葛藤ときずな
小山梨沙:ルックスがまあまあ良くて、成績もそこそこ優秀な大学3年生。天真爛漫でとても優しいが、考え込みやすい性格。「ダジャレ、ビール、相撲」の3つが好きで中身がおっさんだと言われることも。すぐに彼氏ができてしまう。(ENFJ)
大森和也:ルックスがまあまあ良くて、成績もそこそこ優秀な男子大学生。淡々とした性格で人によって態度を変えず、正直に物事を言う。クールに見えるが、実はあまりクールではない。梨沙に好意を持つ。(ISTP)
笹岡明音:小学校から大学まで一緒の梨沙の親友。常に冷静で落ち着いている。すぐに彼氏ができる梨沙のことを心配している。(INTJ)
倉本七海:梨沙と明音と大学時代に出会い、仲良くなった。ムードメーカーで明るい性格。すぐに彼氏ができる梨沙のことを羨ましく思っている。(ESFP)
川越雄太:和也の友達。梨沙とは高校が同じで、高校時代に片思いをしていた。盛り上げ役だが、周囲への気遣いができる性格。梨沙への気持ちがまだ残っている。(ESFJ)
松田有希:梨沙と同じクラスの友達。気が利くお姉さん体質で、サバサバしている性格。和也と小中学校が同じだった。(ISTJ)
「ええー!?バカ正直男子、めっちゃアプローチしてるじゃん!!!」
私と七海と明音の3人は久しぶりにファミレスで集まった。七海がいつも通り大声を出すので、私は「しーっ!」と唇に人差し指を当てた。明音はオレンジジュースを飲んで七海を見つめる。
「だってさ、頭をポンポンしてきたり、尊敬してるって言ったり、いつも真顔なのに微笑みかけてきたり…。全ての行動が好きに繋がってるじゃん!意外と積極的なんだ、その男子。」
七海が手でハートを作って声を弾ませる。私は彼女から目を反らし、ボソッと呟いた。
「私も…両思いなんじゃないかなって思っちゃうんだよね。」
「絶対両思いだよ!間違いないって!」
目を輝かせる七海を見て、明音は大きく肩を落とした。
「まったくもう…。絶対なんて言っちゃだめだよ。まだ分からないでしょ?インターン先が一緒になった戦友ってだけかもしれないし。」
「でも、戦友ってだけならそこまで梨沙にしないよ。なんてったって彼はバカ正直男子なんだから!」
七海が口を尖らせるのを無視して、明音が私の方を向き直した。
「ねえ。梨沙はその人を恋愛対象として好きなの?本当に?」
私は少し考えてから、「うん。」と小さく頷いた。
「彼に見つめられると、心臓の鼓動が速くなるし、体温も急上昇するし…。恋のサインが出るんだよね。」
そう言いながら和也くんのことを思い出してしまい、私は水を一気飲みした。
「早く付き合ってほしいけど、バカ正直男子から告白してほしいよね!」
七海が夢見心地で言うので、私は苦笑した。
「なんか告白とかしてこなそうなイメージがある…何となくだけど。」
「もう少し様子見た方が良いと思うし、言われるのを待ってもいいんじゃない?」
いつもと変わらず明音は現実的な発言をする。私が何も言わないでいると、明音が目を細めた。
「もしかして梨沙…もう告白したいって思ってる?」
「わお!そうなの?なら、しちゃいなよ!」
私が目を泳がせると、明音と七海は顔を見合わせた。
「そうなのか…。本当に梨沙は恋愛のスピードが速すぎる。」
「だって、偶然同じインターン先になって出会っちゃったんだもん…。」
小さな声で呟く私を七海は満面の笑みで見つめた。
「好きになるのに理由なんていらないの!今楽しいならそれでいいじゃん!梨沙、ゴーゴー!」
能天気な七海を横目で見ながら、明音がはっきりした声で言った。
「梨沙がそうしたいならそうするしかないだろうけど、どんな答えが来ても受け止めるんだよ。」
「はい…そうします!」
私が頷くと、七海は「告白したら教えてよ!」と私の手を取ってぶんぶん振った。和也くんに私の気持ちを伝える場面を想像するだけで、私の胸の高鳴りは大きくなるのだった。
ついにインターンシップも最終週を迎えた。私は喜びと寂しさが入り混じった不思議な感情を抱きながら、林さんからの説明を受けている。
「最終週はチーム全体で仕事をしてもらいます。みなさんが将来どんな仕事に就くとしても、働く上で大切なことは報告、連絡、相談…つまり、『報連相』を忘れないことです。みなさんにもそれを意識しながら仕事に取り組んで頂きたいと思います。」
「はい!」
私たちが大きな返事をすると、林さんは納得したように頷いた。
「みなさんには、1人の利用者さんの面談から問題解決まで、全てをお任せします。この1週間でその利用者さんに対して、毎日どんなことをするべきか考えながら仕事に取り組んでみてくださいね。利用者さん役は教育支援事業部マネージャーの斎藤が担当します。」
そう言うと、彼女は私たち1人1人にプリントを配布した。そこには私たちが担当する利用者さんの情報が詳細に書いてある。
「では、後はもうみなさんに任せるのでよろしくお願いします。何かあれば言ってくださいね。」
林さんはそれだけ言い残して、部屋を出て行ってしまった。私たちはいつもの定位置に腰を掛けて、話し合いを始める。
「じゃあ、利用者さんの情報をみんなで読んで共通認識を持つようにしようぜ。」
リーダーの雄太が口を開いた。私たち3人が大きく頷くと、彼は紙に書いてある文章を読み始める。
「佐藤太郎さん。35歳男性。アパートで1人暮らし。半年前に鬱を発症して仕事を休職してから妻と娘と別居している。元々は役所で公務員として働いていたが、上司との人間関係が上手くいかずに鬱を発症した。週一で通っている心療内科で薬をもらっていて、少しずつ回復している。1日でも早く職場復帰をしたいと思う反面、また働くことに対して大きな不安を抱えており、今は家に引きこもっていることが多い。もう一度、小1の娘と一緒に暮らしたいと思っている。」
「娘と別居か…辛いだろうな。」
有希ちゃんがボソッと呟く。彼女の横顔があまりにも暗くて私は少し気になってしまう。
「奥さんとは一緒に暮らしたいと思わないのかな?」
和也くんの問いかけに、雄太は「俺もそれ気になったな。」と険しい顔をした。私は立ち上がって、ホワイトボードにみんなの疑問を書き留めることにする。
「役所はどんな職場環境だったのか、どんなことで上司との人間関係の難しさを感じたか、同じ職場でまた働きたいのか、復帰したいと思う気持ちは焦りから来るものなのか、具体的にどんな不安を抱えているのか…。」
雄太が一気に疑問を持ち上げる。私たち3人が目を見張ると、彼は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「俺、就労支援事業部のチーフだからさ。色々思いつくようになったんだよ。」
「そうだよね!雄太、めっちゃすごいよ!」
私が言うと、彼は突然黙り込んだ。私がキョトンとすると、有希ちゃんが「良かったね、雄太くん。」とニヤニヤした。
「あとは、心療内科でどんな薬をもらってるのかも気になるな。」
和也くんがボソッと呟いたので、私は我に返ってメモをした。
「どういう学習方法が好きかも知りたい。職業訓練サービスを利用する可能性も高そうだから。」
有希ちゃんの鋭い指摘もきっちりメモする。あっという間にホワイトボードが文字でいっぱいになった。
「梨沙は?何か気になることあった?」
和也くんが立ち上がってホワイトボードに置いてあるペンを手に取った。どうやら私の代わりに私の疑問を書いてくれるようだ。
「私の疑問は…やっぱり娘さんのことが気になるんだよね。ご両親のこと、どう感じてるのかなって。」
「娘が必ずしも父親に会いたいって思ってるかなんて、そんなの分からないからね。」
有希ちゃんの言葉に私は何度も頷いた。和也くんはホワイトボードの隙間に私の疑問を書いてくれた。
「よし。この疑問を踏まえて、俺が数回に分けて個別面談をする。その間にみんなにはそれぞれの部署で動いてもらいたい。みんな、自分の部署で何ができるか教えてくれないか?」
雄太が尋ねると、有希ちゃんがすぐに声を出した。
「システム開発部では、復職用の職業訓練サービスを全て探しておく。あとは、人間関係の築き方、ストレス対処法についてのサービスも追加で見つけようと思う。」
それに続いて、今度は和也くんが口を開く。
「とりあえず、公務員だった人が復職しやすい企業や職場はどこか調べるよ。」
雄太は「よろしく。」と言うと、私に視線を送ってきた。しばらく考えたものの、何も思い浮かばない。
「えっと…私は…何ができるんだろう。」
私がか細い声で呟くと、3人も黙り込んでしまった。非常に気まずい空気感である。
「これから出てくるんじゃない?梨沙のやること。」
和也くんが言うと、有希ちゃんと雄太も顔を見合わせて頷いてくれた。私はそんな3人の様子を見て、心が軽くなるのを感じた。
「梨沙。俺の面談、手伝ってもらっていいか?聞いた話まとめたり、次の面談で何を聞くべきか考えたり…色々やること多いからさ。」
気を利かせて雄太が仕事を与えてくれた。私が目を輝かせると、彼は白い歯を見せて笑った。
「梨沙は必要な存在なんだから、暗い顔すんなよ。」
「もう…またくさいこと言って。」
私が苦笑すると、有希ちゃんがまたニヤニヤしながら私たちを眺めていた。
「有希ちゃんも何なの、その顔。やめてよ。」
「別に。雄太くんが嬉しそうにしてるから、良かったなって思っただけ。」
すると和也くんがプリントの後ろを見て口を開いた。
「ねえねえ、後ろに計画表があるよ。これから5日間どうやって動くか、ここに書くんだって。」
「あ、本当だ!さすが和也。よく気付くな。」
雄太が叫ぶと、和也くんは彼の方を見ずに話を続けた。
「個別面談をどれくらいの頻度でやるかをまず決めないといけないね。」
「そうだな。紙に佐藤さんの電話番号書いてあるから、俺が電話していつ面談できるかアポ取るよ。たぶん、1週間に3回話せたら良い方だと思うけどな。」
雄太はそう言うと、「俺、就労支援事業部、行ってくるぜ!」とすぐに立ち上がった。雄太が部屋を出ると、有希ちゃんが小さく肩をすくめた。
「本当に雄太くんは思い立ったらすぐに行動する人だよね。感情に任せて生きてる感じ。」
「うん。雄太は高校時代からずっとあんな感じだよ。何も変わってない。」
私が苦笑しながら言うと、和也くんが私の方を向いた。
「雄太と梨沙って、高校時代から結構仲良かったんだっけ?」
意外な質問に私は一瞬固まったが、すぐに答えた。
「まあね。腐れ縁って感じだよ。3年間同じクラスだった上に、行事でもなぜか同じ班になること多くて。」
「なぜか…。」
有希ちゃんが呆れたように呟いたので、私は「え?」と首を傾げた。
「梨沙ちゃん。もうもどかしいからはっきり言うね。雄太くんは梨沙ちゃんに気があるんだよ。」
「雄太が…?」
彼女の言葉に私がキョトンとすると、和也くんが苦笑した。
「梨沙、今まで気づいてなかったの?すごい鈍感じゃん。」
「ちょ…ちょっと2人とも、そんな訳ないって。私たちは今までもずっと友達だったんだし。」
私はどうしても動揺を隠し切れなかった。雄太が私を好きになるなんて、そんなことあるはずがない。
「誰だって気持ちの変化は訪れるもの。雄太くんもきっとそうなったんだよ。」
有希ちゃんがいつもよりも声を張り上げている。私が反応に困ると、和也くんが口を開いた。
「梨沙は雄太のこと、どう思ってるの?」
彼はいつも通りド直球なことを聞いてくる。私は眉を八の字にして小さく呟いた。
「雄太のことは…友達としか思えないよ。」
「そうか…。他に気になる人でもいるのか、いないのか…だね。」
有希ちゃんが意味深なことを言うので、私は目を丸くして彼女を見た。彼女はいたずらっぽく笑って、和也くんに目線を送っている。和也くんを見ると、彼はいつも通り真顔だった。
しばらくすると、雄太が戻ってきてようやく計画表が完成した。私はさっきの会話で変に雄太のことを意識してしまう。
「今日の午後、早速太郎さんと面談できることになった。梨沙と俺は面談に行くから、2人はそれぞれの部署でよろしくな!」
雄太の言葉に私たち3人は大きく頷いた。和也と有希ちゃんが部屋を出ると、私と雄太は2人きりになった。
「面談は…すぐに始まるの?」
私が尋ねると、彼は首を横に振った。
「午後2時からやるよ。昼までに質問シートを完成させておけば大丈夫。」
「そっか…分かった。」
間違いなくぎこちない私の様子に雄太も気づいてしまったようだ。
「梨沙、どうした?何か変だぞ。」
「変!?いやいや、まさか。いつも通りだよ。」
首を激しく横に振ると、ますます怪しまれてしまう。
「何かあったのか?言っちゃえよ、俺と梨沙の仲なんだし。」
「そ…そうだよね、私たちは友達だもんね。」
私が苦笑すると、彼は小さく頷いた。
「何でも言い合える関係だぜ。梨沙といるとめっちゃ居心地いいもん。」
彼の言葉に私の胸がチクッと痛む。私が黙っていると、彼は優しい笑顔を作った。
「前も言ったけど、何かあったらちゃんと言えよ。梨沙には悩んでほしくないからな。」
「うん…雄太、ありがとう。」
私も笑顔を見せると、彼は安心したような表情をする。私の心の中はまだ靄がかかったままだった。
昼食後、いよいよ面談をする時間になった。利用者さん役の斎藤さんは役になり切っていて、表情を暗くしていた。私は後ろに座って、雄太と斎藤さんが向かい合う形になっている。
「佐藤太郎さん。本日はお時間をいただいてありがとうございます。就労支援事業部チーフの川越です。今日から数回お話させていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。」
雄太の丁寧な挨拶に斎藤…いや、佐藤さんも小さく会釈した。
「佐藤さんの1番のご要望としては、できるだけ早く復職を目指すことですかね…?」
「いいえ。違うんです。」
佐藤さんは食い気味で首を横に振る。雄太は少し間をおいて口を開いた。
「そうなんですか。それは失礼いたしました。佐藤さんのご要望を改めて教えて頂いてもよろしいですか?」
「娘と…娘とまた暮らしたいんです。」
佐藤さんの言葉に私は目を丸くした。雄太が傾聴の姿勢に入ると、彼は話を続けた。
「もちろん…難しい要望だということは重々承知しています。でも、やっぱり毎日会いたいし、成長を見守りたいんです。そのためには…やはり働かないといけなくて。じゃないと、妻が会わせてくれないから。」
「そうなんですね。奥様は働いてから会わせるとおっしゃてるんですか?」
雄太の問いかけに、佐藤さんは顔を曇らせた。
「私の妻は鬱を発症した私を軽蔑したんです。男のくせに心を病むなんてみっともないと。お金を家に入れないのなら、一緒に暮らす資格はないとまで言われて、家を追い出されてしまいました。」
私は思わず眉間にシワを寄せてしまう。あまりにも酷い話だ。
「それは…本当にお辛いことですね。どうか奥様のおっしゃったことを真に受けすぎないで下さいね。」
雄太の労いの言葉に佐藤さんはお礼を言った。
「佐藤さんの娘さんと暮らしたいお気持ち、とても伝わってきました。佐藤さんは今、心療内科に通われていて少しずつ回復できている感じですか?」
「はい。朝と夜、不安を感じたときに飲む安定剤をもらっていて。まあ…薬がないとまだ不安ですが。」
「まだ半年という期間しか経っていないので、不安があるのは当然のことのように思いますよ。働かないといけないという気持ちと働けるか不安な気持ちはどれくらいですか?」
雄太が上手く質問すると、佐藤さんは少し考え込んでそれから小さく呟いた。
「50ずつくらいです。きっと、働くことが怖くてたまらなくなっていますね。」
私はようやく佐藤さんの本心が見えてきた気がした。
「佐藤さんが以前働いていたところでは…人間関係が主に難しいところだったんですか?」
雄太の言葉に佐藤さんは大きくため息をついた。
「その話は…したくないです。忘れたいんですよ。」
空気が一気にピリついてしまう。雄太は頷きながら、「分かりました、すみませんね。」と言った。
「あ、そろそろ時間ですね。今日はありがとうございました。次回もどうぞよろしくお願いいたします。」
雄太が立ち上がってお辞儀をしたので、私もそれに続いて礼をした。佐藤さんも深くお辞儀をして、それから部屋を出て行った。
「ふう…めちゃくちゃ緊張した…。」
力なく椅子に腰を下ろす雄太。そんな彼に私は大きな拍手を送った。
「雄太、お疲れ様!すごく良かったよ。優しい話し方で、質問内容も自然だったし。相手の気持ちを引き出してお話できてた。この仕事、向いてると思うよ!」
「ありがとな。梨沙が後ろにいたから安心感があったんだよ。」
雄太はニコッと微笑んだ。私は反応に困ってしまい、すぐに話を戻す。
「それじゃあ、今聞いた話をまとめて2人にも伝えよう。色々な収穫があったからね。」
「よし、あと一仕事頑張りますか!」
私と雄太は部屋を出て、2人が待ってるであろう会議室に向かった。
「2人とも、面談お疲れ。どうだった?」
案の定、有希ちゃんと和也くんが椅子に座ってパソコンを開いていた。有希ちゃんの問いかけに、面談内容を私と雄太で全て説明した。
「なるほどね。半分半分とは言ってたみたいだけど、働く不安の方が大きいんじゃないかな。」
和也くんが分析すると、雄太も大きく頷いた。
「娘さんと暮らしたい、会いたい。そのためには奥さんに言われたことがあるから働かないといけない。でも、今の自分にはまだ働く自信も勇気もない。だからどうすればいいのか分からない…って状況だよな。」
「奥さん、結構酷いこと言うなって思ったよ。佐藤さんにとって1番理解してほしかった存在だろうし。」
肩を落としている私を有希ちゃんが鋭い視線で見た。
「そう?普通じゃない?」
「…え?」
私がキョトンとすると、彼女は小さく息を吐いた。
「働かない人なんて家にいる資格はない。働かぬもの食うべからずって言うでしょ。それに、そもそも娘さんが佐藤さんに会いたいって思っている可能性は低いんじゃない?」
「有希さん。それは流石に言い過ぎじゃないか?」
珍しく雄太が目を吊り上げる。それでも有希ちゃんは話を止めなかった。
「突然離れ離れにされた娘さんはどう感じていると思う?お父さんはもう私のことを嫌いになっちゃったんだ、もう私なんて必要ないんだって絶望してるに決まってるよ。のそのそ父親面して帰ってきたって、そんなの佐藤さんの気持ちが満たされるだけ。子どもが大変な時に傍にいてくれない親なんて…。」
「有希。」
和也くんが太い声を出した。私がふと目をやると、彼は真剣な眼差しで彼女を見ていた。
「利用者さんの話に私情を入れて考えないでよ。」
有希ちゃんはハッとしたように彼を見た。彼女の目に少しずつ涙が溜まっていく。
「いくら何でも、そんな言い方はないだろ。佐藤さんはなりたくて無職になったのか?」
雄太の怒りはマックスに達していた。私は慌てて「雄太、落ち着いて。」と声を掛けたが、もう手遅れだった。
「どうなんだよ、有希さん!佐藤さんは…佐藤さんは自分がなりたくて無職になったのかよ!!!」
その瞬間、有希ちゃんが椅子から立ち上がった。顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
「私は…もうこの件には関わりません。さよなら。」
「有希ちゃん…有希ちゃん、お願い。待ってよ。」
引き止めようとしたが、彼女はそそくさと部屋を出て行ってしまった。私も泣きそうになってしまい、慌てて涙を引っ込める。雄太は放心状態でボーっとしたまま突っ立っていた。
「有希は子どもの頃、お父さんに捨てられたらしいんだよね。」
和也くんが何もなかったかのように口を開く。私と雄太が彼に注目すると、彼は遠くを見るような目で話し始めた。
「俺、今でも覚えてるんだよね。小1の時、いつも強気な有希が大泣きしながら遅刻して来て。クラスのみんなが聞いてるのなんて構わず、『お父さんが家を出て行った、私を嫌いになっちゃった』って大声で泣き叫んでた。それ以来、有希が泣くことはなかったけど、家族の話になるとすごく敏感になるんだよね。」
「そう…だったんだ…。」
私が顔を伏せると、雄太も無言のまま俯いていた。
「前にフランスにファッションデザイナーのおばあちゃんがいるって言ってたじゃん?そのおばあちゃん、父方のおばあちゃんみたいなんだよね。だから本当は、会いに行きたくないんじゃないかな。複雑だと思うよ。」
和也くんの言葉を聞いて、私はハッとした。みんなで海に行った日。有希ちゃんがおばあちゃんの話をしてくれた時、何となく元気がなくなったようなそんな気がしてたんだ。今日利用者さんの話をみんなで読んだ時も、彼女の横顔がとても暗かったのを思い出した。
「私たち…行かないと。」
私は無意識のうちに呟いていた。顔を上げて雄太と和也くんを交互に見る。
「有希ちゃんに会いに行こう。会ってちゃんと話さないと…お互いに。」
私たちはすぐに部屋を飛び出した。もしかしたらまだロッカールームにいるかもしれない。猛ダッシュで向かったが、扉を開けても有希ちゃんの姿はなかった。
「もう帰ったんじゃない?」
和也くんが言うと、雄太が首を大きく横に振った。
「和也。諦めるのはまだ早い。今度はエントランスに行ってみようぜ!」
雄太を先頭に私たちは大慌てで1階に走った。ビルの入口まで行ったが、やはり有希ちゃんの姿が見えない。
「有希ちゃん…帰っちゃったの?」
私は肩で息をしながら呟いた。悔しくて涙が出そうになる。和也くんは真顔で周りを見回しているが、雄太は頭を垂らして「くそ!」と叫んだ。
「仕方がないよ。戻ろう。」
和也くんが呟いたその時!後ろの方からヒールの音が聞こえてきた。私たちがゆっくり振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。
「え?何、どうしたの?」
「有希ちゃん…。」
私はもう涙を我慢できなかった。彼女は怪訝そうな顔で私たちを見つめている。
「有希ちゃん!会えて良かった…!」
思わず彼女に抱き付くと、彼女は少し後ろによろめいた。
「有希さん。良かった…まだいてくれて。」
雄太もそう言うと、有希ちゃんの肩に手を乗せた。
「ちょっと…意味わからないんだけど。まだ社員さんに挨拶もしてないのに帰るわけないじゃん…。」
有希ちゃんの声がだんだん泣き声になっていった。私がハッとして彼女を見ると、彼女の瞳から涙の粒が零れている。
「2人に有希のこと、勝手に話しちゃった。ごめん。」
和也くんが素直に謝ると、有希ちゃんは手の甲で涙を拭った。
「もう…余計なことして。まあ、別に良いんだけど。私が伝えておくべきだっただろうし。」
「俺がごめんだよ。何も知らずに、つい大声出しちゃって…悪かったよ。」
雄太が気まずそうに頭を下げると、彼女はふふっと小さく笑った。
「いいよ。むしろ、怒鳴られて目が覚めた。偏見を持って利用者さんに向き合ってはいけないんだったって。」
ようやく私が彼女から離れると、彼女は話を続けた。
「大学生になってから、私のお父さん帰ってきたの。でも、私は許せなかった。顔を見たいと思ったこともなかったから、むしろ迷惑だった。あんなに辛い思いをさせといて、今更帰ってくるなんて信じられなくて…。」
「有希ちゃん。」
私が名前を呼ぶと、彼女はまた目に涙を溜めたまま私を見る。
「許せなくてもいい。迷惑だって思ってもいいんだよ。そういう気持ちを持つことで、自分を責めないでね。」
「ありがとう…梨沙ちゃん。なんか心が一気に軽くなったわ。」
有希ちゃんは頬に涙を伝わらせながら笑顔を作った。私がまた抱き締めようとすると、彼女はすぐに私から距離を取った。私が「なんでよ、有希ちゃん。」と口を尖らせると、彼女は大きな声を出して笑った。
「有希にはこれからもいてもらわないと困るからさ。システム開発部チーフ、よろしく。」
和也くんの言葉に私と雄太が大きく頷くと、有希ちゃんは敬礼をして「了解。」と微笑んだ。
それから私たちはオフィスに戻っていつも通り帰りの挨拶をしに行った。私は3人の横顔を眺めながら、みんなの顔つきが大人っぽく見えてならなかった。
つづく
次回もお楽しみに♪




