九十八、悪いようには
「っ…!陰陽戦術、卯の刻、『狡兎三窟』!!!」
水が流れ込んでいる空間に穴を開け、水の逃げ道をつくる。
既に膝下まで来ている水は氷の様にひんやりとしていて、もし周りの空気が暖かかったのなら、温度差に驚いて心臓が止まっていたのではないかと思う。まぁどちらにしろ、寒さ冷たさと水の抵抗で私の動きが鈍くなったのは明らかだった。
『ほう?ここには、その術で入り込んだのか?それほどの力量がお前にある様には見えないが。』
「ほっとけ。ここには龍の力を借りて入ったんだよ。」
『…成る程。目には目を、龍には龍をという訳か。』
一言そう漏らし、何かを操る様に手を動かす。すると突然、洞窟内がグラグラと揺れ出した。
ーードスッ。
鈍い音がした。避ける間もなく、気がついた時には先端が鋭く尖った石筍が、左足の膝下を地面から貫いていた。
「っっっ〜!!!」
倒れそうになった体を、浮力と右足の力で支える。
冷たい無色透明の水の中に、血の赤が鮮やかなまでに広がる。
『ふむ…。久々でコントロールが上手くいかない様だ。次は、外さん。』
「当たってるじゃん…。」
冷や汗が、するりと頬を伝う。要するに、体のど真ん中を串刺しにするつもりだったのだろう。冗談じゃない。
激痛を押し殺し、刺さった石筍からやや強引に足を引き抜く。
懐から呪符を取り出し、足元になけなしの結界を張った。
『そんな物で防げるとでも思っているのか?』
「やってみなきゃ分かんないでしょっ!」
1つ、また1つと地面から石筍が現れる。完全なガードこそできないが、結界に1度ぶつかることで、避ける程度の時間稼ぎができる。相手が自分を狙って攻撃しているのなら、自分の足元を固めてしまえば、その程度のことは怪我をしていてもどうにかなる。
『不毛な努力だな。いずれお前が力尽きるだけだ。早急に諦め…。』
ーーブシャァッ!!!
終始浮かない顔をしていた男が、始めて驚きの表情を浮かべた。
それは、突然上がった水飛沫に両手足を削ぎ落とされたから。
指揮を失った石筍がボロボロと水中に崩れ去り、水量も少なくなっていく。
『なっ…。』
「私のつくった穴に吸い込まれた水、どこ行ったのかなって思わなかった?」
水の威力は、計り知れない。水圧でダムを決壊させたり、鉄を切り裂いたりできる。
今回は、それを応用させた。術の排出口を狭め、高い水圧で男の四肢に向けてぶちまけたのだ。
「龍我の式神なら、私には祓えないし、こっちも死ぬわけにはいかないから。手荒でごめんね。」
念のため、男を結界の中に閉じ込める。
『ま、待て!どこへ行くつもりだ!!!』
声の方に、ゆっくり1度だけ振り返る。
「…聞かなくても、分かるでしょ。」
結界の中で、男が暴れる。
岩壁にすがりながら、足を引きずって滝の向こうに進む。
「大丈夫。本来のあなたの悪いようには、多分しないから。」




