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第二十章 どんなことが起きても、何があっても

 

第二十章 どんなことが起きても、何があっても



『なぁ、紅音って、俺のことどう思ってる?』


『……急に、どうした』


『ほら、俺が紅音のことをどう思ってるかを言ってても、紅音の口からは聞いたことないなーって』


『……私がお前をどう思ってるかぐらい、言わなくてもわかるだろ』


『そうなんだけどさ、紅音の口から直接聞きたいなって思って』


『……そうか。じゃあ、いつかな』




 2034年6月


 0


 ――アーベントとは、影胞子に適性がある故に、影胞子に侵されても鵺にならず特殊能力を得た人のことを指す。

 しかし、そんなアーベントも鵺になることがある。

 いくら適性があるといっても限度があり、どんなアーベントだろうが、ある一定以上の影胞子に侵食されたら鵺になってしまう。

 そうして生まれた鵺は、アーベントの能力を引き継ぎ、心と共に技は失われているものの、単純な影胞子量と出力では宿主の1.5倍から2倍にまで膨れ上がってしまう。

 そういう鵺は年級に強さを縛られず、素体の優秀さによっては数十年の差さえも容易く覆す。

 そして。


 そういう鵺が、このスポットには複数居た。



 1


『カンカン』と。

 何かと何かがぶつかる音が高く響く。

 その音は剣戟と呼ばれる種類の音で。

 白い女が持つ血刀と、黄金の鵺が持つ大剣によって奏でられている音だった。


「――!」


 黄金の鵺――ゼロは、金色に輝く大剣を全力で振り下ろす。

 その剣は、彼の法臓『明星の大騎士(ルキフェル)』によって作られたものであり、『()()()()()()()()()()()()()()()』という恐るべき効果が秘められていた。

 しかし、その黄金の大剣を白い女――月原紅音は、まるで普通の刀剣を相手にするかのように二本の血刀で受け止め、そして弾くようにして押し返した。


「……チッ」


 ゼロは自分の大剣を見て顰め面をする。

 なぜなら、全てを切断する己の剣に、刃毀れが生じていたからだ。


(……『死神』の能力は身体操作能力だったか。こんなふざけた固有能力があって――)


 ゼロがそんなことを考えている最中も、紅音の両の腕は止まることなく、二本の血刀が無数の斬撃となってゼロを襲う。

 しかし、


「言ったであろう。いくら我に攻撃しても無駄だった」


 ――月原紅音は今まで、どんな鵺だろうと二本の赤い刀で斬り刻んできた。

 だが、黄金の鵺の五体は無事だ。

 なぜなら、彼の肉体は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――ゼロの法臓、『明星の大騎士(ルキフェル)』。

 その効果は、『全身を何物にも干渉されない無敵の肉体に変化させかつ、万物を切り裂く大剣を作り出す』というものである。


「――」


 にも関わらず、紅音は攻撃をやめない。

 前後左右に上と下。

 紅音は音を超えた神速で移動し、ありとあらゆる角度から斬撃の嵐をゼロに浴びせる。

 どんな鵺だろうと斬り刻んできたそれらの斬撃でも、ゼロを切断することはできない。

 しかし、


(我は、『明星の大騎士(こののうりょく)』で負けたことはおろか、傷を負ったことさえない。……少なくも今までは)


 斬撃の嵐の中、ゼロは大剣を振るい『死神』の動きを牽制しながら、自身の胸元をチラリと見る。

 そこには、白い女によって付けられた無数の擦り傷が存在していた。


「……」


 ゼロは大剣を横向きに薙ぎ払いながら、胸元……いや、全身に生じた擦り傷を再生させる。

 鵺ならば、誰でも持つ再生能力。

 しかし、自分が再生能力を使ったのは、生まれて初めてのことだった。


(……我の肉体は完全なる不可侵領域。擦り傷とはいえ、傷をつけることなど本来不可能なことだ)


 その上、『死神』の刀は、自分の『全てを切断する大剣』によって斬られることもなく、反対に斬り込みを入れてきた。

 それらのことから考えるに恐らく、目の前の『死神』は、


(こいつは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()())


 だから、ゼロでも紅音の刀を斬ることができなかった。

 同じ『全てを切断する剣』がぶつかりあった時、月原紅音の刀の方が出力……影胞子のエネルギー量が上回っていたため、自分の大剣の方が刃毀れを起こした。

 そして、同じように『絶対切断の刀』と『絶対防御の肉体』がぶつかりあった時も、出力が高い紅音の刀の方が競り勝ち、自分の肉体に擦り傷を負う羽目になってしまった。

 だが、そもそも。


(そんなこと、尋常ではない。アーベントだろうが鵺だろうが、曖昧で自由度が高い能力はその反面、我の『明星の大騎士(ルキフェル)』のような絶対的な概念を振るうことができないはずだ)


 しかし、今も紅音の刀はゼロの剣と肉体の無数の傷をつける。

 あり得ないことが、今の目の前で起きている。


(だが実際、目の前の死神は『概念』を付与した武器を創造し、あまつさえ最強の鵺(われ)を上回るほどの影胞子量を励起させている)


 ならば、そこには何かしらのカラクリがあるはすだ。

 ()()()()()()()()()()()()()


(こんな人間が何人も居れば根本的な解決をしなければいけないが、こんな例はこの世で一人二人居るかどうかのレベル。なら、解明などわざわざ面倒なことしなくても、対処療法のように今この場で殺せばそれでいい)


 そんな風に考えながらもゼロは大剣で斜めに剣を振り下ろすが、死神は左の刀でそれを受け止め、右の刀でゼロの胸を突き刺す。

 直後、ゼロは、


「……獲った」


 不可侵の肉体を保ったまま、黄金の大剣を一瞬にして消滅させた。


「……!」


 左の血刀に掛かっていた抵抗が急に失われたため、死神は僅かにつんのめかける。

 その直後、ゼロは右手の中に再び黄金の大剣を創造し、そのまま意趣返しのように死神の心臓に向けて突き刺す。

 その結果、


「……躱されたか」


「……」


 ゼロの胸には、死神の刺突により一センチほどの深さの擦り傷が生じている。

 それに対し死神は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「――」


 紅音は自身の傷になど目にくれず、すぐさまゼロの背後に移動し、二本の刀を振りかぶる。

 その時には既に肩の傷は完璧に癒えており、次の瞬間には二十を越す斬撃をゼロの背中に浴びぜていた。

 にも関わらず、ゼロは笑みを浮かべる。

 なぜなら、


(死神の防御力はそこまで高くない。無論、我以外の存在からは何もダメージを与えられないぐらいはあるだろうが、我の『絶対切断の大剣』を防ぐほどではない)


 しかし、どんなに重い傷を負わせようが、今のように『血躯操作(オペレートブラッド)』により瞬く間に再生され、跡形も無く消える。

 とはいえ、月原紅音がいくら凄まじい回復能力を持っていようが、あくまでも人間だ。

 弱点の多さは、鵺の比ではない。


(頭に首に、そして心臓。人間は弱点が多過ぎる)


 そして、そこを一撃で破壊すれば、再生する前に殺すことも可能。

 だから、この戦いは、


(我の方が圧倒的に有利。死神から擦り傷をいくら負わされようがそんなのは簡単に再生でき、我の法臓まで決して届かない。逆に我の剣が死神の急所を突ければそこで殺すことも可能!)


 故に、自分が負けることはない。

 いくら死神が神速で動こうとも、いつかは己の剣が死神の急所を捉えるだろう。

 ……ただ。

 一つだけ、不安材料があるとすれば――。




 2



「――あなたが、始まりの鵺だったんですか?」


 森の奥深くにて。

 葉月は、目の前の鵺に向かって、そう尋ねた。


「……」


 ジャックは手袋に包まれた左手を顎に当て、少し考えるようにする。

 直後、彼はこう尋ね返した。


()()()()()()()()()()()?」


「……!」


『どうして、そう思ったか』ではなく、『どうして、それがわかったか』。

 彼のその質問は、葉月の問いへの遠回しな回答だった。


「……そんなの、答えるわけないじゃないですか」


「それもそうだな」


 ジャックは葉月の言葉に軽く頷くと、悪魔のような右腕を茶髪の少女に向ける。

 そして、


「……この後どうなるかぐらい、言わなくてもわかるな?」


「――」


 ……先程、アクトレスとの戦いで、ジャックは自分を命懸けで守ってくれた。

 だが、よく考えてみると変な話なのだ。

 守ってくれること自体はわかる。

 先輩が言っていた通り、自分達とジャックの間には利害関係があったからだ。

 でも、『命懸け』となると話が別だ。


(ジャックとの同盟内容は、『他の鵺全てを殺すまで、互いに邪魔をしないこと』。言ってしまえば、その程度の利しか無いのに、私を命懸けで守るのはいくらなんでも割に合わな過ぎる)


 だから、それ以外の理由があると考えるのが妥当で、その本当の目的とは――。


「……紅音さんに対する、人質というわけですか」


「そうだ。理解が早くて助かる」


「……」


 葉月はズボンのポケットをチラリと見る。

 そこには、サバイバルナイフが収納されていた。


(足手纏いになるくらいならいっそ――)


「意外、だな」


「え?」


 ジャックの言葉に葉月の思考が遮られる。


「表情を見れば大体お前が何を考えてるのかわかるが……、お前は『死神』を信じ切ってるとばかり思ってた」


「……どういうことですか?」


 まるで自分が先輩を信じてないようなジャックの言い草に、葉月は眉間に皺を寄せる。


「『「死神」が、人質を取られた程度で負ける』。そう思ったから、そんな愚かな真似をしようとしたんだろ」


「!」


 葉月は目を見開く。

 ……確かに、そうだ。

 一瞬パニクったが、考えてみればあの復讐姫(クローザー)が負けるはずがない。

 自分程度の足枷で、どうにかなる先輩じゃない。


「……そうでした。紅音さんが、あなた程度に負けるはずかないです。紅音さんは、自慢の先輩ですから」


 葉月はハッキリした口調でそう言い切る。

 ……正直、相手の口車に乗ってしまってることは自覚していたが、だからどうした。

 あの先輩は、絶対に勝ってくれる。


「……そうか」


 ジャックは感情を窺わせない無表情で頷く。

 そして、


「では、人質のお前を担いで運ぶ。面倒だから、抵抗はするな」


 黒い鵺は左手だけで軽々しく葉月を持ち上げると、そのまま米俵のように左肩に載せる。

 その時、『ビリ』と何かが破ける音が聞こえた。

 一瞬、葉月は自分の服が破けたのかと思ったが、


「……流石に、五十年も使ってたら破けもするか」


 破けたの葉月の服ではなく、ジャックの左手に付けられていた手袋だったようだ。


(……あれ)


 葉月の背中に、ジャックの皮膚ではない何か硬い感触がある。

 今のジャックの体勢を考えると、その位置にあるのは、


(手袋の中に、何かある?)


「移動する。……舌、噛むなよ」


 ジャックはボソリとそう呟くと、葉月の返事を待つことなく、時速数十キロを越す速さでその場から離脱した。

 紅音の下に、向かうために。




 3


 ――どんなアーベントだろうが、ある一定以上の影胞子に侵食されたら鵺になる。

 しかし、この話には一つ例外がある。

 それは、『影胞子と肉体を完全な支配下に置いてるため、(こころ)も含めた身体が変貌しない』といった場合だ。

 もっとも、そんなことできたのは、九十年間続くアーベントの歴史の中で一人だけで。

 それが出来た者は、ある意味において鵺よりも恐ろしいモノであったが。





「――」


 紅音は音を遥かに超える速度でゼロに近付くと、すれ違い様に左の血刀で眼球を薙ぎ払い、右の血刀で喉を突き刺した。

 だが、どれも擦り傷になるだけで、一瞬のうちに再生される。


(……これもダメか)


 どんな鵺だろうと比較的柔らかい箇所を狙ってみたが、それでも中々刃が通らない。

 最強の鵺と呼ばれているのも、伊達ではないらしい。


(……以前『鉄鋼』にやったみたいに、体の中に血を流し込むのも駄目だな。鉄鋼と違って、表面だけでなく体内も能力の防御対象のようだ)


 試しに黄金の大剣を受け止めながら、真正面からゼロの全身を切り裂き、擦り傷から血を流し込もうとするが、


(失敗、か)


 紅音はその場から飛び跳ねるようにして後ろに下がり距離を取る。

 そして、そのまま勢いよく加速し、右の真紅の刀をゼロの喉元に突き刺すと、全身の力を使って数百メートル先まで黄金の鵺を弾き飛ばす。

 しかし、


「……我の首を狙っての、一点集中の一刺し、か。確かにこれは効く」


 ゼロはそう言いながら勢いよく体を起こす。

 そして、


「少しだけ、だがな」


 黄金の鵺は、紅音の前に移動し――ゼロも紅音ほど速くはないが、時速数百キロでの移動できる――白い女に向かって大剣を右から左へ薙ぎ払う。

 紅音はそれを左の刀で受け流すようにして弾き飛ばしながら、右の刀で黄金の鵺を四度斬り払い、三度突き刺す。

 だが、これも、


(効かない、か)


 何度斬りつけ、何度弾き飛ばそうとも。

 どれも致命傷ではない擦り傷にしかならず、そんなもの再生能力のある鵺にとっては無傷と同じ。

 つまり、白い女は、黄金の鵺に傷一つ付けることができない。


「……」


 紅音はゼロを蹴り飛ばすことで、距離を取る。

 そして、無言で考える。

 目の前の鵺を、どうやって殺そうかと。





 4


 ――五十年前、アーサー=ミッチェルというアーベントがいた。

 彼は当時のARSSイギリス本部長であり、上級(ヘルト)の序列一位だった。

 つまりは、ARSS全体のトップとも呼べる存在――当時、極級(ヘルト)は一人しかおらずその彼は行方不明だった――であり、五十年前のカリフォルニア州スポットの大規模作戦において、『当時の最強』として陣頭指揮を取っていた。

 彼は実力があるだけでなく、高潔な人柄で同僚・部下からも慕われていた。

 だが、彼は敗れた。

 狂気解放もキメラフレームも、『始まりの鵺』の前では無力だった。

 とはいえ、彼は死んでも、彼の肉体が朽ちることは無かった。

 彼の肉体が、ある鵺の母体になったからだ。

 その鵺は、生まれたての鵺ではあり得ないほどの強さを持ち。

 姿を眩ました『始まりの鵺』に代わり、五十年間最強の鵺として君臨していた。

 その鵺の名は――





(……やはり、おかしい)


 ゼロは大剣を振り下ろし、地面を真っ二つに割りながら考える。

 戦い始めた時から、気にはなっていた。

 それは、


(()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)


 ――ゼロは、昨日月原紅音と蝙蝠の鵺(ノブレス)の戦いを木陰から観察していた。

 その時に比べて、明らかに弱くなっているのだ。


(弱くなっている、というより不調に近いか。影胞子操作の練度が、確実に落ちている)


 ……昨日初めて『死神』を見た時は、彼女の抱える影胞子は全く揺らいでおらず、完璧に彼女の肉体の形そのものだった。

 そんな存在、アーベントでも鵺でも見たことも聞いたこともなく、この地で一番強い自分でさえ、体内の影胞子は多少揺らいでしまっているというのにだ。

 それなのに、


(何故ここに来て、その完璧性が崩れた?)


 今だって、死神はほぼ完全に己の影胞子を統制している。

 その操作精度は、自分のそれを遥かに上回っている。

 しかし、昨日の死神よりは確実に劣っており、ほんの僅かではあるが死神の体内の影胞子に揺らぎが生じていた。


(一体何が……)


 恐らく、赤いカーテンの中で行っていた『何か』が影響しているのだろうが……その実態はどうでもいい。

 問題は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


(……なら、ある意味今がチャンスということか)


 影胞子の操作性能を取り戻されたところで、勝敗に大して影響しないだろうが、万が一のことがある。


(確実にここで仕留める……!)


 ゼロは大剣を縦横斜めに振り回し、月原紅音を両断しようとする。

 しかし、紅音はまるで風のようにスルリと躱す。

 直後、彼女は赤い眼を妖しく光らせると、左右の刀をゼロに向かって振るう。

 先程から、ずっと繰り返されていた光景だ。

 ただ一つ違うのが、その斬撃全てがゼロの胸の中心……つまりは一点に向かって放たれていたことだ。


「!!」


 ゼロは慌てて大剣を紅音に向かって突き刺そうとするが、紅音は左の刀でそれを受け流しつつ、右の刀による無数の斬撃を一点に向かって放つことで、削岩機が岩に穴を穿つかのように、ゼロの胸元を削り抉り取る。


「クソッ……!」


 ゼロは口汚なく罵ると、黄金の大剣を地面に全力で叩きつける。

 すると二人が立つ大地が崩れ始め、二人はそれぞれ別の場所に跳んで移動する。


(……危なかった)


 ゼロは自身の胸元に目を落とす。

 そこには、擦り傷とは到底言えない深い傷ができていた。


(……我の法臓は別の場所だ。ここではない。だが、もし今のを繰り返し行われたら……)


 負ける。

 そして、そのままは自分は死ぬのだろう。


(最強の、この我が?)


 ――ずっと絶対的な強者だった。

 この地に生まれて五十年、自分は殺される側ではなく、殺す側の存在だった。

『始まりの鵺』が居ない今、自分こそが王者のはずだった。

 その自分が、ここで死ぬ?

 こんなところで?


(――そんなの受け入れられない。受け入れて、たまるか)


 だから、ゼロは戦い方をシフトする。


「――なぁ、死神」


 戦闘の強さではなく、相手の気持ちを折る方へと。


「貴様、番いの復讐のために鵺を殺していると聞くが、貴様の行動は本当に復讐になっているのか?」


「……」


 紅音はゼロの言葉に返事をしない。

 しかし、動きは止めていた。

 ゼロはニヤリと笑い、


「我は生まれた時から、人間が嫌いだ。人間を見るだけで虫唾が走る。だから、我の目に付く範囲の人間は戦おうが逃げようが全員殺した。とはいえ、貴様の番いがその中に居た可能性は随分と低いだろう」


「……」


 紅音はゼロから視線を外し、遠くを見る。

 まるで、何かを考えるかのように。


「――そうだ。貴様の復讐相手はもう既に貴様自身の手で終わらせた可能性の方が断然高い。なのに、貴様何をしているんだ」


「……」


 紅音は何も答えず、思案する。

 だが、それはゼロの言葉に対してではない。

 遠くからこちらに向かってくる、とある二人組に対してだった。


(……もう、あっちの戦闘は終わったか)


 なら、こちらも出来るだけ早く戦闘を終わらせよう。

 先程ゼロの胸を抉ったやり方だと、時間がかかり過ぎる。

 だから、別の手段を。


(丁度、影胞子の操作精度も元に戻ったところだし『あれ』ができるな。……なるべく、避けたかった技ではあるが)


 しかし、そうも言ってはいられない。

 葉月が傷を負う可能性は出来る限り減らさなければならない上、他の鵺が居る状態でジャックと相対するわけにはいかないからだ。


「……」


 紅音は自分が持つ『どんなものでも切断する血刀』に視線を落とす。

 ……。

 ……紅音は何も、最初から強かったわけではない。

 アーベントに成り立ての頃は、ここまで強くなかった。

 とはいえ、それでも三十年級鵺――上級(ヘルト)でようやく勝てる鵺だ――を軽々しく斃せるほどの力量はあったのだが、今に比べると弱いのも確かだった。

 だから、強くなる必要があった。

 どんな鵺だろうが確実に斃せるよう、強くならなければならなかった。

 ……別に、意識して訓練をしたわけではない。

 ただ、鵺の巣(じごく)にずっと身を置き続けることによって、戦闘経験を異様な速度で積んでいったのだ。

 そして、その過程で様々な『技』を身に付けた。

 敵を体内から切り裂く技に、複数の刀を宙に浮かし操る技。

 更には、固有能力で自身の影胞子を完璧に統制し操る技までも身に付けた。

 影胞子を完璧な支配下に置いた後の成長は特に凄まじく、アーベントになって十年経った頃、彼女はある種の究極に到達した。

 それは、『どんなものでも切断する血刀』でもなければ、『世界を作るアーベントの最終奥義(キメラフレーム)』でもない。

 それらは二つとも、アーベントになって一月以内に習得できた。

 だから『その技』は、そんな彼女の才覚(きょうき)努力(けいけん)をもってしても、習得に十年かかってしまうような代物だった。


「……」


 紅音は左手の刀を消滅させると、右手の中にある一本の刀に意識を集中する。

 直後、その赤い血刀が、()()()()()()()()()()

 いや、染め上げられたという表現は正しくないだろう。

 黒いのは色が付いたためではなく、光も含むありとあらゆるエネルギーを反射という形でさえ放たなくなったためなのだから。


「――何だ、それは」


 ゼロは思わずといったようにそう呟く。

 なぜなら、


「あり得ない。それだけの量の影胞子をそんなに小さく凝縮させて、暴発しないわけない!それだけの影胞子を御し切るなど、アーベントだろうが鵺だろうが不可能だ!!」


「……」


 ゼロの言葉を聞いた紅音は目を細める。

 その視線は、『実際に目の前で起きてることを否定してどうする』と語っていた。

 そして、


「……ついさっき、お前は『自分は一騎を殺してない』とそう語っていたな」


「そうだ。それが、真実だろう?」


「……」


 紅音は目を瞑って考えるようにする。

 そして、


「以前までの私だったら、『僅かでも仇の可能性がある殺戮の怪物(ぬえ)の時点で、殺すことに変わりはない』とでも考えただろうが……、今ならわかる。お前は、本当に一騎を殺していないのだろう」


「なら、貴様が我と戦う理由は――」


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……それだけで、お前を殺す理由としては十分以上だ」


「……何?」


「……」


 ゼロは短く問いを放つが、紅音はもう一言も発さない。

 ただ瞼を開けて、殺意と怒りを込めた紅い視線を、黄金の鵺に向けるだけだ。

 直後、彼女は駆ける。

 音速を遥かに超えて、黄金の鵺のもとへと。


「!!」


 ゼロは大剣を全力で振り下ろすことで迎え撃とうとする。

 先程、地面すら砕いた一撃。

 それに対して、紅音は右手の黒い刀を――神殺しの血刀(ディーサイド)を、一度振るうのみだった。

 直後。




 全てが、消えた。

 ゼロは勿論、樹も岩も大地も空気も。

 そして、霧さえも。

 黒い刀から放たれた真紅の閃光(ざんげき)が、白い女の前方にある全てのものを塵一つ残さず消滅させた。


 だから、これでお終い。

 この地に長く君臨し続けた最強の鵺は、こうしてこの世から跡形も無く消え去った。







「……風が、強いな」


 紅音は頭の髪飾りを押さえながら、短く呟く。

 先程、ゼロを斃した一撃の弊害だった。


(……余波の調整が難しいのが悩み所だな。空気も吹き飛ばすから、後追いの風が鬱陶しい)


 紅音は右手の刀をチラリと見る。

 もうその刀は、いつもの赤色に戻っていた。

 ――ゼロを斃した黒い血刀。

 あれは、いつもの赤い刀と同じ『血躯操作(オペレートブラッド)』により創り出したものだが、中身が違う。

 具体的には、影胞子の量が全然違うのだ。

 紅音の固有能力『血躯操作(オペレートブラッド)』は、己の肉体を自在に操るというものだが、その操作対象には我が身を侵す影胞子も含まれている。

 故に、いつも数滴の血を刀に変えているように、影胞子も増やし自在に操ることができるのだ。

 ――つまり、紅音は、黒い刀の中で影胞子を無限と呼べるほどまで増殖させた後、彼女特有の完全な影胞子操作能力によって莫大なエネルギーを抽出し、それを指向性の赤い血の(ざんげき)として放ったのだ。

 その圧倒的な影胞子エネルギーは、元々の血刀でも可能だった『どんなものでも切り裂く斬撃』を強引に底上げし、『絶対防御すらも完全に破壊する斬撃』へと進化させる。

 故に、神殺しの血刀(ディーサイド)

『もし神の如きまで強力な鵺が現れた場合』を想定し磨いてきた、復讐姫(クローザー)の奥の手である。

 ただ、全く代償が無いわけではなくて、


「……流石にエネルギーの使い過ぎか」


 いくら紅音がエネルギーを増殖できるとはいえ限度があり、神殺しの血刀(ディーサイド)は一日に一度か二度までしか使えなかった。


「……それにしても、なるべく範囲を絞り空に向けようとしたが、上手く行かないな。大地もかなり削ってしまった」


 そう言いながら、振り返る。

 その先にいるのは、


「……待ちくたびれたぞ。ま、一分も待っていないがな」


 茶髪の少女を連れた、悪魔のような腕を持つ鵺ジャック。

 この地に残る、最後の鵺だった。




 5


 雲林院葉月は思う。

『紅音さんが勝てないことってあるの?』と。


(……デッカい穴ができてるなぁ……)


 深さは百メートルぐらい(よくわからない)で、奥行きは数キロ(適当だ)ぐらいだろうか。

 ジャックに運ばれてる最中、『あれ、なんか光った?』とは思ってたが、まさかこんなことになってるとは。


(私、足枷になるんじゃないかって心配してたけど、全然大丈夫そう)


 葉月はリラックスした表情で肩を落とし、チラリと隣に立つジャックを見る。


(……でも、彼は始まりの鵺。どんな手で来るか――)


 そして、リラックスした頭で葉月はようやく気付く。

 そもそも、何でジャックという鵺に違和感を覚えたのかを。

 本当は、誰に対して違和感を抱いていたのかを。


(……あ)


 葉月は視線を紅音に戻す。


『待ちくたびれたぞ。ま、一分も待っていないがな』


 先程、彼女は軽い口調でそう言った。

 セリフの内容自体に問題はない。

 紅音はあまり冗談を言う方ではないが、たまに軽口が出るのもわかってる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()


(紅音さんは、鵺が人っぽいってだけで対応は変えない。どんな姿をしていても、鵺は鵺……『憎き復讐相手』として扱う。それは蝙蝠の鵺(ノブレス)の時でわかってる)


 だが、ジャックに対しては違った。

 紅音はあんなにも強いのに、ほとんど意味の無い同盟まで結んでしまった。

 そこから考えられるのは――


(恐らく、ジャックによる精神干渉。複数持っている能力の一つで、紅音さんに『自分は味方だ』と思い込ませる暗示をかけてる!)


 ――普通なら、不可能だ。

 紅音の身体操作で守られている精神(のう)をどうこうするなんて、不可能のはずだ。

 しかし、戦闘直後ならどうだ?


(ジャックが私達の前に現れたのはノブレスと戦った直後!そして、ジャックが始まりの鵺であることを考えると、いくら紅音さんといえど多少の精神干渉を受けてしまうことも……!)


「紅音さん!」


「ん?葉月、どうした?」


 葉月はつい叫ぶが、どうすればいいかわからない。

 でも、今の紅音は明らかにおかしい。

 だって、彼女は明らかに気を抜いてる。

 まるで、ジャックを敵だと認識できていないかのように。

 まるで、警戒することなど何も無いかのように。

 絶対に、今の先輩はおかしい。

 だって。




 いつもの紅音だったら。

 どんな手段を用いられたのだしても。

 真後ろから迫り来る鬼女(てき)の存在に、気付かないわけないのだから。





(――え?)


 葉月の思考に空白が生まれる。

 その間も鬼女――ピースは、悪魔のような笑みを浮かべながら黄金の大剣を振り下ろす。

 紅音は、まだ気付かない。

 そして、自分が飛び出したところで、絶対に間に合わない。

 そんな状況の中、隣の黒い鵺は、




「紅音、危ない!!」




 そう叫びながら飛び出して。

 紅音を、思いっきり突き飛ばした。


「――え?」


 白い女はよろめきながら、疑問の声を放つ。

 その声の先には、右腕ごと胸をゴッソリ抉り取られた黒い鵺が立っていた。

 その鵺は背中越しに振り返ると、白い女の無事を確認する。

 直後、彼はいつもの無表情から一転、優しそうな笑顔を浮かべて、


「無事で、良かった」


 そんなことを呟きながら、土の上に倒れた。

 法臓に、致命的なダメージを受けたが故だった。


「――おい」


 紅音は跪くようにして、黒い鵺に近付く。


「――おい」


 紅音はもう一度、肩を揺すりながら呼びかける。

 ずっとずっと、呼びかけ続ける。

 そんな彼女の頭上で、鬼女は、


「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」


 心の底から、楽しそうに笑った。

 笑って、嗤って、嘲笑(わら)った。

 五十年前の、あの時のように。

 彼女は、大きな声で哄笑を上げる。


「言っただろ、『あたしは、面白いことは後に取っておく性質(タチ)なんだよ』ってさ!ま、言った相手はテメェじゃねぇんだけどな。ギャハハハハ!!」


 ピースは両手を広げ大きく笑う。

 これ以上、愉快なことが無いからだ。


「あぁ、殺せた。ようやく、殺せた。五十年前、テメェに殺されかけたあの時から、ずっとずっとテメェを殺したくて殺したくて仕方なかったんだよ!!!!」


「――!――!」


 ピースが顔を歪めて叫ぶ中、白い女には鬼女の声が届かず、ただただ黒い鵺の名前を呼び続ける。


「――あぁ、なるほど。そういう名だったのか」


 ピースは納得顔で頷く。

 そして、彼女は、


「五十年、疑問に思ってた。あたしと違って殺戮に悦びを見出してないテメェが、なんで同族の鵺を積極的に殺すんだろうってな」


 目に嘲りの感情を込めて、見下ろして、


「わかっちまえば、なんてことはない。テメェは人でもなければ、鵺でもなくて、その途中の()()()()()()()()()だったってだけの話だ」


「――!――!」


「なぁ、そうだろう、ジャック。いや――」


 ピースは告げる。

 彼が自分の命より大事にしていたその秘密を。

 彼の、本当の名を。

 たった今、月原紅音が何度も口にしているその名を。

 鬼女は侮蔑を込めて、歌うように囁いた。




「――五十年前に死んだ、月原一騎さんよぉ?」







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