングファストボールと呼ばれることを知っている。しかし、聞き慣れない言葉を使えば、説明が面倒になるだけだった。
速い真っすぐ、チェンジアップ、そして動く真っすぐ。
すべて同じ腕の振りから投げられるため、打者は球が手元へ来るまで見分けにくい。大きく曲がる球はまだなくても、3つを組み合わせれば、以前より多くの打ち取り方を選べる。
最後の1年、橋本監督は直人を投手としてだけでなく、打線の中心へ置いた。
登板する日は投手。登板しない日は一塁手として出場し、打順はどちらでも3番だった。
健太は2番捕手となり、直人の前へ走者を置く役目を任された。
対戦相手は直人が両打ちだと知るようになり、投手を代えて打席を不利にしようとすることも減った。誰を出しても反対側の打席へ移られるため、意味がないと分かったのだろう。
敬遠気味に外へ外される球も増えた。
直人は無理に追いかけず、四球になれば一塁へ歩いた。ゲームの特殊能力がすべて使えるなら、外れた球さえ本塁打にできるかもしれないが、今は打ちたい気持ちを抑えることも打者の仕事である。
6年生の秋、西宮中央リトルは地区大会の決勝まで勝ち進んだ。
優勝すれば、関西大会へ進める。
決勝の相手は、春に敗れた尼崎北リトルだった。
直人は3番投手、健太は2番捕手として先発した。
相手打線は、直人の3つの球を研究していた。速い真っすぐには振り遅れないよう早めに始動し、追い込まれるまでは外角へ手を出さない。
初回から球数を使わせる狙いも見えた。
「簡単には振ってこんな」
1回を終えたところで、健太が言った。
「待つんやったら、ストライクを先に取る。打ってきたら守ってもらおう」
「三振は狙わへんのか?」
「必要なときだけでええ」
直人は打者を圧倒することより、6回を投げ切ることを選んだ。
速い真っすぐを内外角へ散らし、チェンジアップを低めへ落とす。右打者には動く真っすぐを外角へ逃がし、左打者には胸元から内角へ食い込ませて芯を外した。
打たせて取れる場面では守備を信じ、走者を背負ったときだけ球速を上げた。
3回まで両チーム無得点。
4回、直人は先頭打者に二塁打を許した。送りバントと内野ゴロで走者が本塁へ帰り、尼崎北リトルに先制される。
直人は追加点を許さなかったが、西宮中央打線も相手の左投手を打ち崩せない。
1点を追う5回、1死から健太が左前打で出塁した。
打席に入る直人を警戒し、相手監督は最も球威のある右投手をマウンドへ送った。
直人は右打席から左打席へ移る。
交代した投手は力のある真っすぐを持っていたが、直人との勝負を避けるように外角へ球を集めた。3球目まで手を出さず、カウントは2ボール1ストライク。
4球目も外角だったが、今度はストライクゾーンへ入ってくる。
直人は踏み込んだ左足の上で腰を回し、逆らわずに左中間へ打ち返した。
打球は外野手の間を抜け、奥まで転がる。
健太が一塁から一気に本塁へ向かった。直人も二塁を蹴り、三塁まで走る。
同点の適時三塁打だった。
ベンチが沸き上がる中、続く4番打者が外野へ大きな飛球を打ち上げた。直人は捕球を確認してから三塁を離れ、勝ち越しの本塁を踏んだ。
味方がつないで取った2点だった。
最終回、直人は尼崎北の上位打線と向き合った。
先頭打者を内野安打で出し、送りバントで1死二塁となる。長打が出れば同点という場面で、左打席に立つ3番打者を迎えた。
健太が内角へミットを構えた。
直人は首を振らなかった。
打者は外角を待っている。踏み込んでくるところへ動く真っすぐを投げ切れば、芯では捉えられない。
直人は左足を上げ、速い真っすぐと同じように左腕を振った。
胸元から内角へ食い込んだ球に打者のバットは詰まり、打球が一塁側のファウルグラウンドへ上がる。
一塁手が捕り、2死となった。
4番打者には外角の速い球を続け、最後はチェンジアップを低めへ落とした。打球は力のない二塁ゴロとなり、一塁へ送られる。
試合が終わった瞬間、健太がマスクを放り出してマウンドへ駆けてきた。
「勝ったぞ、直人!」
抱きついてきた健太を受け止めながら、直人はベンチから飛び出してくる仲間たちを見た。
自分の投球だけで勝ったのではない。健太が出塁し、4番打者が外野へ運び、守備が打球をアウトに変えたからこそ得られた優勝だった。
その日の夜、布団へ入った直人の視界に、久しぶりに半透明の文字が浮かんだ。
《身体の成長により、能力の一部が解放されました》
《現在球速 128km/h》
9歳の自分には扱えなかった力が、身体の成長と積み重ねた練習によって、少しずつ現実のものになっている。
最終的な数字には、まだ遠い。
それでも直人は、球速175km/hへ続く道の上を確かに進んでいた。
関西大会は、週末の2日間で行われた。
直人は初日の試合に先発し、西宮中央リトルを準決勝へ導いた。
翌朝、橋本監督は直人へ一塁手としての出場を告げた。
「今日は投げさせへんぞ」
「分かってます。昨日投げた分、今日は一塁と打席で勝ちます」
橋本監督は直人の顔を見つめた。
「悔しないんか?」
「投げられへんのは悔しいです。でも、ここで無理して先の試合に出られへんようになるほうが嫌やから」
「それでええ。小学生の大会は終わっても、お前の野球は終わらへん」
直人は一塁手として左右の打席から2本の安打を放ったが、西宮中央リトルは1点差で敗れた。
投げていれば勝てたかもしれない。そう考えなかったと言えば嘘になる。
しかし、最初の人生では、その1試合を惜しんで何年もの未来を失った。今度は自分の意思で、目の前の勝利より先の野球人生を選んだ。
試合後、橋本監督と話していた紺色のジャンパー姿の男が、直人と両親のもとへやってきた。
「阪神西リトルシニアで監督をしております、三原と申します」
差し出された名刺を、父が緊張した様子で受け取った。
阪神西シニアは、中学生を対象とする硬式野球のクラブチームだった。学校の部活動ではなく、平日の放課後と休日に専用グラウンドへ集まり、リトルリーグと同じ硬球を使って活動している。
「山下君に、うちの練習へ参加してもらいたいと考えています」
「中学校の野球部とは違うんですか?」
父の問いに、三原は頷いた。
「中学校の野球部は基本的に軟式です。高校まで硬式を続けたい選手は、シニアやボーイズといった地域のクラブへ入ります。ただし、声を掛けたから試合へ出られるとは限りません。入団すれば、他の選手と同じところから競争してもらいます」
「投手としてですか?」
今度は直人が尋ねた。
三原は少し笑った。
「今日、右と左で2本打った選手を、投げるだけにするのはもったいないやろ。一塁手としての出場も考える」
投手だけにするつもりはない。
私立中学への推薦ではなく、硬式クラブからの勧誘だったが、直人にとって大切なのは学校の名前ではない。投手と打者の両方を続けられる環境があるかどうかだった。
「練習、参加させてください」
直人が答えると、三原は父へ練習場所と日時を書いた紙を渡した。
翌週、直人は両親と阪神西シニアのグラウンドを訪れた。
中学生用の球場は、リトルリーグのものよりはるかに広い。マウンドから本塁までの距離も長く、外野の柵は遠く見えた。
上級生の投げる球が、捕手のミットへ重い音を立てて収まっている。打撃練習では、直人より身体の大きな選手が外野の頭上へ鋭い打球を飛ばしていた。
小学生の大会で注目されても、ここへ入れば最年少の新入りに戻る。
直人は、そのことを不安より面白いと感じていた。
体験練習を終えた後、三原は両親へ会費や遠征費、練習日の送迎について説明した。
帰宅してから、家族で何度も話し合った。
地元の中学校へ通うだけなら大きな費用はかからないが、シニアへ入れば会費や道具代、遠征費が必要になる。練習場所までの移動も、家族の協力なしでは難しかった。
「俺は入りたい。でも、家のお金や休みが全部野球でなくなるんやったら、学校の野球部でも続けられる」
直人が伝えると、父はすぐには答えなかった。
翌日、父は仕事から帰ると、食卓へ阪神西シニアの入団案内を置いた。
「お前が先のことまで考えて決めたんやったら、父ちゃんらも出来ることはする」
母も隣で頷いた。
「送迎は他の家と相談して、順番に出来るみたいやから。ただし、野球だけやって勉強を放り出したらあかんよ」
「分かってる。両方ちゃんとやる」
直人は阪神西シニアへ入団すると決めた。
健太へ伝えたのは、最後の練習が終わった後だった。
「やっぱりシニアへ行くんやな」
「うん。健太はどうする?」
「俺は中学の野球部へ入る。軟式でも捕手は捕手やし、最初から試合に出られるように勝負する」
「一緒にシニアへ行かへんのか?」
健太は少し迷ってから首を横に振った。
「また直人の後ろについていったら、ずっとお前の球を受けるだけで終わりそうや。俺は俺で、どこまで出来るか試したい」
直人は引き止めなかった。
健太は直人のためだけに野球をしているのではない。自分で考え、自分の進む場所を選んだのなら、その決断を尊重すべきだった。
「ほな、今度会うときは敵かもしれんな」
「硬式と軟式やから、中学では試合せえへんやろ」
「高校まで続けたら分からへん」
健太は少し考え、やがて笑った。
「そのときは俺が打つ側や。お前の真っすぐ、絶対に打ったるからな」
「その前に、捕れるようになっとけよ」
「最後まで腹立つやつやな」
健太が投げ返したボールを、直人は右手のグラブで受け止めた。
1987年春。
山下直人は地元の市立中学校へ進学し、放課後と休日は阪神西シニアで硬式野球を続けることになった。
リトルリーグで始めた2度目の野球人生は、より広いグラウンドへ進もうとしていた。




