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父の後継者指名

大金持ちの客が望んだ特注品の家具を載せた船が、海に沈んでしまった。パニックで放心した父と家計を助けるため、うら若き女の子がのったとんでもない契約とはー。

裁縫、お琴、割烹、すべて不得意。大正時代には生きにくいそんな女の子が、誰にも言えない秘密を抱え、二足のわらじ生活を送ります。

 なるべく急いで帰宅したのだが、教授に頼まれた雑用が長引いてしまった。玄関を開けた執事が


「奥様とお嬢様はすでにお眠りになっております」


 と言うので、総一郎は少しがっかりした。

 詳細は週明けに茉由子に聞くのだが、紅の記憶が新鮮なうちに彼女からも話を聞いておきたかったのだ。


 仕方がないので、何か摘まんでから眠りにつこうとダイニングルームに行くと、珍しく父、一之介が書類を広げていた。

 家にいても書斎に籠ってほぼ出てこない父が、家族が出入りする空間で仕事をしている時は、何か用件があるときに決まっている。そして総一郎以外が寝静まっている中では、誰に話があるかは明白だ。


 悟られないよう小さなため息をつき、総一郎は笑顔で


「お父様、ただいま帰りました」


 と言った。

 

「総一郎、座りなさい」


 一之介は持っていた紙から顔を上げずに視線だけを向け、テーブルを挟んだ向かいの椅子を指差す。この男はおかえりの一言もないのか、と総一郎は心の中で毒づいた。


「横浜機械工業の株式が今日、上場来最高値をつけた」


 総一郎は特に驚かなかった。四年ほど前に見た「夢」が現実になったというだけだ。


「うちが今保有しているのは5%くらいでしたか」


 一之介は総一郎の問いに首を振り、


「あの頃はお前が『夢』で見たと言った東京の大きな震災は起きないし、『夢』の信ぴょう性を測りかねていたから、様子見程度でしか買わなかった。去年の暮れ、今上天皇が持ち直したからもしやと思って私が買い足した。


 今は25%くらいだ」


 と答え、ため息をついた後


「おまえの『夢』に紅と同じくらいの確実さがあればいいんだが」


 と言った。


 未来は変わるものだ。確実なんて未来に存在しない。


 総一郎は震災が起きなかったときに何度も主張し、負け犬の遠吠えだと言われたその言葉をぐっと飲みこんだ。


(この人に言っても無駄だ)


 総一郎が「夢」で見たように天皇の病が治癒したことで、横浜機械工業の機械に需要が急増するという「夢」を信じることにし、株式を買い増す判断をしたのであれば、もう少し感謝か何かがあっても良いものだ。

 しかしもちろん、目の前の一之介にそんな意識は一切ない。


 最終判断をしたのは誰か。そしてその判断は正しかったのか。

 重要なのはその点だけなのだ。


 総一郎は無理やり笑顔を作り、


「数十年先の話ですが、各家庭の厨房に電力で食品を冷やす箱が普及しているのをちょうど『夢』で見たところです。

 横浜機械工業は織機が得意かと思いますが、そうした方面の研究を進めるようご提案なさるのはどうでしょう」


 と言った。一之介はああ、と頷き


「事業の多角化は提案せねばならないと思っていた」


 と言った。


 会話が途切れ、総一郎は席を立っていいのかしばし考えた。


 横浜機械工業の話だけであればわざわざ話す機会を作る父ではない気がする。案の定ここからが本題のようで、父は初めて手に持っていた書類をテーブルに置き、まっすぐ総一郎を見つめた。


「総一郎。大学を出たらそのままうちの会社に入れ」


 想像していなかった言葉に総一郎は驚いた。


「お父様、大学を卒業したら留学して良いとおっしゃっていたではありませんか」


 思わず立ち上がった総一郎を制した一之介は


「考えを変えた。早く跡を継がせたい」


 と言い、また総一郎の目を見る。

 こういう時の一之介は、誰がなんと言おうと聞かない。それを良く分かっている総一郎は、


「僕が後継ぎで本当に良いのですか」


 とだけ聞いた。震災の夢が外れた時、紅に婿を取らせて経営を譲ることも考えると言った一之介の言葉を、総一郎は忘れていない。


「一年前に言ったとおり、後継ぎはお前だ。

 だが紅は嫁には行かせずお前の補佐をさせることにした」


 総一郎は衝撃で目をかっと見開いた。一之介は話を続ける。


「紅の能力は芝山に必要なものだ。嫁いで他家の人間になったらその能力が消える可能性もあると私は考えている。

 例え養子をとっても、子が生まれたら消えることだってありうる。危険は冒せない」


「けれど紅が誰かと心を通わせ、結婚したいと願ったらどうするのですか」


 総一郎はそう問いながら、意味のない質問だと思った。


「だめだ」


「…たとえ『光る』人であっても?」


「だめだ」


 案の定、一之介は繰り返すだけだった。

 総一郎や紅の意向、思いは一之介の描く計画に介在しない。


 父親が一代で大きくした家を更に大きくする。

 自分と紅はそのためだけに生まれてきたのか。


 さまざまな感情が胸を渦巻く中、総一郎はやっとの思いで声を絞り出した。


「この話は、お母様と紅にはもう?」


「まだ必要ない。紅が卒業する頃に話す」


 一之介はまた書類に目を落とし、総一郎は立ち上がった。


 わかった、という返事を自分がしなかったことに父は気づいているだろうか。

 いや、手中の駒が拒否するなどありえないから、総一郎の留学中止と後継者への就任、そして紅の事業への献身はもう一之介の中では決定事項なのだろう。


(父の傀儡として、父の計画の中で生きたくなければ自分のビジネスを成功させるしかない)


 総一郎が扉を開けて廊下に出ようとしている時、一之介が声をかけた。


「総一郎、紅に来週末の大阪行きは同行するように伝えてくれ。あちらの財界の会合に出るから」


 一之介の「光る」人探しのため、紅は片っ端から色々な人に紹介されるのだろう。可哀想だが自分には変わってやれず、他のことでサポートしてあげるしかない。


「わかりました。おやすみなさい」


 総一郎は努めて礼儀正しく言い、扉を閉めた。そして眠れぬ夜を覚悟しながら、真っ暗な階段をできるだけ音を立てないように昇っていった。

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