52ヘルツのクジラ
初投稿です。投稿ペース維持できたらなと思います。
空は、血を流したように赤かった。
かつて白亜の威容を誇った王城は、いまや炎と煤にまみれ、その輪郭すら夕闇に溶けかけている。
王の崩御から一年。
オウグスト王国は、突如現れた魔物の軍勢に国土を侵され、滅びの縁に立たされていた。
いや、もう寸前ですらないのかもしれない。
人の町は潰え、砦は沈黙し、ここに至ってなお王都だけが、終わりを先延ばしにしているにすぎなかった。
***
「以上が、現王レオン・オウグスト陛下に至るまでの系譜です。このあたりは騎士学校の試験に出ることは稀ですが――」
講師の声を聞きながら、アルゴーは机上の羊皮紙にペンを走らせていた。
コンコン、扉を叩く音が授業を中断させる。
「お坊ちゃま、もうまもなくご夕食の時間となります」
ユリウス暦七五八年。オウグスト王国コルト騎士爵家の嫡男、アルゴー・コルトは騎士学校の受験を目前としていた。
いつものように一人で食事かと思っていたが、見慣れない人物がいた。
「父上。いらっしゃったんですね」
騎士爵を拝領していることもあって、コルト家は代々精強な騎士を輩出する。父も例外なく、王都の騎士団で部隊長を務めていた。
「冷たいな、息子よ。久しぶりに父が帰ってきたといいうのだ。少しくらいは喜んでくれてもいいのではないか?」
「気持ちにもないことを。だから母上たちも実家へ逃げてしまうのでは?」
父は気を悪くした様子もなく、ククク、と喉を鳴らしながらグラスを傾けた。
「お前がいるならばそれでよい。腑抜けた小僧なぞいらんからな。それで、勉強の調子はどうなんだ」
父の問いに家庭教師が答える。その媚びるような目つきが気に食わなかった。
「問題ないかと。順当にいけば、筆記トップもあり得ます」
「ほう。それほどにか」
黙々と食事を口に運びながら、アルゴーは家庭教師と父の会話に耳を傾ける。あの家庭教師は随分と自分を過大評価するきらいがある。
「言いすぎだ、カトレア。それに俺は勉学よりも剣術の方が好きなんだ」
「うむ。騎士爵の嫡男であるアルゴーは騎士とならねばならん。剣術も突出しているから、特に心配はないがな」
今日の父はやけに上機嫌だった。ワインを片手に口元を緩めている。
「さて、ここでひとつ知らせがある。特にアルゴー、お前はよく聞け」
なぜか、冷や汗が止まらなかった。
「大したことではない。そう肩肘張るな。王都への出発日が決まっただけだ」
王都。
その二文字が耳に入った途端、喉の奥がひくりと痙攣した。
「出発は一月後。王都へ行き、試験を受け、結果発表まで待つこと。それまでは別邸で滞在していなさい」
噛み切れなかったステーキが、やけに気持ち悪かった。
***
コルト騎士爵家の領地から王都までは、馬車で半月を要する。
出発から七日、旅路はようやく折り返しを迎えようとしていた。
「お坊ちゃま、そろそろ休憩なさいますか?」
「大丈夫だ。できる限り早く王都へ到着したいからな」
窓の外には農地が広がっていた。秋になれば一面が黄金色に染まるのだという。
「何者だ!騎士爵家の嫡男であるアルゴー様のいらっしゃる馬車だぞ!」
御者の大声と同じタイミングに揺れが馬車を襲った。
「きゃっ」倒れかけた側付きを支えると、そのまま剣を鞘から引き放った。
「盗賊…。噂には聞いていたが」
「いけません!私たちは貴方様をお守りするためにいるのですから」
「御託はいい。下がっていろ」
父上が与えた護衛は三人だけ。身を守るには心許ない数だ。つまり自分の身は自分の身で守れ、ということなのだろう。
「アルゴー様!?いけません!」
外に出ると、盗賊は六名ほど。鍬や斧を持った者ばかりだ。おそらく、農民崩れであろう。
「なぜ盗賊に身を落とした!」
「なぜも何もないだろうが!!お前ら貴族が悪いんだ、急に税をあげやがって!」
アルゴーの問いに盗賊らの頭目ーーもっとも身なりが多少ましというだけだがーーが答えた。
税の引き上げ。
盗賊の言葉で、アルゴーはすぐに現王の即位後の改革を思い出した。
民を痩せさせるばかりの愚策。貴族の身で口にすることではないが、そう評するほかなかった。
「だが、罪は罪!覚悟はできているな」
「っ…」
聞こえなくとも、息を呑んだことはわかった。身なりこそ貧しいが、まだ人を殺し慣れた目ではなかった。
「殺しはまだか?」
「だったら何がわりぃんだ!かかってきやがれ!」
***
威勢を利かせるだけの彼らを制圧することに、それほど時間はかからなかった。
「なめやがって…。生かしてどうするつもりだ!」
「なに、迷える民を導くのも貴族の務めというやつだ。お前らの村に届けてやるくらいの余裕はある」
…賢王であれとまでは言わない。だが、愚王の下で振るう剣ほど空しいものもないだろう。
「っ…」
頭痛が走る。
だが、この程度で膝をつくほど柔ではない――ふと、そんな考えがよぎった。
まるで、もっと苛烈な痛みに慣れているみたいに。
***
盗賊を村に送り届けてから七日。以降は安全な旅路となった。
「もうまもなく、王都へ到着いたします」
到着といっても、しばらく時間はかかる。平民用の門と特権階級専用の門に分けられてはいるが、こちらは騎士爵。他家に順番を譲っていくと、途方もない時間がかかる。
――最近はなぁ。
――生活が持たないんじゃ…。
列に並んでいる間も、出稼ぎにきた農民らの声が耳に入った。辛気臭い話ばかりだ。
「このままでは体が鈍りそうだ。外で剣を振ってくる」
護衛と打ち合いでもしようか。受験までそう遠くない。少しでも対策はしておいた方がいいだろう。まあ、体を動かす言い訳に過ぎないが。
扉を開く。
「燃えている…?」
なぜ、王城が―――。
ガツンと、鈍いもので殴られたような頭痛が襲ってくる。これまでの痛みを遥かに上回るそれは、何かを頭から引きずり出してくるような痛みだった。
***
薪の爆ぜる音が夜を満たす。見張り番だった俺と彼女は、お互い装備の手入れをしていた。
「綺麗だね」
見上げる先には、満天の星々があった。仲間を起こさぬよう潜めた声で囁く彼女の横顔を、ただじっと見つめる。
「ああ、魔大陸にもこんな場所があったとはな」
視線を下ろした彼女とふと目が合った。
「緊張、してるの?」
見透かされたような言葉に、苦笑いを浮かべることしかできなかった。
「フーリエの前では隠し事なんてできないな」
彼女は桃色の髪を揺らしながら、少し笑った。そして胸を張って、自信満々に答えた。
「そりゃ、奥さんだからね!女の勘にかかればこんなこと、ちょちょいのちょいです」
「参った参った」
膝を叩きながら笑う俺に、フーリエはむっとした顔をした。
「お前を死なせたくない。頼むから、ここで待っていてくれないか」
星空に、きらりと光る流れ星が見えたような気がした。願い事をしていたら、少しは違ったのかもしれない。
「だめだよ。私は皆さんの癒し手なんだから。逆に私が抜けると大変なことになっちゃいますよ?」
分かっていた。彼女がそんなこと認めるわけないと思っていたから。
「心配なんてしなくていい。だってあなたは―――」
焚火の火が一瞬揺れた。だが、火は消えない。
「レオン・オウグストなんだから」
フーリエの笑顔はたぶん、星空にすら勝っていたと思うのだ。




