潜入
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外見通り、孤児院は廃墟も同然だった。もはや孤児院としての体面はほとんど捨てているのかもしれない。
それに、この建物には温かみというものがなかった。男に連れられている間も辺りは静かで、どこかから水の滴るような音がするだけだった。
「君らが主に生活をするのは地下だ。いいね?」
前を向きながら、確認を取るように男が俺に問いかけた。いや、否定してもどうにもならないのだから、問いと言うのは不適切なのかもしれない。
「構わない。他の子供たちはどこにいるんだ?」
男は歩みを止めた。
「もちろん、地下にいるに決まっているじゃないか」
ゆっくりとこちらを振り返る。男の目は完全に冷え切っていた。
シスターとは大違いだな…。
「よく見れば、それなりに身なりがいいじゃないか。どこの子なんだい?」
どうやら遠慮というものを知らないらしい男が俺を吟味する。これは、身代金を要求することを想定しているんだろうか?
「別に、大したものじゃない。それに裕福な家の出だったらここにいるわけないだろう。破門にされていなかったら、な」
一言で男は察したみたいだった。金への執着がやたらと強い人間は、こういった勘定がいやに早い。散々見てきた奴らと同じ顔をしている。もう、関心は失ったみたいだが。
「あ、そう。じゃあここを降りて行ったら他の子もいるし、大人もいるから。いっておいで」
鉄格子の扉を開くと、男の言う通り地下へと続く階段が姿を現した。所々、光を失った魔導ランプがあり不気味さを助長している。
正直、不安でならない。衛生環境すらまともなように思えないが…。
男は先ほどの言葉を残すと、扉に鍵をかけて去っていった。
「とりあえず降りるしかない、か」
コツ、コツと階段を下っていく。すると、少しの話し声が聞こえる。
「お。新入りか?」
こちらを覗き込んできたのは、残念ながら大人だった。手には槍を、部分部分を身動きのとりやすい皮鎧で覆っている。奴隷商に雇われた傭兵、というところだろうか。
「そうだ、あの垂れ目の男に案内されたんだが…」
「あぁ、ダラスか。わかったわかった。そのまま降りてこい。皆こっちにいるぞ」
にやけ面で俺を見る傭兵らしき男の頬は、わずかに上気していた。酒でも飲んでいるのだろうか。
「わかった。降りる」
とりあえずは従わざるを得ないだろう。階段を降り、そこにあったのはまたも扉だった。
「おい、ガキ」
近づいてきた傭兵の口元からはやはり酒精のにおいがする。最悪だな。
「さっきからなに生意気な口きいてんだ!オラ!」
傭兵が腕を振りかぶる。どうやら狙いは腹のようだった。避けるわけにも、抵抗するわけにもいかないか…。
「ぐっ…!」
視界が明滅する。俺の木の葉のように軽い身体はいとも簡単に吹き飛んだ。できるだけ、最小限の怪我に抑えよう…。
「あぁ、腹が立って仕方がない!金払いがわりぃんだよ!クソっ、クソ!」
「――おい。やめろ」
⁉後ろから伸びた手が、傭兵の方をつかんだ。――クラウス、かと思った。だが違う。どうやら、死角にもう一人監視役がいたようだった。子供の身体とはいえ、気取ることもできないとは。おそらく、クラウスと同系統の天職なのだろう。
…これは、油断ができなくなってきたな。ここまでの実力者がいるとは。
「なっ、アンタいたのか。今の話は上には――」
「良い。そんなことよりもそれ以上商品に傷をつけるな」
監視をしていた男が、傭兵を手で制す。しばらく慌てていた傭兵だったが、ようやく落ち着きを取り戻したようだった。
「わ、わかった。すまねえな。気を付ける」
「分かればそれでいい」
蜃気楼のように、男の姿が消える。末恐ろしいな。注視していたというのに、わからないとは。
それに、俺のことを商品と呼んだな…?ここまで露骨な表現をするとは思わなんだ。
「おい、ガキ。中入れ」
促されるままに、中へ入る。
そこにあったのは、ほとんど牢屋そのものだった。子供たちが数個の大部屋に振り分けられ、身を寄せ合っている。
「悪趣味な……」
「じゃあ、お前はここだ。おら、とっとと入れ」
背中を蹴られ、牢屋へ押し込まれた。振り返って睨み返すと、先ほどとは打って変わって男は余裕を見せた。
「は、抵抗できるもんならやってみろ。ガキどもなんぞ何人相手でも話にならん」
傭兵の言うことは正しい。ここの警備は驚くほどに緩いが、問題ないのだろうと確信できる。純粋に体格差で大人に敵いようがない、という部分もある。しかし、一番大きな要素は天職の有無だ。
それほどまでに、天職は実力差を生む。実際、なんとか傭兵を倒すことはできるかもしれないが、あの監視には敵わないだろう。
口にたまった血を吐き出す。いつの間にか口も切ってしまっていたようだ。懐かしさのある赤が、意識をクリアにしていく。
今いるのは、地下。輸送される際になんとかクラウスを呼ぶしかないだろう。となると、今は耐え時だ。
全身が痛む。本気の攻撃ではなかったとはいえ、今の身体は柔い。
「大丈夫…?」
大部屋の一室で固まっていた子供の一人が、俺に話しかけた。
恐怖でそれどころじゃないだろうのに、勇敢なことだ。
「大丈夫だ。心配してくれてありがとう」
「うん…。大丈夫なら、よかった」
おずおずと喋りながら、身を引いていく。
「名前は」
「…分かんない」
孤児を拾ってきているなら、そうなるか。何もできないことがもどかしい。だが、あくまで冷静に行わなければならない。一度のミスで容易に死に得る。
「そうか。…ここではどういうふうに暮らしているんだ?」
すべてを諦めたような顔をしながら、少女は淡々と答える。
「あの人がご飯持ってくる。それ以外は何も」
あの人とは、おそらくあの門番か、俺が最初に会った男のことだろう。たしか、ダラスと言ったか。
「他の大人が来ることはないのか?」
俄かに周囲が騒がしくなる。耳を塞ぐものや、小声で何かを呟いている子供もいた。
「ある。前いた子たちが連れてかれたときにいっぱい来た」
護衛が複数…?密売ならば、あくまで少数で行うものだろう。今回のケースでは商人に紛れて門を通過する形だったはず。門の衛兵が買収されていて、そこでも一騒動あったと学んだ記憶がある。
…妙だな。商隊のような形をとっているのか?
「その大人たちは、どこに?」
少女が、俺の入ってきた扉とは逆方向を指す。
「あっちに行ったけど…」
小さかった騒めきは次第に大きさを増していった。
「…うるせぇッ!静かにしてろ!」
扉を蹴り開ける音と共に、傭兵の怒号が部屋を満たす。おびえたように子供たちはうつむいて、何も言わなくなってしまった。
これは、駄目だ。皆憔悴しきってしまっている。
「わかった、ありがとう。もう大丈夫だ」
少女にそう返すと、コクリと頷いた。
大人数の護衛、それに少女が指さしたあの方向…。もしや、と思おうが推測に過ぎない。
クラウスから預かった短剣と煙幕を握り直す。
兎にも角にも、奴隷商人側の動きを待たなければいけない、か。クラウスとの連携のためにも、できる限り早く事が起こればいいのだが。




