第二十一章 最後の戦い
第二十一章 最後の戦い
『私は――』
2034年6月
1
「狂気顕現――――『我が愛憎は、世界を覆う』」
キメラフレーム。
自身が抱える全ての影胞子を燃やして発動する、固有能力の進化にして、アーベントの最終奥義。
そして、月原紅音の固有能力の進化は、至極単純。
『彼女の認識内にある全ての生物の肉体を自由に操る』という操作対象の拡張である。
「……チッ」
しかし、敵であるピースに変化は無い。
紅音のキメラフレームは確かに発動し、ピースを内側から壊そうとはしているものの、他からの直接干渉でどうにかなる『始まりの鵺』ではない。
『既に、他者によって支配下に置かれてるモノは、実力差がかなり離れてない限り、覆せない』
故に、始まりの鵺であるピースには、せいぜい『体が少し重くなる』程度の効果しか発揮しなかった。
(……ま、あたしに対して『体をちょっと重くする』だけでも普通は無理な話なんだけどな)
もし、ここに自分以外の鵺が居たら、百や千居ようとも、瞬く間に内側から斬殺されただろう。
そんな地獄をピースは頭の中で描き、それを作り出せるであろう白い女の方を見ながら、楽しそうにニヤリと笑う。
「――良いな、アンタ。やっぱりたまには対等な……あ?」
鬼女は目を見開いて、台詞を途切れさせる。
なぜなら。
先程まで死に向かっていたジャックの体が、再生し始めていたからだ。
「どういうことだ、これは。あたしは確かにこいつの法臓に一撃ぶち込んだはずだ。なのに、何故――」
「……そうだな。お前は、一騎に致命傷を与えた」
紅音は、真紅の視線を鬼女に向ける。
その視線には、ありったけの憎悪と殺意が込められていた。
「だが、私のキメラフレームは、能力の対象を『私の認識内の生物』に拡張するものだ。つまり、私の認識内に居る仲間を強化できるし回復させることもできる」
「……!?」
「流石に、自分に対しての操作に比べると、精度も出力も落ちるがな。だが、全身を再生させることぐらい、何も問題ない」
ピースが目を見開いて驚いてる間にも、ジャックの再生は進み。
二秒後には、ジャックの体は完治していた。
「……ん?」
意識を取り戻した一騎は、まるで寝起きのように間が抜けた声を発する。
その直後、彼は勢いよく立ち上がりながら――ピースが居ることを思い出したのだ――、紅音の方をチラリと見る。
そして、彼は自分の胸元に手を当てながら、
「……『これ』って、紅音がやってくれたんだよな?」
「ああ」
「……そっか。ありがとう。ところで、もうバレてる?」
「どういたしまして……と言いたいところだが、お前が私を守ってくれたんだし、お互い様だ。……ちなみに、お前のことは、最初からわかってた」
「……そっか」
ジャックは顔を顰めて、小さく頷く。
絶対に、紅音にはバレるわけにはいかなかった。
だが、今は。
「一騎、悪いがその話は後だ。お前は、葉月を頼む」
「……紅音は?」
「……」
紅音はジャックの言葉にはすぐに答えず、視線を前の……ピースの方に向けたまま目を細める。
直後、彼女の背中から、複数の血刀が勢いよく飛び出す。
それも十本なんて数では無い。
百を超える血刀が、まるで噴水のように紅音の背中から射出された。
『彼女の認識内にある全ての生物の肉体を自由に操る』。
その操作対象の拡張は、通常時では十秒しかできなかった血刀の遠隔操作が、無制限に使えることを意味していた。
宙に浮かぶ、百六の刀。
そして、両手の中で形成される二本の刀。
百八の刀を携え、紅音は、
「――アイツを、殺す」
夫と後輩。
紅音とって大事な二人を殺そうとした、そんな『敵』への純粋な殺意と憎悪を、静かに告げた。
「――良いねぇ」
莫大な感情に曝された鬼女は、愉快そうに笑いながら舌舐めずりする。
「確かに、テメェは強い。あたし以外の連中なんて、テメェの足下にも及ばないだろうな」
ピースはそう言うと、パチパチと拍手する、
「流石、『死神』のキメラフレームって言ったところだ。『キメラフレームは世界を作る』って言われちゃいるが、テメェの世界は別格だ」
言葉は月原紅音を褒めるが、目はいつもの通り嘲りの色だ。
「だがな」
なぜなら。
「――何も、『世界』を作れるのはテメェだけじゃねえんだぜ?」
紅音と同等以上のモノを、鬼女は用意できたからだ。
ピースは両手を横に広げる。
そして、
「二重狂気顕現――――」
かつて、ARSSの上級二名から奪った狂気を。
「――――『雷害を纏った聖なる大騎士』」
最悪の形で、融合させた。
直後。
鬼女の周りに、無数の落雷が産まれた。
その落雷は、消えない。
まるで固まった柱のように、その場から絶えず上から下に流れ続ける。
キメラフレーム『顕現する雷害』。
その効果は、『辺り一面に雷を降らせ、使用者は雷の速さで動けるようになる』というもの。
もう一つのキメラフレームは、『聖なる大騎士』。
その効果は、『使用者の体を絶対不可侵の肉体にするのと同時、絶対切断の大剣を創造する』というもの。
――この二つのキメラフレームは、五十年前、始まりの鵺に対して使われたものだ。
しかし、どんなに優秀なキメラフレームでも、始まりの鵺の圧倒的な影胞子量には敵わず、その上級二人は鬼女の法臓『狂気の簒奪』で鵺にされ、そして狂気を盗まれた。
そして、今現在、鬼女はその盗んだキメラフレームを掛け合わせ、しかも彼女の持つ無限の影胞子で発動させた。
そんなのは、もう、一種の災害と同じだ。
どんなモノだろうと、抗うことなどできず、鬼女の『本能』に蹂躙されるだけ。
なのに、鬼女の目の前に立つ『死神』は、
「――だから、どうした」
そう囁くと、両手に持つ二本の刀をゆらりと構える。
直後、彼女の背中から真紅の翼が飛び出すようにして生えた。
自身の移動性能を少しでも上げるためと、刀補充用の『武器庫』にするためだ。
翼を携えた彼女のそんな姿は、
「……お前の御託など、どうでもいい」
まるで天使で、悪魔だった。
百八の刀と一対の翼を携えた紅音は、全身の影胞子を燃やし、そして告げる。
「ただ、私はお前を殺す。それだけだ」
単純明快な、死刑宣告を。
それに対して大剣と雷林を携えたピースは、笑いながらこう返した。
「――テメェら纏めて、ゴミのように殺してやるよ」
――ようやく、始まる。
愛憎と本能。
二つの狂気が織りなす、最後の戦いが。
2
それは、まるで雨のようだった。
百を超す血刀が、まるで豪雨のように鬼女に襲いかかった。
それらに対して鬼女は、周囲に轟かせていた落雷の向きを変えることで、迎撃する。
百の刀に、百の雷。
もし、この衝突が普通の物理法則に則ったものなら、勝負も何もあったものではないが、これはアーベントと鵺の戦い。
百の刀は雷を切り裂き、百の雷は刀を打ち砕く。
そんな破壊的な光景の中で、二人の怪物は、そちらに目もくれず、正面から斬り合う。
「……ッ」
「ハハッ」
紅音が無表情なのに対し、ピースは満面の笑みを浮かべている。
とはいえ、彼我の実力に大して差などない。
ただの、性格上の問題だ。
「……ッ!」
紅音は左の刀で黄金の大剣を抑えながら、右の刀でピースを切り刻もうとする。
直後、鬼女の口から火が放たれるが、紅音はこれを完全に無視した。
(……チッ。死神にこんなの、効かないか)
――ピースの法臓は、アーベントから能力を奪い取るものだ。
そんな鬼女がストックしている能力は、百を優に超えるのだが、
(持ってるキメラフレームはこの二つだけで、残りの能力はザコだ。……まぁ、影胞子を注ぎ込めば一定の効果は出るだろうが、そこに影胞子を使うぐらいなら、二重キメラフレームの方に影胞子回した方が断然良いな)
例えば、こんな風に。
ピースは全身から雷を発し、紅音の全身を焦がす。
その時、一瞬紅音の左手の力が弱まり、ピースの大剣が紅音の左の血刀を弾く。
そのまま鬼女は、紅音の胴を薙ぎ払おうとするが、白い女はピースの腹を蹴り飛ばすことで回避する。
直後、紅音は翼を羽撃かせながら、音速を遥かに超える神速でピースに近付き、二本の刀から数十の斬撃を放つ。
「チッ!」
自身を雷と化したピースは一旦距離を取り、遠くから雷の雨を浴びさせようとする。
だが、それよりも先に、刀の雨がピースに襲いかかった。
「あ!?」
ピースは驚きの声を発する。
なぜなら、死神が作り出した宙を浮く刀は、雷林で全部抑えてたはず――
(いや、違う。これはたった今追加された刀か……!)
紅音が移動するため羽撃いたその時、彼女は更に刀を追加していたのだ。
そのことに鬼女は気付いたが、もう遅い。
襲いくる刀を対処している間に、『死神』はもう目前だ。
「はっ!」
ピースは吐き捨てるように笑う。
直後、目の前の死神に向かって黄金の大剣を全力で振り下ろした。
紅音はそれを両手の刀で受け止めながら、背中から飛び立つ無数の刀をピースに襲わせる。
しかし、鬼女が黙ってそれを見過ごすわけがなく、ピースの体中から発せられた無数の雷が紅音の飛ぶ刀を迎撃する。
「……ッ!」
「ハッ」
紅音とピースは仕切り直すかのように距離を取り、そして全力をもって相手にぶつかる。
彼女達はそれを、空を飛びながら何度も何度も繰り返し、スポットの霧がまるで星空のような輝きを見せる。
光り輝く空の中で、二人の怪物は全力で目の前の敵を殺そうとするが、どちらも相手に致命傷は与えられていない。
細かい傷は与えているのだが、彼女達の再生能力は凄まじく、瞬く間に回復してしまう。
完全な、拮抗状態。
しかし、そんな中ピースは笑みを強める。
なぜなら、
(こうなったら、完全なスタミナ勝負。どっちが先に影胞子を尽きさせるか、そういう戦いになる)
そして、その戦いでは不利なのは――。
(キメラフレームは影胞子の消費が異常に速い。いくら、月原紅音といえど、10分持つかどうかだろう)
一方、ピースは、
(あたしは、このスポットを作り出した『始まりの鵺』だ。あたしは他の有象無象と違って、無限に影胞子を作り出せる)
故に、影胞子のスタミナ勝負でピースが負けることは絶対にありえない。
(もっとも、スタミナ勝負に持ち込まれたことなんて初めてなんだけどな)
――五十年前まで。
ピースは、いつも一方的かつ圧倒的な暴力で人も鵺も殺してきた。
だから、初めてなのだ。
対等に殺し合えることなど、初めてなのだ。
そして、こんな機会なんて二度と訪れないだろう。
だから。
(時間切れなんてつまらねぇ。テメェをぶっ殺して、テメェの血で祝杯を上げてやる!)
――殺す。
目の前の女を、殺す。
下に居る二人も殺す。
そして、この巣から飛び出して、この大陸――いやこの星に居る奴を片っ端から縊り殺す。
全て平等に死ね。
それこそが、この世に許された唯一の平和だ。
「オラァ!」
ピースは雷の雨と大剣の一撃を白い女に振るう。
それを紅音は宙に浮く刀と、両手に持つ二本の刀で軽々しく弾くと、そのまま鬼女の全身に二十を超す斬撃を浴びせる。
それらを受けたピースは全身から黒い血が吹き出すが、鬼女は無視して紅音に雷撃を打ち込む。
すると、紅音の口から少量の血が飛び出した。
それを見たピースは、
(受けた攻撃量は明らかにこっちの方が上なのに、ダメージは大差無しか。つまり、攻撃性能はやや向こうが上に対して、防御性能はややこっちの方が上ってことか)
完全な拮抗状態。
そう見えるが、実際のとこ有利なのはピースだ。
なぜなら、影胞子量に余裕がある自分の方が、焦ることなく確実に死神を削り取ることができるからだ。
そうすれば、死神の急所に、確実に自分の一撃が届く。
つまり、自分の方が有利。
だが、一つだけ警戒しなければいけないことがある。
それは――。
3
(……埒が明かないな)
首、肩、肘、腰、股、膝。
所謂、『生物の構造上、絶対に固められない箇所』に向けて、紅音は両の血刀で一瞬にして斬撃を放つが、瞬く間に再生されてしまう。
(ゼロにやったみたいに、一点集中して削るのも手だが、ピースはゼロに比べて断然素早い。そんな相手に、一点集中で削る余裕は無いだろう)
紅音は後ろから三十を超す雷撃に襲われるが、背中の翼から同じ数の血刀を射出することで相殺する。
(……遠距離の物量勝負も拮抗か。なら、手は一つしかない)
絶対防御だろうが、容赦無く破壊する斬撃――神殺しの血刀なら、間違いなくピースを殺せるだろう。
だが、それも当たればの話だ。
(ゼロ程度の速度なら、問題無く当てれた。だが、私とほぼ同じ速度出すこの鵺に当てるのは簡単じゃないだろう)
それに、恐らくだが、自分と一騎にした不意打ちのタイミングから考えるに、自分とゼロの戦闘を目撃されていた可能性は高い。
なら、ピースは当然、紅音の必殺技を警戒しているだろう。
(あれは何発も撃てる技じゃないし、膨大な影胞子を一瞬で消費する仕様上、発動後の隙がかなり大きい)
つまり、もし外したら、そのまま殺される可能性はかなり高い。
なら、紅音がするべきことは。
(どうにかして、神殺しの血刀を当てる状況を作り出す。なら、そのためにすべきことは――)
紅音は、ピース何度もぶつかり、斬り結びながら考えようとするが、答えは一瞬で見つかった。
(……これしか、ないか)
両の血刀でピースを大剣ごと弾き飛ばし、距離を取る。
そして――。
4
(あ!?)
ピースは内心で驚きの声を上げる。
それは、距離を取ったことではない。
そんなのは、この戦闘中に何度もあったことだ。
問題は、その後だ。
「チッ!」
紅音の刀を受け止めながら、彼女に向かって雷を五発放つ。
それらの雷を、死神は一発も躱さなかった。
(このアマ、防御を捨てやがった……!)
紅音は雷を浴びながら、血刀の雨をピースに浴びせ、大剣の勢いが緩んだところに両手の刀が煌めく。
直後、ピースの全身に斬撃の嵐が襲われた。
「クソがっ!」
ピースは紅音を縦に割るように大剣を振るう。
しかし、紅音はその大剣を刀で受け止めることは無く、少しだけ横にズレる。
直後、紅音の右脚が切断された。
それと同時に、百を超す血刀が一斉にピースの右胸に襲いかかり、まるで獣が齧り付くかのように、鬼女の右胸が腕ごと引き千切られた。
(チッ、これが狙いか……!)
――死神の黒刀による一撃は、リスクが大きい。
故に、死神は、お互いの削り合いを無理矢理加速させ、『互いの動きが悪くなる』ことを狙ったのだ。
あのゼロを斃した黒刀の一撃を、確実に自分に当てるために。
(ムカつくが、有効な手だ。攻撃性能は向こうが上だから、場の主導権は向こうが握りやすい。……攻撃は防御に転じれても、防御は攻撃に転じることはできないからな)
だが、これでは。
(このままじゃマズイな。伊達に、五十年も鵺を殺し続けただけはある。あたしも四十年ぐらいは似たことしてたとはいえ、こと『殺し』に関してはどうも向こうに分が有るみたいだ)
実際、こうしている今も、紅音は刃のように鋭利で純粋な殺意を、真紅の瞳の奥で光らせている。
――五十年。
絶えず、怪物達を斃すことで砥がされ続けた彼女の狂気は、他の追随を許さない。
それが例え、鵺の王が相手だとしても。
(――認めてやるよ。テメェの方が、殺戮能力は上だ)
ピースはあっさりと、『殺しの腕』で負けていることを受け入れる。
なぜなら、
(だが、それで勝敗が決するとは限らねぇんだよなぁ!)
今行っているのは一対一の決闘ではなく、ルール無用の殺し合いなのだから。
ピースは紅音に躊躇いも無く背を向けると、雷の速度で地上に向かって進む。
その先に居るのは――
(雲林院葉月。『死神』のバックアップにして、『死神』の弱点)
『葉月を人質に取って交渉しよう』……なんて面倒なことは考えない。
なぜなら、
(死神の弱みは、身内の死。ジャックの奴が死にかけただけでアレだけ動揺したんだ、雲林院葉月をぶっ殺せば、確実に死神の動きは鈍る)
ならば、ピースがやるべきことは、
(死神に追いつかれる前に、雲林院葉月を殺す。それで弱った死神の首を切り落として、終いだ!)
ピースは舌舐めずりしながら、雲林院葉月に向かって突き進む。
(悪いな、死神。殺す順番を入れ替えちまってよ!!)
しかし、これもある意味当然の結末。
なぜなら、今行っているのは一対一の決闘ではなく、ルール無用の殺し合いなのだからだ。
だから。
ピースが葉月から狙うのも当然であるのと同時に。
名無しの騎士が、鬼女を横から襲いかかるのも当然の話だった。
「!?」
ピースは突然現れた気配――ジャックは姿隠しの法臓を使っていたのだ――の方に視線を向ける。
それと同時に、ジャックの右腕から五万度に達している爆炎が放たれた。
「チッ!」
ピースは舌打ちをしながら無視し、そのまま葉月の元まで進もうとするが、ジャックの炎に当たったピースは横に吹き飛び、葉月から数十メートル離れた地面に墜落する。
ピースは起き上がりながら、
(は!?今の威力はなんだ、今までのジャックの炎の十倍以上は出てたぞ!?)
一体なぜ――
(いや待てよ、死神は確か……)
『私の認識内に居る仲間を強化できるし回復させることもできる。流石に、自分に対しての操作に比べると、精度も出力も落ちるがな』
(クソ、死神からの強化か……!)
もし、いつものジャックの炎だったら、ピースに擦り傷一つつけれなかっただろう。
しかし、死神によって強化されたジャックの炎は、本気を出した始まりの鵺にも届く。
とはいえ、
(こんなの、不意打ちだから喰らっただけ。擦り傷程度にしかならないんだよ、ザコが!)
ピースは地面蹴り、雷速で地上を駆ける。
その進行先に居るのは、雲林院葉月ではない。
もっと鬱陶しく、この五十年殺したかった黒い鵺だ。
「――テメェから死ね」
ピースは黒い鵺の胸に黄金の大剣を突き刺す。
だが、彼女は知らなかった。
とある人型の鵺が死んだ時、その法臓はバラバラに砕け、その飛び散った法臓の一部が悪魔の腕を持つ鵺の元に辿り着いていたのを。
「法臓器動――『黒蠅の主』」
とはいえ、一部だけでは、完全な能力の再現はできない。
しかし、今はそれで十分だった。
(文字通りの影武者か……!)
『影胞子による影武者を作り出す能力』。
それが、ジャックが蝙蝠の鵺から獲得した能力だ。
しかし、ハリボテの影武者を作ったところで、雷の速度で動く鬼女には大した時間稼ぎにならない。
だから。
「灰になれ――」
黒い鵺は、逃げない。
彼は悪魔のような右腕でピースの顔を掴む。
そして、
「――炎壊」
今かつてないほどの、高温の炎流を、鬼女に流し込んだ。
――彼が持つ最強の法臓、『憤怒の獄炎』。
その能力の内容は、『使用者の感情に従い威力が上がる炎』である。
故に、かつてないほどの最高火力。
『とある白い女』を殺そうとする敵に、彼が憎悪を向けないわけないのだから。
「ッ!ナメてんじゃねぇぞぉぉぉぉぉ!!」
とはいえ、相手はあのピースだ。
二つのアーベントの最終奥義を、本来より何倍も出力上げ融合させている彼女からしたら、支援を受けたジャックの全力だろうと、全身を少々焦げ付かせるだけ。
そして、そんなことは百も承知だった。
だから、この全力の炎ですら時間稼ぎ。
そして、その死神は、もう鬼女の背中に迫っていた。
しかし、
(ンなこと気付いてるんだよ、バカが!)
ピースにとって、雲林院葉月もジャックも取るに足らない。
唯一警戒すべきなのは、白き死神ただ一人だ。
そして、もっと言うならば、
(あの黒刀の斬撃。だが、あの技の発動プロセスは一度見て覚えてる。一瞬後には発動できるだろうが、その時にはあたしは離脱して――)
そんなことを考えながら鬼女は振り返るが、彼女のその目論見は外れることになる。
なぜなら、一瞬で作られると思っていた黒刀が、一瞬よりも早い刹那の時間で作られていたからだ。
(!?気力と影胞子を集中させてたあの技を、僅かとはいえどうして以前より早く――)
そこまで考えて、ピースは気付く。
白い女の背中を、茶髪の少女が触れていることに。
(雲林院葉月の『生命奔流』!それで体力を補充させてやがる!)
とはいえ、それで早められた時間は、一瞬にも満たない刹那の時間。
だが、音速を遥かに超えて動く彼女達にとってその時間は、文字通り致命的な時間だった。
「――」
紅音は無言で黒い刀を――神殺しの血刀を振り下ろす。
直後、その刀の先に在る全ての物が消滅した。
しかし、肝心のピースは、
「ハハッ!!」
笑う。
生きて、嘲笑っている。
そんな彼女の左胸は、左腕ごと完璧に失っていた。
『神殺しの血刀』に掠ったとか、そんなのではない。
もし掠っていたのなら、そこから真紅のエネルギーが伝播し、ピースの全身が崩壊している。
つまり、ピースは、当たりそうになっていた左腕を自分から斬り落とすことで回避したのだ。
そして、今。
大技を放った直後で、紅音は隙だらけだった。
「ハッ」」
ピースは嗤いながら、空中で斬られていた右腕を完璧に再生させ、黄金の大剣を上段に構える。
直後、その大剣は、夥しいほどの光を放つ豪雷に包まれた。
「死ね――」
ピースは、その莫大な雷に包まれた黄金の大剣を振りかぶり。
「――雷神の聖撃」
鬼女が放てる最大最強の一撃を、死神に向かって振り下ろした。
直後。
白い女の左肩から腰――つまり心臓を含む身体の左側が吹き飛び、消失した。
……。
…………。
「――殺った」
その結果を見て、ピースは心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべ、心の底から楽しそうな言葉を紡ぐ。
「あぁ、こんな苦労して殺せたのは、生まれて初めてだ!礼を言うぜ、死神。アンタのおかげで、あたしは一生に一度の悦びを――」
しかし、そこで鬼女は台詞を中断させることになる。
なぜなら。
心臓が消滅し、もう死んだはずの月原紅音が。
まるで、何事も無かったかのように、右手の血刀を上段に構えたからだ。
「あ!?」
(何故だ!?どれだけ馬鹿げた力を持とうが、月原紅音は人間、心臓を失って生きている訳がっ……!)
「……」
紅音は、鬼女が抱く疑問に気付いていながらも、一言たりとも答えない。
直後、彼女は、右手の中で創り出す。
今までに無いほどの。
この地に存在した、どんなモノよりも。
莫大かつ濃い殺意が込められた、漆黒の血刀を。
それを見てピースは、先程なんで紅音が死ななかったを理解する。
「テメェ、まさか……!?」
しかし、もう遅い。
今更何に気付いたところで、もう遅い。
「壊れろ――――」
故に紅音は、ピースの反応を全て無視する。
そして、彼女は、
「――――真・神殺しの血刀」
彼女の身に宿る全ての力を使って、黒い血刀を振り下ろした。
直後。
血刀から放たれた莫大な真紅の光によって、斬撃の先に在る全てのモノが、壊れ消え去った。
それは、鬼女――ピースも例外ではない。
彼女の体を纏う豪雷も、彼女の絶対不可侵の肉体も、もう何も無い。
完璧なる、絶命。
こうして、鵺の王は、塵も残さずこの世から消え去った。
5
終わった。
全てが、終わった。
そう、黒い鵺は思った。
「――よっこらせっと」
そんなこと言いながらジャックは、近くの木に寄り掛かり、そのまま座り込む。
その状態で彼は上を見上げると、清々しいほど透き通った青空が広がっていた。
スポットの主である始まりの鵺が死に、スポットが消滅したためだ。
「……五十年ぶりに青空を見た。なんというか……なんだろうな。上手く、言葉にできない」
ジャックは微笑みながら、視線を空から白い女――全身の傷を回復させた月原紅音に移す。
そして、彼は穏やかな顔で、
「俺は、もうすぐ死ぬ。……さっきの戦いで、結構ヤバいのを貰っちまってな」
――先程のピースとの戦い。
そこで、彼はピースに一度接近しており、その時鬼女に炎を浴びせていたのだが、ジャックの方も雷を浴びせられていたのだ。
その雷はジャックの全身のあらゆる箇所を破壊し、法臓にもある程度のダメージを与えていた。
しかし、そのダメージは『ある程度』のものであって、致命傷というわけではない。
鵺なら、再生能力で回復する程度の傷だ。
にも関わらず、ジャックが死にそうになっているのは、ジャック自身に生きる意思が無いからだ。
なぜなら――
「……俺の体は、どこからどう見ても鵺だ。人間社会で生きていけるわけがない。……紅音と一緒に、生きていけるわけがない」
……そう。
彼は、ずっと『それ』を気にしていた。
だから、彼は変身能力を欲しがっていたのだ。
「一騎、それは――」
「……悪い、紅音。最後まで、言わせて」
「……」
「……ありがとう」
紅音が無表情で口を閉じるのに対し、ジャックは微笑みを浮かべる。
そして、彼は口にする。
五十年前に、伝えられなかったことを。
「紅音。もしかしたら、気付いてたかもしれないけど、お前と初めて会った頃の俺は、ずっと死にたがってた」
「……」
「でも、お前と一緒に居る内に、そんなこと思わなくなった。紅音が隣に居るだけで、そんな気持ちは綺麗さっぱり消え去っていた」
「……」
「一緒に居てくれて、ありがとう。ここまで来てくれて、ありがとう。お前のおかげで、俺は幸せだったよ」
「…………」
紅音は目を瞑る。
目を瞑って、ジャックの言葉を噛み締める。
数秒後、紅音はパチリと目を開けると、木に寄り掛かり座っているジャックと視線を合わせるため、彼の側で膝をつく。
そして、彼女は、何でもないような表情を浮かべながら、
「……一騎。私からも、お前に言いたいことがある。今まで、言いそびれていたことだ」
この五十年――いや、もっと長く。
ずっとずっと言いたくて、それでも言えなかった言葉。
彼が何度も、自分に言ってくれた言葉。
そんな言の葉を、彼女は、
「一騎。私はお前を、愛してる」
ようやく、初めて口にして。
愛する男の唇に、深いキスをした。
「……」
「……」
お互いもう、何も言わない。
二人とも目を瞑り、相手だけを感じ取っている。
(……俺には勿体ないぐらいの、最高の最期だ)
黒い男は、そう思う。
だが、そう思っているのは男だけだった。
なぜなら――
「!?!?」
ジャックは驚きで目を開かせる。
なぜなら、口の中に、何か固いモノが押し込まれたからだ。
「っ!?!?」
ジャックは驚きのあまり、反射的に離れようとしてしまうが、紅音はそれを許さない。
白い女は唇を合わせたまま、強引に『それ』をジャックに飲み込ませる。
直後。
ジャックの悪魔のような腕が人の腕へと変わり。
体のあちこちを覆う、赤黒い鱗が消え去った。
「……え?」
ジャック――いや、一騎は、紅音から少し離れると、自分の体を見下ろしながら疑問の声を放つ。
完璧に、昔の、人間だった頃の体だ。
この現象は――
(変身能力……?でも、俺は変身能力の法臓を摂取していない。それに、何故今のタイミングで……)
そこまで考えて。
彼は、ようやく気付いた。
先程自分が、一体何を飲み込まされたのかを。
『身体操作』が、『変身』の代替になり得ることを。
「……いつからだ?」
「何がだ」
目の前の紅音は涼しい顔だ。
そんな彼女に対し、一騎は必死な顔を浮かべながら、こう尋ねた。
「紅音、お前いつから鵺になってた!?」
「……」
紅音は一騎の言葉に、少しだけ嬉しそうに微笑む。
彼の言葉が、自分を心配して出てきたものなのが、明らかだったからだ。
「……いつから、と言われたら今朝からだな」
――朝まで掛かっていた、紅音の『精密作業』。
その内容とは、『心と身体を元に保ったまま、自身の存在を鵺に作り変える』ことだった。
「なっ……!」
一騎は『なんで』と聞きそうになったが、理由は明らか過ぎるほどに明らかだ。
だって、紅音は自分の正体を一目で見破っていて。
自分は紅音に、『変身能力を手に入れるのが一番の目的』と言っていたのだから。
「――正直、俺はあの時の言葉を失言だと思ってた。お前に、正体を勘づかれることになるんじゃないかって。余計な目的を持たせて、戦いの邪魔になるんじゃないかって。でも、こんな選択をお前にさせるなんて、思ってなかった!」
「思ってなくても仕方ない。正直、元の形を保ったまま鵺になるのは、かなり大変だったしな」
「じゃあ、どうして、お前は……!
「決まっている。それが私の一番の願望だからだ」
紅音の言葉に、一騎は目を見開く。
驚く一騎を他所に、紅音は立ち上がりながら、
「――私はお前とずっと一緒に居たい。それが、私が本当に望んていることだったんだ」
それこそが、月原紅音の本当の望み。
この五十年、ずっと夢の中でだけで見ていた、彼女の幻想だった。
「お前は、違うのか?」
紅音は笑いながら、尋ねる。
彼がどう答えてくれるか、わかっていたからだ。
「お前は、私と一緒に居てくれないのか?」
でも、本当はちょっとだけ不安で。
『鵺になった私を、彼は嫌がるかな』なんてことを思ったりしてた。
そして、その紅音の不安は、目の前の男にしっかりと伝わっていた。
「……馬鹿。んなわけねーっての」
一騎は小声でそう呟きながら、立ち上がる。
立ち上がりながら、『相変わらず、紅音は感情が目に出るよなぁ』なんてことを思う。
そして、彼は、目の前に居る彼女を思いっきり抱き締めた。
「――ありがとう、紅音」
何に対する礼か、もう彼にはわからない。
礼を言うべきことが、多過ぎる。
ただ一つ、これだけは言っておきたい。
そう思って彼は、こう呟いた。
「愛してくれて、ありがとう。……俺も、愛してる」
「――」
紅音は何も言わない。
何も言えない。
何も言わず、彼女は泣いて。
彼を、強く抱き締め返した。
「――葉月。悪いが、一つ、頼みがある」
「なんですか?」
葉月はコテリと首を横に倒す。
そんな少女に、白い女は、
「今回、このスポットで起きた出来事。その報告書を書く時に、ジャックの存在と、私と彼の間で起きたことは書かないで欲しいんだ」
「……なんだ、そんなことですか。全然良いですよ」
茶髪の少女は迷わず即答する。
そんな少女に、紅音は困惑しながら、
「……良いのか?」
「むしろ、私が断るかもしれないって思われたのが心外です」
葉月は少しだけ膨れっ面をする。
しかし、それはちょったした冗談だったのか、すぐにいつもの笑顔を浮かべて、
「私、紅音さんが好きです。だから、紅音さんの望みと幸せの邪魔なんて、絶対にしないです」
「――」
紅音は、別の意味で再び目を丸くする。
直後、白い女は柔らかい笑顔で、
「……すまないな、葉月。迷惑をかける」
「私が好きでやることなんで、謝らないでください。ただ、お礼を言って貰えたら嬉しいです!」
「……そっか」
そう頷く紅音は、ほんの少し照れ臭くなったのか、『コホン』とわざとらしく咳払いをする。
そして、紅音は、
「――ありがとう、葉月。恩に着る」
短くも、心を込めたお礼の言葉の口にする。
だから、葉月は、
「どういたしまして、紅音さん」
明るく笑いながら、お礼の言葉を受け取った。
――こうして、五十年に渡る彼女の戦いは、幕を閉じたのだった。
第三部『死闘編』
End




