第十五章 本当の物語
第十五章 本当の物語
2034年6月
1
カリフォルニア州の森林地帯の奥深くの、鵺の巣と呼ばれているこの場所で。
「九十年級鵺、ノブレス。これから貴女の夫となる者です、姫」
目の前の、人の形をしながら人ではない男が、訳のわからないことを高らかに囁いた。
そんな彼――ノブレスを見た葉月は、スポット侵攻最終作戦を開始する直前に先輩から言われた一つの注意事項を思い出していた。
〜〜一ヶ月半前〜〜
『……そういえば、葉月。お前、人型の鵺に遭遇したことはあるか?』
『人型の鵺ですか……?遭遇したどころか、存在すら知らなかったです』
『そうなのか。まぁ極稀だしな、聞く機会も無いか。実際、私もかなりの鵺を殺してきたが、今まで二体しか遭遇したことないしな』
『……確か、紅音さんが倒した鵺って、もう十万をとうに越してるんですよね……。それで二体だけってめちゃくちゃレアじゃないですか』
『そうだな。ただ、もしかしたら今回の作戦の中でそういうのに遭遇するかもしれないから、一応伝えておこうと思ってな。……人型の鵺は、進化の方向性を人型に進めているだけあって、知能のレベルは人以上に達している。とはいえ、鵺である以上、異形な部分もあるから一目で鵺とわかるが……そういう『人っぽい怪物』に人の言葉を話しかけられても、あまり動揺しないよう気をつけておいてくれ』
『……ぶっちゃけ全く動揺しない自信はあまり無いですが、なるべく慌てないよう気をつけます!』
〜〜現在〜〜
「……ッ!」
人の形をベースにしながら、明らかに異形なモノ。
それが、今葉月の目の前に居た。
……人型の鵺の話を紅音から聞いた時、少女は『人型の鵺って人と見分けつくのかな?』と思っていたのだが、実物を目にすると、人ではないことがすぐにわかった。
なぜなら、その男の全身からは小さい翼が幾つも生えており、何より両腕に巨大なマントのようなヒレが付いていたからだ。
これ以上ないくらいわかりやすい異形。
しかも、その男の全身からは、このスポットで遭遇したどの鵺よりも濃い影胞子量が溢れ出ている。
だが、それも当然の話だ。
男は九十年級鵺――つまりは、ARSSが観測してきたどの鵺よりも強いのだから。
そして、その鵺は、今。
「あ、あ」
目から涙を流し。
「あ、あ、あぁ」
口角を鋭く上げ。
「あああああああぁぁぁ、ぁあああ、ああああ!!」
歓喜の声を、高く高く上げていた。
「やっと。やっとです!やっと貴女は私に会いに来てくれた!愛しに来てくれた!!今日ほど喜ばしい日は無い!!!!」
蝙蝠のような鵺――ノブレスは笑いながら片手で顔を押さえ、そのまま自身の頬を握り潰す。
「ずっと、ずうぅっっと!この五十年、貴女を待ち続けた!貴女と運命の出会いをするこの日をずっと待ち続けた!!やっぱり、私達は運命で繋がれてるのですね、この五十年間愛し合ってきたのだから、当然の話ですが!!」
頬の肉をグジュグジュに潰しながら、彼は愛の言葉を吐き続ける。
「この五十年、貴女が眩しく、私からは会いに行けなかった。だが、私の『仔』を通して愛し合う日々は甘美そのものだった!!貴女の愛は我が仔を通して感じ取っていたが、これからはそれを直接愛し、愛される。あぁ、私達はなんて幸せ者なんでしょう!!!!」
彼は鵺故に頬の肉は再生するものの、赤い血がまるで涙ように顔を伝う。
「――あぁ、どうしましょう、どうしましょう!私は姫と愛し合うこと以外どうすればいいのか、わからないのです。私が愛し、私を愛してくれる姫にどうすればいいのかわからず、口を動かすことしかできない愚かな私を許してください、未来の妻よ!!」
……。
……正直に言うと。
葉月は目の前の男に、吐き気以外の感情が湧かなかった。
一ヶ月半前に出会った悪意――鉄鋼や鏖殺卿とも違う。
彼らは彼らで、根底に我欲と悪徳こそあったものの、思考回路そのものは理解――受容ではない――ぐらいはできていた。
だが、目の前の男は違う。
何を言っているのか、意味が一つもわからない。
文章はキチンと成立しているのにも関わらず、意味がわからないなんてこと起こり得るとは思いもよらなかった。
――なんで彼は、紅音さんが会ったこともない男の所に愛しに来たと思っているのか。
――なんで彼は、紅音さんと今初めて顔を合わせてるのに愛し合っていると思えるのか。
――なんで彼は、紅音さんと夫婦になれる気でいるのか。
全然意味がわからない。
狂っているとしか、思えない。
「……っ!」
体から溢れる影胞子も。
外見も。
思考回路も。
男の何もかもが、葉月が知っているそれとはかけ離れ過ぎてて、強い吐き気を覚えてしまう。
……化け物の姿をしていた方がまだ良かった。
下手にシルエットが人間に近い分、目の前の男の歪さが嫌というほど感じ取れてしまう。
「はあぁぁぁぁああん!こんな良い日があって良いのでしょうか!貴女を目の前にするだけで私は――」
ノブレスと名乗る鵺の妄執の言葉は止まらない。
世界が滅びるその日まで続けるつもりなのだから、当然だろう。
しかし、世界が終わるよりも早く、その言葉は止まることになる。
なぜなら、
「狂気解放――」
そんな戯言、彼女が最後まで聞き届けるわけないからだ。
「――『血躯操作』」
彼女は能力を解放するための祝詞を静かに囁き、ノブレスに斬りかかろうとする。
しかし、
「法臓器動――」
死神が暴れ狂うこの場所で、今日まで生き続けたその鵺が、ただで斬られるわけがなかった。
「――『黒蠅の王』」
蝙蝠の鵺は歓びから一転、無表情を顔に張り付かせながら、己の能力名をボソリと呟く。
その直後。
月原紅音とノブレスの間に、数十の擬鵺が現れた。
多種多様な黒い化け物達が、蝙蝠の鵺の壁となり一斉に白い女に襲い掛かる。
「……チッ」
紅音は小さく舌打ちすると、その数十の鵺を一瞬で斬り裂く。
だが、
「ほら次ですよ?」
周辺の大樹に隠れてた擬鵺達が、ノブレスの指示で四方八方から紅音に迫る。
この擬鵺達も問題なく左右の刀で斬り捨てるが、
「ほら。ほらほらほらほら!!」
尽きない。
どれだけ紅音が斬り殺しても、擬鵺の数は一向に減らない。
黒蠅の王が存在する限り、擬鵺の数は無限なのだから。
「あぁ、やはりこの時間は甘美ですねぇ……。人間の番のように、手と手を取り合う夫婦も良いですが、やはり私達の夫婦の形はこうでなくては!」
火が。
水が。
雷が。
風が。
擬鵺達が放つ多種多様な能力が、月原紅音を襲う。
白い女はその全てを血刀で斬り払い、近くに居る擬鵺をまとめて切断する。
月原紅音の体のどこにも傷など生まれず、擬鵺を一方的に倒している。
だが、減らない。
ノブレスのマントのようなヒレから擬鵺が産まれるのと、紅音が擬鵺を斬り殺すスピードは完璧に拮抗している。
「これは、どうでしょうか!!!!」
ノブレスが一際大きな声で叫ぶ。
すると、彼のマントから巨大な――全長十メートルにも及び狼のような黒い擬鵺が現れた。
「私のリソースを一つに集中させた仔です!これは流石に我が姫でも一撃では殺し切れないでしょう!!」
直後、黒い狼は他の擬鵺を踏み潰しながは紅音に迫り、噛み砕こうとする。
紅音はその擬鵺を目にして、確かに蝙蝠の鵺の言葉通り、他の擬鵺より何段階も強いことを理解した。
だが。
「――ッ」
一撃で殺せないのならば、何度も斬ればいいだけの話だ。
――迫り来る巨大な頭を、白い女は両手の刀で輪切りする。
しかし、黒い狼は止まらず一メートルほどはある爪で紅音を引き裂こうとするが、紅音はそれ無視し、狼の首から尾まで血刀を振り下ろしながら翔け抜ける。
直後、黒い狼型の擬鵺は死体となり、まるで鵺のように消滅しかけるが、この世から消え去るより早く他の数十の擬鵺が狼の死体を踏みながら紅音に殺到する。
「――あぁ、こんなにも。こんなにも」
蝙蝠の鵺は、目の前で自身が作った擬鵺が殺されるところを見ながら、うっとりした表情を浮かべる。
「直接目の前で愛し合える日を、どれだけ夢見たことか。あぁ、素晴らしい、本当に素晴らしい!あまりにもの悦びで、この身が弾け飛びそうですよ、ええ!!」
ノブレスは興奮のあまりに口の端が千切れ、血と涎が垂れ出すがそんなこと一ミリも気にしない。
そんなことより、この至上の喜びを表現する方が大事なのだから。
――あぁ、でも。
同じぐらい楽しいことは、前にもあった。
「そういえば、五十年前。貴女を初めて見かけるちょっと前に、面白いことがあったんですよね」
ノブレスは笑顔のまま、昔のことを懐かしく語る。
五十年前の、戦争を。
「人間達が徒党を組んでこの場所に攻め込んできたんですよねぇ」
「……」
「……それって」
ノブレスの言葉に反応したのは、紅音ではなく、後ろから二人の戦いを見ていた葉月だった。
しかし、ノブレスは葉月の声に一切反応せず、白い女に自分の思い出を語り続ける。
「最初は五月蝿く煩わしいだけだった。ですが、この地で一番強く特別だった『彼』が人間どもを殺し回ってるその姿があまりにも楽しそうで、私も真似してみたんですよ。これの楽しいのと来たら!」
ノブレスは当時のことを思い出しながら、自分の肩を抱き締めて、
「九十年前の誕生時にも色々人を殺しましたが、その時は一瞬で終わっちゃいましたし、何より死にゆく彼等に目も向けなかったから面白くも何ともなかった。だけど、よくよく観察してみると、人は殺されるとき色んな感情を向けてくれることに気付いたんですよ。怒りとか恐怖とか、とにかくその時その人間が抱く最も強い感情を、ね」
幸せそうな笑顔を浮かべて、
「――それってつまり、私を愛してくれてるってことですよね?」
人の理解から外れた言葉を、囁いた。
「私に対して一番強い感情を向けてくれる。これが愛以外のなんだと言うんですか!!」
ノブレスは叫ぶ。
心の赴くまま、雄叫びを上げる。
「だから、殺した。一杯殺して、一杯愛してもらえました!」
ノブレスは誇らしげな表情を浮かべる。
――だって、自分は、沢山の人を殺してあげたのだから。
誇らなければ、死んでいった彼らに申し訳が立たないでしょう?
「でも一番は貴女だ、我が姫よ!貴女を初めて見た日から、私の愛は貴女のためのもので、貴女の愛は私のためのものだ!!」
ノブレスは握り拳を振り回しながら、当然の権利を主張する。
もっとも、それが『当然』だと思うのは、この世で本人だけだろうが。
「貴女と私でとことんまで愛し合いましょう?そして、最後は、貴女が欠片になるまで愛し切ってみせますから!!」
ノブレスは、ずっとずっと滅茶苦茶なことを言い続ける。
しかし、茶髪の少女は、蝙蝠の鵺の言葉に僅かの偽りも感じれず、つい白い女の方に目を向ける。
(……目の前の人型の鵺は、『五十年前、人を一杯殺した』って言ってた。それって、もしかして、月原一騎さんを殺したのがこの鵺の可能性が高いってこと……?)
そして、そのことに月原紅音が気付かないはずがない。
なら、今、彼女の心境は――。
2
――実際のところ。
葉月の心配は的を外しており、紅音はノブレスの言葉に全く揺らいでいなかった。
情報収集のためノブレスの言葉自体は聞いているのだが、『不快な戯言』以上の感想を持っていなかった。
ノブレスが月原一騎を殺した可能性が高いことに気付いてない……とか、そんな話ではない。
ただ、その白い女にとって、可能性が高いとか低いとか、そんなのは全く関係ないというだけの話だ。
そんなこと、どうでもいい。
可能性が高かろうが、低かろうが。
少しでも『ある』時点で、殺すことに変わりはない。
――そう。
別に、紅音がノブレス対して怒りを抱いてないとか、そんな話でもないのだ。
ただ、ノブレスがどんなこと喋ろうとも。
例え、一言も喋らなかったとしても。
このスポットに居る時点で、紅音の憎悪と殺意の対象なのだから。
(――ここの鵺が、一騎を殺した)
まだ、この地には鵺が残っている。
まだ、彼を殺した鵺が生きている可能性が有る。
ならば。
「殺す。絶対に、殺す」
まだ、自分は何も為せていない。
彼を殺した鵺が生きてるかもしれないことが、どうしても許せないのだ。
だから、今まで殺しきて、これからも殺す。
この身から溢れる憎悪のままに。
この魂から湧き上がる願望のままに。
殺す。
そう、決めたのだ。
五十年前のあの時から、ずっと。
この願いだけは、何があっても譲るつもりはない。
だから、紅音は。
「……おい、お前」
「はい?」
ここに来て、紅音は初めてノブレスに話しかけた。
その内容は、彼の妄執の言葉への返事などではない。
ただの簡単な、ちょっとした確認だった。
「お前、『始まりの鵺』じゃないだろ」
――始まりの鵺。
スポットと共にこの世に現れ、スポットの中心に居るとされてる鵺の始祖。
「霧の塊である鵺の巣は『始まりの鵺』が九十年前に作り出したものだ。つまり、『始まりの鵺』には、それだけの……下手したら無限と呼べるほどの影胞子を作り出し放出する能力があるということだ」
しかし、目の前の鵺は、
「お前はそこまでじゃない。確かに、九十年級という名乗り通り、今まで出会ったどの鵺より強い。だが、お前の影胞子の扱い方は普通の鵺と変わりない。……無限と呼べるほどの影胞子を持っているとは、到底思えない」
「ええ、貴女の言う通りですよ」
ノブレスは短く肯定する。
別に、隠すことでもないからだ。
「私はこのスポットが誕生したことによって生まれた鵺であって、このスポットを作り出した鵺ではありません。……それが、どうかしたのですか?私達の愛の前では、そんなの些事ではありませんか」
「……そうか」
――紅音にとって、その情報が一番重要だった。
なぜなら、『始まりの鵺』を殺すということはスポットの消滅を意味しており、鵺の巣が消滅したら他の鵺がバラバラに散ってしまうからだ。
だから、今まで戦った中で一番強い鵺であるノブレスが、始まりの鵺かどうかを気にしていたのだ。
始まりの鵺を早々に殺してしまうことで、他の鵺を逃してしまうことを危惧していたのだ。
だが、それも最早関係ない。
目の前の鵺は、今まで戦った中で一番強かろうがただの鵺だ。
だから。
「少しだけ――」
目の前の鵺を殺さない理由は、もう紅音の中で無くなっていた。
「――本気を出す」
白い女が、小さくそう囁くと。
彼女の背中の、肌を大きく露出してる肩甲骨の部分から、十本の血刀が肌を突き破るようにして生えた。
直後、その十本の血刀は背中から勢いよく飛び出し、一本一本それぞれが意思を持っているかのように浮遊する。
そして、
「十秒で終わらせる」
蹂躙が、始まった。
彼女の両手に握られた二本と、宙に舞う十本の計十二本の刀が、数百の擬鵺達に襲い掛かる。
「――なっ」
驚きのあまりノブレスは息を呑む。
それも、当然の話だろう。
今まで互いの戦力は拮抗していたというのに、月原紅音の戦力が単純計算で六倍になったのだから。
「……!お前達、早く彼女を愛し切りなさい!」
ノブレスは大きな声を張り上げて、擬鵺達に指示を出す。
しかし、その指示に意味など無い。
擬鵺達が一歩を踏み出すよりも早く、白い女の十二本の血刀によって斬り殺されるからだ。
「……っ!!」
――この事態は、完璧にノブレスの予想外だった。
『死神』が人間の枠を大きく超えて強いのは知っていた。
場合によっては、九十年級鵺相手でも同等に戦えるとも思っていた。
でも、こんな、一方的に――。
「……」
――月原紅音は無言だ。
無言のまま、意のままに十二本の血刀を操る。
その光景は嵐そのもので、その嵐に触れてしまった擬鵺達の赤黒い血と肉が空中に飛び散っていった。
それらが地に落ち、この世から消滅するよりも早く、彼女は走り進める。
――邪魔でしかない擬鵺ではなく、その先にいる仇敵をこの手で殺すために。
「……クソッ!」
ノブレスは慌てて数十数百の擬鵺で、紅音と自分の間に『壁』を作る。
だが、その壁も。
「……」
紅音は目を細める。
次の瞬間、壁の数百の鵺達は、神速の十二の刀によって数万の欠片にバラバラにされた。
「――ぁ」
ノブレスは小さく呻きながらも、擬鵺を作り続ける。
でも、その時点で彼はもう気付いてた。
――いくら無限の戦力があろうとも、目の前の究極の暴力にとっては塵芥と変わらないことに。
「ふざ、ふざけるな!!」
距離を凄まじい速度で詰めてくる紅音を、ノブレスは罵る。
「最後まで殺し切るのは私だ、お前じゃない!私こそが夫というお前の主なのだ!!」
ノブレスが何かを叫ぶ。
しかし、当然ながら紅音の突き進む速度は僅かにも変わることはなく、ノブレスの目と鼻の先に迫る。
「だから、女、お前はここで黙って――」
そして。
ノブレスの体は、紅音が握る二本の刀と宙に浮く十本の刀によって斬り刻まれた。
彼の体から、腕やら頭やらがボロボロと地に落ちる。
「――ク、ソ」
しかし、
「……クソォォォォォォォォ!!」
蝙蝠の鵺は、まだ死んでいなかった。
体に残った口が、怨嗟の声を放つ。
既に弱点である法臓も切断されているにも関わらず、彼女への妄執だけが、彼をこの地に留めている。
だが、それも。
「……」
紅音は死にかけの蝙蝠の鵺をチラリと見る。
直後、宙に浮いてた十本の刀が蝙蝠の鵺に突き刺さっていた。
そして、
「――弾けろ」
一言、白い女が短くそう呟くと、血刀ごとノブレスの体はバラバラに吹き飛んだ。
その場にはもう何も残ってない。
これ以上ないほど、わかりやすい絶命。
こうして、九十年級鵺、怪物の王ノブレスは一欠片も残さず消滅した。
――人類の誰も見たことのない七つの災厄。
例えそれがどれだけ恐ろしいものでも、白い女には関係無い。
今まで観測すらしてないほど強力な鵺だろうど、それを上回る殺意と暴力で叩き殺すだけなのだから。
3
「……ふぅ」
ノブレスを殺した直後、月原紅音は小さく溜め息を吐く。
少しだけ、疲れた。
……。
……月原紅音の刀は、彼女の血によって作られている。
そして、月原紅音の身体は未知のエネルギーを持つ『影胞子』で満たされており、彼女は己の能力『血躯操作』でその影胞子を完璧に支配していた。
つまり、月原紅音の血刀には凄まじいエネルギーが込められており、故にどんな物だろうと容易く切り裂き、場合によっては彼女の意思一つであらゆる物を吹き飛ばす爆弾になり得るのだった。
最も、彼女の体から離れて十秒経つと操れなくなってしまうのだが。
「……」
血を、少々使ってしまった。
といっても、『血躯操作』で体内の血の総量を元に戻すことは可能……というよりもう既に戻しているのが、少しだけ体力が失われてしまうのだ。
そのため、この技はあまり多用したくないものなのだが、今の月原紅音は一人ではない。
紅音が後ろの葉月に声を掛けようとしたその時、
「法臓器動――『明星の大騎士』」
両腕両脚に黄金の鎧のようなものを付けた男――ゼロが、両手に構えた金に輝く大剣を振り下ろそうとしていた。
――ずっと、この時を待っていた。
月原紅音とノブレスの戦いが終わり、気が緩むであろうこの瞬間を。
そして、ノブレスが死んだ直後にそのまま畳み掛けることで、月原紅音を不意打ちで殺そうと思ったのだ。
……別に、正面からの戦闘で自信がないとか、そんなのではない。
ただ『確実に殺せる時に殺そう』とそう思っただけの話だ。
ゼロがやりたいのは決闘ではなく、邪魔で忌々しいモノを殺すことなのだから。
しかし。
何もそう考え身を潜めていたのは、彼だけではなかった。
「法臓器動――『憤怒の獄炎』!」
悪魔の右腕を持つ鵺――ジャックが爆炎をゼロに向かって放つ。
それを鎧の鵺は剣の腹で受け止めると、流れるように大剣の矛先を月原紅音からジャックに変更した。
「――貴様から死ね」
「!!」
ジャックは悪魔の腕を盾のように掲げるが、ゼロの黄金の剣はその腕を容易く切り落とす。
そのまま返す刃でジャックの胴を両断しようとするが、
「……ッ!」
後ろから一連の攻防を見ていた月原紅音が、岩をも砕く蹴りをゼロに向かって放つ。
鎧の鵺は紅音の蹴りをモロに食らうが、砕け散ることなくそのまま後ろに吹っ飛び、宙を飛びながら空中で姿勢を整え綺麗に着地する。
強力な蹴りを貰ったにも関わらず、ほとんど無傷なその鵺はニヤリと笑い、
「――流石、『死神』と言ったところか。狂っていながらも、混戦した時には強い方から叩くべきだということをキチンと理解している。上手く行けば暫定的な二対一に持ち込めるからな」
直後、ゼロは笑みを小馬鹿にしたようなものに変えて、ジャックの方に視線を送る。
「それに比べて貴様は愚かだ、ジャック。万が一にも不意をついて我を殺したところで、その直後貴様の後ろに居る死神に殺されるだけなのは明らかだ。なら、我の側に着くのが道理だろうに」
「……愚かなのはテメェの方だ、ゼロ」
ジャックは右腕を再生させながら、感情を伺わせない声でボソリと呟く。
「後のことなんて知ったことか。……最強の鵺を確実に殺せるこのチャンスを逃すわけないだろうが」
「……気狂いめ。なら、貴様も纏めてここで殺すが、それで構わんな?」
ゼロはそう吐き捨てながら大剣を構え直し。
「死ぬのはお前だけだ、ゼロ」
ジャックは再生している最中の右腕に炎纏わせ。
「……」
月原紅音は無言で、両手に握りしめた二本の血刀をゆらりと構えた。
――物語は、ようやく始まる。
七つの災厄の内の一つが崩れ去り、一人の『死神』がその災厄達の中に飛び込むことで、止まっていた時が動き出す。
歯車が、ついに噛み合った。
こうなっては、もう誰にも止められない。
六つの災厄に、一人の死神とその従者。
彼らはこれから存分に殺し合う。
その先に、己の望みがあるのだと信じて。
第二部『侵攻編』
End




