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昆虫学者との縁談

1927年、新興の資産家である芝山家の娘に縁談が持ち込まれる。財産目的の話かと思いきや、その相手はまさかの――。

 総一郎と紅が大岡の叔父、と呼んでいるのは母の弟、大岡義雄だ。


 逓信省に勤めている役人だが、人生は楽しむためにあると公言しており、愛妻を5年前に亡くして以来多くの時間をさまざまな趣味に費やしている。

 陽気ないい人なので総一郎も紅も幼い頃から懐いていたが、昨年自分の一人息子が結婚して以来、顔を合わせば紅の縁談の話ばかりしてくるのだ。


 家業を継いで以降、時に狂気を感じるほどに事業の拡大に心血を注いできた父、一之介からするとまるでそりが合わないようで、義雄の訪問が決まるとすぐに大阪の仕事を入れていた。


「それでさ、もう久しぶりだったもんだからついつい楽しくなっちゃって、踊ってた記憶はあるんだけど次に起きたら檻ン中よ。


 いやー姉さん、見てよこれ。何があったかわからないけどさ」


 美しく整えられた洋風庭園のポーチでテーブルを囲みながら、叔父は身振り手振りを入れて話をする。どうやら飲みすぎて記憶をなくした挙句、傷をこしらえて警察のお世話になったらしい。


 母の真紀子は二の腕の大きな打撲を見て顔をしかめながら、


「義雄、あなたもう五十に手が届きそうなんだから少しは落ち着きなさいよ。総一郎も紅も、こんな話お父様には言っちゃだめよ」


 と言った。総一郎が笑いながら、


「お母様、言ったら叔父様がもう家に来れなくなるんじゃないですか」


 と言うと、真紀子はしかめつらのまま頷く。紅は先ほどまではにこにこと話を聞いていたが、話題が終わりかけているのを察知し、仮病で席を立つべく額に手をあててため息をつき始めた。


「紅、どうかしたのか?」


 総一郎がそう問いかけると、紅は


「ええ、少しめまいがするの」


 と深刻そうな声色で返した。あまり体調を崩さない紅が言うと効果は絶大で、場にいる全員が心配の目を向けている。

 もっとも、総一郎に関しては「ふり」だが。


「紅ちゃん、それは大変だ。家に入って少し休んできなさい」


 義雄がそう言うと紅はうなずき、立ち上がって一礼して屋敷に入って行った。そんな紅の姿を目で追いながら、義雄は


「いやあ、今日はこれぞ!と思う縁談を紅ちゃんに持ってきたのに残念だなあ」


 と言う。始まった。




 総一郎は実のところ、この叔父が持ち込む縁談をいつも興味深く聞いている。


 飛ぶ鳥を落とす勢いの芝山家と縁を結びたいと願う家は多く、その反対に「成金風情」と蔑んでいるような家は縁続きになることを避けたがる。芝山家に直接話が来る場合は、多少なりとも両親のどちらかが相手の家を知っていることが多い。


 大岡義雄のところに持ち込まれる話はそうではないため、どのような業界のどんな家が自分たちに興味をもっているのか、あるいは少なくとも毛嫌いはしていないかが分かるのだ。


 だが紅を嫁に行かせない、という父の思惑を知った今、総一郎は難しい対応を迫られている。

 紅は特に結婚に夢を見ているそぶりはないが、娘を一生籠の鳥にしようという一之介の計画を知れば、ひどいショックを受けるだろう。


 願わくば総一郎が早急に計画を覆せる力をつけ、恐ろしい未来がありえたということを一生知らないままでいさせてあげたい。

 縁談が中途半端に進み、父に話が行ってしまう前に、叔父の話もうまく断る必要がある。


「ほらこの青年、年は27だから紅ちゃんより十歳上だ。俺の釣り仲間の倅なんだけどさ、学者さんなんだってよ」


 義雄は線の細い、柔和な顔をした男性の写真を差し出した。


「年に3、4回ほど、ひと月かけて研究のために日本中の山にこもるらしいから、紅ちゃんはちょっと寂しいかもしれないけど。


 学究に燃える人って芝山にも大岡にもいないから、新鮮だろう?」


「お肩書としては今、どのような?」


「帝都大学農学部で助手をしているよ。

 教授の覚えが良くて、椅子が空いたら助教授になれそうらしい。これは別の知り合いのつてで聞いた話ね」


 規模の大小はあれど、商売を営んでいない相手を義雄が持ってきたのは初めてだったので、総一郎はしばし考え込んだ。

 縁談が持ち込まれた目的が事業上のメリットでも、芝山の財産でもなさそうで、逆にやんわりと断る理由が難しい。


「博之くんっていうんだけどさ、その母親が広尾女学館の同窓会で紅ちゃんを見かけたらしい。よくしゃべるタイプの女性が苦手な息子にぴったりだってことで、この話が来たんだよ」


「あら、紅はしゃべる時はしゃべるわよ」


 真紀子が口を挟んだ。


「叔父様、その博之さんは何の研究をされているんですか」


 総一郎の問いに、なぜか義雄は胸を張りながら答えた。


「昆虫学者さんなんだってよ。蝶を専門にしていて、家でもたくさん珍しい蝶を卵から育てているんだとか。


 蝶の話になると、今日本で彼の右に出る人はいないらしい」


 総一郎と真紀子は顔を見合わせ、笑い出した。


「義雄、それは紅には無理よ」


 真紀子が言い、総一郎が補足した。


「紅は幼い頃に毛虫に触って腕を真っ赤に腫らしてから、青虫と毛虫の類を天敵だと言っています。

 自宅で飼うなんて、卒倒すると思いますよ」


 総一郎は内心ほっとしつつ、あからさまに落ち込む義雄の姿に少し申し訳ない気持ちになった。


 たとえば「博之さん」がカブトムシの研究をしていて、紅が嫁にいける身なのであれば、実際良い話だったかもしれない。箸にも棒にも掛からぬ話であれば逆にいいのだが、妙に優れた縁談を断ると、義雄が何か気付いてしまうかもしれない。


 総一郎は今後のことを考え、紅には悪いが布石を打っておくことにした。


「紅には今、想っている相手がいるかもしれないですよ、叔父様」


「ええっそうなのかい総一郎くん」


 義雄は目をきらきらと輝かせ、総一郎に話の続きを促す。特に何も話すことはないので、総一郎は意味ありげに微笑んでおいた。


「だから、どんな縁談でもあれやこれやと言うかもしれませんね」


「そうかぁ紅ちゃんが…」


「難しい年頃ですから、追究してはだめですよ」


「わかってる。ああ青春だなあ」


 これで一応しばらくは大丈夫だろう。ほっとした総一郎の目を義雄が見た。

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