星空
―――意識が浮上する。
「ぐぅっ…!」
頭に響く警鐘は鳴り止まない。
「どうされましたか!?」
「城が、燃え、て…」
「王城ですか?燃えているようには見えませんが…。ともかく、馬車でお休みになってください!」
桃色の髪をした彼女は誰だったのか。
あれは、いつの記憶だったのか。
分からないことはいくつもある。
それでも、一つだけ看過できないものがあった。
「俺が、レオン・オウグスト…?」
彼女の言葉には、紛れもない信頼があった。
俺が、王だと。
証拠などどこにもない。
それでも、あの焚火の熱と、彼女の声だけは嘘だと思えなかった。
王ならば、あそこにいる。
俺の名を騙る何かが。
「お前は何者だ。現王レオン・オウグスト」
***
日が沈む頃にようやく検閲を通り抜け、王都の館にたどり着いた。
「半月もの旅路でしょう。お疲れもあるでしょうから、お先にお休みになられては」
家令の一言をうけ、宛てがわれた自室へ早々に戻った。
王都は王城を中心に築かれ、内側を貴族街、外側を平民街が囲んでいる。
王城は堀に守られ、正規の手続きを踏まずに入ることはできない。侵入することは不可能だと言っていいだろう。
「記憶がなければ、な」
脳裏に浮かぶ。
王族しか知らないはずの抜け道。貴族街の西門を出てすぐの、使われなくなった井戸。
まずはそこへ向かわなければならない。
窓を開け放ち、庭へ飛び降りる。二つの街を隔てる格子を易々と越えると、平民街が広がる。問題はここだったが…。普段は衛兵が哨戒しているはずだった。しかし、姿を見かけることはなかった。
懐かしい。ふと、そんな気持ちが湧き上がった。王だった俺も、こんなことをしていたのだろうか。あやふやな記憶しか戻らない。だが、城へ侵入するための記憶はある。まるで、導かれているようだった。
息が上がるころに、井戸へ着いた。名目上はこの井戸は壊れていることになっており、平民はだれも使うことができない。梯子で下へ降りていくと、そう経たずに底へ着いた。
『ラ・アペリ』
塞がっていたはずの丸石が低く軋み、城へ続く道を開いた。
***
ひんやりとした地下の空気を肌で感じる。春先ではあるものの、洞穴特有の冷気が息を白くさせていた。
「城まで、あと少し。記憶が間違っていなければ、庭園のあたりに出るはずだ」
暗闇を生活魔法で照らす。水の滴る音が不気味さを際立たせていた。
傾斜の緩い斜面を登ると、通路の果てにたどり着く。
『ラ・アペリ』
再び呪文を唱えると、仄かに月明りが差し込んでいく。この時間帯に、庭園へ行く人間はいないはずだ。
突如現れた空洞に、風が吹き込んでくる。目を細めながら、手で顔を守った。
「ここからは…っ!」
――人影!!
すぐさま姿勢を低くし、剣を構える。あまり大きい音は出したくないが、攻撃もやむなし――。
「そんなところで、なにをしてるの?」
息が詰まった。まさか、こんなところで。
「おーい、聞こえてる?」
幼いながらも、その桃色の髪は変わらない。
見間違うわけもなかった。だって。
「こんな夜遅くに何をしているんだ。フーリエ」
変わらず彼女は、星空よりも美しかったから。
***
「ふーん?庭師の息子さん?」
未だに信じることはできなかった。でも、目の前にいるのは間違いなくフーリエだ。
今の彼女に真実を話すことはできない。庭師はこの庭園の外れにある小屋に住んでいるから、隠れ蓑としては最適だった。
「ああ。父に手入れをしておけといわれてね。君は?どうしてこんな夜に?」
「別に。月とお花を見に行きたくて」
彼女はどこか不機嫌そうに、俯いて言った。
「何かあったのかい?そんな顔じゃ、花も見向きしてくれないんじゃないか」
からかうような俺の口ぶりに、彼女はどうやらムキになったようだった。
「ていうかさっきからなんでタメ口なの!私のお父さん、教会でそこそこ偉いのに!」
――変わらないなあ。
出会ったときから、彼女はこんなふうに可愛げがあった。黙って見つめていると、フーリエは語りだした。
「レオン様がね、最近変わっちゃったの」
また懐かしい呼び方をされた。ただ、今彼女がそう呼んでいるのは俺ではない。
「変わったって言うのは?」
「即位する前はいつも通りだったんだけど。そのあたりからおかしくなって」
話すほどに、フーリエの顔色は目に見えて悪くなっていった。
「それでね、今朝私のお父さんが王城に呼ばれたからついてきたんだけど、レオン様に呼ばれたきり帰ってこなくて」
「何もできないから、ここにいたと?」
こくり、と彼女はうなずいた。
侵入が不可能であると同時に、単独で城を脱出することは難しい。当然、正式に招かれた者ならばそう難しくはないが、いくら枢機卿の娘とはいえ子供を単独で通すようなことはない。
それに、下手に動けば父親の立場を悪くする。身内は城内にはいないだろうしな。だからここで待つしかなかったのだろう。
「俺が行ってくる。フーリエはここで待っていろ」
「私もついていく!こう見えても、治すのは得意だし」
「駄目だ」
フーリエの提案を呑むわけにはいかなかった。おもむろに、彼女の手をつかむ。
「もう失いたくない。いいから、ここで待っているんだ」
あまりの気迫に押されたのか、彼女は不承不承ながらも頷いてくれた。
「わ、わかった。ここで待ってる」
彼女に頷き返すと、一目散に王城を駆けのぼる。深夜なのもあってか、人は誰もいない。いや、そんなはずはない。
誰かがそう仕向けているんだ。でなければ、王城に一人も兵士がいないなど考えられない。
問答無用で剣を抜き放つ。研がれた得物は、余裕のない俺の表情を映していた。
「もうすぐだ、もうすぐ謁見の間に」
ひと際大きな扉が突き当りに見えた。
扉は開け放たれていた。
息が切れていることも気にせず、ただ走る。
――ああ、間に合わなかった。
彼女の父親は、もう息をしていなかった。腹を抉られ、どう考えても生きているとは思えなかった。
「待っていたぞ」
声が、謁見の間を震わせた。比喩なんかじゃない。文字通り、揺れたんだ。
想像もできないような魔力量に足が竦む。
同時に、思い出した。
「お前…。魔王だな」
俺の姿だ。俺の姿なのに、俺じゃない。偽王は口を歪め、哄笑した。
「なんだ、気付かず来たのか?よくもまあ、貧相な装備で」
栓を抜いたように、記憶があふれだしてくる。
「しかし、仕方あるまい。不完全な転移だったのだろう。それだけお前らは瀕死だった」
俺は、王だった。そして、勇者だった。
「取り逃がした我の後悔は知れず。よもや、過去へ転移したというのだからなァ!」
染みついているように、身体が勝手に動き出した。眉を顰めた魔王が指先をこちらへ向ける。放たれたのは閃光。頬を掠めた超高温のそれは、魔王にとっては先制攻撃に過ぎなかった。空いた左手へ、さらに魔力を注ぎ込んでいる。
重い。
記憶だけが先走り、身体が追いつかない。
これでは、回避しきれない――。脇腹へ迫った閃光を剣で弾く。だが、逸れた熱線は易々と太腿を貫いた。
「まだまだ…!」
近づいていくにつれ、被弾が増えていく。魔王の笑みは、より一層深まっていった。
「天職も覚醒していない身で、よくやるものよ!だが、お遊びはここまでだ」
穴だらけになった俺を前に、魔王は全力を行使する。いつの間にか左手に出現した黒球は、何もかも吸い込んでしまうようだった。
「我を唯一殺め得る力を持つ勇者の末裔よ!その魂を、今ここで滅ぼしてやろう」
暴力的なまでに練られた魔力が襲い掛かってくる。もう間に合わない。抵抗できない。
「ごめん、皆―――」
視界は光に満ちたあと、即座にブラックアウトした。




