再戦
「潜入っていうのはどういうつもりだ」
捕まれていた襟は放され、高くなった視点は戻った。その代わり、怪訝な顔をしたクラウスがこちらを見下ろしている。
「俺が潜入すれば、その孤児院が黒かどうかわかるだろ?」
俺の記憶が正しければ、その孤児院は確実に人身売買を行っている。であるなら、時間を使って探っていくよりも多少の危険を冒して証拠を掴む方がいい。
「そりゃ結構なことだ。だが、お前が危ねえ。それが分かった上での発言か?」
怪訝な眼差しから一転、試すような目をしたクラウスは笑いながら俺を見た。
「構わない。身を守る術くらいは持ち合わせている」
「会った時から生意気な小僧だぜ。いいだろう、潜入してこい。ただし」
鷹揚に頷いたあと、クラウスは口元をわずかに歪めた。そうだ。彼はいつも、挑戦そのものは止めない。ただし、甘く通してくれるわけでもなかった。
「――お前の力を見せてから、な?」
クラウスは、自分が認めた相手しか信用しない。
***
明け方、クラウスが孤児院の庭に降り立った。いつもは飄々としていて掴みどころのない彼だが、こと戦闘においては豹変する。豹変と言ってもバーサーカーのように狂うのではなく、桁違いの集中力を見せるのだ。その目に宿るのは、冗談の一欠片もない殺気だった。
「悪いな。昼間じゃ人の目を気にしなきゃなんねえし、夜だと俺が有利すぎる」
「構わない。…懐かしいよ、クラウス」
小さく続けた言葉は、たぶん彼には届いていない。だが、それでよかった。
――短剣のみ、という縛りがなければな…。
昨夜の会話を反芻する。
「なっ、長剣はだめなのか?」
「あたりめぇだ。長剣もって忍び込むバカがどこにいると思ってんだ。それに、お前じゃ長剣は振りづらいだろ」
言っていることはもっともなのだが…。短剣は苦手だった。何度、ルークに怒鳴られたことか。幸いなことに身体が小さいため、体感としてはそこまで違和感はなかった。だが、リーチが明らかに違う。…どこまで戦えるか。
「それじゃあ、このコインが落ちたら開始だ。いいな?」
俺が頷いたのを見て、クラウスは指でコインを弾いた…ッ!
ガキン、と短剣は火花を散らした。遅れて、コインが地面に落ちた音がした。
「…!!コインが落ちてからじゃなかったのかっ!?」
「お前が戦うかもしれない相手はもっと卑劣だ。どこの生まれかは知らんが、騎士ごっこをしていると早々に死ぬぞ?」
こいつ、行儀が悪い……!
俺の知っているクラウスは、ここまで尖っていなかった。これから十年かけて、少しずつ丸くなっていくのだろうか。と、そんなことを考えている場合ではない。
力では勝てない。なら、流して隙を作るしかない。腹を狙った一突きは、あっさり弾かれた。
まずい。距離を――。
「そうはさせねぇ!」
追いつかれる。やはり、簡単には逃がしてくれない。容赦のない刃の応酬が、意識を研ぎ澄ましていった。
逆に体格差を活かすんだ。
クラウスの振り下ろしを弾く。反動を利用して、一息に後ろへ回り込んだ。
――よし、いける!
無防備な背中へ向けて、短剣を振るう――。
「な、んのっ!」
背へ回った俺に、クラウスは反射的に握った砂を投げつけた。だが…
「同じような手をさっきも食らったのでな!」
――クリエイトウォーター。
浮かべた水は、俺に向かってきた砂の大半を受けとめた。
「まじかよ…!」
これで届く…!
――瞬間、頭に衝撃が襲い掛かる。
視界が明滅し、短剣を手放す。どうやら振り向きざまに放ったハイキックが、きれいに頭に入ったようだった。
「さす、が…。勝利を急いた俺の負けだな…」
クラウスが駆け寄ってくるのが見えた。何か叫んでいるようだったが、もう音は遠い。久しぶりだな、と思いながら、俺は抗わず意識を手放した。
***
「お、目ぇ覚ましたか?」
「見覚えのない天井だな…」
微かに頭痛が残っているが、それ以外は特に問題はない、か。
「そりゃ俺の家だからな。見覚えがあっちゃ困る」
視界の隅に映ったクラウスが肩を竦めて答えた。窓から差し込む日の光が、もう昼過ぎだということを示していた。
「かなり眠っていたか?シスターから治癒も貰ったようだし…」
さすがにあの蹴りを受けてこの痛みしか残らない、ということはないだろう。
「いや?そんなことはしてもらってないな。レオが気絶してすぐ俺の家に連れてきたぞ。もちろん、シスターに一言は入れたが」
なるほど…?
「想像以上に蹴りが軽かった、というところか?」
冗談交じりに言えば、クラウスは口をへの字に曲げた。
「そりゃありえない。手加減するつもりが、思ったより本気で蹴っちまった。なんならお前が想定よりも早く起きて、俺も驚いてるところだ」
どういうことだろうか。純粋にこの身体が丈夫なのか、あるいは…。いや、どれも想像の域を出ない。
「ま、レオの驚異的な回復能力はさておき」
今は考えても仕方がない。答えはいずれ、見えてくるだろう。
「――悪かった。本気の蹴りが出ちまった」
クラウスは、俺に頭を下げた。未来でもほとんどされることのなかったそれに、思わず慌てる。
「あ、頭をあげてくれ。真剣勝負だったんだ。こちらも危険は承知の上だ」
まったく、慣れないことはしないでくれ。反応に困ることこの上ない。
「反省よりも、模擬戦を振り返ろうじゃないか。どうだった、俺の動きは」
渋々顔をあげたクラウスは、俺の全身を見た。
「簡単に言えば、あまりにも戦闘慣れしすぎている、という感じだな。斬り合いにぎこちなさがあったことを除けば、歴戦の戦士のようだった」
痛いところを突いてくる。懐かしさに浮かれて、つい本気を出しすぎたのかもしれない。
「特によかったのがあの水だ。攻撃魔法は天職が覚醒する前には絶対に使えない。まあ、天職が魔法向きでない場合も使えはしないが。」
そう、成人するまではどのように訓練を積もうと、攻撃魔法を使うことはできない。ただし、例外が一つだけある。
「あの水は生活魔法だな?それを出して、俺の砂を防いだ」
「なんとなく、クラウスは搦め手を使ってくると思っていたんだ。それに、近接戦闘は本職じゃないんだろ?」
背の短弓を見れば明らかだが、本来の得物は弓だ。もっとも、短剣と体術を交えた近接も十分すぎるほど厄介だった。
「それはそうだがな…。あの無詠唱の魔法と機敏さはとんでもねぇな。いやはや、情けないところを見せた」
首をふりながら、諦めたように息をついた。あくまで、詮索しないんだな。戦闘能力だけじゃない。クラウスはあのパーティーにとって不可欠だった。
「それで。俺のことは認めてくれた、ということでいいのか?」
「当たり前だ。これで認めなかったら、俺の名が廃る」
飄々とした顔つきから、真剣な面持ちでこちらを見据える。
「作戦開始は明日夜から。上手いこと忍び込んでくれ。奴らが人身売買をしていると確証できたら、これで俺を呼べ」
そう言ってクラウスが渡したのは、手のひらに収まる黒い筒だった。火を付ければ、濃い煙を噴くのだろう。
「大義名分なんていらん。外に持ち出す証拠などもっといらん。ここは無法だ。良い意味でも悪い意味でも、俺らに作用する」
こちらを見るクラウスの顔に、未来の彼の面影が見えたような気がした。
「いいな。お前は安全第一でいい。奴らの尻尾を捕まえることだけに意識を割け」
「わかった」
クラウスから渡された短剣と発煙筒を受け取る。
「今度は直接スラムを立て直すのか。おもしろいな」
クラウスから絶対的な信頼を得るためにも、必ずやり遂げなければ。
***
コンコン。
建付けの悪い扉をノックする。これでは冬の冷気を凌げないだろうに。子供たちはどれだけ無事だろうか…。
「何だ?どうした?」
扉が開くと、それなりに若い男が俺を見下ろした。視線こそ冷たいものの、恰幅の良い男は、優し気な雰囲気を放っている。
――さて、潜入開始だ。
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