第五十八話:脳裏に焼き付くとき
「どうかした?」
朝食を終え、七海はニュースを確認し終えたのか、スマホを閉じていた。
「ひま」
短く、それでいて子どもっぽく言う姿に、思わず笑いがこぼれた。
「久しぶりに本とか読んだら?」
「仕事は?」とは聞かない。七海がやっていないということは、今は必要ないからだ。
「うーん。集中できない。おもんない」
俺からすれば、七海がいつも読む本っておもんないけどな、と心の中で思う。大抵、自己啓発本とか資格の教材を趣味で見てる。最近は経営の本か。
特に自己啓発本は、自分に酔ってる人間が理想論を語るために読むもんだと思ってた。けど、七海みたいに努力で結果を出す人が読んでいると、すごい本にも見えてくる。結局、その人の立場や努力の所在で見え方が変わるんだ。俺が読んでたら、みんな冷笑するだろう。
「ぽんずと二度寝」
「あのお犬様はこの時間、元気いっぱいでしょ」
「いやだよ」
七海は笑いながら言う。
「その元気いっぱいをかまいに、綾香ちゃんが行ったよ」
朝から元気で大変好ましい。俺には無理だ。
「私には無理」
俺の心を読んだみたいに繰り返す姿に、どこか愛おしさを感じた。
「今日は三時になったら、珈琲また淹れるよ」
俺は昨日揃えておいた冷凍弁当用の食材を使って料理をする。
「昼は余り物出すかも」
それだけ言えば、七海は「へー」と興味なさそうだ。
「いっちゃん、ご飯作れるんだね」
きっと嫌味なんだろうな、なんて思って、俺は頬をかきながら七海を見た。
「ごめん。めんどくさがって。ごめん……今までずっと、全部七海の仕事にして」
そう素直な言葉が出た。出たというより、こぼれ出た。嫌味に対する怒りだとか嫌悪だとかは湧かない。今の俺は分かってるから。それが間違っていたって。
「ん?なに?」
しかし七海は、驚いた顔で言うのだ。
「え?怒ってたりしてないよ?どうした、いっちゃん。ネガティブボーイ?」
「ご飯作れるんだね」と言ったときの表情は、きっと無自覚だったんだろう。
「いや。俺、ちゃんと良い男になるから……もう少しだけでいいから、待ってて」
自分で自分の言葉に、目頭が熱くなる。もっと早く、この言葉を伝えられなかったのだろうか、と。
「もう十分いい男だよ。無理しすぎないんだよ?」
なんともないように微笑む姿が、ただただ俺の脳裏に焼き付いていった。




