四十三、遠い昔の物語
「ふぅ…。」
銀色の月明かりが優しく降り注ぐ夜空の下、住み込みで勤務している建物の屋根の上で、1人酒を煽っている者がいた。
その者は一つ小さなため息をつき、手にしていたお猪口を転がさないよう、そっと置いて手を離した。
男物の狩衣を着てはいるが、見る人が見れば、その人物が女であるとすぐに分かった。
「こんなところで1人月見酒とは、随分寂しいことで。」
女が再び酒を呑もうとお猪口に手を伸ばすと、後ろから、聞き慣れたやや軽薄な口調が聞こえた。
女は声の方へ振り返った。
「寂しいかどうかは、お前が決めることじゃないだろう?」
そう言ってやんわりと微笑み、お猪口に新しく酒を注ぐ。
やってきた男はその表情を見て、少しばかり眉間に皺を寄せた。器用に隣の屋根から飛び移ると、女の隣へ腰を下ろす。
「呑みたかったら、お猪口持って出直して来るんだな。生憎1人分しか…って、おい!」
女が言っている矢先、男はお猪口を奪いとり、ニヤリと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
慌てる女の様子を見て、男はケラケラと笑う。
「冗談だって、ほんっとからかいがいのある奴だな。」
男はそう言って、お猪口をそっと置いた。
「っ…もう、勝手にしろ。」
女はごろりと横になると、男に背を向けた。
男は目を細め、その背中を愛おしそうに見つめた後、月を仰ぎ見た。
「お前さ…ことある毎に月見て考え事してるよな。…なんでだ?」
「…さぁな。」
「なんだよそれ。」
女の答えに、男は苦笑する。
「なんとなくだ。深い意味なんて無い。」
「あいつの色してるから、じゃ無いのか?」
男の言葉に、女は一瞬目をかっと見開く。
しかし、すぐに微笑を浮かべ平静を装った。
「ふん…、戯けたことを。」
「嘘付くなよ。」
いつもとは違う低めの落ち着いた声に、女は驚き固まった。
「お前の…そういう曖昧にして誤魔化すところ…見ててすっげーイラつくんだよ。」
後ろから感じる静かな怒りの感情に、女は思わず振り向いた。
男は俯き、拳を震わせていた。
女はそれを見て少しばかり顔を歪めると、再びそっぽを向く。
「…そうなのだろうな。」
女の諦めたような言い方に男の中で何かが弾け、気がつけば男は女の胸ぐらを掴んでいた。
「…。」
女は黙り込み、男から顔を逸らした。
「目…逸らすんじゃねぇよ。そんなだから…お前はっ…!」
女は男の腕に手を添え、そっと自分の元から引き剥がした。
「真っ直ぐ見たところでどうなる?」
女はぼそりと呟いた。
「私はもう、後戻りなどできない。魑魅魍魎を滅し、この都を守護し、紡がれていく新たな時代の礎となる。それが…私の使命だ。」
女は決意するように、ゆっくりと目を閉じた。
「今更そんな感情など、邪魔にしかなるまい。」




