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過去編 紅音の思い出14


過去編 紅音の思い出14



 1982年6月


 1


 一騎と婚約してから二ヶ月経った、とある日の夕方。


「……紅音、ちょっと話がある」


 一騎は、私達が同棲しているアパートに帰ってくるや否やそうボソリと呟いた。

 ……今日、一騎は入社先の会社の見学とやらで出掛けていて、私は家で留守番をしていた。

 出掛ける前、彼は『昼過ぎには帰る』と言っていたのに、もう六時近くなっていた。

 ……本当は、一騎が帰ってきたら『遅くなるなら連絡して欲しい。心配するだろ』って言おうと思っていたのだが、彼があまりにも真剣な顔だったから、私は黙って彼の言葉に頷く。

 私達は無言のままリビングのテーブルの前に移動し、私は黙ったまま彼の言葉を待つ。


「……」


 一騎は俯いており、口を開かない。

 そんなに、言い辛いことなのだろうか。


「……ふぅ……」


 彼は俯いたまま、大きく息を吐く。

 そして、意を決したかのように顔を上げて、彼はこう言った。




「紅音、俺、影胞子に感染して、アーベントになった。ごめん」




「……え?」


 私はついと言ったように言葉を溢す。

 アーベントになったということは、彼は人を壊す影胞子に身を侵されているということで――


「だ、大丈夫なのか?どこか体が痛んだりとか……!」


 私は考えが纏まらなくて、言葉に詰まる。

 もし、彼がこれで――


「大丈夫!俺の体は大丈夫だから、落ち着いて」


 彼は私の反応に一瞬驚いていたものの、彼は慌てて私の隣に移動し、私の両頬を掴んで強引に目を合わさせる。


「ごめん、そういう不安をさせるとは思ってなかった。考え無しで本当にごめん。俺の体は大丈夫で、むしろアーベントになったおかげで絶好調なぐらいだから、心配しないで」


「……」


 そう言って私を見つめる彼の瞳は、いつも通り力強くて優しい色だった。

 だから、一騎の言っていることは真実だと、ちゃんと理解できた。

 私は小さく深呼吸しながら目の前の彼に、


「……さっき、『そういう不安をさせるとは思ってなかった』って言ってたな。つまり、別の心配事はあるのか?」


「……」


 一騎は暗い顔で私の頬から手を離す。

 だけど、視線は合わせたままだった。


「……アーベントになった人間は二つの選択肢がある。危険な存在として施設に幽閉されるか、ARSSのエージェントとして活動するかだ」


「……」


 私は黙る。

 黙って、慌てないで、彼の話を最後まで聞こうとする。


「前者の施設行きは、こう言ったらなんだが、論外だ。能力を使えないようにするため、洗脳処置とかの脳の加工をするらしい。これは噂話とかじゃなくて、ついさっきアーベントになった直後に保護してきたARSSの職員から聞いた事実だ。……あの感じだと、ロボトミー手術とほとんど変わらなそうだった」


「……」


 ……昔、聞いたことがある。

 鵺退治に従事しないアーベントは、能力を使おうと思うことすらさせないよう『思考』そのものが奪われると。


「脳の加工なんて、死ぬのと大して変わりない。心を奪われるのなんて、死ぬのと同じだ。だから、多少の危険は承知で、ARSS所属のアーベントになることにした」


「……」


 ……それは、当然の選択だろう。

 心配だけど。

 心の底から、心配だけど。

 確実な心の死よりも、死なないかもしれない方を選択するのは当たり前の話だ。

 だから、私は、黙ったままコクリと頷いた。


「……ありがとう」


 一騎が小さく微笑みながらそう言うものだから、私も微笑みで返す。

 ……そんな私の目は、涙目だったかもしれないが。


「……それで、紅音。一つ、俺の自分勝手なわがままを聞いて欲しいんだ」


「……わがまま?」


 私は首を傾げる。

 ……一騎との付き合いはもう六年になるが、彼の自分勝手なわがままなんて聞いたことがない。

 勿論、彼から(小っ恥ずかしい)何かを求められること自体はあるにはあるが、そんなのいつも『ささやか要求』と呼べる程度のもので、『自分勝手なわがまま』と言えるものなど今までなかった。


「……そうだ。これは、俺の勝手なわがままだ」


 彼は頷きながら、私の手を握る。

 そして、彼はもう一度深く息を吐いて、


「……俺と紅音は、今はまだ婚約関係だ。正式に結婚したわけじゃない」


「……」


 ……確かに、そういう話だった。

『あと一年で大学卒業なんだし、卒業と同時に籍を入れよう』という話になっていた。


「俺はこれからARSSのアーベントになる。給料は普通のサラリーマンより良いだろうけど、それは危険だからこそもらえる金だ」


「……」


「そして、そのことは俺達の婚約の話の中に含まれてない。……婚約した時は、普通の会社員になるつもりだったからな」


 つまり、彼が言いたいことは――


「……本当なら、もう一度俺はお前に考え直させるべきなんだろう。……一旦、婚約を解消するって、俺からそう言うべきなんだろう」


 彼は私を見つめる。

 ジッと、何かを祈るかのように、私の目を見つめる。


「でも、そんなこと言いたくない。勝手だけど、本当に自分勝手な願いだけど、俺はお前から離れたくない」


 一騎は私の手を強く握る。

 そして、彼は、


「一緒に居てくれ。これからも、ずっと。……頼む」


 不安そうに、申し訳無さそうに、そう呟きやがら頭を下げた。

 そんな彼に対して、私は、


「お前は馬鹿か」


 躊躇わずそう言って、彼のおでこに軽くデコピンをする。

 彼は一瞬驚いた顔をするが、私はそれを無視する。

 どうしても、彼に伝えておきたいことがあったからだ。


「……一騎、さっきお前はまるで自分だけの考えみたいに『一緒に居てくれ』って言ってたけど、私だって一騎とずっと一緒に居たいって思ってる。なのに『婚約を解消すると言うべきなんだろう』とはどういうことだ?……というか、もし本当に『婚約を解消する』なんてことを口にしてたら、デコピンじゃなくて本気のビンタをしてたかもしれない」


 私は彼の頬を両手で挟み、彼の頬を親指で擦る。

 その体勢のまま、私は、


「一騎、プロポーズのとき言ってくれたよな。私とずっと一緒に居て、私と一緒に幸せになりたいって。あれは嘘か?」


 私のその言葉に、一騎は大きく目を開かせる。


「……そんなわけ、ないだろ。あの時の言葉に、一片たりとも嘘なんてない」


「なら、仮定の話でもさっきみたいなことを言うな」


 一騎は少しだけ驚いたような表情を浮かべる。

 そんな彼に微笑みかけながら私は、


「私だって、一騎とずっと一緒に居たくて、一騎と一緒に幸せになりたいって思ってる。何があったとしてもだ」


 強く、意思を込めて、


「……だから、そんな不安そうな顔をしないでくれ。私はずっと、一騎の側に居るから」


 ハッキリと、そう言い切った。

 ……。

 ……私が、こんな風に強い言葉で彼への想いを綴ったのは、いつ以来だろうか。

 それを思い出せないのは、多分、初めてのことだからだ。

 ――自分に自信が無くて『いつか見限られるのではないか』と彼からの好意を信じ切れなかった今までとは違う。

 彼からの愛に、もう疑いなんて無い。

 彼は絶対、私を受け入れてくれる。

 そのことを、二ヶ月前のあの日に確信したから。

 私は今、彼への想いをすんなり口に出来たのだった。


「……」


「……」


 私と一騎は至近距離で見つめ合う。

 その状態で彼は、私の唇にそっとキスをした。

 ……。


「……ん」


 唇を合わせて数秒後、一騎は私から離れた。

 彼はニッコリと微笑んで、


「ありがとう、紅音。愛してる」


「……うん、知ってる」


 私はそう言うと、すくりと立ち上がる。

 ちょっと赤くなった顔を彼から逸らしながら私は、


「そうだ。今日の夕飯、私が作ろう。何が良い?」


「あ、悪い、ありがとう。ステーキとか、できる?」


「よし、わかった。すぐに作ろう」


 そう言って、足早に台所に引っ込む。

 ……台所は、先程彼と二人で喋っていた場所からは死角。

 だから、私は……


「……ぁ……」


 一騎から死角になったその場所で、私は重く小さく息を吐く。

 ……彼に見られるわけにはいかない。

 だって、彼本人の方が、怖いに決まっているのだから。

 私は一人、台所に蹲る。


「……………」


 彼はアーベントになる。

 鵺と殺し合う、そんなアーベントにだ。

 ……。

 ……………。


「……ダメだな、こんなんじゃ」


 今から不安になってどうする。

 私達の人生は、まだまだ長いのだから。


「……よし!」


 私は気合いを入れて立ち上がり、冷蔵庫の中を開く。

 ……まだ、先のことはわからない。

 だから、今は美味しいものでも食べよう。

 愛してる彼と、一緒に。






 1983年2月


 2


「……紅音、良かったのか?」


「何が」


 まだ春には届かない冬のある日。

 私達は一騎の実家に来ており、その家の中のリビングで向かい合って座っていた。


「いや、新しい住処が俺の元の家で良いのかってこと。いくら、俺の職場がこの家から近くてもさ」


 ――元々の予定としては、私達の卒業と同時に、一騎が勤める予定の職場近くのアパートを借りるつもりだった。

 しかし、一騎の配属先が私達の地元だったため、今は誰も住んでない一騎の実家に引っ越そうと話になったのだ。

 そして、現在はその引越し作業の最中で、今はちょっとした休憩を取っているのだった。

 私はリビングを見渡しながら、


「ここは広くて良い家だし、不満なんて全然無いぞ。むしろ、高校の頃は時々来てたし、私としても結構思い出深い場所だ」


「そう言ってくれるのはありがたいけど…….新居とか、欲しがるんじゃないかなーって薄っすら思ってた。俺もそういう気持ちあるし」


 一騎はのんびりとした口調でそう呟く。

 私はチラリと彼の方に視線を戻して、


「……新居か。そういうのも憧れるが、まだ少し早いだろう。転勤もあり得るかもだし、そして何より金がかかる」


「はは。確かに、そりゃそうだ」


 そう言ってクスクス笑うものだから、私も釣られて小さく笑う。

 直後、彼は視線を横に向けて、


「……この家で、俺達二人で過ごしてくんだよな」


 一騎は窓から外の庭をぼんやりと見つめている。

 彼が小さい頃家族と遊んでいただろう、自分の家を庭を。


「……俺、この家、本当は取り壊すつもりだったんだ」


「……」


「でも、なんだか踏ん切りつかなくてさ。そんな風に悩んでた時に、紅音の方から『お前の家に住むのが良くないか?』って言ってくれたから、なんていうか……ちょっと助かった。ただの先送りなんだけどさ」


「……先に送って良いだろ、別に。踏ん切りがつかないなら、踏ん切りがついた時にそうすればいい。そんなんで良いと思うぞ、私は」


「……そっか。……そうだよな」


 一騎は頷きながらすくっと立ち上がると、


「よし、休憩は一旦終わりにして、荷物の整理しよっか」


「ああ。そうしよう」


 私も一騎に続いて立ち上がる。

 そして、私達は、この広い家で長く住む準備を再開した。







 1983年9月


 3


 ――月原一騎と結婚してから、半年が経った。

 結婚式は身内と少数の友人だけの、小さいものを挙げた。

 式の最中、私は緊張でガチガチに固まっていたのだが、最後の方になると感極まって涙目になってしまった。

 ……隣の一騎も涙目だったから、まぁ良しということにしよう。

 そのあとは、目まぐるしい日々だった。

 一騎は、ARSSに所属したまま大手の製造会社(メーカー)に勤めることにしたのだ。

 会社勤めのアーベントは軍でいう予備役……よりは日常的に駆り出されるが、普通のアーベントよりは断然出撃数が少ない。

 そのため、少しでも命の危険を減らせるようにと、私と一騎は話し合って『会社に勤めながら、アーベント活動を行うこと』を選択した。

 勿論、そういう選択をすれば、いくら危険手当による給料が高いとはいえ、ARSSも会社もどちらの方でも出世は望めないだろう。

 だけど、私達はそういう選択をした。

 それが私達にとって一番良いと、そう二人で考えたのだ。


「ふぁあ……」


 今は午後十一時。

 私――月原紅音は欠伸をしながら、一騎の帰りを待っている。

 ……会社の飲み会で遅くなるという電話は貰っており、何なら先に寝ていいとも言われていたが、なんとなく彼と一言交わしてから寝たいと、手持ち無沙汰気味に彼を待っているのだった。


(……読みかけの小説の続きでも読もうかな)


 そんなことを思った、丁度その時。


「紅音、ただいま……」


 今にも倒れてしまいそうなほど辛そうな……というより酔っ払った彼の声が響いた。

 ……前回もそうだったが、今回も結構飲まされたらしい。

 私は玄関の方に向かいながら、


「おかえり、一騎。……辛そうだけど、大丈夫か?」


「あんまり大丈夫じゃない……。木曜日にこんな飲むんじゃなかった……」


「一騎、酔うのは早いけど、次の日に引き摺らないからな……。……断れなかったのか?」


「いやぁ、この前アーベントの仕事で穴作ったから、なんとも断りにくくて……」


「……そっか」


 ……一騎は基本的に、嫌なものは嫌だとハッキリ言えるタイプだ。

 それでも、あまり得意ではない酒に付き合ったのは、言葉通り申し訳無さがあったからだろう。

 一騎の顔は真っ赤で、こうなった一騎は次の日になると酔ってた時のことの大部分を忘れている。

 そんなことを、私は思い出していた。


「……」


 ……卑怯、だな。

 自分がこれからする質問は、ズルそのものだ。

 本当は、一騎の意識がハッキリとした時に尋ねるべきだ。

 けど、そんなことわかっているのに、意識がハッキリしてる時に聞くのは恥ずかしく……そして何より怖かった。

 この幸せな(にちじょう)が醒めてしまいそうな、そんな問い。

 でも、どうしても聞きたくて。

 怖くても、聞かずにはいられなくて。


「……なぁ、一騎」


「……ん?」


 一騎の肩を支えながら私は。





「お前、なんで私なんかを好きになってくれたんだ?」





 高校の時からずっと気になっていたその疑問を、ようやく口にした。






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