第五十七話:出来ないこと
七海が席についたのを見て、珈琲にお湯を注ぐ。ふと目に入ったのは、無意識なのかスマホを手に取り経済ニュースを眺める背中だった。休みの日でも休めない人間の代表みたいに見える。
「七海さん、お仕事ですか?」
綾香ちゃんがパンを七海の前に置く。七海が自然とスマホを閉じ、視線を綾香ちゃんに移す姿にホッとした。
「んや。ニュース見てただけだよ」
その様子に、綾香ちゃんの目が輝く。その気持ちは分かる。俺も朝イチ起きて、珈琲飲みながら経済ニュース読んでるようなカッコいい大人になりたいもんだ。
「といっても、趣味なんだよ。ニュース見るの面白いし」
その姿に、俺も綾香ちゃんも「カッケー!」と言葉が漏れそうになる。そういえば七海、政治行政の学科行ってたし、政治ネタとか経済ネタ語らせたら止まらなかったな。あれ、もしかして趣味なのか?てっきり大学で必要だから調べてるんだと思ってた。
「七海に毎日、重要そうな政治ネタ経済ネタ聞いとけば、大抵のことは周りに置いていかれなくて済むよ」
そう言いながら、俺は淹れた珈琲を七海と綾香ちゃんの前へ持っていく。
「ただし、七海はその手のネタ話しだすと長いから、延々と聞くことになるけどね」
なんせニュースより詳しく話し出す。基本的に自分の思想や支持については話さないから、学生が聞くには忖度のない話が聞けて、いい勉強になる。
「すごい……あ、あの。七海さんは、何ができないんですか?」
俺も紅茶を持って席についたとき、綾香ちゃんが発した言葉に思わず笑ってしまった。昔の俺を見ているようだ。
「うーん。英語?」
短い二文字に、今度は綾香ちゃんがポカンとしていた。俺はずっとツボったまま。英語は何年も勉強してるし、追加で講座だって今も受け続けてるのに、成果が出ないものの一つだ。ちなみに俺は全くできない。
「他にも、国語なら古文漢文できないし、歴史なら日本史ができない。数学はまあ、ところにより。理科は物理かな。綾香ちゃんの身近にある教科書だけでも、実は出来ないものが沢山あるんだよ」
俺がそう言うと、綾香ちゃんの目が一層輝いた気がした。七海が特別に見えるのは、最初から自分には届かない場所の人間だと置くからだ。俺は二十三の時に通信高校に通い始め、その時に初めて七海にも出来ないことがあると知った。正直、それを知ったから焦りや不安を少しは紛らわせることができたし、何よりもっと身近に七海を感じられたんだ。
「俺たちが思うほど、七海は遠くを走ってるわけじゃないんだよ。もっとそばにいるから」
七海は少し照れたように口角を上げ、またスマホに視線を落とした。綾香ちゃんも満足げで、いい一日のスタートが切れた気がした。




