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過去編 紅音の思い出13


過去編 紅音の思い出13



 1979年12月


 1




「さぁ、お前ら飲むぞ!!」




 ――大学に入学して、初めての年末の大晦日。

 大学の近くで借りているアパートの一室にて、私の母――篠川赤子が、大きな声でそんなことを叫んでいた。

 ……二週間ほど前、こんな会話があった。




 プルルルル。

 ガチャ。


『もしもし、母さん。紅音だけど』


『おー、紅音か!どうした?』


『……今年の年末、母さんとこに帰りたいと思ったんだけど、良いか?』


『全然良いわよー。ってか、一騎君は来るの?』


『……私の家の行事に誘っても、良いんだろうか。迷惑じゃないか……?』


『ウチで三人一緒にクリスマスパーティとかもやったことあるし、大丈夫でしょ。一騎君、あんたにゾッコンだしねー』


『……恥ずかしいから、そういうこと言わないで欲しい。……まぁ、とりあえず誘ってみるが』


『そうしろ、そうしろ。……いや、ちょっと待てよ……。あんたらがこっちに来るんじゃなくて、私からそっちに行った方が良くない?』


『……ん?』


『そうじゃん、考えてみると私、あんたの部屋行ったことないじゃん!私、大晦日にそっち行くから、一騎君にもそのこと伝えておいてー』


『……ちょっと、急過ぎないか?』


『別にそんな変な話じゃないでしょ、一人娘の一人暮らしの部屋に行くぐらい。……もしかして、見られたくないもんがあったりすんの?』


『無い。そんなものは、断じて、無い』


『じゃあ良いじゃん。……一騎君と部屋近いのは知ってるし、男物の色々があっても今更気にしないしな!わはは!』


『――――』




 ……というわけで、今、私の部屋に母が遊びに来ているのだった。

 私の隣に座ってた一騎は、苦笑を浮かべながら、


「赤子さん、俺も紅音もあんま酒飲まないんですよ。……ってか、赤子さん、酔うの早過ぎませんか?」


 ……一騎の言葉通り、私の母はもう既に酔っ払っていた。

 この部屋に来た時は素面だったのだが、『よし、飲むぞ!!』とか言い出して、缶ビール一気飲みしてもう顔真っ赤になっているのだった。


「えー、飲もうよー。大学生って飲んで飲んで騒ぐもんじゃないの?」


「そういう人達も居ますが、そうじゃない人達も居ますよ。だよな、紅音」


「ああ。構内で読んで騒いでる奴らも居るが、私と一騎はあまりそういうのに参加したことは無いな」


「……なーに、当たり前のようにセットで行動するのが前提なのよ、あんたらは。仲良さそうで何より。わははは!!」


 母さんは大きな声で笑う。

 ……実に楽しそうだった。


「……あ、赤子さん、俺、何かつまめるもの作りますよ。リクエストとかありますか?」


「あー、あー………。……枝豆と唐揚げ!超定番のヤツ!」


「かしこまりました。……もしかしたらと思って、枝豆買っておいて良かったです」


「一騎君、マジで気が利くなぁ!」


「いえいえ、それほどでも」


 一騎は母の方に適当に手を振ると、私の方に笑いかけて、そのままキッチンの方に引っ込んでいった。

 ……『母と二人で話をしたいだろう』という彼なりの気遣いというのはわかっているのだが、なんとなく一人取り残された気分になった。


「あ、紅音、このぬいぐるみなーに?」


 母は私の部屋の隅に飾ってあった子犬のぬいぐるみを手に取る。


「……それは、この前一騎とデパートに遊びに行ったときに買ってもらったものだ。可愛いだろ」


「えー、良いもの買ってもらったじゃん!あんた、結構犬のアイテム、好きだもんね!」


「……うん」


 そう言って、母は私に子犬のぬいぐるみを手渡す。

 受け取ったそのぬいぐるみを抱えながら私は、


「それで、母さんの近況は――」


 母と、親子の会話をした。





 数時間後。


「くかー……」


 母は、思いっきりベッドの上で爆睡していた。

 母と私の二人で色々喋っていたが、一騎が色々おつまみを持ってきたことで三人の雑談に移行した。

 そのあとも食べたり飲んだりしながら、適当にトランプなどをして遊んでいたのだが、一番騒いでた母がいきなり『もう眠い寝る!』と言ってベッドに入り、そのまま数秒も経たない内に寝てしまっていた。


「……母さんが騒がしくて本当すまん……」


「全然良いよ。赤子さん、面白いし」


 そう言って笑う一騎は本当に気にしていないようで、なんとなく助けられた気持ちになる。


「それにしても、紅音、本当愛されてるよな。前からそうだけど、すごく伝わってくる」


「……うん」


 ……母には大事にされていると自分でも思ってはいるものの、好きな男にそのことを口にされるのはちょっと恥ずかしかった。


「ってか、紅音と赤子さんって、結構似てるよなー」


「え?」


 今の言葉は予想外だった。


「……そんなことなくないか?私は母さんほどテンション高くない」


 他人からは『見た目以外は似てない親子』とよく言われ、実際自分でもそう思っていたのだが……。


「ん、ああ、確かにテンションとかは全然違うな。でも、なんていうのかな……芯のところが似てる気がするんだよ」


「芯?」


「ああ。紅音も赤子さんも、心が強くて、そして優しい。……そういうところ、本当親子なんだなってそう思ったよ、俺は」


「……」


 ……強くて、優しい。

 その言葉は確かに母に当て嵌まる……といより相応しいとさえ思ったが、自分はそうじゃないような気がした。

 だけど、尊敬している母の良いところと似ていると言われたのは、単純に嬉しかった。

 ……それが好きな男から言われのだから、尚更だった。


「……そうだと、良いな」


 曖昧な言葉だが、本心をボソリ呟く。


「そうだよ、絶対」


 一騎は力強く言い切ると、そのまま立ち上がって、


「紅音、そういえば年越し蕎麦食べる?……正直、ちょっとお腹一杯な感じあるけどさ」


 そう言って一騎はチラリと壁掛け時計の方を見る。

 時計の針は、そろそろ零時を回ろうとしていた。


「もうこんな時間か。……まだ十一時回ってないと思ってた」


「楽しい時間って割とすぐだよな。俺もさっき気付いたとこ」


「だな……。……あ、蕎麦は欲しいけど、やってばっかりなのも悪い。私も何かする」


「んー……。じゃあ、テーブル片付けたり、食器の準備とかしてくれる?」


「わかった」


 そう言って、私達は手早く蕎麦の用意をする。

 蕎麦をテーブルに並べながら一騎は、


「それにしても、もう今年も終わりかー」


「……うん、そうだな」


 私はもう一度、時計を見る。

 その時、丁度時計の針が零時を刺したところだった。


「「……あ」」


 二人の声が重なる。

 ……折角年越し蕎麦を用意したのに、蕎麦を食べる前に年を越してしまった。

 自分達の間抜け具合がなんだかおかしくて、私達は蕎麦を前にしてクスクス笑い合う。

 そして、私達は、


「明けましておめでとうございます、紅音」


「明けましておめでとう、一騎」


 年越しの挨拶を交わして、何でもない蕎麦を二人で食べた。






 1980年2月


 2


 大学一年、最後の期末試験が終わり、大学に入学して初めての春休みが始まった。

 そこで、私と一騎は、温泉街へ旅行に来ており、昼は近くの観光地で観光した。

 例えば、


「下調べの時、写真で見たけど、やっぱり生で観ると凄みがあるなぁ」


「……そうだな。迫力があって、壮観だ」


 有名な滝を見たり。


「……私、こういう歴史ある建物、結構好きかも。厳かな感じがしつつも、見た目が派手なところとか」


「わかる。見た目だけでも凄いのに『ずっと前からあったんだな』って思うと、ロマンを感じる」


 大きな神社を回ったり。

 他にも色んな所をのんびりと二人っきりで観光した。

 そして、夕方になった今、温泉旅館に向かって二人で歩いていた。


「この辺も景色良い、というか空気が良いな」


 横に並ぶ一騎が、辺りの山々を見渡しながらそう言う。


「そうだな。さっきのところも凄かったが、ここも見晴らしが良くて気持ちいいな」


 私も同意をして、遠くの山を見る。

 だが、頭の中では、別のことを考えていた。

 それは、二ヶ月ほど前にあった、ひかりとの会話だった。



 〜〜二ヶ月前のとある喫茶店にて〜〜


『そういや、紅音、月原とは上手くやってる?』


『ああ。一騎とは今でも仲良いし、前よりもっと仲良くなれてるな』


『おー、そいつは良かった。……ちなみに、私の方はてんでダメだわ。どうも長続きせん』


『……もしかして、もう別れたのか?確か、一ヶ月前ぐらいに新しい彼氏できたって言ってなかったか?』


『その一週間後に別れた。これで最短記録更新ー。いえーい』


『……また、彼氏の浮気か?』


『よくわかってんじゃん、エスパー?』


『前の時も、前の前の時も同じ理由だったからな……。……ひかりが好きになる男は、そういう男なんじゃないかなって』


『酷ぇ。一ミリも否定できないけどさ!』


 ひかりはガハハと笑いながら、


『いやー……、どうも私って軽そうなイケメンが好みでさー。そういうのってすぐ他の女に手を出すクソ野郎ばっかで、今回もそうだったんだよねー……』


『……難儀だな。別れる時、ちゃんと殴っておいたか?』


『勿論。両頬殴っといた』


 私とひかりはクスクスと笑い合う。

 そして、ひかりは、


『で、どうなのよ、あんた達の方は』


『?仲良くやれてるって言ったぞ?』


『いや、そうじゃなくて、月原の方からあんたに手を出した?って話。奥手なあんたからはないとしてもさ』


『……』


『うん、今ので大体わかった。……月原の性格的に無理矢理はないだろうけど、「そういうの」を期待してるかもしれないから、その辺は意識しておきなよ』


『……そうなのか?』


『大体の男は「そういうの」しか頭にない……っていうのは月原には当て嵌まらないだろうけど、あいつだって絶対好きな相手には「そういうの」を期待してるはず。というか、男が好きな人に対して期待してない方がおかしい』


『……そういうものなのか?』


『そういうもん。だから、そうだね……どっかのホテルだか旅館に泊まることになったら気にしといた方が良いよ。仮に紅音は考えてなくても、向こうは期待してる可能性あるからさ』







「……」


 ……やっぱり、一騎はそのつもりなのかな。

 温泉旅館への道すがら、私は一騎の方をチラリと見ながらそんなことを考える。

 ……私だって、『一騎とのそういうこと』を、過去に一度も想定しなかったわけじゃない。

『もしかして、はしたないかな』とも思ったことあったけど、今はもう『好きなんだから、仕方ない』と開き直ってる。

 そんなことを考えてるんだから、嫌悪感は勿論、拒否感情だって全くない。

 だけど……。

 ……。


「……一騎」


「ん?」


 私はいつもよりワントーン低い声で、一騎を呼び止める。

 そして、


「今から、自意識過剰なことを言ってもいいか?」


「……?よくわからないけど、全然良いよ」


「……わかった」


 私は息を深く吸って、深く吐く。

 そして、私は一騎を真っ直ぐ見つめながら、


「……今日の旅行で、もしかしたら一騎は、私と……えっとなんだ、その……」


 ……あれ。

 どうしてだろう。

 さっきまで何を言うか決まっていたのに、いざ口に出そうとすると言えなくてなってしまっていた。

 恥ずかしさと……申し訳なさで。


「……」


「……」


 一騎は黙って私の言葉を待つ。

 真剣な顔で、待ってくれている。

 だから、せめて、それぐらいは応えないと。

 俯きそうになっていた顔を、私は無理矢理上げる。

 彼と目を合わして、私は、


「……お前は、その、『そういうこと』を期待してるかもしれない。だから、予め言っておきたい」


 こんなこと、二度は言わずに済むよう、はっきりした声で、


「……ごめん。今はまだ無理だ。まだ、怖い」


 情け無さと、申し訳無さで潰れそうになりながら、そう言い切った。

 ――嫌悪感など、ない。

 拒否感情だって、全くない。

 だけど、それなのに、無性に怖かった。

 ただ、怖かった。

 ……。

 ……臆病過ぎて、泣きそうになってくる。

 自分が情けなくて、顔を下に向ける。

 一騎だって、こんな格好悪い女を相手にしなきゃいけないなんて嫌だろうに。

 なのに、彼は、


「……紅音」


 愛おしそうな声で、私の名を呼んだ。

 彼は私の頬に優しく触れて、私の顔をゆっくりと持ち上げる。

 彼と私の目が再び合ったところで、彼は、


「紅音、今日一日、どうだった?」


「……え?」


「今日の旅行、楽しかった?」


 質問の意味がわからない。

 いや、意味はわかるのだが、今聞く意味がわからなかった。

 だけど、質問の答えは自体は簡単で、


「……一騎と一緒に色んな綺麗どころを見れて、楽しかったぞ」


「そっか。……じゃあ、これから温泉は楽しみにしてくれてた?」


「勿論だ。……すごく楽しみにしてる」


「そっか。俺もだ」


 目の前の一騎は笑みを強くして、


「良かった。もし、紅音がこの旅行を楽しめてなかったらどうしようかと、ちょっと不安だった」


「……!」


 ……確かに、そうだ。

 私はさっき、これから起きるかもしれないことを指して『怖い』って言った。

 そして、この旅行の予定自体、数週間前から決めていたものだ。

 なら、私がこの旅行自体に怯えてると、そう捉えられてもおかしくなかった。


「わかってる。さっきはちょっと不安になっちゃっただけで、紅音もこの旅行を楽しみにしてくれたことも、今日の観光地巡りを楽しんでくれてたのも、わかってる」


 彼は親指で私の頬を撫でながら、


「俺はさ、紅音。紅音のことが好きだから、紅音が嫌がることは絶対にしたくない。だから、安心して欲しい」


「……違う。そうじゃない。嫌がってるとか、そんなんじゃなくて……」


「悪い、今のは言葉の選び方が悪かった。……俺が言いたかったのは、紅音にはずっと笑顔で居てほしいってこと」


 彼は自分のおでこを私のおでこにあてる。

 だから、私と彼の距離が文字通りの目と鼻の先になる。

 その近さで彼は、


「前にも言ったけど、俺は紅音が好きで、ずっと紅音の味方だから。だから、俺は紅音と一緒に居たいし、紅音の幸せを少しでもいいから一緒に作りたいって思ってる」


 優しく笑いかけてくれて、


「だから、そんな顔しないで欲しい。折角の旅行なんだ。勝手かもしれないけど、俺は紅音の笑顔が見たい」


 そう言うと、彼は顔を少しだけずらして、私のおでこにキスをした。


「……うん。いつもの可愛い紅音に戻った」


 彼は揶揄うようにそう言うと、私から一歩距離を取った。

 ……一騎は本当、ずるい。

 私が謝っていたはずなのに、慰められてしまった。

 そして、その慰めが、この上なく嬉しかった。


「じゃ、行こうか。温泉旅館ももうすぐそこだし」


 彼はそう言うと、私の手を優しく握ってくる。

 私はその彼の手を軽く握り返すと、二人並んで温泉旅館に向かい始める。

 その第一歩を踏み出すタイミングで一騎は、


「……これからの温泉だけどさ、その時、紅音と思いっきりイチャつきたいんだけど、それで良いよな?」


 彼は恥ずかしさを混ぜた笑みを浮かべながら、そう尋ねてきた。

 私がどう答えるか、わかってくるくせに。


「……」


 私は何も口にしない。

 だけど、コクリと頷くことで、彼の言葉に答えた。





 旅館の料理は、美味しかった。

 個室に運ばれてきた海鮮料理を、二人で美味しいと言いながら食べた。

 そのあとは、メインの温泉に入ることになった。

 そして、この個室には、露天風呂付きの個室だった。

 だから、私達は、二人でお風呂に入った。


「……温泉、気持ち良いな、紅音」


「……うん」


 一緒にお風呂に入ってると言っても、私も一騎も体にタオルを巻いている。

 だが、一騎が後ろから私を抱き締めていて、体の色んなところが触れ合っていった。


「……ん」


 一騎が、後ろから私の首元にキスをしてくる。

 一度だけじゃなく、何度も。


「……一騎、何、してるんだ?」


 私は非難してるような言葉を口にする。

 だけど、声色は、自分でもビックリするほど甘えたものだった。


「んー……、旅館に入る前にも言ったけどさ、紅音と思いっきりイチャつきたいなって」


 一騎はそう言うと、啄むようにうなじにキスをする。

 彼は動きを止めない。

 キスの雨あられを一方的に受けている私が、嫌がっていないどころか、喜んでいることをわかっているからだろう。


(……なんか、悔しい)


 心を見透かされるのはちょっと悔しい。

 でも、それ以上に嬉しかった。

 私が彼に向けている感情を、彼がわかってくれているということだから。


「……一騎」


 私は一騎の腕の中で、タオルがはだけるのも気にせず体の向きを変え、互いの顔と体が正面に向き合うようにする。

 驚いて動きを止めた彼をちょっと悪戯めいた笑みで見つめながら、私からも一騎を正面から抱き締めた。

 大好きな彼と、もっと触れ合えるように。


「……紅音、可愛い」


 頭の上から、愛おしさを込められた声が聞こえる。

 私はその言葉に返事をせず、さっき彼がやったみたいに、彼の首元にキスをする。

 一度だけじゃなく、何度も。

 彼も動きを再開し、私に口付けをする。

 結局、私達は、のぼせそうになるまで、相手の全身に互いの愛情を刻みつけた。





 1982年4月


 3


 二人で同じ大学に入学してから、三年。

 その間も、色々あった。


 大学二年生の時は。

 年度の初めに『もう、年中どっちかの部屋に居るし、二人で一つの大きい部屋を借りよう』って話になり同棲することになって……ちょっとドキドキした。

 夏は沖縄に二人で旅行に行って、観光や海で遊んだりして楽しかった。

 年末には私の方の実家に帰り、母と私と一騎の三人で過ごすのが恒例行事になった。


 大学三年生の時は。

 専門的になってきた学業に励みながらも、週末にはボウリングやショッピングモールなどに足を運んだ。

 長期休みには、歴史あるお寺や城を見に行ったり、雪山にスキーしに行ったりなど、色んな所を二人で出掛けたりした。

 ……遊園地で夜のパレードを見に行ったりもして、中々綺麗で壮観だった。



 そして、今。

 私達は、最終学年である大学四年生になっていた。


「……変、じゃないか?」


 私は目の前の一騎に確認を取る。


「変じゃない。ものすごく、綺麗だ。つい、見惚れちゃうぐらい」


「そ、そうか……」


 一騎の言葉に、私は動揺する。

 ……そんな私の今の格好は、普段の私服と違って、黒に赤い差し色が入ったフィッシュテールドレスという少々格式張ったものだった。


「……綺麗だって思ってもらえたなら、その、良かった」


 つい、一騎と組んでいた腕に力が込もる。

 今現在、私は一騎にエスコートされていた。


「……もう紅音とは何年も一緒に居るのに、こういうのは緊張しちゃうな」


「……あぁ、そうだな」


 いつもと違って紺色のジャケットに身を包ませた一騎の方をチラリと見ながら、私も同意する。

 ……今、私達は、夜景が綺麗な高級レストランに向かっていた。

 今日は、何の祝いの日でもないのに。






「ディナー、美味しかったな」


「うん、そうだな」


「ここから見える夜景、綺麗だな」


「うん、そうだな」


 私は同じ言葉を繰り返す。

 そうなってしまうほど、今の私は頭が回っていなかった。

 ……今日のディナー、一騎も普段と違って、口数があまり多くなかった。

 彼もどこか緊張しているように見えた。

 そんな彼は気を引き締めるかのように、深呼吸すると、私の方に顔を向けて、


「紅音は、大学卒業後、どうするか決めた?」


「……まだ、決めてない。所属してる研究室で、仕事の推薦先を紹介されるって話もあるらしいが、それも今月末まで無い」


 ……そういえば、卒業後の進路話(こんなかいわ)、四年前にもしたな。

 そんなことを、私は思い出していた。


「そっか。俺の方はもう一週間ぐらい前に決まってて、そこそこ大きい電機メーカーに勤めることになった」


「……その話、初めて聞いたぞ」


「今日、言おうと思ってたからな」


「……そっか」


 私はちょっとぶっきらぼうに、


「とりあえず、おめでとう。就職、決まって良かったな」


「ありがとう。でも、この話が本題じゃないんだ」


 一騎はそこで言葉を切ると、私の瞳をジッと見つめる。

 そして、


「……俺はさ、紅音。高校一年の頃から、お前のことが好きだった」


「……」


 前触れもなく、彼は昔の話をし始める。

 私はそれを、黙って最後まで聞こうと口を閉ざした。


「知り合ってからこの六年間、ずっとお前のことが好きで、一緒に過ごしてく中で、もっともっと好きになった」


「……」


「俺は紅音のことが好きだ。愛してる。ずっと一緒に居たいって、紅音と一緒に幸せになりたいって、心から願う」


「……」


「だから」


 彼は、ポケットから小さい箱を取り出す。

 その箱をテーブルに置き、ゆっくり開けると、彼は、




「篠川紅音さん。僕と結婚してくれませんか?」




 心を込めた、プロポーズをしてくれた。

 箱の中に輝くのは、ルビーが付いた指輪。

 これ以上ないほど明らかな、婚約指輪だった。

 ……。

 ……正直、『もしかしたら、そうかも』と期待はしていた。

 何の祝いの日でもないのに、今まで来たことのないような高いレストランに予約するんだ、想像しない方がおかしいというものだ。

 なのに、なんでだろう。

 最初からわかっていたはずなのに、さっきから涙が止まらない。

『もしプロポーズされたら、こう返そう』と思っていた言葉が、何も出てこない。

 だから、私は。

 瞳から、大粒の涙を溢しながら。

 大きく、頷きながら。




「はい」




 一言だけ、でも絶対に彼に届くようはっきりと、涙まじりの声で答えた。








「紅音」


「……ん?」


 レストランを出たあと、私はまだ涙目になっていた。

 ……ずっと好きで、愛してる男からプロポーズされたんだ。

 この涙が簡単に止まるわけがない。

 嬉しさと愛しさが、今の私を包み込んでいる。

 今世界で一番幸せなのは私だと、自信を持って言える。

 ……だけど。

 少しだけ、一騎に申し訳ないと思ってることもあった。

 それは、結局、『プロポーズ』という人生で最大の場面でさえ、私は『はい』としか返せなかったことだ。

 ――今までも、ずっとそうだった。

 彼は何度も『好き』と言ってくれたのに、私の方から『好き』と返せたことは一度もない。

 私だって、彼のことを愛してるのに、それを口に出すことができなかった。

 さっきの『はい』が、初めて彼に示せた私の愛の言葉だ。

 ……なんて自分勝手な女なんだろうと、自分でも思う。

 恥ずかしがり屋の自覚はあったが、それでも限度というものがあるだろう。

 だからだろうか、彼は私の口にキスしたことがなかった。

 互いに色んなところを口付けしたのに、口にだけはされたことがなかった。

 ……。

 そんな私に対して、彼は、


「ちょっと、こっち向いて」


 私の顔に手を伸ばして、顎を柔らかく掴む。

 そして。

 ゆっくりと、彼の顔が近づいて来て。



 私の唇に、優しくキスをした。



 ……。

 ……なんでだろう。

 なんで彼は、私が『して欲しい』って思ったことを、私は何も言ってないのにしてくれるんだろう。

 プロポーズ直後の、ファーストキス。

 普通のカップルなら逆かもしれないけど、さっき初めて愛の言葉を交わし合った私達としては、それが自然な形だった。


「……」


「……」


 数秒後、彼が私から離れる。

 とはいえ、数センチ離れただけで、依然として彼の顔は目と鼻の先だ。

 その距離になって初めて、彼も涙ぐんでいたことに私は気付いた。

 二人して、涙目だ。

 つい、ちょっと笑ってしまう。

 そうしながら、私は彼の首に手を回して、彼の瞳をジッと見つめる。

 そして、私は、彼が昔『紅音の目を見たら何を思っているか大体わかる』と言っていたことを思い出していた。

 だから、だろう。

 彼は、もう一度、私の唇にキスをした。

 さっきの優しいのとは違って、唇と唇を深く合わせる激しいキス。

 それに対して私は、口を更に深く合わせることで応える。

 そうやって、私達は、相手へ抱くありったけの想いを、互いにぶつけ合った。






 ――ありがとう。

『愛してる』って言ってくれて、本当にありがとう。

 いつか、私も同じ言葉を返すから、少しだけ待っていて欲しい。

 私も、君と同じ想いだから。

 ……あぁ。

 こんなに嬉しいことがあっていいのかな。

 こんなに喜んじゃって、いいのかな。

 そう思ってしまうほど、今の私は、幸せだった。

 だから、本当に、ありがとう。

 ……一騎。

 大好き。






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