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過去編 一騎の思い出


過去編 一騎の思い出




 誰かの役に立って、誰かを助けて、そしてなるべく早く死にたい。

 そう、思ってた。

 ずっと本気で、そう思ってたんだ。




 1976年4月


「行ってきます」


 俺は誰も居ない家に向けてそう言葉を放つ。

 もうここには自分一人しか住んでない。

 三年前から、ずっとそうだ。


「……」


 ――交通事故だった。

 家族四人で歩いてる中、トラックに突っ込まれて、母さんと父さんと、そして妹の二葉が死んだ。

 俺は奇跡的に擦り傷で済んだが、自分の怪我なんてどうでも良かった。

 ただ、愛する家族が死んだのが悲しくて、心がズタボロに引き裂かれただけだった。

 ……その後、俺は一人で暮らすことになった。

 勿論親戚の家……具体的には俺の後見人となった叔父さんの家で住むという話もあった。

 でも、それを俺は断った。

 叔父さんや従兄弟達が嫌いとかそんなんじゃない。

 ただ、知らない家で家族でもない人と一緒に暮らすよりも、家族と過ごしたこの家で過ごす方が良かっただけの話だ。

 叔父さんはそんな俺の考えを受け入れて、この家に一人で住むことを許可してくれた。


「……」


 ……家族が全員死んで、俺は独りになった。

 テストで良い点を取ると褒めてくれる母さんも、たまに遠くに遊びに連れて行ってくれる父さんも、宿題手伝って欲しいと頼ってくる妹も、もう居ない。

 俺を必要とし、俺が必要とする人は誰もいない。

 そんな人生、一体どこに価値がある?


「……」


 俺は首を横に振りながら道を一人で歩く。

 ……こういう考え方はダメだ。

 無駄死にを望むような生き方は、絶対にしてはいけない。

 それは、家族の中で一人だけ生き残ってしまった自分の義務だ。

 だから、俺は。

 良い奴になって、人を守って助けて、そうして早く死にたい。


「……」


 ……。

 ……今日は、高校の入学式だ。

 そこには中学からの友達も結構居る。

 なら、楽しいだろう。

 心の底から笑うことはできなくても、楽しいことをして、良い奴の振りをして、愉快に暮らそう。


「……?」


 そんなことを考えながら、高校への通学路を歩いている最中。

 交差点に、大荷物を持って困っているお婆さんが居た。


「……」


 お婆さんは少し歩いてはビニール袋を落としては拾っている。

 明らかに、めちゃくちゃ困っていた。

 俺は足を止めて、腕時計をチラリと見る。

 ……初登校とはいえ、一度受験で訪れているから、どのくらい時間がかかるのか大体わかる。

 現時点でもう既にギリギリで、お婆さんを手助けする時間なんてない。

 もし、高校最初の日に遅刻したら、印象は良くはないだろう。

 そうしたら、中学までの『陽気でありながら優等生キャラ』を早速潰すことになる。

 そんなくだらないことを、少しだけ考えた。


「……」


 俺は止めてた歩みを再開する。

 高校の方ではなく、婆さんの――


「……その荷物、持とうか?」


 高校生が、婆さんに声を掛ける。

 しかし、その高校生は俺ではなかった。

 交差点の横……つまりは俺が居る場所とは全く別の方向から現れ、婆さんに声を掛けていた。

 俺は出鼻を挫かれてその場で止まる。


「……え、良いんですか?」


「大丈夫だ。このぐらいなら、簡単に持てる」


 婆さんとその高校生は、俺の立っている場所から十メートル以上離れていたためか、少々不審に動きを止めていた俺には気付かず会話を続ける。

 というか、


(……あれ、あのセーラー服、うちの高校の制服か?)


 その高校生は、女の人だった。

 黒く綺麗な髪を腰まで伸ばし、顔はまるでお人形さんのように整っていた。


(……綺麗な人だなぁ)


 見た目は勿論、それ以上に行動が綺麗だと思った。

 高校初日に遅刻してまで人助けするとか、素直にカッコいいと思う。


(……あ、でも先輩の可能性もあるのか)


 むしろ、そう考えるのが普通だろう。

 人数の割合的な意味でも、行動のハードル的な意味でも。

 ただ、どっちにしろ、綺麗で格好良いことには変わりなかった。

 そんなことを考えてるうちに、視線の先の二人は歩き出す。

 学校とは、真逆の方向に。


「……」


 俺はその姿を一瞬見つめていると、ふと思い出したかのように時計を見る。


「……やば」


 あともう少しで、入学式に遅刻しそうだ。

 人を助けて遅刻ならともかく、見惚れてて遅刻とか最早意味がわからない。


「……」


 俺はやや駆け足で学校に向かう。

 だけど、頭の中では、さっきの綺麗な先輩のことばかり考えていた。








 高校初日。

 入学式が終わり、クラスのHRでそれぞれの自己紹介の時間が終わった頃、彼女は現れた。


「私の名前は篠川紅音です」


 大遅刻の言い訳を一言もしなかった彼女は、自己紹介を求められると短く自分の名前だけを無愛想に告げた。

 というか、


(同じ学年だったのかよ!)


 くじ引きで決まった席で、彼女の隣の席に座っていた俺は強い衝撃に打たれていた。

 ……また会えたら良いなと思ってはいたものの、まさかこんなすぐに会えるとは思っていなかった。

 しかも、同学年ということは、こいつは高校初日に遅刻することを覚悟して困っているお婆さんを助けたということだ。

 しかも、それを遅刻の言い訳として一切自分から口にしようとしない。


(何だ、それ。かっこ良過ぎる)


 多分だけど、こいつは自分なんかと違って、本物の『良い奴』だ。

 ……よし。

 HRが終わったら絶対に声を掛けよう。

 そんなどうでもいいことを、強く決意した。





「じゃ、お前ら仲良くするようにー」


 担任は適当な感じでそう言って、教室を後にした。

 俺は早速隣の席の女の子に、


「なぁ、確か篠川、って言ったよな。お前のこと、今日の朝見かけてたんだけど、お婆さん助けてたよな。そういうの、格好良いと思う」


 少しだけ、気持ち少しだけ大きな声で話しかける。

 皆が異物なもののように見ているこの女の子は、実は良い奴なんだってことを周りに知って欲しくて。


「……」


「……」


 ……とはいうものの。

 話しかけた相手は、やっぱり篠川紅音って女の子なわけで、何も反応が無いのは寂しい。


(……窓の外になんかあるのかな)


 そう思って、後ろから覗き見るものの、外には特に何も無い。

 多分、空を見るのが好きなだけなのだろう。

 ……。

 もしかして。


「……あの、篠川?俺の声、聞こえてる?」


 再び声を掛ける。

 すると今度は無反応ではなく、空から視線を外し俺の方に振り返る。

 その顔は無表情ながらも、瞳から驚きを訴えかけるもので、俺に話しかけられていたことに今気付いたようだった。

 俺はホッとしながら、


「お、振り向いてくれて良かった。無視されてたらどうしようかって、すごい不安だった」


「……」


 篠川は無言でこっちを見つめてくる。

 ……そういえば。


「あ、そうだ。篠川、遅刻してきたから俺の名前知らないよな?俺の名前は月原一騎っていうんだ。とりあえず、一年間よろしく」


 そう言って、俺は握手をしようと手を差し出す。

 すると彼女は、身じろぎ一つすることなく、俺の手をジッと見つめていた。

 ……。


(……少し、馴れ馴れしかったかな)


 俺は無言で手を引っ込める。

 でも、俺は結構図々しい人間だったから、めげずに、


「とにかく、隣の席同士、仲良くしてもらえたら、俺としては嬉しいかな。ま、適当に楽しくやろ。よろしく」


 そう言って、目の前の彼女に向けてヒラヒラと手を振った。

 すると彼女は、無表情のまま俺と同じように手を振り返してくれた。

 ……。

 ……やばい。

 こいつ、良い奴な上に面白い奴だ。

 続けて何かを言おうと俺は口を開こうとする。

 正に、その時、


「よぉ、一騎!中学に引き続きまた一緒だとかクソ笑えるな!」


 昔馴染みが、大きな声で近付いてきていた。

 俺はそっちの方に振り返りながら、


「お、木村か。このクラスに居たのか、知らなかった」


「自己紹介体張ったのに、酷くね!?」


「冗談だよ。本気にすんな」


「なんだよ、なんだよ!!ビックリしちまったじゃ――」


「木村、あんた、さっきからうるせぇぞ!!」


 俺の右隣の右隣に座っていた山崎が、立ち上がりながらこれまた大きな声で木村の声を遮る。

 それに対して木村は、


「おめーの方がうっさいわ、山崎ひかり!ってか、横からしゃしゃり出て来るんじゃねぇ!」


「そんなの私の自由ですー!じゃあ月原に聞くけど、私より木村の方がうるさくて鬱陶しいよな!?さっきの変顔ネタも滑ってたし!」


「えっ、うそ、滑ってたの!?」


「……あのな。お前ら、どっちもめちゃくちゃうるさいからな?」


 俺は笑いながら、隣の席をチラリと見る。

 すると、篠川は再び空を見ていた。

 少し、残念。

 だけど、気にするほどでもないだろう。

 だって、高校生活は始まったばかりなのだから。


(……あれ)


 正直、高校生活なんて、何一つ期待していなかった。

 程よく適当に過ごせれば、それで良いと思っていた。

 そうだったはずなのに、何かを予感して俺の胸は少しだけドキドキしていた。





 1976年10月


 高校に入学してから、半年。

 隣の席の女の子と、仲良くなった。

 最初は一方的に話し掛けているだけだったけど、彼女からも時々話しかけてくるようになって、会話の中で時折笑顔を見せてくれるようになった。

 この笑顔がまた飛び切りに可愛い。

 出会った当初は、篠川紅音は綺麗系の女の子だと思ってたけど、それは勘違いだったことに気付かされた。

 彼女は綺麗で可愛かった。

 ……。

 ……彼女は自身のことを『感情表現が苦手な人間』だと思ってそうだが、実は全然そんなことはない。

 瞳が大きいからか、彼女の目を見ているだけでどんな感情を抱いているか伝わってくるし、そもそも彼女は嘘を吐かずハッキリと自分の意思を伝えることができる人間だ。

 その証拠というのも変な話だが、彼女はよく『ありがとう』って言葉を口にする。

 それだけなら普通のことかもしれないが、基本的に無表情な彼女が、その時には凄く嬉しそうな笑顔を浮かべるのだから、これが可愛くないわけがない。

 ……。

 まぁ、色々言ったけど。

 要は、俺は篠川紅音という人間に惚れているという話だった。

 夏休み中も花火大会に誘ったりもしたし、現に今も、俺は彼女と一緒に帰り道を歩いている。

 最初は俺の方から帰りの約束を持ち掛けていたのだが、段々と彼女の方からも誘ってくるようになってきて、実際今日は彼女に誘われて一緒に帰っていた。


「紅音って、『アーベント』って知っているか?」


 俺は歩きながら適当に話を振る。

 ……もう慣れたとはいえ、彼女と下の名前で呼び合う関係になれたのも何となく嬉しい。

 俺に世間話を振られた紅音はこっちの方に顔を向けて、


「勿論、知っている。ただ、私の知り合いでアーベントは居ないな」


「そうなんだよなー。俺の知り合いにも居ないし、この学校にも居ないんだと。そんなに多くないのかな?」


「まぁ、世界で二十万人程度らしいからな。数としては多いだろうが、割合としてはそこまで多くないだろ」


「それもそっか」


 俺はウンウンと頷く。


「ただ、俺、知り合いにアーベントは居ないけど、アーベントを見たことはあるんだよな。しかも、仕事してる最中の」


「……一騎、もしかして『霧』に巻き込まれたことあるのか?」


「ああ、一度だけ。あの時はビックリしたなぁ……」


 俺はサラっとその時のことを語るが、俺は一つだけ小さい嘘……というより誤魔化しをした。

 ビックリしたのも本当で、霧の中に入り込んだのが一回だけというのも本当だ。

 ただ一つ違ったのは、俺は霧に巻き込まれたわけではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「お前、無事で良かったな……」


 紅音は本気で心配そうな声を出す。

 ……少しだけ、罪悪感。

 だけどその理由を言うわけにもいかず、明るい声色のまま俺は、


「生で見たアーベントはすごかったよ。なんか炎を出して怪物と戦ってたんだけど、まるでテレビ番組のヒーローみたいだった」


「……一騎、お前、もしかして将来アーベントになりたいのか?」


「ああ」


 俺は紅音の問いに即答する。

 ……そう。

 それが、自ら霧に飛び込んた理由だった。

 だが、仮に影胞子に感染したところで、アーベントになる確率は極低く、逆に鵺の方になったら無駄死にどころか人への被害をもたらすかもしれない。

 例え鵺にならなくても、アーベントの救助活動の邪魔だろう。

 そう考えを霧の中を歩いてる途中で改めたため、すぐに霧から脱出し、自ら霧の中に入ろうなんて馬鹿な考えは捨てたが……アーベントへの憧れが消えたわけじゃなかった。

 隣に居る紅音は俺の返答に眉をピクリと動かして、


「……聞いといてアレだが、アーベントは望んでなるものじゃないだろう。職業としての『アーベント』は、異能者としての『アーベント』に残された数少ない道の一つのはずだ」


「でも、願うのはいいだろ?超能力ってのに少しだけ憧れる。紅音はそうじゃないの?」


「……まぁ、多少はあるかも」


 紅音は軽く頷く。

 ……俺の憧れを、僅かでも肯定してもらえるのはやっぱり嬉しい。

 それが紅音なら、尚更だ。

 だから、俺は少しだけテンションを高くして、


「やっぱちょっとは憧れるだろ?だから、俺はアーベントになって、鵺から人を守るヒーローになりたい」


「……そうか」


「そして、人を守って助けて、死にたい」


「……」


「死ぬ時って、人生という物語の終わりだろ。だから、その物語の最期に人を怪物から守るのって、最高にカッコいいんじゃないかって俺は思う。だから、そんなアーベントになりたいって俺は思うよ」


 ――そうすれば《そうなっても》。

 意味無く生き残った俺の人生に《どうせしんだって》、価値が生まれると思うから《だれもかなしまないだろうし》。


「……」


「……あの、紅音?」


 俺は紅音の顔を見て僅かに固まる。

 紅音の顔が、まるでどこか怒ったかのように見えたからだ。


「……あ、俺の話つまらなかったか。いきなり語り出して悪か――」


「違う。そうじゃない」


 紅音は強い口調で俺の言葉を遮る。

 そんなのは知り合ってから半年の中、初めてのことで俺は目を丸くする。


「月原一騎」


 紅音は足を止めるから、俺も足を止める。

 その状態で紅音は、


「恥ずかしいからこういうことは本当なら言いたくないが、敢えて今言う。私は、お前のことを大事な友達だと思ってる。お前が私のことをどう思ってるかは知らないが」


「……ちょっと待て」


 俺は紅音の強い口調と言葉に驚きながらも、否定のための言葉を紡ぐ。


「俺もお前のことを大事な……友達だと思ってるぞ。だから、そんな言い方しないで欲しい」


「じゃあ、なんで笑いながら言った」


「え?」


 俺は首を傾げる。

 紅音が何を言いたいのか、本気でわからなかったからだ。

 そんな俺の方をジッと睨みつけながら、彼女は、




「友達が、例え人助けする上のことだとしても、『殺されて死にたい』って意味のことを楽しそうに話しているのを見て、気分が悪くならないわけないだろうが」




 そんなことを、はっきりとしながらも震えた口調で呟いた。

 ……。

 …………。

 ……え?


「別に人助けに憧れるのは、まだ良いんだ。アーベントじゃなくても、警察官や消防士とか。立派で人に誇れる仕事だと私は思う」


 彼女の口は止まらない。

 怒りと、心配が込められたその口調のままで。


「でも、死ぬこと前提でやるのはダメだろうが。自分の死に方を求めて、殺され方を望むのは、ダメだろうが……」


 彼女は、心配している。

 俺のことを、本気で心配してくれてる。

 こんなの、ただの与太話なのに。

 どうでもいい、俺の話なのに。

 彼女の心配は、真に迫るものだった。


「……余計なお世話だった。すまない。でも、私の前でそういうことは言わないで欲しい」


 紅音は目を逸らす。

 しかし、彼女の表情は悲しげなもののままだった。

 ……。

 …………。


(あれ)


 何故か。

 俺の瞳からは、涙が溢れそうになっていた。


「……え」


 視線を俺に戻した紅音が、驚きの声を漏らす。

 涙目になった俺本人でさえ驚いているのだから、当然の反応だった。


「いや、これは、違う。違うんだ……」


 俺は自分の顔の前に手をかざして、紅音の視線から顔を隠す。


「ごめん、数秒待って」


 そう言って、紅音を少し待たせる。

 ……あぁ。

 勘違いを、するな。

 紅音は優しくて、良い奴なんだ。

 良い奴だから、死にたがりのようなことを口にした愚か者を心配しただけなんだ。

 そんなこと、重々わかっているのに。

 俺は、愛してくれる人が誰も居ない、無価値な人間のはずなのに。

 まるで、彼女に俺という存在が認められたような、そんな気がした。

 生きる価値を認めてもらえたような、そんな気がした。


「……あのさ」


「なんだ」


 俺は手を下ろして、私と再び目を合わせる。

 そして、


「さっきは、変なこと言ってごめん。もうあんなことは二度と言わない。約束する」


 ……考え方がすぐに変わったわけじゃない。

 でも、優しい彼女が言葉にしてくれた本気の心配を、無下にしたくないって心から思った。


「それなら、良かった。助かる」


 紅音は安心したように明るく笑う。

 ……あぁ。

 やっぱり、考え方が簡単に変わったりはしないけど。

 彼女のこの笑顔を裏切りたくないって、素直にそう思えた。





 1977年1月


 隣の席の少女と出会ってから、九ヶ月経った。

 二ヶ月前には、紅音と一緒に学園祭を回ったり、この間の冬休みにはショッピングモールでデートした。

 デートの際、雪が降ってロマンチックになって、そこらかしこカップルだらけだったからか、俺はテンパって『……手、繋いで歩かないか?ほら、今寒いし』とか訳のわからないことを言ってしまったのだが、紅音はクスリと笑って手を握ってくれた。

 その時、俺の顔は熱くなっていたが、目の前の紅音も顔を赤くしていたのを覚えている。

 ……。

 ……正直に言って。

 俺は、紅音に恋をしている。

 可愛い所も、クールで格好いい所も、さらりと人を助ける優しい所も全部好きだ。

 そして、俺と紅音は結構仲良いと思う。

 向こうも多分、俺のことを悪く思ってない……はずだ。

 だから、俺が紅音にこう言うのは、ある意味当たり前のことだった。



「俺、紅音のことが好きだ。俺と付き合ってください」



「何を言ってるんだ、お前」



 ……その後のことは、あまりよく覚えてない。

 ただ、紅音に振られるのがこんなにショックなことだと思わなかった。

 ……紅音はわかりやすい奴だ。

 だから、悪意など微塵もないこともわかるが、照れ隠しでも揶揄いでもなく、純粋に驚いていることもわかってしまった。

 それほどまでに、俺が告白するのはあり得ないことだったのだろう。

 ……。

 ……別に、自信があった訳じゃないんだ。

 仲良いとは思ってたけど、それだって友達止まりの可能性が高いと思ってた。

 だって、俺にとって紅音は特別な人間だけど、紅音にとって俺はそうじゃない。

 俺は周りにどれだけの人が居ようが、紅音だけが俺にとっての特別だった。

 だけど、紅音から見て俺はそうじゃない。

 紅音の良い所に偶然一番最初に気付いたのが俺というだけの話だ。

 運良く仲良くなれただけの男を、特別な相手に選ばないのは当然の話だった。

 ……だから、本当はもう紅音に関わらない方が良いんだろう。

 そんな人間、全部諦めて身を引いて、紅音と関わらない方が彼女のためなんだろう。

 ……。


「……嫌だ」


 自然とそう言葉を溢していた。

 絶対に、嫌だ。

 今までみたいに紅音と一緒に居られないんじゃないかと思うだけで、胸が張り裂けそうなほど苦しい。

 例え自分勝手でも、諦めたくない。

 今までみたいに彼女と一緒に居続けたいって、振られた今でも強く思った。

 ……あぁ。

 俺、紅音のこと、好きだなぁ。




 ――告白して振られた次の日。

 俺は、懲りずに紅音に話しかけた。

 仲直り……とは違うが、『もう一度仲良くしたい』という話を、紅音にしたかったから。

 とは言うものの、勿論、紅音が嫌そうなら、やめるつもりだった。

 好きな子に嫌な思いをさせるのは、絶対に嫌だったからだ。

 しかし、実際は、紅音は俺が話しかけると驚き、次の瞬間には顔を喜色に染めていた。

 ……紅音は、本当に感情がわかりやすい。

 俺は嬉しくなって、つい笑みを浮かべる。

 そして、


「……紅音、少し話聞いてもらってもいい?」





 ……仲直り、できた。

 彼女は俺が『これからもよろしく』と差し出した手を握ってくれた。

 その時の彼女の顔が真っ赤っかだったのは、本人には言わない方がいいのだろう。

 ……瞳だって少し濡れかけていて、内心かなり嬉しかった。

 だからつい笑っちゃったら、彼女は拗ねて窓の外を見始めた。


(……赤くなった耳は見えてるんだけどな)


 ……。

 ……どうしよう。

 こいつ、めちゃくちゃ可愛い。


「……?」


 周りから視線を感じ、俺は後ろを――教室を振り返る。

 すると、クラスメイトほぼ全員から、生暖かいニヤニヤとした笑みを向けられていた。


「……」


 俺は固まる。

 ……周りの目を、何も考えてなかった。

 だけど、仕方ないことだ。

 紅音と朝一番に話をしたかったのだから、こうなるのは当然だった。


「……フ」


 俺は小さく笑う。

 そして、周囲の連中に中指を突き立てた。


「「「「「おめーらが勝手に見せつけたんだろーが!!」」」」」


 クラス中から、そう叫ばれる。

 ……ごもっとも。






 1979年3月


 ――高校三年間、色々あった。

 その三年間の大部分を、紅音と一緒に過ごした。

 俺から誘って一生に遊園地に行ったり、紅音から誘ってくれて紅音の家に遊びに行ったりした。

 二人で授業をサボって、森林浴をしたりもした。

 それらの何気ない日常の全てが、俺にとっての宝物だった。

 本当に、楽しい日々だった。

 そして、今日。

 俺達の高校の卒業式があり、俺と紅音を手を繋ぎながらゆっくりと帰り道を歩いていた。

 その最中に、俺は紅音から


「じゃあ話すから、適当に聞き流してくれ」


 中学の頃の、紅音の話を聞いた。

 ……。

 …………。


「……話、長くなってしまったな。すまない」


 紅音は、謝る。

 彼女にとって辛い記憶のはずなのに、彼女は謝る。

 ……噂に、聞いたことはあった。

『篠川紅音は、警察沙汰にはならなかったものの、中学のころに暴力事件を起こしたことがある』という噂だ。

 紅音が理由もなくそんなことする訳ないと思ってたから、根も葉も無い出鱈目か、余程の理由があったかのどちらかだと思っていたのだが、後者の方だったらしい。


「……」


 ――この三年間、紅音に対して、一つ疑問に思っていたことがある。

 何故、周囲に壁を作っていたのかということだ。

 ……人間嫌いとかだったら、まだわかる。

 だけど、紅音はそうじゃない。

 紅音は困ってる人が居たらつい助けるような人だし、山崎ひかりみたいに仲良い人と居る時の紅音は本当に楽しそうだ。

 そんな風に人と一緒に居られる彼女が、入学当初、人との間に壁を作っていたのかと不思議に思っていたのだ。

 でも、今、理由がわかった。

『クラス中から嫌がらせを受けて、それが終わったかと思ったら学校中から無視される』

 そんな経験したら、誰だって他人なんて信頼しなくなるだろう。


「……紅音」


 紅音は、さっき何でもないことのように語ったけど、そんなこと無いのはわかっていた。

 人と一緒に楽しく笑い合える奴が、一人ぼっちの中学三年間が寂しくなかったわけがない。


「紅音」


 そんなことを考えていたら、俺は紅音の名前を呼びながら彼女を抱き締めていた。


「一騎?」


「……悪い、紅音。少しだけこうさせて」


 ……。

 ……クラスメイトに、自分の大事な物を壊された時、どんな気持ちだっただろう。

 友達に無視という形で裏切られた時、どんな気持ちだったんだろう。

 その時の紅音の気持ちを、その場に居もしなかった俺がわかるはずもない。

 だけど、彼女が大変で、辛くて、悲しかったことだけはわかるから。

 そんな思い、二度として欲しくないから。

 俺は――


「……味方だから」


「え?」


 俺の声が小さかったからか、紅音は聞き返す。

 だから、今度はハッキリとした声でこう言った。



「どんなことが起きても、何があっても、俺は紅音の味方だから」



 それは、これ以上ないほど、俺の本心の言葉だった。

 例え、紅音が何を敵に回しても、どんな物が紅音を裏切ったとしても、俺は紅音の味方であり続けたい。

 自然と、そう思えた。


「一騎」


 紅音が、俺の名を呼ぶ。


「……何?」


 そして、


「――ありがとう」


 彼女は俺を、抱き締め返した。

 その時呟いた彼女の声は、安心し切ったものだった。




 ――彼女は、強い。

 俺なんかより、ずっと。

 そんなことわかってるけど、彼女だって傷付かないわけじゃない。

 不安にならないわけじゃないんだ。

 だから、俺は彼女を守りたいと思った。

 別に、それは優しさなんかじゃない。

 俺は紅音と違って、そんな良い奴じゃない。

 ただ俺は、紅音のことが好きだった。

 そう思えてしまうほど、紅音が好きだっただけだ。

 それだけの、自分勝手な純情だったんだ。





 1982年4月


 俺と紅音は同じ大学に進学した。

 そして、一緒に過ごした。

 一緒に飯を食べて、一緒に勉強して、一緒に遊んで、一緒に寝た。

 そんな日々が、途轍もなく幸福だった。

 楽しい時は勿論、そうじゃない時も。

 紅音が隣に居るだけで、俺は幸せだった。

 ずっと一緒に居て欲しいって、そう思った。

 だから、俺は、


「俺は紅音のことが好きだ。愛してる。ずっと一緒に居たいって、紅音と一緒に幸せになりたいって、心から願う」


 この想いを、目の前の彼女に伝えたくて。


「だから」


 彼女と一緒の人生を歩みたくて。

 俺は。



「篠川紅音さん。僕と結婚してくれませんか?」



 ルビーが付いた指輪を出しながら、彼女にプロポーズをした。

 ……。

 ……不相応なのは、わかっている。

 誰よりも可愛くて、何よりも綺麗な彼女の結婚相手に、自分が相応しくないことなんか重々わかっている。

 でも、それでも、俺は彼女が好きだ。

 強いところも、カッコいいところも、可愛いところも、弱いところさえも。

 彼女の全てが愛おしくて。

 俺は紅音を、心から愛していた。

 だから、プロポーズをした。

『これからもずっと一緒に居て欲しい』とそう願いを込めながら。


「……」


「……」


 ……俺も紅音も、何も言わない。

 一言も発しない。

 ただ、彼女は、大粒の涙を溢していた。

 彼女がこんな風にハッキリ泣いたのは、知り合ってから六年の間で初めてのことだった。

 そして、彼女は。

 これ以上無いほど嬉しそうな笑みを浮かべて。




「はい」




 と、俺が一番欲しかった言葉を、大きく頷きながら返してくれた。





 ――良かった。

 本当に、良かった。

 ……ずっと、どこか不安だった。

 いつか別々の道を進んで、紅音は俺から離れてしまうんじゃないんかって不安だったんだ。

 でも、それも今日でお終い。

 紅音は俺のプロポーズを受けてくれた。

 惚れ直してしまいそうなくらい、明るく可憐な笑みを浮かべながら。

 ……あぁ。

 今日、ずっと好きで、愛している女にプロポーズを受け入れてもらえた。

 これが嬉しくないわけがない。

 正直、泣きそうだ。

 今世界で一番幸せなのは俺だと、自信を持って言える。

 だから、ありがとう、紅音。

 本当に、ありがとう。

 ……愛してる。






 1982年6月


『それ』は、捨て去った夢のはずだった。

 今はもう、そんなこと望んでいなかったのに、『それ』は叶えられてしまった。

 ……本当は、紅音から離れるのが一番良い選択なのかもしれない。

 だけど、俺はどうしても一番の願いを捨てれなくて。


『……それで、紅音。一つ、俺の自分勝手なわがままを聞いて欲しいんだ』


 それに対して、紅音は、


『私だって、一騎とずっと一緒に居たくて、一騎と一緒に幸せになりたいって思ってる。何があったとしてもだ』


 優しい微笑みを浮かべながら、


『だから、そんな不安そうな顔をしないでくれ。私はずっと、一騎の側に居るから』


 俺と全く同じ願いを、口にした。

 ……。

 ……あぁ。

 そうだな。

 俺も、ずっとお前の側に居たいから。

 お前のことを、心から愛しているから。

 ずっと一緒に居て、一緒に幸せになろう。

 ……紅音。






 1984年3月


 ――俺は今アメリカ合衆国のカリフォルニア州に居る。

 正確には、カリフォルニア州のエンジェルス国有林に根付くスポットの中に居た。

 スポット内に存在する鵺全てを討伐するためだ。


「……ッ、ハァハァ」


 ――実は、俺は内心、この作戦に懐疑的だった。

 街中に現れた鵺を殺すのはわかる。

 そうしなければ、街の人々や大切な人が殺されてしまうからだ。

 しかし、スポットは違う。

 もうそこに人はおらず、徐々に広がっていくのは確かに問題ではあるものの、それも決して速くないため、もうそこは放置した方が良いのではないかと、そう思っていた。

 どこかの怪しい団体ではないが、放置しといてもいいものを、リスクを負って殺しに行くのは如何なものかと、そう思っていた。

 しかし。

 その考えは間違っていたのだと、森の中に入って二時間も経たずに気付かされた。




『ギャハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!』




 今でも、その哄笑が耳から離れない。

 下級(スート)中級(オルデン)上級(ヘルト)も。

 スポットに侵攻してすぐに現れた、たった一体の、若い男性のような鵺に殺された。

 その鵺は、明らかに異様だった。

 強さは勿論、人型であることもそうだが、その鵺が近付いたアーベントが次々に鵺へと変わっていくのだ。

 アーベントは影胞子に適性があるため、鵺に成りにくいにも関わらずだ。

 そして、更に異様だったのは。

 その男性型の鵺が殺していたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()

 その鵺は、鵺になってないアーベントを殺した。

 そして、鵺になった者も、殺した。


『ギャハハ』


 楽しそうに笑いながら、目に付くもの全てを殺していた。


『ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!』


『て、撤退!総員撤退!』


 撤退の命令が出るのも当然だった。

 だが、全てが遅過ぎた。

 スポットから出るには俺達は森に入り過ぎており、その鵺の強さは俺達の戦力全てを足しても優に上回っていた。


(あれは、駄目だ)


 見るからにわかった。

 あれは、生きてたら駄目な存在だ。

 ……ただ、殺すだけならわかるんだ。

 自衛のため人間を殺すというだけなら、まだわかるんだ。

 でも、あれは明らかにそうじゃない。

 何かを守るためとか、そんなんじゃない。

 それだったら、鵺を殺す必要がないからだ。

 あれはただ、楽しいから殺していた。

 楽しそうに楽しそうに笑いながら。

 人も鵺も、殺していた。


(……あの鵺……)


 走りながら、思う。

 あの鵺は、身体中から影胞子を周囲に異常な量を垂れ流していた。

 それは、始まりの鵺の証。

 つまり、あんな危険な鵺が、この世で最も強い存在だということで、鵺である以上これからもっと成長するということだ。


(そんなの駄目だ)


 ――もしかしたら。

 もしかしたら。

 あの鵺は、放っておいたら、いつか人を……いや世界を滅ぼすのだろう。

 そう確信させるだけの何かが、あの鵺にはあった。

 だから、本当は、今の時点で殺しとかなければならないんだ。

 でも、そんなことは、多分誰もがわかっていた。

 だけど、部隊長達は『撤退』を指示した。

 それは、今は絶対に勝てないことも、誰もがわかっていたからだ。

 故に、次に託すことにしたのだ。

 今ここで無駄死にするよりも、今を生き抜いて情報を持ち帰って、次に繋げることに希望を託したのだ。

 でも、それすらも。


「……はぁぁあ!!」


 俺は自身の固有能力をもって、目の前のユラユラ揺らいでいたクラゲのような鵺を殺す。

 ……そう。

 今俺達が居るのは、鵺の巣(スポット)

 つまり、鵺はそこら中に生息しており、『始まりの鵺』から逃げようとも、それらから襲われるということだ。

 ……道中、水龍のような鵺もいれば、物語で出てきそうなヴァンパイアのような鵺もいた。

 その二体も先の『始まりの鵺』ほどではないにしても異様に強く、上級(ヘルト)全員殺されてしまった今の状況で、その鵺に勝てるアーベントは誰も居なかった。


「ハァハァ」


 今はそれぞれの四人のチームごとに逃げていて、俺は一人殿をしていた。

 そして鵺を片付けたから、ボロボロの体を引き摺って、先行してるチームメイトを追いかけた。

 でも。


「……川澄、加山、藤木」


 日本で活動していた時のチームメイトの名を呼ぶ。

 そいつらは皆、死体になって地面に転がっていた。


「……何死んでんだよ、お前ら……」


 俺が一人で殿に残った時、確かに『殿と先行、どっちがヤバいかわからないけど、死んでも恨みっこ無しな』って話したけどさぁ。

 この作戦が始まる前に、『みんな死なないで、日本に帰ろう』とも言ってたじゃねぇか。


「……クソ」


 他の死体も、大量に転がっている。

 カーターに、コリンズに、リードに、アダムス。

 こっちに来てから、できた友達だった。

 他にも知らない人が大量に死体となって転がっていた。


(……この水)


 死体の一部が、水で体を濡らしていた。

 十中八九、いや確実にあの水龍が殺したのだろう。


「……クソ」


 仲間の仇がどれだかわかったところで、どうしようもない。

 俺は死体の隙間を縫いながら歩き進める。

 生を求めて、歩き続ける。

 しかし、俺の体はもうどこもかしこも千切れかけてて、アーベントの再生能力をもってしても、限界に近かった。

 だから、一旦どこかの木にでも寄り掛かって回復に専念しよう……と思ったその時、気付いた。

 誰か、居る。

 鵺ではなく、アーベントの男が。

 俺と同じようにズタボロになりながら、木を背に座りながら休んでいた。

 俺はその隣に座りながら、


「俺、月原一騎って言うんだ。お前は?」


「……ベオスコール。そう、呼んでくれ」


 男はチラリと俺の方見て、小さい声だかハッキリとそう答えてくれた。

 俺は意図的に明るい声色で、


「オーケー、ベオスコール。……ところで、俺今ここに来たばかりでよくわかってないんだけど、ここで何があった?」


「……私もついさっき来たばかりで、よくわかってない。ただ、こっち方面で逃走した者で生きているのは私とお前だけなのは確かだ」


「……そっか」


 俺は空を見上げて、


「……せめて、他の方向に逃げた連中は生きていて欲しいな」


「そうだな」


 隣のベオスコールは頷く。

 ……。


「……ベオスコール、適当な雑談なんだけど、お前さ、なんかすごい大切なものってあったりする?あるいは、今一番欲しいものとかそんなんでも良いんだけど」


「……。少し、驚いた」


 言葉通り、ベオスコールは隣で心底驚いたような声を出す。

 ……そんな驚かれるような質問をしたつもり、なかったんだけどな。


「その質問、丁度私もお前に聞こうと思ってたところだった」


「マジ?奇遇だな」


 なるほど、なら驚くのも当然だ。

 俺はクスクスと笑う。

 反対にベオスコールは無表情のまま、


「私は先の質問をよく人にするのだが、考えてみると私がされるのは滅多に無かったな」


「ふーん……。で、ベオスコっ……悪い、言い辛いからベオでいいか?」


「構わん」


「助かる。んで、ベオはなんかそういう大切なもとか、欲しいものとかあったりする?」


「……」


 ベオスコール……ベオは少し考えるようにすると、何かを思い出すように目を瞑りながら、


「……今は力だな。力さえあれば、仲間を死なせることもなかったし、こんな窮地を脱することぐらい、簡単だっただろう」


「なるほど、確かにそうだ」


 俺は頷く。


「力があれば、守りたいもんも守れるしな」


「……私の方は答えた。次はお前の番だぞ」


 ベオは目を開き、俺の方を見る。

 そして、


「月原一騎。お前が今思う、一番価値があるものは何だ?」


「俺の妻だ。……価値って言い方はなんかヤだけどさ」


 即答だった。

 紅音が俺にとって一番大切な人なのだから、当然の話だった。

 なのに、何故かベオは目を見開いていた。


「……お前の妻は、アーベントとしてここに来ているのか?」


「いいや、紅音……あ、俺の妻の名前なんだけど、紅音はアーベントじゃないし、こんな危ないところに来てない。今は日本……俺の母国に居るよ」


「なら、何故?」


「……何故っていうか、むしろなんでベオはそんな不思議がってんだ?」


「今、この状況でだぞ?こう言ってはなんだが、お前、今にも死ぬかもしれないんだぞ?それでも、答えが『それ』なのか?」


「……あぁ、そういうこと」


 俺は頷く。

 そして、


「大切なものって、確かに状況で変わったりするもんな。こんな特異な状況なら尚更だ」


 ベオの言葉に俺は理解を示す。

 だが、


「だけど、紅音は別だ」


 俺の答えは、変わらなかった。


「紅音は俺にとって、どんな状況だろうが、何が起ころうが一番大切な人だ。だから、いつだってその質問の答えは変わらない」


 俺は胸ポケットから一枚の紙を取り出す。

 それは、一枚の写真だった。

 何かの時……確か引越し祝いの時に撮った写真だった。


「妻に黙ってアルバムから抜き取ったヤツなんだけど……これが紅音だ。可愛いだろ」


 ベオは俺の手の中の写真を覗き込む。


「確かに、見た目は良いな。可愛いというより綺麗に感じたが」


「そうなんだよ!見た目も可愛くて綺麗なんだけど、これで性格もめちゃくちゃ良いんだだ。本当に優しくて……俺には勿体ないぐらいな奴だよ」


 俺はその写真をジッと見つめる。

 そして、


「これが俺の一番大切な人だ。俺はこいつを絶対に泣かせたくない。幸せにしたいって、心底思ってる」


 もう一度、ポケットの中にしまった。

 長く外に出していると、汚れそうだったからだ。


「……そうだ、ベオ。すごく図々しいお願いがあるんだけど、してもいいか?」


「私に叶えられることなら構わない。とりあえず言ってみろ」


「ありがとう。……それで肝心のお願いなんだけど、ベオがこのスポットから逃げ出すことができて、俺がその……帰らぬ人になったら、紅音に言伝……手紙を出して欲しいんだ」


「……それぐらいなら全然構わない。私は記憶力が良いから、今ここで聞いた内容をそのまま再現しよう。それで内容は?」


「頼りになる。内容は、そうだな……」


 俺は少し顎に手を当てて考えてから、


「『この手紙を読んでるってことは、俺は約束を守れなかったってことなんだろう。

 本当に、ごめん。

 俺にとって、紅音が一番大切だった。

 紅音は心と瞳が誰よりも綺麗で、お前という存在が何よりも愛おしい。

 だから、お前には幸せになって欲しいと、心から願う。

 誰か、別の奴見つけて、そいつと幸せになってくれ。

 今までありがとう』……そう、伝えてくれ」


「……少し、意外だな」


「何が」


「短い時間だが、お前が妻に惚れ込んでいることはわかる。私は恋も愛も抱かない人間だが、それだけ妻に惚れていたら、自分が死んだ後とはいえ、他の男が出来るのは嫌なものじゃないのか?」


「は?嫌に決まってんだろ」


 俺はつい顔を顰めて、


「紅音が他の男と一緒になるなんて、想像するだけでも絶対に嫌だ。ずっと、俺だけを好きでいて欲しい。……俺、実は結構嫉妬深いんだよ。みっともないから紅音には隠しているんだけどさ」


「……なら、何故だ?」


 ベオは困惑している。

 ……こいつ、結構リアクションが面白いな。

 そう思いながら俺は、


「ちょっとした願掛けみたいなものだよ」


 俺は霧で覆われた空を見上げる。

 そして、


「紅音には幸せになって欲しい。でも、『他の男を作れ』なんて絶対に言いたくない。なら、俺は生きて、紅音の側に帰んなきゃいけないだろ?そういう生きて帰る理由を一つでも増やしとこうと思ったんだよ」


「……なるほどな。理解した」


 ベオは納得したように頷く。


「だが、お前の妻……紅音と言ったか。仮の話だが、その紅音とやらは、そもそもお前にそんなこと言われたら怒るんじゃないのか?」


「……なんでだよ?」


「『他の奴を好きになれなんて、ふざけたことを言うな』という感じにだ。……その紅音という人間は知らないが、少なくとも夫であるお前はそういう人間に見える」


「……そうかな。そうだといいなぁ」


 俺はしみじみと呟く。

 そうしながら俺は紅音と過ごした日々を思い出す。

 紅音から出会ったあの日から今日までの、幸せだった日々を、思い出す。


「――俺は紅音と一緒に居られて、幸せだった。俺は紅音を永遠に愛してる。こんな俺と一緒に居てくれた紅音には、感謝してもし切れない」


「……そうか」


 ベオは隣で僅かに首肯して、


「もしお前が死んだら、確かにお前の妻にお前の言葉を伝えよう」


「……助かる。ありがとう」


 俺はそう言いながら、ズボンのポケットから小さい箱を取り出す。

 それは、U.S.A.(こっち)で出来た友達から貰った煙草だった。


「なんか礼をと思ったんだけど、これしかなくてな……。貰いもんなんだけど、高くて美味いヤツなんだと。まぁ俺は吸わないからよく知らないけど」


 そう言って、ベオに煙草とライターを差し出す。


「……私も吸わないんだがな」


 ベオはそう言いながらも受け取り、手早く煙草に火をつけると、俺の方に煙草とライターを投げ返した。

 俺はキャッチすると、同じようにして煙草に火を付けて口に咥える。

 そして、俺達は同時に、


「「不味っ」」


 そんな言葉を、笑いながら吐き捨てた。

 ……普段から煙草を吸わない奴らに、高い煙草の味なんてわかるわけがないのであった。





「……」


「……」


 とはいうものの。

 俺達は何となく、煙草を一本は吸い切った。


「不味かったな」


「そうだな」


 俺の言葉に、ベオは即座に同意する。

 そして、俺達は立ち上がった。

 もう二人とも、動けるぐらいには回復したからだ。


「――月原一騎。私はこの敗北を認めない」


「ん?」


「私は絶対にこの地に戻ってくると言ったんだ。例え、私達のどちらかが生きて帰ったとしても、それは勝利ではなく敗北だ。なら、いつかこの地に戻り、このスポットを潰す。そして、私の手でこの敗北を勝利に変えてみせる」


「……良いな、そういうの。英雄(ヒーロー)みたいで、格好良いと思う」


 俺は腕をぐるぐる回して調子を確かめる。


「確かに、『あれ』は倒さなきゃいけないもんな……」


 俺は思い出す。

 嗤いながら全てを殺した、始まりの鵺のことを。


「それで、月原一騎、お前のしたいことは……聞くまでもないか」


「なんでだよ」


「どうせ『妻の元に帰りたい』とか、『妻と一緒に居たい』とか、そんなとこだろう?」


「……なんでわかった?」


 ……そんなにわかりやすかったかな、俺。


「あれだけ語られたんだ、わからないわけないだろうが」


「あー、そんなにだった?すまん」


「謝ることはない。むしろ、良い答えだと思ったぐらいだ」


 ベオは一歩、踏み出す。

 俺も、一歩前に踏み出す。

 そして、俺達は、


「じゃあな、ベオ。キチンと生きて帰って、いつか立派な英雄になれよ」


「さらばだ、一騎。生きて戻って、愛妻家らしく、妻と幸せに生きろ」


 そう言い合って、別々の方向に歩き出した。







 ――俺達は、同じ方向を歩かなかった。

 再会の約束もしなかった。

 なぜなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……あーあ」


 この先に、鵺が居る。

 大量に群れを作って。


「なんか一杯居るのは気付いてたけど、俺の方に来たかぁ……」


 ――なら、ベオの方は手薄になっているはずだ。

 鵺の生態などよく知らないが、俺の方が美味しそうだったってことなんだろう。

 もっとも、鵺は基本的に食事など取らないらしいが。


「……死にたく、ないなぁ」


 俺は一人、ボソリと呟く。

 絶対に死にたくない。

 何があっても、生き延びたい。

 ――でも。

 そんな、生物なら当たり前の思考なのに、ふと違和感を覚えた。


「……?」


 その違和感を探して、記憶を辿って……気付いた。

 というより、思い出した。

 十年近く前の自分が、抱いていた願望を。



 誰かの役に立って、誰かを助けて、そしてなるべく早く死にたい。



 ある日の俺は、そう思っていた。

 ずっと本気で、そう思っていたんだ。

 そして、正に今、俺は戦友を助けて死にそうになっている。

 昔願った望みが今、叶えられようとしている。

 それなのに、今の俺の心は『死にたくない』と叫んでいる。


「……死にたくない理由ができたんだ」


 ずっと早く死にたかった。

 だけど、そんなことすっかり忘れていた。

 なぜなら、俺はもう、一人じゃなくなっていたからだ。


「……紅音」


 俺は愛する人の名を呼ぶ。

 俺のたった一人の、家族の名前を呼ぶ。

 ……そうだ。

 俺はもう一人じゃないんだ。

 死んでも誰も悲しまない、無価値な人間じゃない。

 俺が死んだら、紅音が泣いてしまう。

 そんなのは、絶対に嫌だ。


「……約束したんだ」


 俺は絶対に死なないって。

 生きて帰って、紅音が言おうとした言葉をちゃんと聞くんだって。

 ずっと一緒に居ようって。

 そう、約束したんだ。

 だから、俺は。


「狂気解放――」


 お前らを、殺す。

 俺は右手をゆらりと構える。

 そして、


「――『冥府の黒犬(ヘルハウンド)』」


 俺の右腕が――正確には前腕の中ほどから先が、黒く大きい獣の頭に変化した。

 直後、


「Gigeeeeeeee!」


 狼のような鵺が、俺の目の前に飛び込み、そのまま俺に噛みつこうとしてきた。

 だから、俺は右腕の黒い獣の顎でその鵺を掴み、そして地面に叩きつけた。


「……!!」


 俺はその鵺を足で押さえつけながら、右腕を引っ張り鵺を引き千切る。

 偶然急所に入ったのか、その狼のような鵺は一撃で倒せた。

 だが、


「……何体居るんだよ」


 目の前に広がるのは、鵺の群れ。

 百を優に超える、大軍勢だった。


「……チッ」


 左腕がイマイチ上手く動かない。

 というより、左目も霞む。

 ……先程、狼のような鵺を倒した時、別の方向から攻撃を喰らっていたのだ。


「一対一なわけないもんなぁ」


 左目は使えない。

 でも、まだ右目はある。

 右腕だって、まだ動く。

 だから、まだ戦える。


「……諦めて、たまるかよ」


 四ほどの鵺が、俺を襲う。

 一体の鵺が噛みつこうとし、一体の鵺が爪で引き裂こうとし、一体の鵺が蔓で縛り殺そうたし、一体の鵺が炎で燃やそうとした。

 だが、その全てを俺は殴り、蹴り飛ばし、そして腕の獣で噛み殺した。

 でも、攻撃を全部交わすことなんて到底出来なくて、左脚は爪で裂かれ、右脚は炎で焼かれた。

 もう、まともに歩くことさえできない。

 なのに、鵺はまだ百体以上いて、そいつらは俺を逃さないように囲んでいた。

 だけど、俺は、


「……紅音」


 俺はもう一度愛してる人の名前を呟く。

 そうすると、不思議と力が湧いてきた。

 ――あぁ。

 そうだ。

 俺は、まだ伝えてないことがある。

『ありがとう』って伝えてない。

 お前のおかげで俺は幸せになったんだって、俺はまだ伝えてない。

 それに、俺はまだ、紅音と一緒に居続けたい。

 だって、俺は。


「そこを……」


 お前のことを、愛しているから。

 これまでも、これからも。

 ずっと君だけを、永遠に愛し続けるから。

 だから。


「……どけぇぇぇぇええええ!!!!!!」


 俺は鵺に向かって叫ぶ。

 そして俺は、まともに動かない足を無理矢理動かして、鵺の大群(じごく)に足を踏み出した。









二人の思い出編

End



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