第四十三話:当たり前の価値
前回も前書きで書きましたが、今後の更新は月・水・金を基本にしていきます。無理なく続けるためのペース調整です。引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。
目覚めたとき、寝室のドアは開いていた。布団の端に手を伸ばしても、ぽんずの温もりがない。
「ぽんず?」
けだるい体に、重たいまぶた。つらい体に鞭を打って起き上がると、そのまま部屋を出て階段を降りた。
「おはよー」
リビングに入ると、ふわっと良い匂いが鼻に届いた。カウンターキッチンの向こう、IHの前に立つ七海の姿が見える。
「パン? ご飯?」
そんなことを聞く七海に、心底驚いて固まった。慌てて、
「パン」
と返事をする。七海の飯なんて普段から食べられるもんじゃない。ここで「いらない」なんて言ったら大事だ。
「あれ、綾香ちゃんは? ぽんずもいない」
そう言いながらキッチンに向かい、トースターの中が赤くなっているのを見て、すかさず冷蔵庫からバターを出した。
「近所探検してくるんだってー。ぽんず連れて散歩行ったよー」
「へー、元気だね」
なんて言いながら、焼け具合を確認してバターを塗った。熱でじわっと溶けて、香りが立つ。
「はぁ、なんだかなぁ」
朝っぱらから餃子を焼いている七海に、呆れたような顔をされて少しムッとする。
「なに?」
少し不機嫌そうに言えば、七海は苦笑いを浮かべた。
「指示待ち人間のくせに」
冗談ぽく言われて、俺は固まった。そういえば七海が料理してた時代は、「なんか手伝おうか?」ってキッチンに行って聞くのが当たり前だった。普段から料理をしないせいで段取りなんて分からなかったし。
「ごめん」
でも、よく見たら気づけることも多かった。パンにバターを塗るのもそうだ。野菜が転がってれば洗って、どう切ればいいのか聞けばいい。シンクに食器があれば洗えばいい。考えながら料理してくれてるのに、全部聞いて答えを求めていたら――そりゃ自分でやった方が早い。最近になって、やっと気づいた。
「あ、昨日食べ損ねたケーキ、朝ご飯に出さない?」
七海がストックしていたんだろうコストコの餃子を、朝から十二個も焼いている。追加で目玉焼きとウインナーも焼くらしい。冷蔵庫から卵とウインナーを出しているときにそんなことを言われたもんだから、ため息も出ない。
「せめて三時か夜にしろよ……七海は食えても俺も綾香ちゃんも無理」
そう言うと、七海は神妙な顔つきで、
「難儀な胃袋だね」
と返してくる。朝からその量を爆食しないといけない貴方に、そっくりそのままお返しします。
そんな会話のすぐ後に、ピーッとレンジが鳴った。開けてみれば、一合分の冷凍ごはんが温められている。これが朝昼兼用とかじゃなく、朝ご飯なのはバグだろう。
俺はご飯と、冷蔵庫からポン酢を出してテーブルへ持っていく。七海は手際よく皿に盛り付けを続けていて、ちょうどその頃、綾香ちゃんとぽんずが帰ってきて朝ご飯が始まった。
「二人ともそんなんじゃ昼間まで持たないぞー?」
それが持つんですよ。テーブルを挟んで目の前にいる七海に、そんな目線を向けたところで、その考えには到達しないだろう。
「七海さん、朝からすごいですね」
綾香ちゃんは普通に感心しているというか、感動の域みたいな反応だった。綾香ちゃんの皿には、食パン一枚の上に目玉焼きとウインナーがのっている。俺と同じだった。
「七海、普段は朝食べないけど、食べると決めたらガッツリだからね」
俺はトーストから目が離せないまま言った。
昔までは、この風景が俺たちの当たり前だったんだ。朝は食べない俺も、七海がいれば自然と朝ご飯を食べていた。
トースト……食べなきゃだめかな。
そんな考えが浮かぶほどに、次――いつ食べられるかも分からない七海との食事を、思い出として切り取りたい。
当たり前は、いつだって……なくなって初めてその価値を知るんだ。




