七十三、己を生きるその女
「ふ…ぅ…くっ。」
陰陽神社の一室、かけられた呪いの影響で今も尚苦しんでいる千晶が意識を失ってから、半日が過ぎようとしていた。
呼吸はしているものの、大量の冷や汗をかいてぐったりしており、ただ事ではないことは誰が見ても明らかだった。
千晶自身は、「側にいて貰えるだけで、心配されているだけで幸せだ。」そう言っていたが、そんな死亡フラグの様な台詞を吐いてすぐ意識を失われると、不安と焦りで気がおかしくなりそうだ。
紡さんはまだ帰って来ないのか、歯痒さで前髪をくしゃりと握ったその時、大した気配もなく突然障子が大きく開けられた。
「!」
「そこを退くのじゃ小僧。治療の邪魔じゃ。」
その声の主は、さも当然の様に部屋の中へ入り込み、俺の体を押しのけた。
「なっ…???」
「すまん。遅くなったわ。」
「紡さん!?そんならこの人が…ってあんたなんでこの神社ん中にに入れてるんや???」
「騒がしいのぉ。わらわがここを使うに値する陰陽師であったからに決まっておろう。…ふむ、こいつは面白い。」
煩わしいと言いたげな表情をつくっているものの、視線は俺の方へ一切向けずに千晶の状況を女は一つ一つ確認している。
「どういう…。」
状況に困惑していると、紡が顎で突然現れた謎の女を指して言った。
「そいつがウチの昔馴染み、慶雲寺優菜や。千晶の呪い解いて貰う代わりに、頼みごと引き受けたりしとったんやけど、…なんやかんやで、あいつが巳の陰陽師として目覚めよったから、直接ここまで来てもろたっちゅう訳や。簡単に言うと。」
「は…はぁ。…って、ちょっ…!」
優菜さんは持っていた木箱から、幾つもの謎の道具や薬を取り出し、突然千晶の上半身の服を剥ぎ取った。
慌てて後ろを向く俺に、彼女は作業をしながらまるで世間話をするように話かける。
「のぅ、小僧。お主、わらわが来るまでこの小娘の傍にずっとおった様じゃが、この小娘はお主の恋人か?」
「あ…いや。ちゃいますけど…。」
「そうか…では致し方ない。」
妙な空気を感じ取り、ちらりと後ろを振り返った。
一瞬、目の前の光景にピシリとかたまる。
「な…ななななな何してんねん!!!」
俺の後ろでは、意識のない千晶に優菜さんが口づけをしているという衝撃的な光景が繰り広げられていた。
彼女は唇を千晶から離し、口元を拭いながら言った。
「何を狼狽えておる。解術作用のある薬を飲ませただけじゃよ。嚥下機能が上手く働きそうに無かったのでな。」
「〜!!!」
声にならない叫びを喉の奥で押し殺し、眉間を抑えた。
「んで?効果はどれぐらいで出るんや?」
涼しい顔をした紡さんが、肝心の部分について尋ねる。
「ん?分からん。」
「「はぁ!?」
悪びれもせずあっけらかんと言われた言葉に、俺と紡さんの声がシンクロした。
「ふむ。どうやらこの呪いをかけた術者は、相当な手だれの様じゃ。既存の呪術に独自性を加え、おまけに呪い返し対策までしっかりされておる。助かるかどうかは小娘次第じゃ。…しかし、非常に興味深い術じゃ。術者に一度会って話を聞いてみたいものじゃのう。」
優菜さんは悪そうにニヤリと笑った。
彼女がその表情を浮かべた直後、気がつけば俺は彼女の胸ぐらを掴んでいた。
「なんで…なんでこの状況で、そない無神経な態度でいられるんや!人の命がかかっとんのやぞ!!!」
震える声でそう叫ぶと、優菜さんは笑みをすっと消し、冷たい声で言い放った。
「小僧。わらわのこと、紡から聞かなかったのか?」
「何っ…。」
「わらわは基本的に、己の興味のある物にしか時間は割かぬ。人の生は短い。その割に科学しかり陰陽道しかり、この世の謎は増えるばかりにも関わらず、生きているうちに探究可能な事象数はたかが知れておる。」
優菜さんは俺の腕を引き剥がし、グイッと胸ぐらを掴みかえした。
「わらわはこの小娘にかけられた『呪い』に興味がある。興味の対象がなければ、こんな見ず知らずの小娘を救う理由など、わらわにありはしないのじゃ。」
彼女の目は言っていた。
自分は自分であり、他の何者でも無いと。
下らない一般論を自分に押し付けることに、意味などありはしないのだと。
多角的で集約的な世界を生きる女は、違う世界を生きる人間を、確実に突き放した。




