第十七章 希望
第十七章 希望
『前から思ってたんだが、私なんかと付き合ってていいのか?お前だったら、その、もっと良い奴捕まえられるだろう』
『……俺は紅音が紅音だから好きになって、一緒に居たいと思ったんだ。俺は紅音以外とのことなんて考えたくないし、考えられない。だから、そんなこと言わないで欲しい』
『……わかった。もう、言わない』
2034年6月
1
――とんでもないことになった。
茶髪の少女、雲林院葉月は心の底からそう思った。
だって、今、自分の目の前には人型の鵺が二体もいて、その鵺と一緒に歩いている。
しかも、その鵺達から感じ取れる影胞子量は先程見た蝙蝠の鵺とやらとほとんど遜色が無い。
そんな鵺を、口だけとはいえ二体同時に相手することにはなるなんて。
でも、
(……頑張んなくちゃ)
身の安全は、月原紅音によって保証されている。
もし自分が危なくなったら、絶対にあの先輩が助けてくれる。
だから、自分に出来ることに集中しないと。
「――この辺りで良いかしらね」
魚人のような見た目をした……確かデザイアと名乗っていた鵺が、立ち止まって倒れている大樹の幹に腰掛ける。
デザイアの真後ろに付いていた鬼女のような鵺ピースも、魚人の鵺に追従し彼女の隣に座る。
デザイアは葉月を見上げながら、
「……あなたもそっちに座ったら?本当はもっと近くに座ってもらいたいけど、多分一定以上近付いたら『死神』が飛んでくるだろうし」
デザイアはそう言いながら、視線だけで数メートル離れた別の倒木を示す。
「……じゃ、失礼して」
葉月は一礼してから、倒れた木に腰掛ける。
……。
「……それで、あなたのお名前は?」
「あ、雲林院葉月です!」
デザイアの誰何の言葉に、葉月は大きな声で返事する。
「ふーん……。確か、人間って名前が先と後に分かれてて、親しい相手には先の方、そうじゃない時は後のファミリーネームを使うんだっけ?」
「あ、国によって違います!私のとこは逆で、先の方がファミリーネームです!」
「へぇ……。なら、私はあなたのことを雲林院って呼ぶのが正しいんだろうけど、敢えて葉月って呼ぶわ。それでも良い?」
「だ、大丈夫です!」
……目の前の魚人のような鵺、デザイアが想像より遥かにフレンドリーで、葉月の声に動揺が混じる。
それに気付いているのかいないのか、デザイアは柔らかな笑みを浮かべて、
「良かったわ。……私とこっちの名前はわかる?」
デザイアは隣の鬼女のような鵺を指差す。
「あ、はい。デザイアとピース……でしたよね?」
「ええ、合ってるわ。色々あったのに、覚えてくれててありがとう」
デザイアはそう言いながら少し嬉しそうに微笑み、ピースは無言でニヤニヤ笑いを浮かべている。
デザイアは自身の翠色の髪の毛の先をくるくる弄りながら、
「で、早速本題に入りたいんだけど……まぁお互い聞きたいことがあるだろうから、一問一答で交互に聞くのはどうかしら。それが平等だしね」
「……」
デザイアの提案に葉月は一瞬黙り込む。
(……悪くはない。悪くはないんだけど……)
……今、完璧に向こうにペースを握られている気がする。
なら、少し流れを引き戻さなければ。
「……条件が二つあります」
「……条件?」
デザイアはコテリと首を傾げる。
そんなこと言われるとはと思っていなかったのだろう。
「条件と言っても、軽いものです。まず一つ目は、先行は私からさせてもらいます」
「……なるほどね。ま、私から提案したんだし、それは当然か。で、もう一つは?」
「これは条件というより確認なんですが……デザイアとピース、あなた達二人は合同で質問して、合同で質問に答えてください。別々にカウントするのは無しです」
「……確かに、別々にカウントしたら私達の方が倍聞けることになっちゃうものね。それで良いわよ」
「……受け入れてもらえてよかったです」
すんなり要求が通って、葉月は面を食らうが、顔には出さないようにする。
(……それにしても)
さっきからデザイアと名乗る鵺ばかり喋っていて、鬼女の鵺……ピースとやらが一言も喋らないのが気になる。
先程の停戦を決めた時の様子を見る限り、無口な鵺ではないみたいだが……。
「……あんた、あたしが気になるのか」
ピースはニヤリと笑う。
その笑みに、葉月は何故か得体の知れない圧のようなものを感じ、背筋が凍る。
「そんな怯えなくても、取って食ったりしねぇよ。あたしが興味があるのは、正確にはあんたじゃないしな」
「……え?」
葉月は首を傾げる。
葉月は、良くも悪くも自分に興味があったから、こんな状況をセッティングしたのかと思っていたのだ。
「……こいつはこういう奴なのよ、葉月」
デザイアは嫌なものを見るかのように隣のピースを見る。
「私は葉月に興味を持っているんだけど、ピースは私に興味を持っているのよ。……こいつの趣味は鵺観察で、鵺の私が人間と交流したいって考えてるのが、面白おかしいみたい」
「と言っても、人間もあたしの趣味の範囲内だ。今はただ、あんたよりデザイアの方が面白そうってだけの話だ。悪いな」
「……理解、しました」
……要は、ピースという鵺は、この場に居ることが目的なのであって、葉月から情報収集することに興味は無いらしい。
というか、
(デザイアって鵺、やけに友好的だと思ってたけど、交流そのものが目的だったんだ……)
そんな鵺が、居るとは思わなかった。
葉月は今日何度目か知れぬ衝撃に襲われる。
だが、そんなこと固まってはいられない。
自分はさっき、先輩から『頼まれた』と言われたのだから。
「……じゃあ、質問の時間に入っていいですか?」
「どうぞ」
デザイアはそう言って手を葉月に向ける。
だから、葉月は遠慮なく、
「じゃあ、質問ですが、始まりの鵺はどんなのですが?」
今一番知りたいことを、ストレートに投げ掛けた。
……色々聞きたいことはあるが、最悪これだけ知ることができれば他はどうでもいい。
そうすれば、あとは先輩がなんとかしてくれる。
「始まりの鵺ねぇ……」
デザイアは眉を顰める。
そして、その表情のまま、
「ごめん、それはわからないの」
まさかの答えを、口にした。
「……嘘」
「悪いけど、本当よ。……ピース、あなたならわかる?」
「あたしも知らねぇな。ってか、本人以外知らないんじゃねぇか?」
ピースもサラッとそう答える。
誤魔化しているといよりも、まるでそれがここでの常識みたいな反応だった。
(本当に知らない……?でも、そんなことが……)
……悔しいことに、葉月には目の前の二人の言葉が真実かどうかを判断する術がない。
なら、取り敢えず真実だとして受け止めなければ、先に進めない。
デザインは険しい顔で、
「いきなり一問一答が崩壊しちゃったわね……。ごめん、代わりの質問ってある?」
「……じゃあ、あなた達が思う、一番始まりの鵺の可能性が高いのは、どんなのですか?」
葉月は質問を少し変えて飛ばす。
これなら、本当であれ嘘であれ、無回答にはならないはずだ。
「……それなら、一応答えられるけど……、そういえば、葉月って、今この鵺の巣に何体の鵺がいるのか、知ってる?」
「いえ、知らないです」
葉月は首を横に振る。
紅音だったらわかるかもしれないが、葉月の影胞子探知能力ではそこまではわからなかった。
「じゃあそこからだけど……今この土地に居る鵺は私とピースを含めて、六体だけなの」
「……!」
葉月は目を大きく見開いて驚く。
自分達の侵攻が、そこまで進んでいるとは思っていなかったのだ。
(『完璧なる解答』のU.S.A.本部長さんが立てた予定では、あと半月は掛かるはずだったのに……)
その六体を倒すのにあと半月掛かるのか、それとも彼女ですら予想し得なかった『何か』があったのか。
葉月には、その判断がつかなかった。
「で、六体の中で怪しいのは三体居るんだけど……そもそもさっき私は『始まりの鵺はわからない』って言ってたけど、五十年前まではどれが始まりの鵺かわかっていたのよ」
「……どういうことですか?」
葉月は首を傾げる。
それに対しデザイアは難しい顔をしながら、
「始まりの鵺……名前は知らないけど、すごく横暴な奴でね。目に付く生物は鵺だろうと笑いながら殺す奴で、五十年前までは私を含めて鵺達はその始まりの鵺から避けていた。横のピースも含めてね」
「……」
葉月は合いの手すら入れず、デザイアの話をジッと聞く。
恐らく、今彼女が話している話は、重要な話だ。
「でも、五十年前……その時に人間達の大侵攻があったわけなのだけど、何故かそこからいきなり始まりの鵺は姿を見せなくなったのよね。本当、急に」
「……どこかに雲隠れしたってことですか?」
「いくらなんでも、五十年間は流石に無理なはず。だから、何かしらの理由で姿が大きく変わって、判別がつかなったんだと私は思ってる」
「……じゃあ、さっき言った三体の鵺って」
「そう。五十年前から、姿を見せるようになった奴のことよ。十中八九、その中に始まりの鵺は居るわ」
「……誰ですか?」
葉月は唾を飲みながら問う。
すると、デザイアはあっさりした調子で、
「ジャックとゼロとレジィよ。……ジャックは黒づくめの今死神と居る奴で、ゼロはさっき追っ払った金色の奴。それで、レジィは木っぽい奴なんだけど……多分葉月は会ったことないわ、ずっと寝てる奴だから」
「……!」
ついさっきまで一緒に居た鵺の名前が出て、葉月は凄い勢いで紅音が居る方に振り返る。
……先程、葉月が離れた直後から何か揉めていたようだし、もしかしてジャックが――
「……言っておいてなんだけど、ジャックが始まりの鵺の可能性は一番低いわよ?」
「……え、そうなんですか?」
「ええ。……ジャックって奴は同族である鵺を殺し回るイカレなんだけど……まぁそれだけなら始まりの鵺と同じなんだけど、雰囲気が全然違うし、始まりの鵺にしては弱過ぎる。私と何度も戦っても、私を殺しきれないなんて、始まりの鵺だったらあり得ない。……まぁ、私が始まりの鵺より弱いことを認めるのは業腹だけどさ」
「……じゃあ、力量的な話なら、一番怪しいのは金色鎧の鵺?」
……先程の一触即発の事態の中、葉月でも気付けた。
複数集まった人型の鵺の中でも、ゼロという金色の鵺が飛び抜けて強いことに。
「そういうこと。ちなみに、さっきも言ったけどレジィっていうのはずっと寝ている鵺だから、強いのかどうか私もよく知らないわ。……更にちなみになんだけど、彼も人型の鵺よ」
「……そういえば、なんで今スポットに居る鵺は人型の鵺ばっかりなんですか?かなり珍しいと聞きましたが……」
「あー、それはね……理由はいくつかあるんだけど、一番は人型は知能が高いからよ。人型じゃない、つまりは知能が低い奴は死神に突っ込んで死んでるから、生き残ったのは必然的に全員人型になってしまったっていうわけ」
「……なるほどです」
葉月は納得して頷く。
それを見たデザイアはハッとしたように、
「ってか、葉月、質問連続で二回してるじゃない!」
「……あ。ごめんなさい」
「……まぁ、いいわよ。一発目のを無回答にしちゃったし、今のはサービスってことで。……で、次は私からの質問でいい?」
「……はい」
――問題はここからだ。
紅音からは『何を話すかは葉月の判断に任せる』と言われており、恐らく何を話しても問題無い。
(……私、紅音さんのアーベントの奥義すら知らないしね……)
……実は、雲林院葉月は、戦闘に関して余計な質問を紅音にしたことがない。
目の前で見て疑問に思ったことは質問していたのだが、それ以上のことは聞かなかった。
なぜなら、
(世の中、人の心の中を覗き込む能力を持っている鵺が居てもおかしくない。そんなのに会ったら、紅音さんならともかく、私は確実に情報引っこ抜かれるだろうしね。……そんな形で足を引っ張るのは、絶対に嫌)
だから葉月は、紅音の『技』を今まで目の前で見てきたものしか知らない。
葉月の目から見て凄まじいものも数多くあったが、今まで苦戦らしい苦戦が無かったことを考えると、キメラフレームも含めてまだ手は複数あるはずだ。
(だから、基本的には黙ってなきゃいけない情報を私は持ってないはずだけど……)
でも、本当のことを言って、それがクリティカルな弱点になりかねない。
ただ、嘘をついて、信用を失うのも問題だ。
(……基本的には、紅音さんのことでも本当のことを。紅音さんの戦いの弱点に繋がりそうと思うことは、答えを短くして濁す。これで行こう)
「じゃあ、質問なんだけど――」
デザイアは神妙な表情を浮かべる。
その表情のまま、彼女は、
「……『街』って、どんなとこ?」
そんな、葉月からしたら意味がわからない質問をした。
「……はい?」
「……質問がアバウト過ぎたかしら……。でも、言い方がこれぐらいしか……」
デザイアは腕を組んで考えるようにする。
「……葉月、ごめん、一問一答ガン無視なんだけど、今から質問を羅列するから、答えられるものを答えて。一個答えたら交代なのはそのままでいいから」
「……どうぞ」
「じゃあ……。都会ってどんなとこ?あと、学校もどんなとこ?会社ってなに?お菓子って美味しいの?ってか美味しいって何?それにボウリングとか……あぁ、あと、海ってどんな感じ?あと、テレビって何?それにビルってのも聞いたことがあるけど、どんな建物なの?というか、建物ってそもそもどんなもの?えっと、あと、それと――」
「ごめんなさい!ちょっと一旦止めてください!」
「……あ、いきなり聞き過ぎたわね、ごめんなさい」
葉月に遮られ、デザイアはテンションを落ち着かせる。
しかし、
「……それで、どれか、上手く答えられそうな質問あった?」
そう聞くデザインの目は、まるで人間の子供のようにキラキラしていた。
(……どういうこと?)
あまりにも、予想外過ぎる。
てっきり葉月は、彼女達の言う『死神』……月原紅音について聞いてくるかと思っていたのだ。
それなのに、まるでこんな、都会に憧れる未開の地の子供のような――
(……あ)
いや、『まるで』ではないのだ。
彼女達『人型の鵺』は、『人の知能を持ちながら、人の社会を知らない』者達なのだ。
……葉月の中では、『鵺は理性なく人を襲う怪獣』という認識が強いのと、ついさっき紅音が斃したノブレスがあまりにも邪悪過ぎたため先入観を持ってしまっていたが、目の前の彼女達は会話しようとする理性があり、何も人型の鵺の全てがノブレスのように虐殺を快楽にしているとは限らないのだ。
つまり、目の前の彼女達は……
「……葉月?」
「!」
デザイアの訝しげな声に葉月は思案から脱する。
(何か答えなきゃ)
だが、デザイアの質問はどれも胡乱なもので、恐らく何も知らない彼女に対してどう言葉を紡いでも彼女が納得する答えには――
「……あ、そうだ」
葉月はズボンのポケットを漁る。
その中には、チョコ味のレーションがあった。
葉月はそれをポケットから出しながら、
「……これが、街で貰える食べ物……レーションっていうんだけど、食べますか?ちなみに、味はチョコ味で、凄い大雑把ですがお菓子みたいなもんです」
「……」
デザイアは葉月の手にあるものをジッと見つめる。
多分、未知すぎてどう反応していいのかさえわからないのだろう。
「……」
葉月は無言でレーションの包装を破ると、それをデザイアに向かって放り投げる。
デザイアが器用にキャッチするのを見届けると、葉月はもう一本レーションをポケットから取り出し、包装を破ってデザイアの目の前で一口食べる。
「……こんな感じで、どうぞ」
葉月は口元を抑えながらそう言う。
「……」
デザイアは葉月とレーションの間で目をキョロキョロさせたあと、ゆっくりとした動作でレーションを口元に運ぶ。
「……これ、歯で噛んで飲み込むのよね?」
人間だったら、まずしないであろう質問をする。
「はい」
「……」
葉月が大きく頷いたのを見て、デザイアは恐る恐る一口齧り、咀嚼する。
(……あれ、そういえば、鵺の味覚って人間と同じなのかな)
デザイアが人に近い見た目をしていたから、つい失念していた。
葉月は少し慌てながら、
「あの、すみま――」
「うわぁ……」
しかし、葉月の言葉は途中で止まる。
デザイアの顔が、わかりやすいぐらい満面の笑みだったからだ。
「へぇ、これが『美味しい』って感覚なんだ、へぇ……」
デザイアは目をキラキラと輝かせながら、手の中のレーションを見る。
もう一口齧ってデザイアは、
「……あ、ピースも食べる?中々感動するわよ」
「別に興味ない。お前の様子を見てる方が面白い」
「何よ、つれないわね……。葉月、二人で食べましょ。勿論、質問会を続けたままで」
「あ、はい!」
葉月が大きく頷くと、二人でモグモグとレーションも食べ進めながら、緊張の一問一答を再開する。
だが、その空気は不思議なくらい穏やかなものになっていて、葉月は緊張と安堵を同時に感じるという不思議な体験をしたのだった。
2
「俺に記憶の欠片を残し、俺という鵺の元になったアーベントの名はベオスコール。……だから、お前のことを少し知ってるんだよ、『死神』」
悪魔の腕を持った黒づくめの鵺――ジャックはハッキリとした声で『死神』にそう告げる。
それを受けて紅音は、
「……」
目を瞑って、少し考えるようにして数秒。
瞼を上げると紅音は、
「……だから、なんだ?」
怪訝な声でそう言った。
「……何?」
「『お前が私のことを知っていた』とだけ言われても『そうか』としか言いようがない。お前は私の何を知っていて、何が言いたいんだ。それをハッキリと言え」
「……確かに、そうだな」
ジャックは小さな声で肯定する。
だから、彼は、
「じゃあ言わせてもらうが……お前がスポットに何度も攻め込んできたのは、もしかして復讐か?」
「もしかしなくても、復讐だ。そのためだけに、私は何度もこの地に来て、ようやくここまで辿り着いた」
「……」
紅音は堂々と目的を告げる。
それを聞いたジャックは、何故か苛立っているかのような顔をしていた。
そして、
「……くだらない」
「……なんだと?」
「くだらないと、言ったんだ」
いや、『ような』ではない。
彼は本気で苛立っていた。
なぜなら、
「復讐なんて、この世で最もくだらない。そんなもののために命を賭けるなんてどうかしている。……そういうのを見ると、苛々する」
「……『どうかしている』かどうかを聞かれたら、あまり否定できないかもしれないが、くだらないって言葉は撤回しろ。例え、誰が相手でも許さない」
「いや、くだらない。例え夫のためだろうと、死んだ奴の復讐の果てに死ぬことが、どれだけ愚かな――」
「ちょっと待て。私は、夫……一騎のために復讐してるわけじゃないぞ」
「……何?」
ジャックは拍子抜けしたような声を出す。
「……お前は、夫の復讐をしに来たんじゃないのか?」
「一騎の復讐だ。でも、一騎のために復讐をしてたわけじゃない」
「??」
ジャックは思いっきり首を捻る。
そんなジャックに対し紅音は淡々とした声で、
「……一騎は、私に復讐を絶対に望まない。一騎なら絶対『復讐なんかより、紅音の命の方が大事だ』って言うだろう」
「……じゃあ、なぜお前はこんなとこにまで来たんだ」
「決まってる。私がそうしたいと望んだからだ」
「……」
「私は私の選択でここにいる。誰のためでもなければ、誰のせいでもない。私は私の想いのために、ここにいる」
「……想い?」
「そうだ」
紅音は頭に付けられた赤い花型の髪飾りを優しく撫でる。
「……それは、私にとって一番大切な『想い』だ。その想いがあったからこそ、私は幸せだった。その想いがあったからこそ、私は笑うことができた。だから、私は……」
その先は、言葉にならなかった。
紅音は花型の髪飾りの端に触れたまま、ジャックをジッと見つめる。
……数秒後、紅音は小さな声で、
「……とにかく、私の復讐はくだらなくない。私の想いは、くだらなくなんかない」
「……そうか」
ジャックは目を伏せる。
そして、そのまま、
「……『くだらない』という言葉は撤回しよう。すまなかった」
「……謝ってくれるなら、それでいい」
「だとしても、愚かだ。……くだらなくなくても、愚かだ」
「……確かに、それは否定できないかもしれない。だが、改めるつもりはないし、ここから去る気も毛頭ない」
「……」
ジャックは苦虫を潰したような顔をする。
直後、彼は深く息を吐いて、
「……お前の目的で復讐で、俺の目的は、さっきピース辺りが口にしていたが、ここの鵺を殺すことだ。つまり、互いに目的の邪魔にもなれば、協力関係にもなり得るはずだ」
「……」
紅音の目的とジャックの目的。
細部こそ違えど、『スポットにいる全ての鵺を殺す』という点では共通している。
故に、ジャックは、
「本当は一人でやりたかったんだがな。お前という異分子がここに現れた以上、対立し合うのではなく、一時的な協力関係になった方が互いに利があるのは明らかだ」
「……つまり?」
「俺と手を組め、『死神』。ここで鵺を殺し尽くすまでの同盟関係だ。……勿論、コトが終わったら手を切るがな」
「……なるほど」
紅音は頷き、スカートのポケットに手を突っ込む。
そして、
「その話、受け入れよう。だが、その前に」
スカートのポケットの中にあったものを、ジャックに差し出した。
ジャックは『それ』を、悪魔の右腕ではなく人間のような左手で受け取る。
「……これは?」
ジャックの手の中にあるのは、パッケージされたカレー味のレーションだった。
「『同じ釜の飯』っていうヤツだ。同盟組むなら、こういう儀式的なのもあった方が良いだろう。……結構美味いぞ、今のレーションは」
そう言いながら、紅音はポケットから同じ物を取り出して、包装を破りレーションに齧り付く。
「……」
ジャックも左手のみで綺麗に包装を破り、紅音と同じように齧る。
「……不味くは、ないな」
「だろ?」
「だが、不味くないだけだ。美味しくはない」
「……鵺のお前が、比較する何かを食べる機会があったのか?」
「言っただろう、俺には宿主の記憶があると。その記憶の中にある食べ物の方が、ずっとずっと美味しかった」
「……そうか」
紅音は無表情でレーションを食べ進める。
ジャックも無言でレーションを食べ続ける。
白いアーベントと黒い鵺の二人が織りなす、よくわからない時間だった。
3
葉月とデザイアの一問一答が始まって、二時間、
「学校ってそういうところなんだ、へぇ」
葉月の話に、魚人の鵺は楽しそうに笑いながら相槌を打っていた。
(……紅音さんのこと、びっくりするぐらい聞いてこないなぁ……)
さっきからデザイアは、ずっと人間社会のことばかり聞いてくる。
それを葉月は身振り手振りの全力で――バスケなどの部活の風景などをだ――演じたり表現したりしたのだが、基本的に『え、なんでそんなことするの?』とか『へぇ、そんな風に玉を投げて遊ぶんだ。へぇ』とか、大体なんでも受けは良かった。
そのせいか、葉月は少し気が緩んでいた。
(……)
……デザイアという鵺は、あまりにも人間味があり過ぎる。
このままでは……
「……ねぇ、葉月。これは一問一答とは関係なく、一つ聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「……あ、はい、いいですよ。何ですか?」
「あなた、私への警戒を解いてない?」
「……!」
デザイアの言葉は図星そのもので、葉月の心臓がドキッと跳ね上がる。
「……そんなにわかりやすいですか?」
「そりゃあ、最初に比べて笑顔が明らかに増えてるんだから、わからないわけないじゃない」
「……」
そんなに、自分は笑っていたのだろうか。
少しだけ恥ずかしくなる。
「……ねぇ、葉月。あなたは多分、一つ勘違い、いえ認識違いをしているわ」
「……え?」
デザイアの声が今までと違って急に真剣なものになるから、葉月は混乱する。
そんな葉月を気にせずデザイアは、
「私は鵺、つまり人間の敵なのよ?」
「……」
……。
「……でも、あなたは凄く人間っぽい」
「そう、『ぽい』だけ。私は人間じゃない。……一つ、話をしましょうか」
デザイアは上を見上げて、何かを考えるようにする。
そして、
「……二桁は確実に行っていたわね。三桁は、多分行ってなかったかしら」
「……何がですか?」
「私が五十年前に殺した人間の数よ。ちなみに、生まれたばかりの時のことはあまりよく覚えてなくて、何人殺したか見当もつかないわ」
「……ッ」
……そうだ。
彼女は今日までこのスポットに生き続けていたのだ。
ならば、五十年前のARSSの大侵攻とぶつかっていても、何らおかしくない。
「……私は自分を守るために彼らを殺した。後悔は勿論、自分が悪いなんて僅かにも思ってないわ。……戦わなかったら、殺されていただろうしね」
「……」
それは、そうだろう。
人間達から殺しにきておいて、無抵抗で殺されろというのは、あまりにも都合が良過ぎる話だ。
だから、むしろ……
「でも、人間が悪いとも思ってないわ」
「え?」
葉月はついキョトンとする。
そんな少女をクスリと笑いながらデザイアは、
「だって、鵺は危ないって私でも思うもの。……葉月、確か人間とか動物って生きるために食べる本能に寝る本能、種として存続させるための生殖本能とか……他にも色々あるだろうけど、生きるための欲求や本能があるのよね?」
「……えぇ、その通りです」
「認識が合ってて良かったわ。……それで鵺の方だけど、鵺には人間や動物が持つ欲求や本能をほとんど持ってないわ。ただ一つ強くあるのは、動いているもの……つまりは他の動物を襲い殺すこと」
「……」
……確かに、それが鵺の本能だという話は葉月も聞いたことがある。
故に、街中に現れた鵺は人を襲う。
現代社会において、人は一番目に付きやすい動物なのだから。
「鵺は半不死身。外部から何の栄養を取らなくても死なないし、法臓持ちに至っては法臓さえ無事ならどんな傷だってたちまちに回復してしまう。だから、鵺の本能は『他の動物を排除すること』に特化しているわ。……自分一人で生命として完結してるからか、子孫とかも作らないしね」
「……」
「自分達の種を存続するための本能ではなく、他の種を殲滅させるための本能。そんなものを持っているのが鵺という生き物よ。だから、鵺が他の生物……特に思考能力が高い人間から恐れられ、自衛のために戦うのは当然の話なのよ」
「……でも、あなたは違うと思う。少なくとも、あなたは私を襲わない」
「それは私の超個人的な好みと理性で抑えられてるからってだけよ。人間だって、誰もが本能のまま生きてるわけじゃないでしょう?ま、実際のとこは知らないけどね」
「……」
「私は私の好みで人を積極的には殺さない。でも、襲われたら、容赦なく殺すわ。それは人間が悪だからじゃなくて、私が死にたくないからよ。人間達が、鵺と戦うのと同じように」
「……」
「むしろ、私は危機管理能力が低いくらいだろうなーって客観的に思うわ。……自分の命を脅かす存在……つまりは『敵』を目の前に放置している方がどうかしている」
そこでデザイアは冷たい視線を葉月に向ける。
『己はあなたの敵』だと、はっきり伝えるように。
『今からでも殺して構わない』と言わんばかりに。
だが、葉月は、
「……じゃあ、どうしてそんなことを言うんですか?」
「え?」
「なんで警告なんてしてくれるんですか?……私に油断させた方が、あなたにとっていいはずなのに」
「……」
流暢に喋っていたデザイアの口が閉じられる。
そんなデザイアに葉月は、
「それは、あなたが優しいからじゃないんですか?」
思ったことを、そのまま告げた。
……。
「……はぁぁぁぁぁぁ」
デザイアはわかりやすく大きく溜め息を吐く。
「……葉月、私の話聞いてた?鵺を警戒しろって言ったのよ?それなのに優しいですって?舐めてんの?」
「いえ、そんなことないです。ただ、思ったことを口にしただけです」
「余計ダメだっての……」
デザイアはまるで頭痛をするかのように額を抑えながら、
「……ちなみに優しいってのはあなたの完璧な勘違い。ただ、私があなたを殺すことになった時『騙された』なんて見当違いなことを思って欲しくなかっただけ」
「……デザイアが私を殺そうとする場面が思い付かないんだけど」
「そんなのいくらでもあるでしょうが。そもそもあなた達はここの鵺を全て殺し切るために来たんでしょう?だから、あなた達アーベントと私達鵺が殺し合うのは必然でしょ」
「……」
「そんな顔するのやめてよ、本当……」
デザイアは眉を顰める。
そして、思いっ切った口調で、
「いい?情ってのは本来同じ種同士に向け合うものでしょ?種を存続させるために群れて、他種に対抗する。だから、他種を排除し壊す本能しか持たない鵺が、他の種と殺し合うのは自然の……」
そこでデザイアは不自然に言葉を切る。
そして、
「もしかして、そういうことなの?」
「……え?」
葉月は驚きの声を上げるが、デザイアはまるで茶髪の少女のことなど目に入ってないかのように己の考えに没頭する。
「……そんなことはあり得な……。でも、それしか……。それだと、さっきの違和感も……」
「デザイア?」
葉月がデザイアの名前を呼ぶと、デザイアはハッとする。
「……悪いわね、葉月。ちょっと考えごとしちゃってた」
「……それは良いんですが、何を気にしたんですか?……始まりの鵺についての、何かですか?」
「お、その調子その調子。『敵』の情報収集するのは良い心掛けね。だけど、残念。今私が気付いたことは始まりの鵺には多分関係ない上に、超個人的なことの上に、推測の域から出ないこと。悪いけど、話す気にはならないわ」
そう言ってデザイアはすくっと立ち上がる。
「え、どこか行くんですか?」
「帰る。……別に家があるわけじゃないけど、もう聞きたいことの大体は聞けたし、とりあえず死神の領域からお暇したいの」
「あ、んじゃ、あたしも」
この二時間、ほとんど無言だった鬼女のピースも立ち上がりデザイアに並ぶ。
「……どうして急に?」
「急にも何も、私達が一緒に居ることの方が不自然なのよ」
そうぶっきらぼうに言い放ったあと、デザイアはニヤリと笑いながら、
「そういえば、葉月は鵺を何体殺した?」
「……」
「意地悪な質問でごめんね。覚えてないならないでいいんだけど、とにかく殺したことを今まで後悔したことがある?」
「……後悔は、してないです。もし、あの時鵺を斃してなければ、罪の無い人々が殺されていましたから」
「……わかってるじゃん」
デザイアは笑みを強くする。
「これは人と鵺の戦争。殺さなければ、殺される。単純明快な、それだけの話なの」
魚人の鵺は、髪とヒレを揺らしながらゆったりとした足取りでその場から離れる。
そして、
「じゃあね、葉月。次会う時は、気兼ねなく殺し合いましょう」
まるで世間話かのように、宣戦布告をした。
4
「……とりあえず、俺が知ってるいることはざっとこんなもんだ」
ジャックは木に寄り掛かりながら、同じく別の木に寄り掛かっている月原紅音に向かってそうボソリと呟く。
……つい先程まで、二人は情報交換――この地に居る鵺の固有能力などについてのだ――をしていた。
もっとも、中央に先に居たのがジャックで、後から来たのが紅音である以上、終始ジャックの一人語りのようなものだったが。
だが、紅音から話すことも勿論あって、
「それにしても、お前の固有能力は身体操作か。……まぁその類だろうと一目で想像ついたが、まさか本当にそんなポピュラーな能力だったとはな」
「……羨ましいか?」
「少しだけな。だが、その能力はお前だからこそ使えるのだろうし、何より俺が欲しい能力は別にある」
「ほう。それはなんだ?」
「その質問に答える気は無い。ただ取る方法だけなら教えても構わないが……さっき説明したな」
ジャックは悪魔のような右腕を振る。
それを見ながら紅音は、
「確か、お前の法臓能力『法則咀嚼』は、右手か口で砕き摂取した法臓の能力を食った分だけ奪い取るというものだったか」
「そうだ。……さっきお前ごとゼロを焼こうとした時に見せた『憤怒の獄炎』もそれで奪ったものだ」
「……」
『俺はお前をついでに殺そうとした』。
そんな言わなくてもいいことを堂々と語るジャックの言葉に紅音は目を見開くと、悪魔の腕を持つ鵺をジッと見つめる。
「……お前、本気か?」
「何がだ」
「……」
紅音に問われたジャックは至って真剣な表情だ。
そんな彼を見た紅音は、
「……」
「……お前、今笑ったか?」
「笑ってない。で、さっきの話の続きだが、お前の『法則咀嚼』、誰に盗み聞きされてるかわからないこの状況で口に出してよかったのか?お前の能力は私と違って、他の鵺に知られたらアドバンテージが下がりそうな能力だが」
「……」
ジャックは訝しんだ視線を紅音に送るが、二秒後には観念したように肩を落として、
「お前が言う通り、知られない方がアドバンテージがあるのは確かなんだが、この五十年で中央の連中には知れ渡っているから今更隠したところでしょうがない。……まぁ、何を持ってるかまでは知られてないだろうが」
「なるほどな」
紅音は納得したように頷いた後、
「……そういえば、さっきから気になっていたんだが、左手の手袋はなんだ?それ、体の一部とかじゃなくて、加工物だろう」
「……あぁ、これか」
ジャックは革の手袋に包まれた左手を軽く持ちあげて、
「……これは五十年前に落ちてたのをたまたま見つけて、それを拾っただけだ。……変か?」
「別に変じゃないが……。あぁ、そうだ」
紅音は木から離れて、ジャックに近付く。
「握手をしよう。同盟を結ぶんだ、それぐらい自然だろう?」
「……今のタイミングでやるのは不自然な気がするが、良いだろう。右手は『これ』だから、左手になるのは悪く思――」
そこまでジャックは口を動かしたあと、一瞬固まる。
「……露骨過ぎないか?」
「何のことだ?」
「……まぁ、いいだろう」
ジャックは紅音に背を向けると、肩を僅かに揺らす。
「何をしてるんだ?」
「……この右手じゃ器用なことはやり辛いんだよ」
そう言いながら振り返ると、ジャックの左手から手袋は無くなってた。
ジャックはその左手を差し出しながら、
「手袋したままだと、失礼だろ」
「……確かにそうだな」
紅音はジャックの言葉を認めると、彼の左手をすっと掴んでそのまま握手をした。
……。
…………。
「……もういいだろ」
握手をして十秒ほど経つと、ジャックは紅音の左手を振り払った。
そのまま彼は紅音に背を向けて、
「朝日が昇るか、状況が変わり次第お前……いや、お前達と合流する。それまでは別行動だ」
そう言って、ジャックはその場から立ち去ろうとするが、
「待て、まだ一つ聞きたいことがある」
「……なんだ」
紅音の言葉に、ジャックは振り返らず立ち止まる。
その彼の背中に向かって紅音は、
「お前はなんのために鵺を殺してるんだ?……目的も理由も複数あるかもしれんが、譲れない大事なものだけは教えろ」
「……何故だ?」
「同盟関係を結んだのに、目的を知らないで偶然妨害し合うことになったら同盟の意味が無い。だから、お前が邪魔されたくない一番の理由と目的を言え」
「……」
ジャックは悩んでいるかのように少し黙ったあと、
「……理由は言えない。ただ、一番の目的なら言える」
「なら、その一番の目的はなんだ」
「……」
ジャックは背中を紅音に向けたまま、空を見上げる。
そして、
「俺が鵺を殺してる一番の目的。それは――」
彼は影胞子の霧に囲まれた空をジッと見上げながら、
「――変身能力を持つ鵺を炙り出し、そいつから法臓を奪うことだ」
五十年間諦められなかった己の希望を、ボソリと口にした。
5
「……以上が、私がデザイアから聞いた情報です」
紅音は悪魔の腕を持つ鵺から。
葉月は魚人のような鵺から話を聞いたあと、二人は合流して情報の擦り合わせを行っていた。
「……なるほど。私が聞いた話とも矛盾してないな」
「そうですね」
葉月は神妙な顔で頷く。
……先程の『情報交換』にて、紅音と葉月が聞き出した情報は主に二つ。
今この地に居る六体の鵺の基本的な情報と、『始まりの鵺』の可能性がある鵺の情報だ。
「ジャックの方でも、黄金鎧の鵺が一番怪しいって言ってたんですね」
「二番目に怪しいのは常に寝ている鵺『レジィ』という奴だという所もな。……もっとも、レジィに関してはジャックもほとんど知らないようだったが」
「デザイアの方もそんな感じでした。……そして、ゼロとレジィと蛾の羽を持つ鵺の三人は組んで行動している……というよりゼロが二人を従えているようです」
「なら、そこは同時に相手取る必要があるかもな。……デザイアは友好的な態度を取ったものの、私達に協力する意思は無いんだよな?」
「……はい。デザイアは私に『次会う時は、気兼ねなく殺し合いましょう』と、そう言っていました」
「そうか」
紅音は普段と変わらぬ調子で頷く。
だが、目の前の後輩の表情に翳りが生まれたのを見逃していなかった。
そして、少女は合流していた時から、なぜか暗かった。
……。
「……葉月。ちょっとこっちに来い」
「?わかりました」
紅音は葉月を近くに呼び寄せる。
そして、そのまま少女を優しく抱き締めた。
「!?!?!?」
突然の紅音の行動に、葉月は口から心臓が飛び出しそうになる。
「そのまま、じっとしてろ」
「……」
茶髪の少女は言われた通り動かない。
すると、跳ね上がった心臓が落ち着くばかりか、葉月の全身はあたたかい安堵に包まれた。
(やわらかくて、あたたかい……)
そんなこと考えながら、葉月は目を瞑る。
……。
……三十秒ほど経った頃。
「……もう、いいか」
紅音が葉月をそっと離す。
葉月はちょっと残念な気持ちになりながら、目を覚まさせる。
「……いきなり抱き締めたりして悪かったな、葉月」
「いえいえ!なんとうか、すごく安心しましたから、はい!」
「そうか。そう言ってもらえると、助かる」
紅音は優しく笑う。
それを見ながら葉月は首を傾げて、
「でも、どうしていきなり?」
「……抱き締めたのは、葉月が不安そうにしてたからだ。葉月が鵺との話し合いで具体的に何をどう感じたのかまではわからないが、何かに不安を感じてて、その上悲しくなっているのがわかった」
「……バレて、ましたか」
「ここ二ヶ月近くずっと一緒に居るんだ。わからないわけがない」
紅音は優しい笑みを浮かべながら、
「ただ葉月を安心させる手段として、抱き締めたのは……昔、自分がそうされて安心したのを思い出したからだ」
「……紅音さんも、不安になることあるんですか?」
葉月はちょっと本気で驚く。
そんな少女の様子に紅音は目を丸くすると、
「……私はそんな完璧な人間じゃない。不安になることもある」
そう言いながら紅音は小さく笑う。
葉月もつられてクスリと笑ったあと、
「……紅音さん、一つ私の考えを言っていいですか」
少女は真剣な表情を浮かべる。
「……なんだ?」
そして、
「ジャックと手を組むのはやめた方がいいと思います」
紅音の判断に、異を唱えた。
それは、初陣で意地を張った時以来、初めてのものだった。
紅音は難しい表情をしながら、
「……理由は?」
「理由は、信用できないからです」
即答だった。
こんなの、考えるまでもないと言わんばかりに。
「……」
紅音は目を瞑って、考えるようにする。
しかし、紅音はすぐに瞼を上げて、
「……葉月。初めて、私とお前が組んで鵺を討伐した時のことを覚えているか?具体的なことは言わなくていい」
「はい。何を言ったのかも、何を言われたのかもハッキリ覚えています」
「……そうか。良かった」
紅音は無表情で頷くと、
「なら、私がこう言ったのも覚えているはずだ。『戦闘中じゃなくても、経験豊富な私の指示には逆らうな』と。だから、私の方針に従ってもらう」
「……!」
葉月は紅音の言葉に目を見開く。
だが、すかさず葉月は、
「はい、そうでした。了解です」
紅音の言葉にはっきりと頷いた。
それを見た紅音は優しく微笑んで、
「ありがとう、葉月。助かる」
謝意を込めた礼の言葉を、口にした。
(……今のやり取り、明らかにおかしかった)
紅音から数メートル離れ、水筒に入れた川の水――アーベントは川の水を飲んだくらいで具合は悪くならない――を飲みながら葉月は考える。
(紅音さんはさっき、『私がこう言ったのも覚えているはずだ。「戦闘中じゃなくても、経験豊富な私の指示には逆らうな」』って言ってたけど、実際には紅音さんはそんなこと言っていない)
むしろ『戦闘中じゃなかったり、戦闘中でも私の指示に命の危険を感じていたとかだったら、逆らったって全然良いんだ』という真逆のことを紅音は言っていた。
つまり、さっきの紅音の言葉は真っ赤な嘘。
その理由は恐らく、
(……誰かに盗聴されてる。少なくとも、盗聴されている可能性があると紅音さんは疑ってる)
だから、あんな風に嘘をついたんだろう。
ジャックと同盟を組んだ本当の理由を、その第三者に知られないように。
(……でも、それは何故?)
先程、紅音の嘘もとい演技にはすぐ気付いたため、葉月も咄嗟に『はい、そうでした。了解です』と紅音の嘘に合わせたのだが……嘘の理由自体はさっぱりわかっていなかった。
(そもそも盗聴してる可能性として紅音さんが想定しいたのは誰?同盟相手のジャック?それとも、始まりの鵺の第一候補のゼロ?)
それに『盗聴されてるかもしれないから理由は言えない』とすら言わなかったのも気になる。
恐らく『理由は言えないと口にした時点で、その理由は重要なもの』ということすら察せられるのを避けたかったのだろうが……それほどまでに慎重にならざるを得ない『理由』とは一体なんなのだろうか。
(同盟相手のジャックそのものに理由が?例えば、同盟の振りをして油断させたところを楽に倒すとか……。でも、楽するために、紅音さんが即断即決で鵺と戦わないのは違和感があり過ぎるし、そもそも鵺と手を組むこと自体が違和感。何かしらの理由でジャックが月原一騎さんの仇じゃないのを確信していて、本当の狙いは間接的な別の誰か?……それとも、始まりの鵺の正体に関係すること?それとも……)
葉月は悶々と色んな考えを思い浮かべる。
だが、しっくりくるものは、結局一つも出なかった。
6
「……」
悪魔の腕を持つ黒の鵺――ジャックは手袋に包まれた自身の左手を見つめる。
白い女と手を握り合った、その手を。
(……ただ、少し握手しただけなのにな)
そんなのは、わかってる。
なのに、どうして自分はあんなにも動揺した?
……。
……いや。
その理由は、嫌というほどわかっている。
(……あの時)
『死神』が、ノブレスと戦っていたとき。
ジャックは初めて『死神』とやらをこの目で観察しようとし、実際に『それ』を見た時のの衝撃は、何時間経った今でも思い返せる。
そして、その後自分が取った行動は、
(……同盟を組むのはまだ良い。当然の帰結だ。だが、なんで俺は自分の目的をあいつに話した……?)
『変身能力を持つ鵺を炙り出し、そいつから法臓を奪うこと』。
それはこの五十年、誰にも教えてないことだった。
もっとも、この鵺の巣において同族殺しが雑談できる相手など存在するわけがないのだが。
とはいえ、機会があったからと言って口にするような話でもない。
それなのに、口にしたのは、死神が『互いの邪魔にならないよう予め教えておけ』ということを言われたからであり、そう言われたからといって秘せずに教えたのは、
(……諦められなかったのか、俺は)
元々『どんなになっても諦められないだろう』と思ってはいたが、今のこの状況でなお諦めてないなんて。
己のことながら、驚きだ。
今初めて知ったが、自分はかなり強欲な鵺だったらしい。
「だけど、もし……」
……万が一でも、それで……。
……。
「馬鹿か、俺は……」
ジャックは一人、何かを後悔しているかのように吐き捨てする。
……。
(……いくら、考えてもしょうがない。ただ俺は)
いつも通り、体の奥から溢れる願望のまま、やらなければいけないことをやるだけだ。
それこそが、ジャックの名を自ら課した自分の生き様なのだから。
7
「つまんねぇなぁ……」
全身が踊り子風の白い『皮膚』で覆われている鬼女――ピースは、木々の間を歩きながら退屈そうにそう呟く。
(デザイアの奴、何に気付いたんだ……?)
雲林院葉月との情報交換してる最中、急にデザイアが驚いたから、一体どんな面白いことに勘付いたのか気になってデザイアと二人きりになった直後に尋ねたのだが、『あなたにも話す気ないから』と冷たい態度を取られた。
(折角、デザイアのはしゃぎよう見て良い気分になっていたのに、気が削がれちまった)
さて、次はどうしようか。
そんなことを、考えていた時だった。
「ねぇ、ピース。久し振り」
「あ?」
ピースは横から急に声を掛けられる。
その声の主は、
「……ゼロの腰巾着があたしに何の用だ?」
カラフルでありながら毒虫のような印象与える少女の鵺――アクトレスだった。
「腰巾着って言い方は酷いですよぉ。私はゼロ様が好きでゼロ様に付き従っているだけです⭐︎」
「それを腰巾着って言うんだよ、ばーか」
ピースは嘲笑いながら、目の前の鵺を罵倒する。
そうしながら、鬼女は首をわざとらしく異様に倒して、
「で、もう一度聞くが、あたしに何の用だ」
「ちょっとあなたに知らせておきたい話がありまして。それは――」
「お断りだ、馬鹿野郎」
ピースは表情を一切変えずに――いや、口角を更に上げながらアクトレスの台詞を遮る。
それに対してアクトレスは眉を不機嫌そうにピクリと動かすと、
「……まだ、ほどんど何も話してないんですけど」
「何を言っても全部断るから、別に最後まで聞く意味ねぇよ」
「……喧嘩売ってるんですかぁ?」
「いや?違うよ」
そう言いながらピースは目を細める。
その表情は、目の前の鵺を明らかに馬鹿にするものだった。
「あたしはさ、施されるのが嫌いだ。なんか上から目線で利用されてるようでムカつくんだよな。そういことをされると、なんだか無性にぶっ殺したくなる」
「……だから、私の話を聞かないと?」
「そうだ。あたしは欲しいものは自分の力で奪い取る。そうじゃなきゃつまんねーだろうが。ま、ゼロに寄生してるだけの奴にはわからねぇ感覚だろうが」
「……そうですかぁ」
アクトレスは顔を歪めると、右手を前に出す。
それが彼女の構えだった。
「そうですねぇ。私にはあなたの言ってることがわからないです。でも、一つだけちゃんとわかってることがあるんですよぉ」
「へぇ。そりゃ、なんだ?」
「簡単なことですよぉ」
アクトレスはニッコリと笑う。
そして、
「私があなたよりも強いってことですよ⭐︎」
彼女の手のひらから、黒い光線が放たれた。
影大砲。
六十年級以上の鵺が使える、影胞子のエネルギー砲である。
「……ハッ」
ピースは鼻で笑いながら、同じく影大砲をぶつけることで、アクトレスの影大砲を押し留める。
しかし、それも僅か三秒。
アクトレスの影大砲はピースのそれを掻き消し、真っ直ぐ突き進む。
だが、
「ま、躱しますよねぇ」
アクトレスは笑いながら甘ったるい声を出す。
その視線の先には、腕から黒い血を流すデザイアが居た。
「ふふ。でもそれも時間の問題。私の法臓の発動条件が満たされてないのは減点ですが、影大砲だけであなたを十分圧倒できそうです」
「……舐めてるねぇ」
「そりゃ舐めますよぉ。だって、あなたは六十年級鵺で私は八十年級ですもん。そもそもの格が違います」
「……」
六十年級と八十年級。
十年の間が空くだけでも明確な力量差が生まれると言われており、二十年も差があったらアクトレスの言葉通り正に格が違う存在と言えるだろう。
だから、アクトレスは、
「それでもう一度聞きますが、私の提案、聞いてくれますか?」
「あんたを死に損ないにまで追い詰めた後に、ゆっくりと聞いてやるよ」
「……あっそ」
アクトレスは再び右手を構える。
もう一度……いや、何度でも影大砲を打ち込めるように。
しかし、
「……ハハッ」
そんな殺意剥き出しのアクトレスに対し、鬼女は楽しそうに嘲笑う。
この程度、窮地でも何でもないと言わんばかりに。
8
「……」
霧の隙間から僅かに入る月光が、とある女の純白の髪を煌めかせる。
その儚げな光を纏った白い女――月原紅音は、一糸纏わぬ姿で川に膝まで浸かっていた。
そんな彼女の周りには、紅音の血で作った赤いカーテンに覆われており、白い女の周りは光の反射で仄かに赤く染め上げられていた。
「……」
雲林院葉月には、ここに近付かないように言ってある。
『自分はこれから精密作業に入るから、話しかけないでくれ』といった風にだ。
「……葉月、すまない」
先程、唐突に演技に付き合わせたこともそうだが、これからやる『精密作業』は葉月に対して裏切り行為だ。
はっきり言って、嫌われたっておかしくない。
「……すまない」
紅音はもう一度、葉月に対して呟く。
そして、紅音は上を向きながら目を瞑る。
目を瞑って、『彼』のことを思い出す。
「…………一騎」
白い女は、『彼』の名前を万感の想いを込めて囁く。
直後、彼女は申し訳なさそうな声で、
「……これは、あの時、私がお前に向けた誓いを破る行為なのかもしれない」
懺悔のように、そうボソリと呟いた。
……。
……わかってる。
今から自分がしようとしていることが、一騎の意に沿わないだろうことはわかってる。
なぜなら、この『精密作業』に失敗したら、彼女は死ぬことになるのだから。
「でも」
それでも、彼女は、
「例えどんなことがあったとしても、この願いだけはどうしても譲れない」
決して後戻りはできない致命的な第一歩を、躊躇無く踏み出した。




