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過去編 紅音の思い出15


過去編 紅音の思い出15



 1983年9月


 1


「なぁ、紅音。昨日の俺、変なこと言ってなかったか?」


 とある日の朝。

 一騎は玄関で革靴を履きながらそんなことことを尋ねてきた。


「……いや、変なことは何も言ってなかったぞ」


「そっか。酒かなり飲んでたせいで記憶飛んでたから変なこと言ってないか不安だったけど、そうじゃなくて良かった」


「……」


 私は一騎から目を逸らす。

 昨日、私が一騎にした質問と、その答えを思い出してしまったからだ。

 ……。


「……紅音、ちょっとこっち来て」


「……」


 私は無言で一騎の方に近付く。

 すると、彼は私の唇にキスをした。


「……何すんだ、いきなり」


「悪い。今の紅音見てたら、何だか急にしたくなってさ」


 一騎は悪戯っぽくそう笑う。

 そして、


「今日はなるべく早く帰る。なんか適当なお土産も買って帰るから、楽しみにしてて」


 そう言いながら一騎は玄関のドアを開け、外に向かって足を踏み出すと、私の方に振り返る。


「んじゃ、行ってきます」


「……行ってらっしゃい、一騎。土産、楽しみに待ってる」


 私の返事に、一騎はニコリと笑う。

 そして、彼はドアを閉めて、そのまま職場に向かった。

 ……。

 ……………。


「……よし」


 一騎もこれから仕事をがんばるんだ。

 なら、私も今日一日がんばろう。

 そしたら、また二人の時間になるのだから。





 1984年3月


 2


「いきなりで悪い、紅音。アーベントの仕事で二週間ほどアメリカに出張することになった」


 一騎と結婚し、丁度一年近く経った頃。

 彼は夕飯の席で、そんなことを言い出した。


「……ARSSの仕事でそんなことがあるのか。てっきり、地元での鵺退治だけかと」


「俺もそう思ってたんだけど、なんでも、鵺の巣……スポットって言うんだけど、そこを二千人規模の旅団組んで潰すことになったんだと。ま、大丈夫だろ」


 一騎はカレーを口に運びながら、何でもないことのように言う。

 だが、私は彼の口調ほど軽いもののように思えなかった。


「……それ、本当に大丈夫か?少し聞くだけで、危ないもののように感じるが」


「……場所自体は、確かに危ない場所だ。他の鵺の巣では、かなりの死者を出してようやく鵺の巣を潰せたらしいし。でも、その時の隊の人数は三百にも満たない人数だったって話だ」


 一騎はコップを掴んで水を口の中に流し込む。

 彼はコップをコトッと音を立ててテーブルに置きながら、


「そして、今はその時よりも鵺の巣について調べ上げている。文字通り桁違いの人数の団体で、以前より練り上げられた作戦で、死者はゼロにするつもりなんだと。……というか、死者をゼロにしつつもも鵺の巣を攻略できる目処が立ったから、今回の作戦が組まれたらしい」


 彼は喋りながら、カレーをスプーンで掬って口に入れる。


「……うん。やっぱり紅音のカレーは美味しいな。ま、カレー以外も何でも紅音の料理は美味しいけど」


 一騎は満足げに頷くと、ニコッと笑って、


「話を戻すけど、だから心配すんな。絶対に、無事に戻ってくるから」


「……」


 ……。

 …………。

 ……一騎の話に、変な所などどこにも無い。

 一騎が嘘を吐いてるとは思えないし、彼の言葉通り安全に安全を重ねた計画なのだろう。

 頭では、わかっている。

 だけど、私は……。


「……一騎」


「うん?」


「……私はお前のことを信じてる。でも、言わせてもらいたいことがある」


「……何?」


「……」


 私は俯いて、少しだけ黙り込む。

 でも、本当にその時間は少しだけで、数秒後には顔を上げて一騎のことを見つめていた。


「例え、何があっても。例え、何を捨てることになっても。絶対に生きて欲しい」


 そう、ハッキリとした声で告げる。

 そんな私の目は、涙目になっていた。

 ……ダメだな。

 折角一騎が、私が不安にならないように説明してくれたのに、それを私は今無駄にしている。

 だけど、どうしても言わずにはいられなかった。


「……他のことは全てどうでもいい。ルールとか法とか倫理とか、そんなの全部どうでもいいから」


 ……私の言葉は、市民として不適切なのだろう。

 ARSSのアーベントの妻ならば『立派に勤めを果たして』とか言うべきなのだろう。

 でも、私が言いたいのは、たった一つだけだった。


「絶対に、生きて。絶対に、死なないで……」


 最後の方は、もう言葉になっていなかった。

 涙を堪えるのが精一杯で、掠れるような声だっただろう。

 そんな私に対して、彼は、


「――紅音」


 彼は席から立ち上がり、私のすぐ側に移動して膝をつく。

 そして、私と目を合わせて、こう言った。


「――俺は死なないよ。絶対に死なない」


 一騎はニッコリと笑って、


「紅音は寂しがり屋だからな。そんな紅音を残して死ねないよ。だから、俺は絶対に死なない。死んでたまるか」


「……」


 私は一騎の言葉に目を丸くする。

 直後、私は声を出しながら小さく笑う。

 だって、その言葉は、


「一騎、それ、数日前私がお前に言った言葉まんまじゃないか」


「……まぁな」


 そう言いながら、一騎は悪戯っぽく笑う。


「あの時、紅音が言ってくれた言葉ですごく安心できたからさ。紅音にも同じように安心してもらいたいって思って。……勿論、本心だしさ」


「……『絶対に死なない』って言葉が本心なのはありがたいが、『紅音は寂しがり屋』ってのはなんだ。私はそんな寂しがり屋じゃない」


「そうなのか?」


「……嘘だ。本当は帰りが遅くなるだけで寂しくなる」


「そっか。実は、俺もだ」


 そう言うと、私の唇に触れるようなキスをした。


「……一騎は本当、キスが好きだな。というか、カレーの匂いが少ししたぞ」


「あ、それはちょっと失敗だったかも。……嫌だった?」


「……嫌じゃない。ただ、ちょっと恥ずかしい。私からもカレーの匂いしてただろうからな」


「そんなこと気にしないよ、俺は」


「わかってる。わかってるから、別に好きな時にしてくれて構わない」


 ……素直じゃない、私の甘えの言葉。

 それに対して、彼は明るい笑顔で、


「じゃ、この後寝る前に一杯しよっか」


「……」


 私は何も答えない。

 だけど、小さくコクリと頷いた。

 それを見た彼は『ふふ』と短く笑い、立ち上がって席に戻る。


「さて、じゃあ食事、再開しよっか。冷えたら勿体ないし」


「……ん。あぁ、そうだな」


 そう言って、私達は適当に雑談をしながら夕飯のカレーを食べ進めた。






 ……。

 …………。

 ……彼は、強い。

 本当だったら、彼本人が一番動揺しててもおかしくないのに、私を慰めてくれた。

 彼は強い人だと、心から思う。

 ……。

 ……本当は。

 彼も一抹の不安を感じているのは、わかっていた。

 そのことを、彼の瞳を見ていたら気付いた。

 だけど、不安以上に、彼の強い意志を感じれたから。

『彼は、絶対に生きて帰ってきてくれる』と、そう安心できたのだ。

 でも。

 本当はまだ少し怖くて。

 私達二人とも不安を抱えていたから。

 夕飯の後、夜眠る前まで、二人で慰め合った。

 ……その時、具体的な言葉を、私達は口にしなかった。

 だけど、互いの気持ちが伝わって、何となく安心できて、何よりも幸福だった。

 ……根拠なんて、何も無かった。

 だけど、私達の中にある互いへの想いがあれば、ずっと幸せで居られるような、そんな気がした。





 3


 日本国内の、とある駅にて。


「そういや、紅音、荷物詰めるの、手伝ってくれてありがとう」


 一騎はキャリーケースを転がしながら、横を歩く私にそう声を掛ける。


「……別に、そんぐらい構わない」


 私は隣でボソリと呟く。

 今、一騎はARSSの日本本部に向かっており、私はその付き添いだった。

 勿論、普段はそんなことしていない。

 ただ、今日は、彼がアメリカに発つ日だった。


「……もうちょっと、歩こっか」


「……ああ」


 私達は短く言葉を交わし、集合場所である日本本部に向かって歩みを進める。

 ……そう。

 何も、日本からアメリカに行くのは一騎だけではなく、五百人近くの日本のアーベントがアメリカに発つとのことだった。


「……」


「……」


 私達は無言で歩く。

 多分、話しとかなきゃいけないことは、もうほとんど話したからだ。

 ……。

 ……いや。

 言っておかなければならないことが一つだけあった。

 彼は何度も言ってくれてるけど、私は一度も言わなかった。

 そんな、口にしなくてもわかりきっているけど、言っておかなければならなかった、そんな言葉。


「……なぁ、一騎」


「ん?」


 ARSS日本本部の目の前にして、ようやく私は口を開く。

 そして、


「いつも、一騎は私に想いを伝えてくれていた。なのに、私はそれにまともに返事をしたことは無かった。だけど、私だって、お前のことを――」


 しかし、私の言葉はそこで途切れる。

 この期に及んで恥ずかしくて止まったとか、そんなんじゃない。

 一騎の方から手を前に出して、私の言葉を止めたのだ。


「あー……紅音。何を言おうとしてくれるのか、なんとなくわかるけど、今この時だけはそういうのやめてくれ」


「……どうして?」


 彼に拒絶された気分になって、私の声が驚くほど小さくなる。

 そんな私に対して、彼は優しく微笑みかけながら、


「だって、それじゃ今から俺がすることが特別なことみたいだろ?紅音から初めて『そういう言葉』を聞くとしたら、もっと特別で幸せな時に言って欲しい」


「……」


 一騎は言外に、今回の作戦が特別じゃないことのように言う。

 実際、作戦自体は安全そのもので、()()()トラブルが発生したところで何も問題無いはずのものだった。


「いつもより長く会えないだけだから、そんなに気負わないで待ってて欲しい。……ただ、長く会えないのはすごく寂しいから、また俺達がこうして顔突き合わせて、二人の時間になった時にさっき言おうとした言葉を言ってくれたら、すごく嬉しい」


「……そっか。わかった」


 私はコクリと頷く。

 そして、彼の瞳をジッと見つめて、


「じゃあ、言わない。次の時にとっておく」


「ああ、ありがとう。愛してるよ、紅音」


「……おい。なんかズルいぞ、お前」


「俺はいつも言ってるから良いんだよ」


 一騎は揶揄うように笑う。

 その笑顔があまりにも楽しそうなものだったから、私も釣られて小さく笑う。


「よし。帰った時の楽しみ出来たし、気張って行ってくる」


 軽い調子でそう言うと、一騎は手を振りながらARSS日本本部内に入ろうとする。

 それは、あまりにも日常的で自然な動作だった。

 だから、私も。


「あぁ。行ってらっしゃい」


 笑いながらそう言って、手を振り返した。





 4


「……」


 一騎がアメリカに発って二週間が経った。

 広い家で私は、朝食の目玉焼きを一人きりで食べていた。


「……ふぅ」


 ここの所、体の調子が悪い。

 ……本当は体ではなく、心の方の調子が悪いのだが、それが肉体に反映されているのだった。



 プルルルル。



 電話の呼び出し音が聞こえる。


「……」


 私は箸をテーブルの上に置き、ゆっくりと立ち上がる。

 ……この時間はいつも嫌だ。

 電話をかけてくるのは母か友達、そうじゃなくても営業の電話だというのに、嫌な想像が頭の隅を掠めてしまう。


(……安全なのものだと、初めて聞いた日から繰り返し聞かされたというのに、小心者だな、私は)


 私は何かを誤魔化すよう自嘲的に笑いながら電話を取る。


「はい、もしもし。月原ですが」


 私は、今の私の苗字を名乗る。


『……月原紅音さん、で御間違いないでしょうか?』


 電話口の向こうから、重々しい女の敬語が聞こえてくる。

 電話の相手は、堅苦しい営業の人のようだった。


「……はい。私が、月原紅音ですが」


『……そうですか』


 相手の声は暗い。

 相槌とかそんなのいいから、早く要件を言って(いわないで)欲しい。

 そんな私の意思が伝わったわけではないだろうが、電話の向こうから、短い、とても短い本題が聞こえてきた。


『申し遅れました。私はARSS日本本部の者です。残念ですが、月原一騎さんは――』








 ――――――――――――――――――――――――――――――


「……」


 一騎がアメリカに発って三週間が経った。

 広い家で私は、朝食の目玉焼きを一人きりで食べていた。


「……ふぅ」


 ここの所、体の調子が悪い。

 ……本当は体ではなく、心の方の調子が悪いのだが、それが肉体に反映されているのだった。

 電話は、鳴らない。

 電話線を切ったのだから、当然だった。


「……」


 何か、嫌なことを思い出しそうになった気がする。

 私は気を取り直して、朝食を最後まで食べ切る。


「……」


 私は手早く食器を洗うと、郵便受けの確認をするために玄関に向かう。

 もしかしたら、作戦を終わらせた彼が海の向こうから手紙でも書いてくれてるかもしれないから。

 ――――そんなわけないって、わかってるのに?


「……」


 ……信じない。

 信じれる、わけがない。

 だって、約束したんだ。

 必ず生きて戻って来るって。

 それなのに、一方的にあんなこと言われて、納得できるわけない。

 そんなこと、あり得ない。


「……」


 私は郵便受けを見る。

 そこには、一つのエアメールが入っていた。


「……!」


 私は勢いよくそのエアメールを掴み、差出人を確認する。

 すると、そこには知らない外国人の名前が書いてあった。


「……?」


 一瞬宛先を間違えたのかとも思ったが、宛先に書かれてるのはこの家の住所と私の名前だった。


(……海外の知り合いなんて居ないぞ、私には)


 なのに、私は躊躇わず手紙の封を切る。

 その中に書いてあることは、私にとって重要なものだと確信があったからだ。


「……」


 私は手紙を読み始める。

 その手紙の始めには、英語でこのような内容が書いてあった。



『私は、貴方の夫である月原一騎の最期を共にした者です』



 そんなことが、綺麗な字で書いてあった。

 ……。

 …………。

 ……私は手紙の先を勢いよく読み始める。

 その手紙には、こう書いてあった。






 初めまして、ミス月原。私は手紙を書き慣れてない故、早速本題に入らせていただきます。

 私は、貴女の夫である月原一騎の最期を共にした者です。

 こうして手紙を書いたのも、彼に『自分にもしものことがあったら』と頼まれたからです。

 私と彼が出会ったのは、大敗北を喫した鵺の巣の中でした。

 辺り一面仲間達の死体が転がって、付近の生存者は私だけだと思った所、貴女の夫である月原一騎に話し掛けられました。

 彼は不思議な人で、地獄の中で居ても、笑いながら話し掛けてきました。

 こうして振り返ると、彼は私を励まそうとしてくれていたのかもしれません。

 私達はどちらも重症で、すぐ動けなかったら、ほんの少しの休憩としてちょっとした雑談をしました。

 そのとき、彼から、『自分がもし、――ーとしたら、妻に伝えて欲しいことがある』と言われました。

 その内容は、以下の通りです。



『この手紙を読んでるってことは、俺は約束を守れなかったってことなんだろう。

 本当に、ごめん。

 俺にとって、紅音が一番大切だった。

 紅音は心と瞳が誰よりも綺麗で、お前という存在が何よりも愛おしい。

 そんな紅音と一緒に居られて、幸せだった。

 お前のことを、永遠に愛してる。

 一緒に居てくれて、ありがとう』



 以上です。

 私が彼と話したのは酷く短い時間でしたが、彼の口から出るのは貴女のことばかりでした。

 彼は本当に貴女のことを愛していたのだと、話を聞いてるだけでわかりました。

 だから、こうして、手紙を書かせていただきました。

 彼が最期まで抱いてた想いは、以上です。




 P.S.


 彼の最期をここに書きます。

 彼とは、彼が――ー際のメッセージを私に伝えた後すぐ二手に分かれました。

 その直後、彼は大量の鵺に襲われ、この世を去りました。

 彼を助けることをできなかったのは、私の未熟さ故です。

 心から、謝罪いたします。







「……」


 ……。

 …………。

 ……………………あぁ。

 そうか。

 一騎は、死んだのか。


「……………一騎」


 一騎。

 一騎一騎一騎一騎一騎一騎一騎一騎一騎一騎一騎一騎一騎一騎一騎。

 一騎。


「……一騎ぃ」


 私の手の中にある手紙はグシャリと音を立てて潰れる。

 私の手と手紙に、大きな水滴が何粒何粒も当たる。


「一騎……」


 彼の名前を呼ぶ。

 何度も何度も、愛おしい人の名を呼ぶ。

 そして、私は。


「うわああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 一騎が死んだという話を電話を貰って一週間。

 初めて、大きな声で、泣いた。













 ――手紙に書いてあった、一騎の行動と想い。

 その全てが、私の思い出の中にある一騎そのもので、手紙に書いてあることは真実なのだと、自分でもビックリするぐらいすんなり理解できた。

 理解できて、しまった。

 だから、だろうか。

 ふと。

 なんとなく、彼と出逢った時のことを思い出した。

 彼が初めて私に話しかけてくれた、あの日のことを。





 ――高校入学初日――


『私の名前は篠川紅音です』


 大幅に遅刻して教室に入った私は、自己紹介を求められ、名前だけ名乗って空いてる席に座った。

 ……名前以外も求められていたことに気付いたのは、随分後のことだ。

 だからか、クラス中から異物を見るような目で見られたのを覚えている。

 実際、高校初日に大遅刻し、無愛想に名前しか口にしなかった私は異物だったのだろう。

 だけど、そんなの私は気にしない。

 どう思われようと、興味が無かったからだ。


『じゃ、お前ら仲良くするようにー』


 担任は軽い調子でそう言うと、教室を後にした。

 すると、クラス中の皆が、各々近くの席の人達とお喋りをし始めた。

 その和やかな時間に私の居場所は無い。

 当然の話だった。


『……』


 私は顎を掌の上に乗せて、窓から青い空を見る。

 どういう基準で席順が決まったのかは知らないが、窓際の席で良かった。

 こうして一人で空を見るのは結構好きで――


『……あの、篠川?俺の声、聞こえてる?』


 名前を、呼ばれた。

 私は内心驚きながら、無表情で振り返る。

 その視線の先には、人が良さそうかつ明るい笑顔を浮かべてる男の子が居た。


(……なんだ、この明るいオーラは。私と正反対な生き物じゃないか)


 その上、顔も結構かっこいい。

 だからか、自分の苗字を呼ばれたのにも関わらず、『こんな私に用なんてあるわけないだろう』なんて思い始めてしまっていた所だったが、


『お、振り向いてくれて良かった。無視されてたらどうしようかって、すごい不安だった』


 そう言って目の前の少年は胸を撫で下ろす。

 動作が大袈裟な男の子だった。


(……というか、何の用なんだろう)


 そう思っていると、彼はニコリと笑みを浮かべながら、


『あ、そうだ。篠川、遅刻してきたから俺の名前知らないよな?俺の名前は月原一騎っていうんだ。とりあえず、一年間よろしく』


 そう言って、彼は私に向けて右手を差し出してきた。

 ……。

 ……これって、握手を求められているのだろうか。

 そんなことを考えながらジッと彼の手を見つめていると、彼は何を思ったのか、手を引っ込めた。

 ……私は驚いていただけなのだが、握手を拒否したと受け取られてしまったらしい。

 しかし、彼はめげずに、


『とにかく、隣の席同士、仲良くしてもらえたら、俺としては嬉しいかな。ま、適当に楽しくやろ。よろしく』


 そう言って、彼はヒラヒラと手を振る。

 だから私も、顎に手を付けた体勢のまま、空いてる方の手で小さく振り返した。

 彼は一瞬目を丸くすると、明るい笑顔を浮かべて――


『よぉ、一騎!中学に引き続きまた一緒だとかクソ笑えるな!』


『お、木村か。このクラスに居たのか、知らなかった』


『自己紹介体張ったのに、酷くね!?』


『冗談だよ。本気にすんな』


『なんだよ、なんだよ!!ビックリしちまったじゃ――』


『木村、あんた、さっきからうるせぇぞ!!』


『おめーの方がうっさいわ、山崎ひかり!ってか、横からしゃしゃり出て来るんじゃねぇ!』


『そんなの私の自由ですー!じゃあ月原に聞くけど、私より木村の方がうるさくて鬱陶しいよな!?さっきの変顔ネタも滑ってたし!』


『えっ、うそ、滑ってたの!?』


『……あのな。お前ら、どっちもめちゃくちゃうるさいからな?』


 なんか、一気に賑やかになっていた。

 多分、同じ中学なのだろう、彼らの間にある距離感はかなり近かった。

 月原一騎という男子は人気者なのか、それを囲うように人が集まってきており、私との会話どころではなくなっていた。


『……』


 勿論、私はそこに話しかけることなどできず(というか、よく考えてみると、隣の席の少年に手を振り返しただけで私は一言も発してない)、私は再び窓から空を見る。


『……』


 高校生活なんて、何一つ期待してなかった。

 程よく適当に過ごせれば、それで良いと思っていた。

 そうだったはずなのに、何かを予感して私の胸は少しだけドキドキしていた。





 ――そうだ。

 あの時も彼は、笑って話しかけてくれた。

 一人、孤独に曝されている人が居たら、つい優しく声を掛けてくれるような、そんな人。

 そんな人だから、私は彼のことが気になって。

 関わってく内に、どんどん好きになっていって。

 気付かぬ間に、恋をして。

 ずっと一緒に居たいぐらい、大好きになって。

 そして。

 彼のことを、心から愛するようになった。


「一騎……」


 本当に、大好きだった。

 どうしようもないぐらい、彼のことを愛していた。

 ずっと一緒に笑い合って、ずっと一緒に助け合って、ずっとずっと彼と一緒に居続けるんだって、そう思っていた。

 だけど、今は。

 だって、彼はもう。


「かずき……」


 ――彼は手紙でこう綴ってくれていた。

『お前のことを、永遠に愛してる』と。

 ……。


「……知ってるよ」


 わざわざ手紙にしなくたって。

 そんなこと、とっくのとうに知ってるよ。

 例え、何が起きても。

 死が二人を分かつとしても。

 お前が私を永遠に愛してくれることぐらい、知ってるよ。

 だって、私もそうだから。

 私だって、一騎を永遠に愛し続けるから。

 これまでも、これからも。

 ずっと、君だけを愛しているから。

 だから。

 だから……。


「かずきぃ……」


 私は愛している人の名を呼ぶ。

 もう二度と会えない、愛しい人の名を呼ぶ。

 彼との思い出を振り返りながら、ずっと呼び続け、泣き続けた。






 ――だから、私は。

 自分に迫り来る、黒い霧に気付きもしなかったんだ。







 5


「……」


 あのエアメールを受け取ってから、二週間後。

 私は、一騎の仏壇の前に座っていた。


「……ここに、お前の一部すら無いというのにな」


 私は一騎の写真を見ながら、そんなことを呟く。

 ……そう。

 ARSSは、一騎の死体を……というより、アーベントの死体を、一人たりとも回収することができなかった。

 それほどまでに酷い戦場で、生存者に至っては二千人中三人しか居なかったらしい。

 彼らは生きるのに必死で、残りの人達は鵺に殺されたか、鵺に変化したとのことだった。

 そして。

 恐らく死体は砕かれるか食われるかされており、死体を見つけることさえも未来永劫不可能だとARSSの職員から言われた。

 もっとも、ARSSはもう私がこれから所属する組織なのだが。


「……一騎。私は、お前の仇を取る」


 私は黒から白に変わった髪を後ろに流し、赤くなった瞳を一騎の写真に向けながらそう呟く。

 アーベントになって、細胞が変化したことによる色素異常だった。


「そういえば、お前はそんなことなってなかったよな」


 一騎のことを思い出して、私は何となく笑みを浮かべる。

 だからといって、私の中に渦巻く感情が消えはしなかったが。





 ……一騎の死を受け入れたあの日。

 私は、思いっ切り泣いた。

 泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて。

 泣いて。

 涙を全て出し切って。

 そして、最後に残った物は。


「……涙は、止まった。止まったけど、一騎を喪ったこの痛みと悲しみが消えることはない」


 涙は、出し切った。

 でも、それでも。

 この悲しみが消えることは、永遠に無いだろう。

 そして、悲しみの後に生まれる物は。


「……許せないんだ。一騎を殺したヤツが生きているなんて現実が、どうしても許せないんだ」


 憎悪。

 一騎を殺した鵺への怒りと憎悪が。

 今この身をどうしようもなく焦がしている。


「悲しく、辛くて、もう何もかもどうでもよくなりかけた。でも、それを一騎が望んでないことは、流石にわかる」


 だから、私は。


「残りの人生、全てを賭けることになってもお前の仇を殺す。復讐の鬼に堕ちても、確実に殺す」


 だけど、それだって、一騎は望んでいないだろう。

 だって、彼はあの時――





『お前、なんで私なんかを好きになってくれたんだ?』


 私は高校の時からずっと気になっていたその疑問を、ようやく口にする。

 それに対して、酔っ払った彼は、


『なんで……なんで?』


 肩を私に貸している状態のまま、彼は赤い顔を横に傾ける。

 数秒経つと、彼は優しい笑顔を浮かべて、


『――そりゃあ、お前、心が綺麗だって思ったからだよ』


 懐かしい思い出を語るかのように、そう口にした。

 そんな彼の言葉には続きがあって、


『初めて出逢った時から、紅音が色んな人に優しくしてるのを観てて、紅音のことを良い奴だなってずっとそう思ってた』


『……』


『しかも、紅音は芯が強い。喋ってると、自分ってのを強く持ってるんだなって感じる。そんな強くて優しい紅音のことを綺麗だなってそう思ってた。これで惚れない方がおかしい』


 私は目を見開く。

 彼が私のことをそう思っていたなんて、思いもよらな――


(……あ)


 いや、確かに彼は時々そう言っていた。

 過去にも『紅音は、紅音のお母さんに似て強くて優しい』みたいなこと言っていたのを、私は思い出していた。


『それに紅音、見た目も綺麗でさぁ。性格と外見、両方ともどストライクだったから、何回もアタックしちゃったけど、迷惑じゃないといいなぁ……』


 ……酔っ払った彼は前後不覚になっているのか、昔の話をまるで今現在のことのようにしてくる。

 だから、私は、


『……迷惑じゃない。全然、迷惑じゃない。むしろ、嬉しかったぐらいだ』


 ……そう。

 私は確かに、嬉しかった。

 気になって、好きになって、恋をした男の子に。

 好意を向けられるのは、純粋に嬉しかった。


『そっか、良かったぁ……』


 一騎は安心したように呟く。


『あー、でも、紅音の外見もめちゃくちゃ好きだけど、多分外見は二の次なんだろうなぁ……』


『……どうしてだ?』


 私はちょっと驚きながらも、笑いながら聞き返す。

 彼がなんて答えるか、気になったからだ。


『だって、俺、紅音がしわしわの婆ちゃんになっても、絶対に紅音のことが世界で一番好きだもん』


『――』


『どんなに長い時間が経っても、どんな風になっても、俺は紅音の隣に居たい。……ずっと一緒に居たいなぁ』


『……あぁ』


 私は、寝ぼけ眼な彼の隣でコクリと頷く。

 そして、私は、


『ずっと一緒に居よう、一騎』


 そう言うと、彼の頬に軽くキスをして、そのまま彼を寝室に運んだ。






「……ふふ」


 私は半年前ぐらいの出来事を思い出して笑う。

 ……本当、あの質問を一騎が素面の時にしなくて良かった。

 もし彼が素面だったのなら、あの時の私の涙を浮かべたニヤケ面を覚えられてしまっていただろうから。


「……お前は、私のことを『強くて優しい奴』と言ってくれた。だけど、その言葉の意味がよくわからないんだ」


 ……私は自分勝手な人間だ。

 無論、目の前で困っている人が居たら助けたりするだろうが、それも『そうしたい』と思うからそうするのだけで、優しいのとは少し違うと思う。

 だから、彼のあの時の言葉の正確な意味を、私はわかっていなかった。

 でも、一つわかっていることは。

 一騎が語った『そういう奴』と、過去の自分は同一人物だということだ。


「……正直、私は自分が優しいとも良い奴とは思えない。だけど、お前はそう思ってくれてたんだよな」


 はっきり言って、私は自分のことをそうとは思えないけど、大好きな一騎にそう思われていたのは、素直に嬉しかった。

 だから、私は、


「一騎は私を愛してくれた。そして、私はお前が想ってくれたままの私で在り続けたい」


 例え、どれだけの憎悪に身を焦がれても。

 自分も他人も全て切り捨てて、修羅の道に身を堕としそうになっても。

 私は、彼が好きと言ってくれた私のままでいたかった。


「復讐はする。これだけはどうしても譲れない。だけど、お前の言う『良い奴』を目指したままで、人の道を外れず行うことを、ここに誓おう」


 ……一騎が何をもって私を『良い奴』と言ってくれたのかは、私にはわからない。

 だけど、わからないなりに努力しよう。

 困っている人を助けて、傷付いている人を守る、そんなアーベント(にんげん)になろう。

 多分、そういう生き方はすごく気持ちの()いもので。

 そうすれば私は、彼が愛してくれた自分のままであり続けられるような、そんな気がした。


「……ふふ。馬鹿だな、私は」


 ――私は天国なんて信じてない。

 それなのに、彼が愛してくれた自分のままで居たいだなんて、どうかしてる。

 ……まぁ、仕方ないか。

 わかっててもそう思ってしまうぐらい、彼のことを愛しているのだから。


「……そろそろ、行く」


 私は仏壇の前から立ち上がる。

 もうそろそろ出ないと、飛行機の便に間に合わない。


「……」


 私は荷物を持って、玄関までに移動する。

 大量の人員不足に陥った、U.S.A.本部への応援要員の一人としてだ。

 ……もっとも、私がそこに志願した動機は、個人的な事情によるものだが。


「……」


 玄関から外に出た私は振り返り、今日から空き家になる大きい家を眺める。

 昔何度も訪れ、短くはあるものの彼と二人で暮らしたその家を、私はジッと見つめる。

 そして、私は。



「一騎、ありがとう」



 願いと誓いを、己の胸に抱いて。



「お前のおかげで、私は幸せだった」



 長い道のりを、一人ゆっくりと歩き出した。







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