幕間 ヒトとバケモノ
幕間 ヒトとバケモノ
――とある黒い男の視点――
心は、ヒト。
体は、バケモノ。
そんな存在の居場所など、この世のどこにもありはしない。
1
――五十年前――
「ハァハァ」
――俺の固有能力『冥府の黒犬』は、右腕が黒い獣の頭に変わるだけではない。
といっても、俺も今日までそれだけの能力だと思ってた。
だが、何十もの鵺と戦ってる中で気付いた。
腕の黒い獣が鵺の法臓を食べると、その法臓の能力が使えるようになることに。
「ッ、ハァハァ」
自分の能力の正しい使い方を知ることができたのはプラスだが、それでもこの窮地を覆すことは難しかった。
「……ッ!」
俺は右手の黒い獣の口から炎を放出させ、目の前の蛸型の鵺を焼き殺す。
しかし、左側から迫ってきた豹型の鵺に左脚を食い千切られた。
「クソッ……!」
俺は口汚なく罵ると、右腕の黒い獣を豹型の鵺を噛み付かせ、そのまま豹型の鵺を燃やし尽くす。
「……もう、引きずってすら歩けなくなったか」
――さっきから、もう十体以上の鵺は斃した。
だが、まだ周りには数十に達している鵺の群れが居た。
絶対絶命な、そんな状況。
でも、俺は、
「……考えろ」
考えろ。
諦めずに、考えろ。
どんな手を使ってもいい。
今、この場で生き残ることだけを考えろ。
(……俺が今持ってる能力は、せいぜい黒犬を含めて六個程度。その中でもこの炎の能力はかなり強力だが、この状況を覆せるほどじゃない)
なら、次。
(姿を隠す能力。これは今の状況では最適に近いけど、囲まれている今の状況じゃ逃げられない。視覚以外の感覚で補足されるだけ)
なら、次。
(紐を作り出す能力。これ単体では正直ほぼ使い物にならないけど、敵をこれで纏めて炎で燃やすのはありかもしれない)
だが、それでもこの数の差だと難しいだろう。
だから、次。
(五感が鋭くなる能力。……補助としては有能だし、敵の場所も正確に把握できるけど、やはりこの状況を覆せるほど強力なものじゃない)
なら、次。
(影胞子による精神干渉を防ぐ能力。……正直、幻覚とか厄介な攻撃は全部防ぐだろうが、この能力はニッチ過ぎる。単純な暴力を覆す能力じゃない)
なら、次――。
……いや。
(もう、尽きたか)
自分が持つ六つの能力。
それらの中から可能性を探してみたものの、見つけることはできなかった。
だけど、諦めない。
見つからないのなら、考えて作り出すまで。
(勝利条件と敗北条件を見直せ。そうしなきゃ、思いつくものも思いつかない)
――勝利条件。
それは、ここから生きて帰ること。
そして、『生きて帰る』のに必要なのは、この窮地から脱出することだ。
――敗北条件。
それは、ここで死ぬこと。
そして、『ここで死ぬ』要因になり得るのは、このまま鵺の大群に殺されること。
あと、もう一つは、度重なる濃い影胞子の摂取により、脳を含む肉体が影胞子に侵されて鵺にな――。
(……いや、ちょっと待て)
『鵺になったら、死ぬ』。
それは、本当にそうか?
(鵺になることと死亡がイコールなのは、精神を含んだ肉体が全く別のものに変化するからだ。だけど、もし精神を元のままに保てる手段があるとしたら?)
――俺の能力の一つに、『影胞子による精神干渉を防ぐ』というものがある。
これがもし、外部からの攻撃だけでなく、内側からの変質にも対応してるのだとしたら?
その場合、俺は鵺になっても、心は元のままということにならないか……?
(……試してみる価値はある)
このまま素直に戦って勝つ可能性と、心を保ったまま鵺になれる可能性。
どちらも確率はかなり低いが、後者の方がまだ芽があるだろう。
だから、俺は。
迫り来る何体もの鵺を無視して。
辺りの影胞子を、アーベントとしての限界を超えて強引に取り込んだ。
そうして、俺――月原一騎は、鵺に成った。
2
「……」
俺は脚の爪先で地面を二度ほど叩く。
数十分前まで、敵の鵺によって喪ったはずの左脚でだ。
「……鵺の再生能力は凄まじいな」
そう独り言を溢しながら、俺は右腕に視線を落とす。
そこにあるのは人のそれではなく、赤黒く禍々しい悪魔の腕だった。
「……大きく変化したのが左腕じゃなくて良かった。ブレスレットの方はともかくとして、結婚指輪はやっぱり左手にしときたいからな」
左手はそこら辺に落ちていた手袋を付けている。
紅音とお揃いの指輪と、初めて紅音に贈ってもらったプレゼントを保護するためだ。
「……それにしても、本当に上手く行くとはな」
限界以上の影胞子を取り込んだ俺の体は、黒ずくめの怪人へと変化した。
そのあと、鵺化による力の上昇、及び再生能力の獲得によって、数十の鵺を蹴散らすことができた。
だから、当面の問題は、
「……この姿、だよなぁ……」
ちなみに、心の方は俺のままだ。
むしろ、ビックリするぐらい俺のままで驚いている。
(……鵺の、動物ならなんでも襲う本能は足されちゃってるかもと思ったけど、そんなことも無さそうだしな)
というか、鵺になった後も他の鵺に狙われた辺り、他の鵺からすれば俺はまだ人間らしい。
(俺の脳は人間の頃のままだから、『肉体の全てが鵺へと変貌してないなら、それは鵺じゃない』って判定になるのかな)
とはいえ、人間とも言えない。
人間は、こんな禍々しい腕をしてないし、体が鱗で覆われたりもしないのだから。
「やっぱり、スポットを出たらARSSのアーベントに殺されるよなぁ……」
なら、とりあえず今はスポットに留まるしかなくて、紅音が海の向こう側に居ることを考えると、とりあえず人間の見た目をしていなければ、彼女を一目見ることすら叶わないだろう。
だから、俺がやるべきことは、
「……変身能力だ。変身能力を鵺から奪って、見た目だけでも人の姿に戻るしかない」
とはいえ、それも大変だろう。
なぜなら、そんな都合の良い鵺、このスポットに居るとは限らないからだ。
「……だからって、諦められるか」
俺を衝き動かす行動原理はただ一つ。
『紅音とずっと一緒に居たい』。
ただ、それだけだ。
……。
……なら、まず俺がすべきことは、
「……始まりの鵺を、殺す」
俺はボソリと呟く。
それは、鵺の巣を消滅させることを意味する。
本来なら、一番最後にしなければならない相手。
それでも、『アレ』はなるべく早く殺さなければならない。
そうしなければ、いつか『アレ』によって全人類が殺されるような、そんな予感がするのだ。
だから、
「……『アレ』は危険だ。人も鵺も嗤って殺す『アレ』は、いつかここから飛び出して紅音を殺すかもしれない」
そんなの、絶対に嫌だ。
紅音が死ぬのだけは、絶対に嫌だ。
だから、『アレ』は確実に殺さなければならない。
例え、もう二度と紅音に会えなくなったとしても。
「……」
……それに、あの鵺はみんなの仇だ。
紅音の夫としても、元ARSSのアーベントとしても、始まりの鵺を殺さない理由は無い。
「……行こうか」
考え事にケリをつけた俺は、『姿隠し』の能力を発動させながら移動する。
始まりの鵺を、この手で殺すために。
――結論から言うと、始まりの鵺は殺せなかった。
始まりの鵺と遭遇はできたものの、殺すことは叶わず、戦闘の後、始まりの鵺は行方を晦ませた。
しかし、この地には、面白半分で他者を嬲り殺す怪物がそこら中にいた。
だから、俺は戦った。
戦って、殺した。
まるで、ARSSのアーベントのように。
……。
……『ように』と言っても、ARSSのアーベントと違う点が二つある。
一つ目は、肉体が人のそれでは無いこと。
二つ目は、殺す鵺が変身能力を持っていることを、心の底から願っていたことだ。
「……」
この地に来て一ヶ月。
百ほどの鵺を殺したが、変身能力を持つ鵺は現れなかった。
むしろ、この一ヶ月で何度死にかけたかわからない。
他の鵺から見て俺は鵺ではないかつ、ここにはどこを向いても鵺しか居ないため、俺は常に襲われた。
そして、俺はそれらを軽く流せるほど強くなかった。
『いつ死んでもおかしくない』、そう思い始めた正にその時、丁度スポットに変化が訪れた。
鵺の一部が、スポット外周部の方に向かって行ったのだ。
理由は恐らく、急に巨大な影胞子の塊――恐らく強力なアーベントだ――がこのスポットに出入りするようになったからだ。
(……正直、助かった)
俺は見知らぬ誰かに感謝する。
もっとも、その見知らぬアーベントは、俺と会ったら確実に殺そうとするだろうが。
(……なら、絶対に変身能力を手に入れなきゃな)
そして、いつかその見知らぬアーベントに礼を言って。
俺は、アイツが居る所に帰る。
そう誓い直して、俺は、終わりの見えない殺し合いに、心と身を堕とした。
3
――あれから、五十年経った。
『変わらないものなど何も無い』と、そう言い切ってしまいたくなるほど永い時間だ。
だけど、俺の想いは何一つ変わらなかった。
(……紅音、良い歳のお婆ちゃんになってるんだろうなぁ……)
こうなると、五十年前のあの時、戦友――ベオスコールに手紙を頼んだことが悔やまれる。
まさか、このスポットで生存し続ける可能性なんて思いもしなかったから『他の男を作れ』なんてことを書くよう頼んでしまった。
……変な願掛けなんてせず、思ってもないことを言うんじゃなかった。
(紅音はもう、俺のこと待ってないかもしれない)
例え、手紙のことが無くても、そう考えるのが自然だろう。
だって、五十年だ。
こう言っちゃなんだが、この五十年、逢えない誰かをずっと想い続けている方がおかしい。
そんなことは、重々わかってる。
だけど、
(少しでいいから、俺のことを想ってて欲しいよなぁ……)
俺は根拠なく勝手なことを思う。
……心の片隅でも良い。
片隅で良いから想ってて欲しいと、心からそう思う。
(ってか、それにしてもベオの奴、一度もこのスポットに戻って来なかったな)
最初は『死神』の正体がベオではないかと思ったけど、影胞子の様子が違い過ぎるし、見た連中の話を盗み聞きした限りだと、そもそも女らしい。
ということはつまり、ベオは、
(死んだ、ってことなんだろうな)
『私の手でこの敗北を勝利に変えてみせる』。
彼は、そう語っていた。
そんな彼が戻ってこないということは、そういうことなんだろう。
(……)
俺は目を瞑って黙祷を捧げる。
それはベオに対してだけでなく、この地で死んだ全ての戦友に対してだ。
「……行くか」
俺は、未だ見たことのない『死神』とやらとノブレスが戦っている戦場に歩みを進める。
中央まで辿り着いた『死神』が、どんな奴かを見極めるために。
4
初めて、『死神』の姿をこの目で見た。
この衝撃は、生涯忘れはしないだろう。
5
言いたいことは、山ほどあった。
握手をした時なんかは、そのまま紅音の手を引っ張って、彼女を思いっきり抱き締めそうになった。
だけど、俺はしなかった。
もし、俺が変身能力を手に入れられないまま鵺を全滅させた場合、俺の正体を紅音に知られているのは、都合が悪かったからだ。
とはいえ、変身能力にアテが無いわけじゃない。
アクトレスは特殊な条件付きとはいえ変身能力持ちだし、まだ誰だかわからない始まりの鵺(まぁほぼゼロの奴だろう)が変身能力を持っているのはほぼ確実だからだ。
(……どちらでも構わない。どちらでも構わないが、絶対に手に入れてやる)
俺は胸の内でそう考える。
だけど、それより優先すべきなのは、
(紅音の安全。俺なんかより全然強いのはわかってるけど、万が一でも怪我して欲しくない)
……考えたくはないが、ここには命の危険が一杯ある。
そのことを踏まえると、紅音と同盟を組めれたのは運が良かった。
(あとは、雲林院葉月。紅音はあの子のことを大切そうに語ってた。なら、絶対に傷つかせるわけにはいかないな)
そんなことを一人考えながら俺は、樹に寄り掛かって目を閉じる。
目を閉じて、深い眠りに落ちて行った。
いつものように五十年以上前のことを思い返すのではなく。
今日の出来事を、思い返しながら。
――雲林院葉月と居る時に、アクトレスに襲われたのは正直焦った。
アクトレスの能力は、『任意の相手の記憶を読み取って、その相手にとって一番愛しい人に変身する』というものだ。
決して幻覚能力ではなく――俺に精神へ作用する攻撃は効かない――、実体を伴った変身だ。
だから、そのアクトレスが紅音の姿になっているところを、雲林院に見られたのはかなり不味かった。
だが、その場で咄嗟に思いついた『見た人によって別のものが見える幻覚能力』って嘘で誤魔化せたのは運が良かった。
アクトレスもアクトレスで、俺が何を隠したいのかに気付いていながら、そのことを訂正しなかったのも幸いだった。
恐らく『一番知られたくない人物』もバレていただろうから、雲林院に伝えることは大して脅しにならないと思ったのだろう。
実際、そうだった。
雲林院から紅音に伝わるのを恐れているだけで、雲林院自体には知られるのはそんなに問題無かった。
ただ、黙って貰えるよう説得できるかどうか難しく、例え説得できたとしても、『変身能力が手に入れられないまま鵺が全滅』という事態になった時、少女に『秘密という重荷』を背負わせることになること考えると、なるべく雲林院にも知られたくないのも確かだった。
だが、幸いにして、雲林院に俺の正体を知られることはなく、アクトレスを斃すことができた。
ただ、念願の変身能力は、またもや手に入らなかった。
――雲林院葉月に『始まりの鵺』と疑われた時には、渡りに船だと思った。
もうこの地の鵺は、俺以外ではもう一体……ゼロしか居なく、つまり、本当の始まりの鵺はゼロの方だ。
しかし、理由はわからないが、雲林院は、俺が始まりの鵺だと疑っている。
……この勘違いは、都合が良かった。
なぜなら、今、ゼロは紅音と戦っており、ここから感じ取れる影胞子の気配からして、ゼロは紅音によって斃されるのは確定的だからだ。
……。
……多分、今から移動しても、始まりの鵺が死ぬ所には間に合わない。
それは、つまり、俺はもう人の姿には戻れないことを意味していた。
(……こう、なったか)
心はヒト。
しかし、体はバケモノ。
そんな存在の生存など、この世のどこにも許されていない。
人の世界では、尚更だろう。
……。
(……よし)
雲林院を抱えて、俺はアイツのもとに向かって走る。
俺が俺だと知らない、アイツの元へと。
……。
……覚悟はもう決まってる。
心残りがないわけじゃない。
悔しさがないわけじゃない。
だけど、俺の心はあたたかいもので満ちていた。
だって。
例え、俺のことがわからなくても。
例え、『ずっと一緒に居たい』という願望が叶わないのだとしても。
『一目で良いから、もう一度逢いたい』という願いは、確かに叶ったのだから。
――とある白い女の視点――
例え、どんな風に変わっても。
人じゃ、なくなったのだとしても。
私がお前を、わからないわけないだろうが。




