第三十八話:悲痛な胸の内
「綾香ちゃんはさ、どうしたい?」
ラーメンを食べ終えた七海が、寿司の皿に手を伸ばす。穏やかな表情をしているけど、その奥に裏表があるのかは分からなかった。
「私は……」
そう口ごもる綾香ちゃんを急かすことはしない。七海も俺も、ただ待っていた。回転レーンが動いて寿司が行き来する音が、やけに鮮明に聞こえた。
「みんな、親が大学に通わせてくれるって言うんです。私の周りには、奨学金を借りる人もほとんどいなくて……」
「奨学金って言うと、他の子には驚かれるんです」
そう話す綾香ちゃんに、俺は思わず声が漏れそうになる。国公立だって安くはない。払えないほどじゃない家庭が多いのかもしれないけど――それでも、安くはないはずだ。
「奨学金って……借金なんですよね? 親が出せるわけじゃないのに、借金して大学に行くなら……私の身の丈に合ってないんじゃないかって……思って」
七海は「今どきだな~」と、呆れたように呟いた。
七海は確か、奨学金を六百万近く借りたはずだ。今はもう返済も終わってるし、本業も副業もうまくいってる。節約すれば、数年で返せる――そんな生活をしている。
でも、毎月三万以上の返済がある生活を、みんながみんな続けられるわけじゃない。
俺は初めて七海の借りた額を聞いた時、思わず額面を三度見した記憶がある。
「先生にその話をしたら……国公立行けばいいって言うんです。お金が厳しい子は、何年でも浪人してでも国公立に行くのが普通だって」
その言葉に、俺は鈍器で頭を殴られたみたいな衝撃と、嫌悪が吹き出しそうになる。
本当に金がしんどい家庭が、浪人できるわけない。予備校に通う金もない。生活費をバイトで稼げばいい、なんて言ったら、勉強よりバイトの時間が増えるのが必然だろう。
テレビで特集される子は、みんな頑張ってる。バイトもして予備校にも行って、必死で勉強してる。でも、それが当たり前じゃない。できなければ行くな、というのなら――それこそが暴論だ。
貧乏を経験したことがない人の言葉だ。俺は腹の底から、そう思ってしまった。
「まぁ先生も、悪気があるわけじゃないんだろうけどさ」
七海がぽつりと言う。
「しんどいよね。浪人して次の年受かる保証はない。浪人したって学費を払えるかは分からない。しんどい家庭は、奨学金借りるしかない」
七海の声に、俺はびくりと肩を揺らした。顔を上げると、七海は悲しそうな表情をしていた。
俺は貧乏じゃなかった。普通の家庭だった。――でも、七海の話は俺にとって衝撃だった。
田舎に暮らし、実家で家族四人、七畳一部屋で暮らしてたらしい。壁は土壁で、屋根は今じゃ珍しいトタン屋根。雨が降れば雨漏りするし、古い家だからネズミもゴキブリもよく入ってきたという。
食べ物は実家の両親を頼っていて、米だけは保証されてた。そんな中、父親の転職で中学に上がる頃、やっと人並みの生活ができるようになった――俺はそう聞いて、何も言えなかった。
七海には、綾香ちゃんの気持ちが分かるんだろう。
でも……綾香ちゃんには、七海が見えてない。




