◆第四話『初めての7等級階層』
翌朝、アッシュは仲間とともに赤の塔61階へとやってきていた。虹色の膜を張った転移門を前に、軽く体をほぐしながら準備をする。
「色々あって後回しになってたけど、ようやくだな」
「どんなところか楽しみだね」
「あんまり強い魔物いなければいいけど……」
「少なくともこれまでより強いのがいるのはたしかだな」
クララを脅すのもほどほどにアッシュは準備を終えた。今回の主武器となるハンマーアックスを背から引き抜き、肩に担ぐ。
「とにかく、ここでなんとか7等級の武器交換石を手に入れたいところだな」
「最悪、買うのも手だけど1個10万ジュリーだしね」
「ほんと、高すぎだよ……」
それだけ高額なものとあって、やはり出にくいのは間違いないだろう。とはいえ、せめて1個は出したいところだ。
「そんじゃ、とりあえず行ってみるか」
アッシュは先陣を切って転移門の中へと踏み入った。
◆◆◆◆◆
白の光がすっと薄れた中、なにより先に飛び込んできたのは淡い赤色の肌を持った大樹たちだった。互いの距離を充分にとってたくましく大地に根を張るそれらはジュラル島の塔を思わせるほどに太く、また高かった。
その頂を見ることはできない。
映り込むのは脇から生えた枝葉ばかりだ。
地面は赤みがかった雑草によって覆われていた。
わずかに流れる風を受けてか、揃って揺れてはささやかな音を鳴らしている。
これまでの暑苦しい赤の階層とは違う。
どちらかといえば緑の階層に近い雰囲気だ。
ふと、砕けた細かい硝子が陽光を反射したような、そんな煌きが視界に映った。それはよく見ればあちこちにもあり、赤の自然を輝かしく彩っている。
現実ではお目にかかれない光景を前にしているからか、まるで夢の中に迷い込んだような気分だ。
「うわぁ……すごぉ……」
「幻想的だね」
クララ、ルナが周囲を見回しながら感嘆の声をもらした、そのとき。どしんどしん、という音とともに地面が大きく揺れはじめた。
うわぁっ、とクララがよろめく中、右前方にそびえる大樹の裏から巨大な影がぬっと出てきた。その影――魔物を見て、全員で顔を引きつらせる。
「えぇ、うそでしょっ」
「はは……これはたまげたね……」
「でかいなんてもんじゃないな」
現れたのは巨大な人型の魔物だった。
人の4、5倍はあったトロルを遥かに凌いでいる。
ちょうどこちらの体が魔物の親指と同程度といったぐらいだ。
塔の特色に応じてか、肌は赤い。
衣服は股間を隠した藁のようなもののみ。
得物はその巨体に見合った両手持ちハンマーだ。
「話には聞いてたが、これが巨人って奴か……っ!」
魔物――巨人が咆哮をあげると、こちらに向かって走りだした。鈍重に見えるが、1歩1歩が大きいこともあって一瞬にして距離を詰められてしまう。振り上げられたハンマーが下ろされる。
魔物は基本的に塔の色に応じた属性攻撃を持っている。そんな中、魔法を撃ちそうにない巨人ができる属性攻撃といえば――。
慌てて後退しようとしていたクララとルナへと、アッシュは思い切り叫ぶ。
「下がるな! 敵の足下に逃げろ!」
こちらの指示を聞くなり、弾かれたように2人は前へと駆けだした。彼女らとともにアッシュは敵の足下へと飛び込む。
ほぼ同時、先ほどまで立っていた地面に敵のハンマーが勢いよく打ちつけられた。地鳴りのような音とともに視界が上下に激しく揺れる。
さらに巨人を囲むように炎が地面から噴き上がった。やはり敵のハンマーは挑戦者が使えるものと同様の性質を持っていたようだ。
後退していたら危うく炎柱に呑み込まれていたところだった。とはいえ、いまも襲いくる熱気も凄まじいもので安堵できる状態ではなかった。
アッシュはそばで苦悶する2人へと指示を出す。
「ピラーが止んだら2人は思いきり離れろ!」
「アッシュは!?」
「俺はこいつの足下で戦う!」
巨人が上体を起こそうとするのにあわせて炎柱が高さを失くし、収まりはじめる。その最中、アッシュは素早く動いて敵の左足の裏まで駆けた。
自分の体よりも大きなくるぶしへと力の限りアックス側を斬りつける。ずしゃっととても肉を斬ったとは思えない重厚感のある音が鳴り、まるでマグマのようにどろっとした血が噴出する。
巨人が悲鳴と思しき声をあげた。
じだんだを踏むように暴れはじめる。
下手に足に近づけば蹴り飛ばされかねない。
アッシュは慌てて距離をとる。
と、敵がこちらの姿を探すように体を曲げて股下を覗き込んできた。黄ばんだ汚らしい歯を剥き出しにしながら得物を振るってくる。ただ、相手にはかなり無理な体勢だったらしく、容易に躱すことができた。
先ほどから矢の刺さる音が幾度も聞こえてきている。
ルナが攻撃を続けてくれているようだ。
しかし、巨人に堪えた様子はいっさい見られない。
「くっ、これは毒弓のほうがよかったかも……!」
トロルもかなり頑丈だったが、巨人はそれをさらに上回るようだ。アッシュは隙を見つけては敵の左足を集中して攻撃し、離脱を繰り返す。
「アッシュくん、下がって!」
クララの声に応じて飛び退いた。
直後、股下を覗いていた巨人の頭部を中心に青い光が明滅した。噴出した霧の中、無数の氷片が荒々しく弾ける。
巨人があまりに大きいため、そのすべてを包み込むことはできなかったが、頭部には充分な損傷を与えたようだ。巨人が左手で顔面を押さえながらよろめきだした。
アッシュはこの隙にと踏まれないように接近。敵の左足の甲へとハンマーを思いきり叩きつける。これまで執拗に攻撃を続けてきた成果か、敵は左膝を折ってそのまま倒れ込んだ。まるで世界が揺れたかのような振動に見舞われる中、アッシュは敵の頭部へと駆ける。
クララは《フロストレイ》、ルナは矢で頭部へとすでに攻撃を開始していた。敵は呻き声をあげながら頭を振ってもがき苦しんでいる。
アッシュはついに頭部付近まで辿りついた。後衛組による攻撃で敵の頭が青白く彩られる中、太い首へとアックスを振り下ろす。1度では切り落とせず、2度、3度と叩きつけるようにして食い込ませ、4度目にして斬り落とすことに成功した。
さすがに人型とあって首を失えば存在していられなかったようだ。巨人は色をなくし、幻想的な背景へと溶け込むように消えていった。
「恐ろしいほどにタフだったね」
歩み寄ってきたルナが疲れたように言った。
先ほどまで巨人がいた空間を眺めながら、アッシュは盛大に息を吐きだす。
「とりあえず膝をつかせればなんとかなるが、それまでが面倒だな」
「さっきの感じだとボクも足に集中したほうがいいかもね。次は膝辺りを狙ってみるよ」
「ああ、それで頼む」
そうしてルナと対応策を話し合っていたとき、「うそー!」とクララの興奮した声が聞こえてきた。彼女の視線を追うと、緑と赤のジュリーが1個ずつ転がっている。
「150も落としてる!」
「たしかに多いけどな」
「倒す手間を考えたら得とは思えないね……」
アッシュはルナとともに渋い顔をする。
まだ1体目とあって無駄な攻撃も多かった。
弱点をつけばもう少し早く倒せるかもしれない。
それでもあのタフさだ。
装備を充分に強化しても乱獲するのは難しいだろう。
「にしても、これで雑魚なんだよな」
会話中にも地面はかすかに揺れていた。
誘われるようにして視線を前方に向ける。
あちこちにそびえるたくさんの大樹。
その間を多くの巨人が歩き回っていた。
幸いこちらには気づいていない。だが、あれらを倒さなければ進めないと思うと、変な笑いが込み上げてきた。
「まったく……ほんと楽しませてくれるな、ここは」





