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第十四章 前触れ


第十四章 前触れ



 2034年6月


 1


「……夢、か」


 カリフォルニア森林地帯のスポットにて。

 白い女――月原紅音は顔に手を当てながら、徐々に意識を覚醒させた。


「……」


 白い女は手を顔に当てたまま、まるで人生で一番幸せだった出来事を思い出したかのように微笑む。

 しかし、それはもう過去の思い出の中にしかなかった。


「……」


 紅音は表情を無表情に変えてガバリと起き上がる。

 ……寝起きはいつもこうだ。

 紅音はよく夢の中で夫――月原一騎との思い出に浸り、あたたかい気持ちになれるのだが、起きるのと同時に彼を喪った現実を強く認識してしまう。

 ……だからといって、彼のことを思い出すのが辛いとか、そんなことは全くない。

 彼との思い出は、今でも自分の中で煌めく宝物なのだから。


「……よし」


 紅音は、頭に付けた赤い花型の髪飾りをそっと撫でる。

 その髪飾りが何か力を与えてくれたのか、紅音は気を取り直して、自分に掛かっていたブランケットを剥ぎ、立ち上がる。

 すると同時に、


「くかー……」


 近くで寝ている後輩――雲林院葉月の、可愛らしい寝息が聞こえてきた。


「……」


 紅音は音をなるべく出さないように歩きながら葉月に近付く。

 そして、気持ち良さそうに寝ている少女の頬に手を当てた。


(体調は……大丈夫そうだな)


 ……紅音と葉月は、人でありながら影胞子を身に宿し操るアーベントだ。

 とはいえ、アーベントも影胞子に身体中を侵食されていることに変わりはなく、影胞子と肉体には密接な関係がある。

 そのため、アーベントとして最高クラスの影胞子操作能力を持つ紅音は、他者の身に宿っている影胞子の様子からその持ち主の体調なども大雑把に把握できるのだった。


(……どうしようか)


 もう起床予定時間だから起こそうか。それとも、こんな気持ち良さそう寝てるのだからもう少しだけ寝かせとこうか。

 ……葉月は、アーベントの仕事はいえ、自分の復讐に付き合ってくれている。

 こんな身勝手な自分の、個人的な復讐に、だ。

 だから、いくら己の心に復讐相手への憎悪と焦燥感があろうとも、復讐に直接関係の無いことはなるべく葉月を優先したかった。

 ……。

 そんなことを、一人考えてる時だった。


「……あ、紅音さん、おはようございますー」


 葉月が目元を擦って、のんびりとした声を出しながら目を覚ます。

 その少女の顔は邪気など一切なく、茶髪の少女は信頼し切った笑みを復讐者に向ける。

 そんな少女に対して復讐者は、


「おはよう、葉月」


 微笑みながら、挨拶の言葉を囁いた。




 2


 ――月原紅音と雲林院葉月がカリフォルニア森林地帯のスポットへ侵攻してから、一ヶ月半が経った。

 つまり、行程のもう四分の三は完了したということだ。

 だから、紅音は目の前の獅子のような鵺を斬り殺しながら葉月に、


「……警戒しろ、葉月」


 真剣な声で、そう警告を行った。

 それはスポットに入って、初めてのことだった。


「……どうしたんですか?」


 今までとは違う紅音の言葉に、葉月は少し驚きながらも小さな声で尋ねる。

 紅音は後ろを向かずに、


「何体かの鵺が、私……いや私達を観察していたことには気付いてはいた。だが、深追いはリスクが高いとして、今まで放置していた。しかし、ここの鵺をほとんど殺した今ならば、どんなに深追いしようとも、殺し切る前に殺されるリスクはもう無い」


 紅音は両手に二本の赤い血刀を構え直す。


「早く来い。それとも、こっちから殺しに行こうか?」


 紅音がそう囁いた直後、





 目の前に、人に似た『何か』が現れた。





 その『何か』は、ガリガリに痩せた男のようだった。

 頬もこけており、全体的に不健康な男に見えた。

 しかし、明らかに人ではない。

 その男の至る所から蝙蝠の羽のような何かが生えており、そして腕には巨大なマントのようなヒレすら付いていたからだ。


「――あぁ、白き我が姫よ。ようやくようやくようやく、この『中央』まで辿り着いてくれましたね」


 目の前の男……のような何かは、まるで熱に浮かされたような口調で話し出す。


「この出逢いの祝福今すぐ行いたいのですが、まずは名乗りを先にしましょう。……確か、アーベント達は私達鵺を何年級とか呼んでいるんですよね?」


 人の形をしたものが、人の言葉を喋る。

 それは当たり前のことなのに、彼の全身から生えている複数の羽が、その当たり前の様子を歪なものに変えていた。


「では、ARSS(そちら)流儀(ルール)に沿った名乗りをしましょう」


 だが、それこそ当然の話だ。

 彼は人型であっても人ではなく、人を貪り殺す異形の怪物――鵺なのだから。




「九十年級鵺、ノブレス。これから貴女の夫となる者です、姫」




 ――このスポットには、人類の誰も見たことのない七つの災厄が蠢いている。

 その内の一つが今、ようやく彼女達の前に現れた。

 大量の化け物を生み出し引き連れる、怪物の王という形で。





 X


「……ノブレスの奴、ついに『死神』に接触したか」


 悪魔のような腕を持つ鵺――ジャックは霧の奥深くでボソリとそう呟く。

 ……彼の視界内には『死神』も蝙蝠の鵺(ノブレス)も居ないのだが、鵺もアーベントと同じく影胞子を感知する能力がある。

 その能力をもって、『死神』とノブレスが向かい合ったのを感じ取ったのだ。


「『死神』の後方にもう一つ気配があるが、バックアップ要員とかの類だろう。あまりにも影胞子の量が少な過ぎる」


 だから、今一番の問題はやはり『死神』。

 ついに、奴は『中央(ここ)』まで辿り着いてしまった。


「こうなる前に、全ての鵺を殺しておきたかったが……」


 ……これから、『死神』はここに居る鵺の全てを殺そうとするだろう。

 ジャック自ら殺そうと思っていた――いや、殺さなければならない鵺達をだ。

 だが、こうなってしまっては……。

 ……。


「……一度、見ておく必要があるな」


 今までは『こちらから探ることで逆に「死神」に発見される』リスクを回避するため視界に入れることすら避けていたが……そうも言ってはいられなくなった。

 今のうちにノブレスとの戦いを観察し、『死神』の力量諸々を把握しておく必要がある。

 そう思い、ジャックは『死神』とノブレスの下に移動しようと一人歩みを進める。

 もう、『死神』は無視できる存在ではない。




 ――しかし、何もそう考えるのは彼だけではないことに、『死神』本人は勿論、彼もまだ気付いていなかった。





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