第四十話:疑問が晴れる瞬間
家に帰って、俺がぽんずにご飯をあげていた時。
「どうよ、これ」
リビングから、綾香ちゃんと七海の声が弾んで聞こえた。七海がはしゃぐのはいつものことだが、綾香ちゃんまで見て分かるくらいテンションが上がってるのは、回転寿司に入った瞬間以来だ。
「暖かそうです!」
どうやら、モコモコした着ぐるみみたいなパジャマにテンションを上げているらしい。綾香ちゃんはともかく、七海も同じものを買ったみたいだ。
「なに、その目。あげないよ?」
七海の言葉が的外れすぎて、俺はコケそうになった。
「いらないよ……俺もう三十だから……」
言った瞬間、七海がぷっくり頬を膨らませた。
「悪かったね。歳に見合わないもの買って」
「あ、ごめん」
意図が伝わったらしい。俺は苦笑いして、視線を逸らした。
「……あ、俺そろそろ寝る」
二人の楽しそうな姿を眺めてるのも、なんだか違う気がして、そそくさと寝室へ向かう。ぽんずを抱えてベッドに下ろしたタイミングで、スマホが震えた。
「白井?……どうかした?」
画面に表示された名前を見て、そのまま出る。
「あ、山本さん……お疲れ様です」
慌てて出た声はガラガラだった。喉も死ぬほど痛いだろう。俺が苦笑いすると、分かったのか白井も弱々しく笑った。
「この歳になるとしんどいですね……なかなか治らないし」
笑える元気がまだあるなら、よかった。
「綾香ちゃんなら、俺の彼女と楽しくやってるよ」
そう言うと、白井は「そうですか」とぽつりと呟いて黙り込んだ。
「……なんかあった?」
直感が、何かあるって言っていた。
そんなに親しいわけでもない。ズケズケと土足で踏み入るのは良くないと分かっていても、なんだか他人事には思えなかった。
「綾香……育てるの、しんどいっす」
声が裏返る。
「そっか」
俺は天井を見つめたまま、何も言えなかった。
そりゃ多感な年頃だ。それも女の子。男の俺たちが距離を見誤っただけで、地雷不可避だろう。
「俺、バツイチで……嫁さんの連れ子だったんです。綾香は……」
そっか。随分大きい子だもんな。
俺の中での疑問が、一つ晴れた。けど、それなら――嫁さんが親権を持ってるはずじゃないのか。法律なんて詳しくない俺でも、そんな疑問が浮かぶ。
「嫁さん……いつか忘れたけど、突然、離婚届に半分サインして印も押して置いていったんです。それっきり帰ってこなくて」
「親権者欄には嫁さんの名前が書いてなかったんですよね」
力なく笑う声が、やけに乾いて聞こえた。
「養子縁組をしてると、たとえ離婚しても、離縁の手続きを別でしないと……俺の娘のままらしいんですよ」
綾香ちゃんはもう十分大人だ。もうすぐ成人だってする。
でも、血のつながりのある母親は、ある日突然自分を置いていなくなった。――それなのに白井に離縁までされたら、もう身寄りがなくなってしまう。
俺だってそれを考えたら、簡単に手続きなんかできない。
「綾香と初めて会ったの、十三歳ですよ? もう馴染めるわけないじゃないですか。俺、親父だと思われてるかすら怪しいです。家ではほとんど話さないし……他人と住んでる感覚が抜けなくて……俺……」
電話越しに、泣いてるのが分かった。
そりゃそうだ。
七海みたいな性格なら、打ち解けて“家族”っていうより“友達”として付き合えたかもしれない。でも普通の人間に、そんなことできるわけない。
「……彼女も楽しそうだし。しんどいなら、しばらく家で預かるよ。無理すんなよ」
そう言った俺の胸の奥が、チクリ、またチクリと小さな針で刺される。
「すみません……お願いします」
夜も遅いからと早めに切り上げ、俺は膝の上で首を傾げて見つめてくるぽんずの頭を撫でた。




