◆第十七話『示された道は』
緑の塔から帰還し、中央広場に戻ってきたのはちょうど陽が中天に差しかかる頃だった。
戦闘時間はそう長くはなかったものの、死闘後とあってか。なによりも先に昼食という意見で全員一致。馴染みの《スカトリーゴ》を目指していたところ、なにやら友人の挑戦者が多く集まっているのが見えてきた。
ヴァネッサ・シビラチームにマキナチームだ。
彼女たちもこちらに気づいたようで席を立っていた。
アッシュは通りから柵越しに客席のほうへと声をかける。
「みんなしてどうしたんだ? って親父もいるのかよ」
話しているうちにディバルが奥側からひょいっと顔を出して手を挙げた。
「お~、アッシュ。未来の娘たちと親睦を深めてたところだ。なんつーか、がさつな息子とは違って華やかでいいな、娘は」
「がさつで悪かったな」
「ま、お前たちが90階に挑むってんで気が気じゃなかったそうだ」
言いながら、ディバルがにやにやと周囲の女性たちを見回した。幾人かが居心地悪そうにする中、とくにシビラとマキナが耳まで赤くし、なんともわかりやすい反応を見せていた。
「……どうだったかは聞くまでもなさそうだね」
ヴァネッサが確信したように口の端を吊り上げながら訊いてきた。ああ、とアッシュは勝ち気な笑みで応じる。
「突破したぜ、緑の塔90階」
おお、と歓声が沸いた。
周囲で聞き耳をたてていた挑戦者もいたようだ。
どんどん伝播し、あっという間にあちこちがざわつきはじめた。
「それにしてもまさか一発で突破するとは……さすがだな、アッシュチーム」
そうしてシビラが驚きとともに感心する中、ルナとラピスがまなじりを下げながら顔を見合わせた。
「というより撤退できなかったんだよね」
「ええ。だからさすがに今回はダメかと思ったわ」
「でも僕たちは助かった! そう、アッシュくんという名の救世主がいたからね!」
レオが芝居染みた動きとともに叫びだした。
さらに集まった周囲の注目を浴びつつ、アッシュは嘆息まじりに言う。
「救世主は大げさだろ」
「大げさじゃないよっ」
クララが即座にそう叫んだ。
「もうほんっっっとすごかったんだよ! なんかもう別人みたいな動きでね、ヒュンヒュンッ! スパァアアンッ! って感じで主をひとりで倒しちゃって!」
興奮気味に身振り手振りで説明しはじめる。とりあえずすごいことだけは伝わったのか、ユインとマキナが唖然としていた。
「90階の主をひとりでですか……」
「アシュたん、やばすぎじゃん……」
「うん、やばすぎたよ!」
小柄な3人組からきらきらと輝くような目を向けられる。なんだか子供に菓子をせびられているような気分だ。
「ひとりっつても取り巻きとセットみたいな奴だったからな。みんながいなかったらまず勝てなかった」
謙遜ではなく、事実だ。
そして仲間だけでなく、この体に流れるブレイブの血のおかげでもある。
「使えたんだな」
ディバルが訊いてきた。
「ああ、なんとかな」
交わした言葉は要領を得ない。
だが、これで充分だった。
「そうか。んじゃ、10等級のが出るまでこれ使っとけ」
有無を言わさずに鞘入りの長剣を投げ渡された。
アッシュは片手で受け取ったそれを横目で見つつ、ディバルを睨みつける。
「これ、どういうつもりだ?」
「10個目まで付けたかったが結局無理だったわ。悪いな」
「そうじゃない。言っただろ、タダじゃ受け取らねぇって」
「んじゃ貸しでいい。俺にはもう必要ないもんだから、いらなくなったら売るなり捨てるなり好きにしてくれ」
返品だけはするなとばかりにディバルが手をひらひらとさせる。
「……もう行くのか?」
「明日の朝には発つつもりだ。ってことだから準備もあるし、俺はそろそろ帰るわ」
近いうちに島を出るとは聞いていたが、思っていた以上に急だった。
ディバルがガマルの腹を指で押して明らかに多めのジュリーを置いたのち、柵を飛び越えて去っていく。
「必ずお見送りにいきますわ、お父様っ!」
そうしてオルヴィの大きな声に見送られる父をよそに、アッシュは店内を見回した。目当てのミルマを見つけるなり歩み寄り、声をかける。
「アイリス、ちょっと待ってくれ」
「なんですか? まさかお祝いの言葉が欲しいなんて言いませんよね」
開口一番から睨まれてしまった。
「まったく考えてなかったが、もらえるならありがたくもらっておくぜ」
「あげません。それでなんの用ですか?」
アイリスの淡々とした問いかけに、アッシュはディバルが去ったほうを見ながら答える。
「ちょっと訊きたいことがある」
◆◆◆◆◆
その日の夜。
多くの者が寝静まるであろう頃。
アッシュはこっそりとログハウスを出て船着場を訪れていた。
桟橋には、こちらに背を向ける格好でひとりの男が座っていた。誰よりも見慣れた背中とあって顔を見るまでも、声を聞くまでもなくその正体がディバルであることはわかった。
ディバルが振り向かずに問いかけてくる。
「なんだ、来たのか」
「来たのか、じゃないだろ。明日の朝に出るとかつまらない嘘つきやがって」
「この歳になるともう涙腺がゆるくなっちまってな。情けない顔を曝したくなかっただけだ。なんたって最愛の息子と別れだからな」
「昔、さっさと俺を置いてどっか行った奴がよく言うぜ」
そう悪態をついたものの、べつに昔のことを恨んでいるわけではない。もともとディバルから近いうちに離れると聞いていたし、なによりひとりで旅をすることに憧れを抱いていた。
ただ、ディバル本人は違ったようだ。
「実はずっと後悔してたことがあってな。お前にもっとべつの道を歩ませてやれたんじゃねぇかって。戦いだけの道じゃない、もっと静かに暮らせるような……そんな平和な道がな」
らしくない言葉だった。
そのせいか、ずっと大きく見えていたディバルの背中が少し小さく見えた。
ずっと追いかけてきた相手だったからか、どこか超人的な印象を抱いてしまっていたが……ディバルも同じ人間であると初めて思い知った。
「小さい頃はそれが当たり前だと思ってたから、疑問の抱きようがなかったってのが正直なところだ。ただ、ブレイブの血だけはずっと受け入れられなかった。どうしてこんな血を持って生まれてきたのか。どうして俺だけが大好きな武器を使えないのかってな」
その件でディバルに当り散らしたことがあった。
思い返すとなんとも恥ずかしい記憶だが、あのときの気持ちは表には出さないものの、心の片隅にずっと残っていた。それがやっと消えたのは……本日のことだ。
「ただ、今回、アイティエルの鎖のおかげだが、剣を使えるようになって初めてわかった。俺が好きな剣は俺だけのものじゃない。俺の剣には歴代のブレイブが……親父が積み上げてきたものが詰まってるんだって」
言いながら、アッシュは借り受けた長剣の柄をぐっと握った。
そして――。
「一度しか言わないぜ」
そう切り出し、継ぐ。
「親父、感謝してる。ほかにどんな選択肢があったとしても、俺は親父が示してくれた道が最高の道だったって思ってる。きっとそれはこれからも、ずっと先も変わらない」
少し前の自分なら恥ずかしくて言えなかった。
ただ、いまは胸を張って言えた。
「はっ……冗談が本当になっちまったじゃねえか」
ディバルが鼻をすするような音を漏らし、腕で顔を拭っていた。いまだこちらに背を向けたままだが、いま、どんな顔をしているのかは容易に想像できる。
「歳だな」
「うるせぇ――っと、迎えが来たみたいだな」
月明かりを反射し、揺れる静かな海に小さな船がぽつんと姿を見せていた。ゆっくりとこちらに向かってきている。
ディバルがすっくと立ち上がり、そばに置いていた荷袋を肩にかけた。
「行く場所は決めてるのか?」
「いや、なにも。ま、次に会うとしたらお前が神を倒したときだな。どっかで噂を耳にするだろうし、エールでも奢りに島に戻ってくる」
「じゃあ近いところにしといたほうがいいぜ」
「俺が遠くに行く前に勝負をつけりゃいい話だ」
ようやく振り返ったディバルが勝ち気な笑みとともに右手の拳を突き出してくる。
「じゃあな」
「ああ」
アッシュは応じて拳を出し、こつんとあわせた。
やがて辿りついた船に乗り込んだディバルは名残惜しむことなく島を発った。
緩やかに小さくなっていく船を見送るため、アッシュは桟橋にしばらく残って海を眺めつづける。
緑の塔のみではあるが、90階を突破し、残すところあと10階となった。ただ、8等級階層から9等級階層への難度の跳ね上がり方からして10等級階層はおそらく想像を絶する強敵が待ち構えていることは間違いないだろう。だが――。
必ず辿りついてみせる。
信頼する仲間。そしてこの身に流れる血が紡いできた技術――ソードオブブレイブとともに。
穏やかな潮風が吹き、波がさざめく中、アッシュは塔の頂を見つめながら長剣を強く握りしめた。





