エピローグ1 『紅き復讐姫の英雄譚』
エピローグ1 『紅き復讐姫の英雄譚』
1
「……リリア、入るぞ」
とある晴れの日。
月原紅音は、ARSS U.S.A.本部長であるリリア=ウォーカーに、本部長執務室に呼び出されていた。
「どうぞ、掛けてください」
そう言いながらリリアはジェスチャーでも座ることを勧め、それに従って紅音は革張りのソファーに座る。
そんな紅音にタブレットを差し出しながら、
「紅音さん達から受けた報告を、臨時夜明議会で伝えました。そして、その場で紅音さんは極級に昇格することが決まりました」
「……あぁ、そうか。スポットを潰したら極級になるのか、失念してた」
「紅音さん、地位とか興味無いですもんね。ですが、これで、紅音さんに苦言を呈されることなく敬語を使えます。その点は、良かったです」
「……別に、立場だけの話で言ってたわけではないんだがな」
紅音は苦笑する。
直後、彼女は真剣な表情で、
「……お前のことだ。本当のことも、大体わかってるんだろう?」
「何のことでしょうか?」
リリアは澄ました顔を浮かべて、
「私はただ、スポットの近くに居た記憶喪失のアーベント『ジャック=ムーニー』を拾って、コネを使って適当な戸籍を与えただけです。本部長としては、当然の仕事ですよ」
「……恩に着る。ありがとう」
「このぐらいお互い様です。いつも、色々手伝ってもらってましたから」
リリアはテーブルの上にあったカップを口元まで運び、中身のコーヒーを一口分だけ飲む。
口からカップを離し、テーブルの上に戻すと、リリアは、
「……紅音さんは、これからどうするんですか?」
「……」
「五十年間、紅音さんはアーベントとして戦い続けました。ARSSの通常の規定でも、功績とか関係なく実質的な引退しても問題無い期間です」
「……」
「その上、紅音さんは歴代のアーベントの誰よりも鵺を多く斃し、誰も倒せないほど強い鵺を斃しました。報告書にあった始まりの鵺の言動を聞く限り、世界を……少なくともこの国を救ってくれたと言っても過言ではないです。そんなあなたが引退することに文句を言う人なんて、誰も居ないでしょう」
――だから。
もう紅音には、『復讐』という個人的な動機だけではなく、ARSSのアーベントとしての義務もなくなっていた。
故に、リリアは、
「紅音さんは、これからどうするつもりなんですか?」
リリアは、真剣な表情で再度尋ねる。
それに対して紅音もまた、真剣な表情で、
「……そうだな。もう私は、以前のような生活は送らないだろう」
「……」
リリアは黙る。
黙って、続きの言葉を待つ。
だから、紅音は。
「リリア。一つ、頼まれてくれるか?」
全てを察しているであろう彼女に、あるお願いをした。
それは――。
2
「葉月、大変やったんやなぁ」
とある喫茶店にて。
和洋折衷の服を着ている少女――百鬼円は他人事のようにそう言いながら、クッキーを一つ口の中に放り込む。
円の正面に座る茶髪の少女――雲林院葉月は、どこか遠くを見ながら、
「んー……。大変、って感じはしなかったよ。色んなことがあったけど、紅音さんが守ってくれたしね。本当、紅音さんはカッコよかったし、可愛かった」
「カッコいいはともかく、可愛い……?あの、復讐姫が?」
「そう、紅音さんはカッコよくて可愛いの」
「……まぁ、それは横に置いておくとして、色んなことっていうのは、さっきチラッと話に出てきた人型鵺の周りことなん?」
「そうそう。さっきもちょっと言ったけど、めちゃくちゃ怖い人ばっかだった」
「そりゃ人型でも、数十年級鵺だから怖くて当たり前やろ。ま、自分はそんなのも怖くは――……」
円はそこまで喋りながら、何かに気付いたかのように台詞を途中で止める。
「?円ちゃん、どうしたの?」
「……葉月、あんた、さっき『怖い人ばっか』って言い方したけど、もしかして、少しは怖くない奴も居たん?」
「……」
問われた葉月は視線をテーブルに落とす。
その状態で葉月は、
「……うん、そうだよ。怖くないどころか、優しい人が居た」
「?人じゃなくて、鵺やろ?」
「そうだね」
葉月は小さく頷く。
そして、やはり下を向いたまま、葉月は、
「でも、優しかった。殺し合う相手だって、互いにわかってたけど、彼女は私に優しくしてくれた」
そんな彼女は、自分の話を楽しそうに聞いてくれて。
認識が甘い自分を、心配して叱ってくれた。
だから、多分。
彼女は、友達だった。
……。
「……ごめんね、円ちゃん。変なこと、言っちゃって」
「……良いんちゃう?変なところが葉月の良いところだと思うし」
「ふふ、よくわからないけど、ありがとう」
「どういたしまして」
円は紅茶を口元に運びながら、葉月から顔を逸らす。
そして、
「……そういえば、一つ言い損ねてたことあったわ」
「なに?」
葉月は首を傾げる。
そんな茶髪の少女には目もくれず、『共喰い』の少女は、
「約束、守ってくれてありがとな」
そんな言葉を、口にした。
「――」
葉月は目を見開いて、思い出す。
『何があっても絶対に生きて戻れ』。
そんな約束を、目の前の少女としたことを。
円はそっぽを向いたまま顔を顰めて、
「……あー、こんなん自分のキャラじゃないやん。言わなきゃ良かった」
「ううん、そんなことない。大好きだよ、円ちゃん!」
「恥ずかしいから、そういうこと大声で言うのやめてくれな!?」
―― 二人の少女は、紅茶とオヤツを傍らにお喋りを続ける。
そんな、取り立てて重要ではないけど、大切で幸せな時間だった。
3
スポット消滅から三日後の、ロサンゼルス国際空港にて。
月原紅音は、見知らぬ五歳ぐらいの女の子と向かい合っていた。
「……」
「……ぐす」
その女の子の周りには親らしき人は見えず、思いっきり泣きべそをかいていた。
恐らく……いや、ほぼ確実に迷子だった。
(どうしたものか……)
紅音は取り敢えず近付いてみたものの、どうしていいか分からず固まる。
(……高いところから話しかけられても怖いだろうしな)
紅音は『……こんなこと、以前もあったような』なんてことを考えながら、その場でしゃがみ、迷子の女の子と視線の高さを合わせる。
女の子が驚きで目を丸くし、一瞬泣き止んだところに、紅音は優しい声色で、
「こんなところで泣いてどうした?あなたのお名前は?」
そう尋ねると、女の子は少し気落ちした声で、
「……わたしの名前は、たかどのひぐも。お母さまがどっか行っちゃったの」
そう言うと、その女の子は再び泣き出しそうになるが、紅音の顔に何か気になるところでもあったのか、泣くのを止めて紅音の顔をジッと見つめる。
そして、女の子はちょっと驚いた声で、
「……もしかして、おねえさんって、アーベントさん?」
「そうだぞ。よくわかったな」
「だって、アーベントさんの色はみんなと違うって知ってるもん」
「確かに、そうだな」
紅音は苦笑したように笑う。
白い髪に赤い目……いや、今は片方だけ黒目だが、むしろオッドアイになったことで、見た目の異様さは以前より増しているだろう。
そんな紅音に対して、小さな少女は首を傾げながら、
「アーベントってことは、おねえさんも戦うの?」
「……そうだな。一杯、戦ったな」
「なんで?みんなで仲良くした方が良いのに、なんで戦うの?」
「……」
紅音は少しだけ考えるように黙る。
その後、彼女は小さな女の子に、
「そうしなければ、大切なものを守れないからだ」
半分だけ、嘘の答えを告げた。
なぜなら、彼女にとっての戦いとは、復讐のことだったからだ。
しかし、彼女は、
「私は……いや、私達は、色んな人の大切なものを守るために戦った。……ひぐもちゃんも、大好きな人が居るだろう?」
「うん、お母さまのことが大好き!」
「そうか。それは、良いことだ」
紅音は笑いながら、女の子の頭を撫でる。
「……私達アーベントは、あなたやあなたのお母さんを含む皆を守るために戦っているんだ。……ま、つまりは、世界を守るヒーローってところだな」
紅音は冗談めいた口調でそう口にする。
だが、実際のところ、アーベントとはそこまで綺麗なものではない。
――仕事が危険であるがゆえに報奨金も高く、つまりは金銭欲で戦う者。
――鵺に襲われる人々を守りたいと心から願う、つまりは正義感で戦う者。
――鵺に大事な人を殺された憎悪、つまりは復讐心で戦う者。
それぞれのアーベントが、それぞれの理由で戦っている。
でも、一つだけ確実に言えることは。
例え結果論だとしても、どのアーベントも、最終的には人を助けていることだろう。
それは多分、自分も。
「じゃあ、おねえさんは、ヒーローなの?」
目の前の女の子の瞳が、少し輝く。
お姫様よりも、ヒーローに憧れるタイプの子だったようだ。
だから、紅音は、
「そうだな。そう、かもな」
『そうだったら良いな』と、そんな想いを込めて嘯く。
「わたしも、ヒーローになれるかな……?」
「なれるさ。なろうと、心から思えば。ただ、危ないことは絶対にしないように」
紅音は優しく女の子の頭を撫でると、
「……来たな」
遠くを見つめながらそう呟いて、すくっと立ち上がる。
すると、その方向から、大人の女性が走ってこちらに向かってきていた。
「お母さま!」
小さい女の子は大声を出しながら、その大人の女性――母のもとに走る。
女の子のその後ろ姿に紅音は短く手を振ると、消えるようにしてその場から立ち去った。
「灯雲、あなた、どこ行ってたの!」
「え?おねえさんとお喋りしてたの。ほら、今あそこに……あれ?」
女の子が振り返った先には、さっきまで居た白い女は消え去っていた。
女の子が不思議がっている横で、その母が、
「……遠くからなんとなく見えてたけど、もしかして『白い星』に面倒見てもらってたの?」
「?『白い星』って、なぁに?」
「あの綺麗なお姉さんのことよ。……彼女は、数年に一度、白い髪を煌めかせて街中を車よりも速く走る姿から、街の皆からはそう呼ばれてるの」
「なんで、そんなに速く走るの?」
「それは、街に居る人達を守るためよ。強くて悪い怪物が街のみんなを怪我させないように、白い彼女は流れ星のような速さでその場に駆けつけて、その怪物を退治するの。だから、『白い星』」
「なんかカッコいい……。やっぱり、あのおねえさんって、ヒーローなのかな」
「ふふっ、そうね。私も、そう思うわ。……あなたの面倒も見てくれてたみたいだしね」
母はそう言いながら、娘の手を繋ぐ。
もう、逸れないように。
「……お母さま、わたし、決めた。わたし、大人になったら、アーベントになりたい。アーベントになって、ヒーローになって、みんなを守るの」
「……そう言ってくれるのは頼もしいけど、私としては他の方法でヒーローになって欲しいなぁ」
「?なんで?アーベントってヒーローで、良いことなんでしょ?」
「それは、そうなんだけどね……。なんて説明したら良いかなぁ」
親子は笑いながら、そんな話をする。
そして、その親子は、お喋りをしながら自分達の家に向かって歩き出した。
4
「あ、紅音さん、居た!」
空港のロビーに、少女の元気な声が響く。
紅音はいつもの無表情でそっちの方を向きながら、
「……葉月。本当に、見送りに来てくれたんだな」
「私が紅音さんの見送りに来ないわけない……ってか、行くって通話で言ったじゃないですか!」
「そうなんだけどな」
葉月の勢いの強さに、紅音は苦笑する。
笑いながら紅音は、『この少女は、最初からこうだったな』なんてことを思い出す。
一方、葉月は辺りをキョロキョロ見渡しながら、
「あれ、一騎さんと一緒じゃないんですか?」
「あぁ、一騎なら『人が、こんなにも……!』とか言いながらフラフラとどっか行った。ま、すぐに戻ってくるだろ」
「……彼は野に放たれた犬なんですか……?」
葉月は呆れたように、そう口にする。
……自分にしては、やや当たりが強めな台詞だなと思いながら。
(……多分、嫉妬なんだろうなぁ……)
そして、それは恐らく、初めて遭った時から。
だから、自分は、最初から一騎を敵対視していたのだろう。
……。
「……紅音さん、日本に帰るんですね」
「あぁ、そうだな。やりたいことが、済んだしな」
葉月がちょっと暗くなっていたことに紅音は気付いていたが、触れられたくないことにも気付いていたから、少女が口にした話題に乗る。
「というか、葉月は日本に帰らないのか?てっきり、私達と一緒に帰るものと思ってたんだが」
「最初はそういう予定だったんですけど、リリア本部長に頼んでもう少し滞在することにしました。折角の機会ですし、学べるところは学びきってから帰ろうかなと」
「ほう。葉月は相変わらず熱心だな。正直、感心する」
「おぉ、紅音さんに褒められた、嬉しいです!」
「そうか」
直球な葉月の言葉に紅音は苦笑する。
そんな白い女に対して、茶髪の少女は、
「――紅音さんは、これからどうするんですか?」
五十年掛けた『仕事』を終わらせた先輩に、そんな質問をした。
「……そうだな」
紅音は窓の外を見つめる。
そして、
「……ゆっくりと過ごすつもりだ。勿論、救援要請には応じるだろうが、今までのように積極的に前に出はしないだろう。……まぁ、ほとんど引退だな」
「……」
実質的な、月原紅音の引退。
当然のこととはいえ、葉月は少し寂しく感じてしまう。
だが、紅音の言葉には続きがあった。
「ただ、少しだけARSS内でやってみたいことができてな。それをやっていこうと思う」
紅音はチラリと視線を葉月に戻して、
「リリアに頼んでな。ちょっとした臨時の訓練校を作ってもらうことになって、私はそこで講師をやることにした」
「――」
葉月は目を少し大きく開かせる。
似合わないとは全く思わないが、意外には違いなかったからだ。
そんな少女に対し、紅音は小さく笑いながら、
「……五十年、私はARSSに所属していた。色々あったが、それでも愛着のようなものは湧く。特に、U.S.A.本部にはな」
「……」
「だから、なんというか……私は、死に急いだ生き方になってしまっているアーベント達に死んで欲しくないと思う。……私達は当たり前に受け入れているが、怪物に自ら立ち向かって、そして怪物に殺されて死ぬのは、あんまりだろう」
「……」
「だから、私は講師として『生き残る力』を教えようと思った。……私の生存力は、この五十年で折り紙付きだしな」
紅音はちょっと冗談めいた笑みを浮かべるから、葉月もつられて小さく笑う。
その微笑みを浮かべたまま紅音は、
「要は、『引退したから、それまで溜め込んでいた技術や知識を後輩に教える』というだけの話なんだが……葉月はどう思う?」
「?めちゃくちゃ良いことだと思います。というか、私もどうにかして参加しようと思ったところでした!」
「……そうか」
紅音は嬉しそうに笑みを強くする。
「だが、葉月、お前は駄目だ」
「え、なんでですか?」
すっかり、参加させてもらえると思っていた。
ちょっと悲しくなってる葉月に対して、紅音はどこか誇らしげに、
「だって、お前にはもう、私が教えられる程度のことは教えてある。だから、お前には必要のないことだ」
「――」
「そう考えると、私にとって葉月が初めての相棒であるのと同時に、初めての教え子ということになる。……だから、さっき、お前に『どう思う?』って聞いたんだ」
「……紅音さんにそう言ってもらえるのは、嬉しいです。でも、相棒なんて、そんな大したもんじゃなかったです」
……実際、そうだ。
自分が役に立ったところなど、ほとんど思いつかない。
「葉月、謙虚は美徳とされているが、事実を否定するのは良くないぞ」
紅音は笑いながらも、真剣な声で、
「葉月の固有能力が無ければ、私は二ヶ月近く連続でスポットに滞在できなかった。そのことを考えると、葉月は十分パートナーとしての役目を果たしてくれた。……もし、葉月が一緒に来てくれず、スポット攻略に時間が掛かったら、一騎は他の鵺に殺されていた可能性もある。そのことを考えると、葉月に感謝してもしきれない」
「……!」
「それに、葉月、一度スポットの中で『私の望み』を聞いてくれたことがあっただろう?実は、あれにも助けられてる」
「……え?」
葉月はその時のことを思い出す。
……あの時は確か、自分が小っ恥ずかしい夢を語っただけで、紅音から答えは返ってこなかった。
あれはただの雑談で、そんな助けになるようなことでは……。
そんな風に不思議がる葉月に対し、紅音は淡々と、
「あの時、私は思い出したんだ。私の元々の願望は、『一騎とずっと一緒に居ること』だったなって。そして、縋ってしまった。『一騎がもし生きていたら』なんてことを」
「……」
「だから私は、あの黒い鵺が一騎だと一瞬で気付けたんだと思う。……もし、葉月に、私の本当の望みを思い出させてもらえてなかったら、彼が彼だとすぐには気付かなかったかもしれない」
「……そうなんですか?」
葉月はどこか気弱な声で尋ねる。
だから、紅音はハッキリした声で、
「そうなんだ。だから、ありがとう、葉月。お前のお陰で、私の一番の願望を守ることができた」
「……」
葉月は目を瞑って、少し考えるようにする。
そして、
「――紅音さん、『カタストロフィ』って言葉を知ってますか?」
「……確か、『悲劇的な結末』とか、そういう意味だろう?」
「はい。ですが、語源は『土台をひっくり返す』って意味なんです。そこから『幸せな土台をひっくり返す』に変わって『災害』とか『悲劇』という意味で使われがちなんですが、元々はどっちからどっちにひっくり返すか、決まってないんです」
「……」
「紅音さんが、この五十年間どれだけ辛かったのか、私には想像もつきません。ですが、ひっくり返って良かったと、その手伝いを多少なりともできて良かったと、心の底から思います」
「……そうか」
紅音は嬉しそうな笑みを浮かべる。
それは、茶髪の少女も同じだった。
「……そろそろ、時間だ」
紅音は電光掲示板に示された時刻を見ながらそう言う。
直後、彼女は視線を葉月に戻して、
「繰り返しになるが、ありがとう、葉月。……お前が私の相棒で良かった」
右手を差し出した。
茶髪の少女は二秒ほどその手を見つめると、ゆったりとした動作で右手を差し出し握手をする。
そして、
「こちらこそ、ありがとうございました。……紅音さんに、教えてもらったこと、優しくしてもらったこと、何一つ忘れません」
「……」
「……」
……。
「あの、紅音さん、一ついいですか」
「なんだ?」
「……ARSSを引退しても、私と仲良くしてくれますか?また、一緒に遊んでくれますか?」
「――」
葉月の自信が無さげな言葉に、紅音は一瞬目を丸くする。
直後、彼女は柔らかい笑みに変えて、
「そんなの、当たり前だ。むしろ、私から頼みたいぐらいだ」
「……本当、ですか?」
「本当だ。……ほら、以前、葉月が『東京駅に美味いマフィンの店がある』言ってただろう。お互い日本に居る時、そこのお菓子を一緒に食べようか」
「……はい。是非、そうしましょう」
「あぁ」
紅音はコクリと頷くと、葉月の右手から手を離し、少女を覆うように肩から抱き寄せる。
葉月も、紅音の腰辺りをギュッと抱き締め返すと、二人はパッと離れた。
そして。
「じゃあな、葉月。また、会おう」
「はい、紅音さん。また、会いましょう!」
互いに明るい笑顔で、別れの挨拶を交わした。
「……」
葉月は一人、空港をブラブラ歩く。
(私、意外と泣かなかったなぁ……)
紅音と別れる時、ちょっと泣きそうになったけど、結局泣かなかった。
多分、あの先輩とこれからも会えることがわかっていたからだろう。
「それにしても、二ヶ月かぁ……」
色々あったから長いように感じていたけど、冷静に考えたらそこまで長くないような気がする。
だけど、この二ヶ月は、彼女にとって絶対に忘れられないものになった。
楽しかったことも、悲しかったことも、嬉しかったも。
あの先輩と過ごしたこの二ヶ月は、葉月にとって宝物となった。
――多分、自分は。
この思い出があれば、これからもずっと頑張っていける。
一人の、アーベントとして。
だから。
「私も、がんばろ」
葉月は一人、そう呟いた。
彼女が目撃した、復讐姫の英雄譚。
それを心の奥に秘めさせて。
少女は自分の道を、真っ直ぐ歩き出した。




