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チョコレートと紅茶

大金持ちの客が望んだ特注品の家具を載せた船が、海に沈んでしまった。パニックで放心した父と家計を助けるため、うら若き女の子がのったとんでもない契約とはー。


裁縫、お琴、割烹、すべて不得意。大正時代には生きにくいそんな女の子が、誰にも言えない秘密を抱え、学校と仕事の二足のわらじ生活を送ります。

「うっとりする素敵な時間でしたわ。ありがとうございました」


 茉由子が梅原に礼を述べると、梅原は微笑んで


「喜んでいただけて嬉しいです。佐藤様、色の白さが際立ってさらに美しくなられましたわ。晩さん会を楽しまれてくださいね」


 と言った。茉由子はこそばゆい気持ちになりつつ、彼女から情報を引き出したことについて若干の罪悪感を禁じえなかった。




 茉由子が待合室に戻ると、耕介が片手を挙げた。

目線でどうだ?と聞いてみると、片手で小さな〇を作ってきたので彼の方でも収穫があったのだろう、と茉由子は思う。


茉由子の前にティーカップが置かれ、耕介と二人紅茶を飲みながら紅を待つことにする。添えられていたチョコレートがあまりに美味しく、受付にいた梅原に伝えると


「ありがとうございます。ガーナという国で作られたカカオを使って、英国の王室御用達パティスリーが製造したもので、坂東奈津子の隠れた名物です」


 と言った。情報量が多かったが、貴重なものだということは伝わった。




「私、疲れてしまったわ。すぐに帰りたいの。車を呼んできてちょうだい」


「かしこまりました」


 廊下から声がし、紅が現れた。


 切れ長の目に、小作りだがきれいな形の唇と印象に残らない鼻を持つ紅は普段から透き通るような美女なのだが、顔の産毛を剃ったことでその透明感が増している。


 紅は茉由子の隣に座ると


「茉由子さん、どうだったの」


 と聞いた。スタッフが聞き耳を立てる中でどう回答するのが良いか一瞬逡巡した後、茉由子は


「理想的でしたわ」


 とだけ答えておいた。

 紅は茉由子が言わんとしていることを理解したらしい。


「そう。それなら良かったわ」


 と、つっけんどんに言いながらチョコレートを食べた。

どうやら紅も気に入ったらしく、一瞬目尻が下がったのを茉由子は見逃さなかった。


「お嬢様、佐藤様、車が到着したようですので参りましょう」


 スタッフから耳打ちを受けた耕介が立ち上がるのに続いて茉由子と紅も立ち上がり、三人はまた盛大なお見送りと共に坂東道子を後にした。



「私……とてもとても疲れたわ……」


 自宅にそのまま戻るという耕介と別れた帰りの車で紅が珍しく姿勢を崩し、背もたれにもたれかかった。


「人に偉そうにするの、向いていないのよ…」


 勢いがうなぎのぼりの芝山家の令嬢、紅。

彼女に対して下手に出てくる人は、大人も同級生も多いだろう。そんな中で、謙虚とも取れるくらいに誰にでも礼儀を保つ紅のような人は珍しいのではないだろうか。


女学校でも、働く女性、すなわち「職業婦人」を恐ろしいほどに見下す人は残念ながらいる。

そんな茉由子の思考を見透かしたように、紅はこう言った。


「芝山家ってね、ほんの十年少し前には、どの町にも一軒はあるような小さな呉服屋だったのよ」


「代々続く呉服屋だというのは知っていたけれど、事業を拡大されたのはそんなに最近のことなのね」


 紅が個人的な話を振ってきたことに少し驚きながら茉由子は返す。


「私が小さい時にはね、使用人だって一人きりよ。だから自分のことは自分でやっていたし、お嬢様、お嬢様って腫れ物のように扱われるの苦手なの。芝山って成金なのよ」


 茉由子は返答に困ったが


「お父様に商売の才覚がおありなのね」


 と言った。紅は右手の人差し指をトントン、と動かして


「どうなのかしらね」


 とつぶやいたきり、茉由子の家に到着するまでぐったりとしていた。


「来週月曜日、放課後に校門で」


 最後の気力を振り絞るようにそう言った紅を見送り、茉由子は家に入った。


 茉由子はそのまま机に向かい、坂東道子で聞いたことや考えたことを忘れないように書き留めておいた。

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