2023年5月、ヴィル・ド・パリ51
リントヴルム姿のゼップの背に乗ってパリに着いたのは日曜の昼過ぎだった。移動そのものは然してかからなかったが、あれもこれもと取捨選択に手間取り出発がなかなか儘ならなかったからである。
ジャッド・ベルサリオの在宅を確かめに折り紙を飛ばしたメイアンを背に乗せたままゼップは絞り出すように言った。
「…私が、所有者に会ってよいものだろうか」
メイアンは即答した。
「や、駄目でしょ」
ゼップは項垂れた。
「ゼップ・フォルラーニは贋作者として顔が売れてしまっている。ゼップ自身が贋作を売り出そうと企んで描いたのではなくてもね。そんな売れた顔でのこのこ絵を持っていったらただ署名を描き換えただけじゃん」
「…私が訪わなくもともそれは変えようがない」
「いいんだよ、このローランサン擬きは一度ローランサンとして世に出てしまったけれど、何度も売買されてはないし、なにより所有者が気に入っている」
ふとメイアンはつんと頭の奥で引っかかるものを感じてゼップに問う。
「ねぇ、どうやって描いたのこの絵」
「む?キャンバスに筆で、だが?」
「そういうことじゃなく。モデル、どうした?」
途端にゼップの口調が苦くなった。
「セルジュが来て、横でやいのやいの言うのを聞いて下描きした。まるで警察官にでもなって、犯人の似顔絵を描かされていたかのようで、思い出すだけでも気分が悪い」
ゼップは肖像画家ではない。仮にモデルがいるものを描いたとしても、ゼップの自由意志で人物を描き出すのであって当該の人物をと乞われて描くものでは無いのだ。
「この女は実は仙だ。猫の仙。人に化けてるから、写真に写らない。セルジュ・デュファイエも知恵を絞ったな」
「猫の仙が人妻やってるのか」
「セルジュの企みの発端ってとこ。ゼップの絵、かなりの枚数が贋作として世に出てるっしょ?それを今回は阻止したんだが、こういう種播きを同時並行に幾つも仕込んでるんだろうな、頭が痛い」
ゼップは唸った。
メイアンはすっと腕を伸ばした。小さな羽搏きがして四十雀が指先にとまる。
「おっ、戻ってきた。午後のお散歩に出るようだ。降りるよ」
「どんな魔法的手段で侵入するのかと思ったら、鍵を持っていたなんて、つまらない落ちだった」
鍵をかけて外に出ると、ゼップは首を振り振り言った。
「千年の仙のような魔法使いなら兎も角、メイアンは未だ未だ百年の雛っ子だぜ、期待されてもなあ」
サン⹀ジェルマン大通りを子供姿のゼップと歩きながらメイアンは笑う。
「その鍵はどうするのだ?」
「えー?ギギに…ふふ、あの絵のモデルに郵送するよ」
「郵送…郵送かあ…」
ゼップはぶつぶつと呟きながら通りを歩く。
「俯いてないで顔を上げなよ。ほら、あそこに老夫婦がいるだろ?今日は天気がいいからセーヌ川の滸まで行くようだ」
メイアンの指した先にはゆっくりと歩く老夫妻がいた。妻はまだ不自由ないようだが、老夫は杖が必要で歩みも遅い。妻はそんな夫を支えるように寄り添っている。
「…あ。そうか、あのご婦人か…」
「あは、流っ石ぁ、目がいいね。猫だなんてわっかんないよね。あの子にはもう少しだけあんな時間が続くといい」
目を細めるメイアンにゼップは言った。
「いきなり絵を…署名を直せと持ち込んで押しかけのように絵を納めるなんてとんでもなく突き抜けている癖に、仁を以て見るのだな」
「おやおや、見直してくれた?」
混ぜ返すように笑うと、ゼップは目を逸らした。
「…わからなくなってきた」
「へっ、他人なんかそうそう理解なんかできないもんだよ。ま、今回メイアンはギギに同情的ってことで」
メイアンはNSRを出すと、忠遠が使っていたヘルメットをゼップに渡した。
「乗れということか?」
「絵の方は一応やっつけた。ベルサリオもセルジュ・デュファイエに連絡を取ったりはしない筈だ。さ、セルジュのオフィスに行くよ」
「…うむ」
「乗り気でない?」
「いや、エヴァの居所を、早く知りたい」
ゼップは歯切れが悪い。メイアンはふむ、と鼻を鳴らして口の端を上げる。
「いい答え」
セルジュ・デュファイエのオフィスには正面から堂々と入った。入口の開閉に気づいてセルジュが目を向けたが、眉根を寄せて首を捻る。
「何故だ」
ずかずか画廊を横切ってセルジュの目の前を通り過ぎ、奥のオフィスへと入り込む。
「一応音漏れは防いであるけど宓かにね。見えないようにしただけさ。この辺りかな?」
事務机の空いているデスクの片方はおそらくギヨーム・キュシェに割り当てられていたのだろう。真っ新ではなく使用感があるのは急な撤退の証拠だ。向かい合わせのデスクは比較的使った形跡が薄い。二人目の従業員がいたことがあるのか怪しいものだ。
そこから少し離して上司然とデスクが置いてある。真鍮製でグリーンシェードのバンカーズランプを物々しく置いたりして、セルジュの虚栄心が透けて見えるようだ。
「しかし決済箱はアンティークというより蚤の市っつーかどっかのガレージセールで買ってきた古びた木箱って感じ。あいつ、美意識持ち合わせてないんじゃない?」
箱の中には郵便物が何通か入っている。多くは請求書で、稀にダイレクトメール。封書の差出人を確認しながら流石にセルジュ自身の個人的な文書は自宅かなと思ったとき、ふと手が止まった。




