第十三章 願望
第十三章 願望
2034年5月
1
巨人が、居た。
薄く暗い霧に包まれた森林地帯。
そこに、三十メートルを越すビルのように肥大化した一つ目の化け物が、雄叫びを高く上げていた。
その咆哮の先に居るのは、一人の白い女。
その女は雄叫びに対し忌々しそうな目を細めると、両手に握られた二本の赤い刀を構える。
だが、刀ではリーチが明らかに足りていない。
一メートル強の刀を構えたところで、数十メートルの高さに達している巨人から見たら爪楊枝みたいなものだろう。
しかし、それも見た目通りだったらの話だ。
「Gaaaaaaaa!!」
巨人が叫びながら隕石のような拳を振り下ろす。
それに対し、女は無言で刀を二度振るっただけだった。
直後、隕石のような拳は腕ごと切り裂かれ、巨人の体が頭から股下にかけて縦に両断された。
「Goooooooooo!!!!」
切り裂かれた巨人は一際大きな声で叫ぶ。
しかし、体が縦に割かれたにも関わらず、まだ絶命していなかった。
それは、法臓持ちの鵺であることの証左。
『法臓無し』の鵺ならば、通常の生物のように体を両断すればそのまま死ぬが、法臓を持つ鵺は法臓が壊されるまで無限に再生する。
故に、女は赤い刀を構え直す。
彼女の意思のまま自在に伸縮する、その血刀を。
「……」
叫ぶ巨人とは対照的に、女は無言のまま縦横無尽に駆け出す。
その速度は音速を優に超えており、女は血刀のリーチを適宜変えながら、巨人のありとあらゆる箇所を斬り刻む。
そして、一秒後。
巨人は三十の塊に分断され、巨人の体のどこかにあった法臓も両断される。
だから、それでお終い。
法臓は鵺にとって特殊能力の源でもあるのだが、巨人の鵺は特殊能力を発動させることもなく、命を落とした。
巨人を殺した白い女の名は、月原紅音。
この地に居る鵺達を――夫を殺した鵺達を、皆殺しにする復讐者だ。
彼女はこの復讐を五十年間、たった一人で行っていた。
しかし、一ヶ月と少し前から、彼女の後ろに追随する一つの影があった。
影の主の名は、雲林院葉月。
鵺討伐そのものには一切触れず、『触った相手の体力を回復させる』という異能をもって、白い女のバックアップを任されている少女だった。
「……この辺りに居る鵺は今ので最後だ。葉月、出て来ていいぞ」
白い女の言葉が木々に響くと、木の影から茶髪の少女がちょこんと飛び出す。
茶髪の少女――葉月はのんびりとした調子で、
「それにしても今の鵺デカかったですねー。……結構『年級』とかも高かったりするんですか?」
――彼女達、アーベントが所属するARSSは鵺を討伐し、市民の安全を守ることを生業としている組織だ。
基本的に、鵺が発生した直後にはもうARSSに連絡が入り、そのままARSSのアーベントに倒される。
だが、稀に倒しきれないこともあり、そのような鵺は影胞子を求め、世界に何箇所かあるスポットに向かって進行し、そこで生き延び続けることがあるのだ。
しかも、鵺は永遠に成長し続ける生命体であるため、取り逃した年月が長ければ長いほどより強力かつより厄介になる。
その強さをわかりやすく認識できるよう、確認済みの鵺に対し、取り逃した年数で『○年級』とARSSでは呼んでいるのだ。
「年級か……。今のデカいヤツはそうだな、五十年級相当だろう。多分だけどな」
とはいえ、ARSSが確認できていない鵺も当然居る。
そういう鵺の年級などわかりようがないが、紅音は過去の戦闘の経験からそう予想した。
……ちなみに、紅音は『血躯操作』によって疑似的な瞬間記憶能力を有しており、ARSSが過去確認した全ての鵺の特徴を覚えていた。
「はー、すごいですねー……」
葉月はただ感嘆のため息吐く。
……紅音はまるで簡単なことのように口にしていたが、五十年級ともいえば、本来なら上級が複数人で挑まなければいけない相手だ。
それを一人で、しかも一秒程で倒すなど、尋常ではない。
「そういえば、紅音さんって最高で八十年級倒したんですよね?どうでしたか?」
「あぁ……」
紅音は少し思い出すように空を仰ぎながら、
「五年前だったか。1949年に確認された鵺『ギガントマンティス』とかいう、付けられた名前通りデカい蟷螂のような鵺と戦った。流石に他の鵺よりは手間取ったが、問題無く殺せた」
その時のことを、忌々しそうにそう語った。
『台詞の内容とは異なり、実際は苦戦だった』……というわけではない。
ただ、復讐相手のことを考えたから、殺意が漏れ出てしまっただけの話だ。
「……ごめんなさい、余計なことでした」
紅音の心情がわかったからか、葉月はペコリと頭を下げる。
紅音はチラリと葉月の方を見ると、目を伏せて、
「……いや、今のは私が悪い。すまない」
……例え殺意がぶり返ったとしても、それを葉月に感じ取らせるのは完璧に自分の過失だ。
「いえ、私も無神経でしたから!」
葉月は勢いよく首を振る。
それに対して紅音は、
「いや、私が神経質過ぎるだけで、葉月が無神経ってわけじゃない。むしろ、鵺に関する質問は自分の現状を把握するのに大切なことだ。だから、これに懲りずに気になったことは聞いてくれるとありがたい」
「……そう言ってくれて、ありがとうございます、了解です!」
紅音の言葉に、葉月は元気よく返事をする。
それを見た紅音は小さく微笑み、少し離れた場所――木々を抜けた川辺を指差す。
そして、
「今日はもう遅い。休憩にしよう」
いつも明るく居てくれる後輩に、野営の提案をした。
2
バチッ。
二人の目の前で、火の粉が弾ける音がする。
紅音と葉月は、このスポットの中で焚き火をしていた。
「結構ドキドキですねー」
赤い火に照らされながら、葉月はのんびりと呟く。
スポットに来て焚き火をするなんて、思ってもみなかった。
「焚き火は精神安定に良いらしいからな。……実は、実行したのは初めてだ」
紅音はそう言いながら適当に枯れ枝を焚き火に放り投げる。
「あ、そうなんですか。私はキャンプとかでたまにやってました!」
「……あぁ、そういえば、葉月はアウトドアも趣味にしてたか」
以前、葉月が語った趣味の中にハイキングなどのアウトドア系も多く入っていたことを思い出す。
「葉月は、普段からこういうキャンプみたいなことをよくしてるのか?」
「よく……ってほどじゃないですけど、なんだかんだ一、二ヶ月に一回は森だか山とかに行ってます」
「そうなのか。……定期的に行くってことは、やっぱり楽しいものなのか?」
「はい!私、日本の家は都会ど真ん中なんですけど、だからこそたまに浴びる森とかの空気が美味しいかつ、ワクワクしたりします!……多分、暫くはしないと思いますけど!」
「まぁ、そうだろうな」
葉月の言葉に紅音は苦笑する。
……現在、カリフォルニア森林地帯のスポット侵攻作戦を開始してから、一ヶ月以上は経っている。
都会育ちなら、森より都会が恋しくなってくる頃だろう。
「……葉月、ここまで付いてきてくれたこと、本当に感謝している。ありがとう」
「いきなりお礼言われてビックリですが、どういたしましてです!」
そう言う葉月の顔は明るい。
いくら葉月の固有能力で肉体上の疲労が無いとはいえ、精神的な疲労さえほとんど感じていないようだった。
……この様子だと、紅音とU.S.A.本部長の見立て通り、葉月は最後までスポット侵攻作戦に着いてこれるだろう。
(強い奴だ)
そう、紅音は思う。
特別な理由がある自分はまだしも、こんな魑魅魍魎が渦巻く土地で、年端も行かない少女が恐怖を感じないわけがない。
それなのに、葉月は懸命に――。
(……ん?)
今、自分の思考がおかしかったこととに、紅音は自分で気付いた。
――『特別な理由がある自分ならまだしも』。
その思考は、『自分には特別な理由があるが、葉月には特別な理由が無い』ということ前提にしているものだ。
そんなこと、自分が決めることではないのに。
(……というか、そもそも、葉月はなんで最初から一生懸命だったんだ?)
段々とやる気が出て行くのはわかる。
だが、葉月は最初からやる気があるように見えた。
たった一人の復讐者によるスポット侵攻作戦の同行なんて、恐怖でしかなかっただろうに。
(葉月は馬鹿じゃない。この作戦について浮かれてない……というわけでもなかったかもしれんが、危険なことを最初からキチンと理解していたのは確かだ)
それなのに、どうしてだろう。
ふと気になって、紅音は、
「葉月、お前、何か目標とかあるのか?」
何故か、そんなことを尋ねた。
「目標、ですか?」
唐突で胡乱なその質問に、葉月は首を傾げる。
「あぁ。……将来の夢とか、そういう大きい目標だ」
――月原紅音には、復讐という個人的な目的がある。
己の人生を掛けたその理由があるからこそ、紅音はスポットに何度も攻め込んでいるのだ。
だから、葉月にも、何かそういう大きな目的があるのではないかと思ったのだ。
「将来の夢ですか……………」
茶髪の少女はボソリと呟くと、顔を下に向ける。
そして、そのまま、
「――笑わないで聞いてくれますか?」
消え入るような声で、問い返した。
「ああ。絶対に笑わない」
「なら、言いますね」
葉月はそう言うと、顔を上げる。
しかし、目は紅音から逸らしたままだった。
「私、ヒーローになりたいんですよ」
「……ヒーロー?」
「はい。漫画とかの物語に出てくるような、そんなヒーローです」
「……」
紅音は顎に手を当てて考え、そして思い出す。
彼女の影胞子操作能力は、初めて会った時から鍛錬の跡が見て取れたことを。
『鉄鋼』達の所業を見た彼女が、激しい怒りを露わにしていたことを。
「……葉月は、ヒーローになりたかったのか」
「はい。困ってる人をカッコ良く助けれるような、そんな正義のヒーローになりたかったんです」
葉月は照れたように語る。
そして、少女は少し申し訳なさそうな表情を浮かべて、
「……深い理由なんて、特にありません。何か具体的なキッカケなんて無くて、多分、アーベントの中で一番薄い理由だと思います」
だけど、少女の声は力強くて。
「でも、それでも、心の底から憧れたんです。テレビに映っているアーベントのように生きて、色んな人達を自分の手で助けたいって、そう思っちゃって、私はそんなヒーローになりたいんです」
彼女の想いの強さを、伝えてくるものだった。
「……こんな望み、子供っぽいって思いますか……?」
葉月は恐る恐る……というよりちょっと恥ずかしそうに尋ねる。
だから、紅音は、
「そうだな。少しな」
短く、肯定する。
しかし、彼女の言葉には続きがあった。
「だが、葉月のその夢は立派なものだとも思った。そして、葉月ならその夢が叶えられると、そう素直に思えたのも確かだ」
紅音はなんてこともないようにそう言う。
その自然さが、彼女の言葉が慰めでもなく、本心からのものだと少女は理解できた。
「……やっぱり、子供っぽいですか」
紅音に肯定されたのは嬉しいが、素直に喜ぶのが恥ずかしくて、葉月は拗ねたようにそっぽを向く。
『なんだか可愛らしいな』と思いながら紅音は、
「子供っぽいと思ったのは葉月の言い方だ。人助けになるような生き方を目指すのは良いことだと思う。……実際、できてると思うしな」
そう言うと紅音は視線を暗い空に向け、微笑みを浮かべる。
「……ま、生き様じゃなくて、死に様について語ってたら、多分怒ってたかもしれないがな」
「よくわからないですが、怒られなくて良かったです」
葉月はクスクスと笑う。
そして、
「そういえば、紅音さんって、スポットを解消した後どうするのか決めてたりするんですか?」
「……スポットを解消した後?」
紅音は視線を少女に戻し、キョトンした顔を浮かべる。
白い女の方を見てなかった少女は、それに気付かずいつも通りの調子で喋り続ける。
「はい。スポットに居る鵺の討伐を全部終わらせたら、紅音さんはどうするつもりなんですか?」
――普段の雲林院葉月だったら、こんなこと尋ねなかっただろう。
いつもの彼女だったら、『大事な人を奪われ、その復讐をずっと続けてきた月原紅音に、そんなこと言うのは無神経だ』とそう思っただろう。
だが、今の葉月は、自分の夢を語り、そして認められたことで恥ずかしさと嬉しさでちょっとした興奮状態に陥っていた。
そのため、本来だったらしないであろう質問を葉月はしてしまったのだ。
そして、問われた紅音は、
「……全てが、終わった後か……」
再び空を見上げ、スポットを包む霧の遥か先にある月をジッと見つめる。
――今まで、そんなこと考えてみたことなかった。
復讐の後のことなんて、そんなこと一度も。
「……」
紅音は、何か自分に復讐以外の望みがあるのかを考えてみるが、そんなもの思いつかないし、考える意味も無い。
復讐が終わったあとの自分がどうなっているかなんて、その時になってみないとわからないのだから。
だが、それでも、敢えて挙げるとするなら、復讐より前に掲げていた望みを挙げるべきだろう。
復讐より前に掲げていた望み。それは――。
『どんなに長い時間が経っても、どんな風になっても、俺は紅音の――』
……。
…………。
「……悪い、葉月。今は思いつかないな」
紅音は、『半分だけ』本当のことを答える。
「そうなんですか」
葉月は頷く。
……実際のところ、この時点で葉月はもう『あれ、私、かなり考え無しなこと聞いたような……』と思っていたのだが、紅音の顔を見て安心する。
何故なら、彼女の顔が優しい笑顔だったからだ。
「葉月、そろそろテントの中に移動して睡眠を取ろうかと思うが、それでいいか?」
「はい、それで良いです!」
これから寝ると言ってるのに、葉月は元気良く返事する。
紅音はクスリと笑うと、焚き火を消す準備を始めた。
3
……。
……………。
……復讐より前に掲げていた望み。
『それ』を望まなかったことは、この五十年の中でだって一度も無い。
だが、その望みを白い女は後輩の前で口にしなかった。
だって、その望みは絶対に叶わないってわかっいるから。
だからこそ、彼女はここに居るのだから。
彼女は眠る。
いつも通り、遠い日々のことを思い出しながら、深い微睡みの中に落ちていった。
――毛布の中、雲林院葉月は不思議に思う。
あの先輩は、どうしてあんなにも良くしてくれるんだろうと。
(紅音さんは、優しい)
自分が傷付いたり怖がったりするとすぐに慰めてくれるし、命の危険に晒された人々を助けるために力を尽くしてくれる。
(紅音さんは、怖い)
憎悪で身を焦がす彼女は、どんな怪物の群れだろうと一方的に薙ぎ払い、そして殺し尽くす。
(世の中にはオンオフの切り替えが激しい人間がいるのは知ってるし、何なら友達でもそういう人は居る)
しかし、紅音ほどその差が激しい人は見たことがない。
いや、正確には、あれほどの殺意と憎悪と言った方が正しいか。
……復讐に向かう彼女を見た時、その殺意は自分に向けられていなかったのにも関わらず、少女は震え上がってしまった。
それほどまでの、異様で強大な殺意。
その感情を普段は完璧に仕舞い込み、色んな人を慮るような行動を取る。
さっきだって、葉月の夢を真剣に聞いて、そして励ましてくれた。
――『普通、あれほどの激情を抱いていたら、普段の行動にも影響されてしまうのでは?』
そう、少女は思ってしまう。
だから葉月は、紅音がどうして人に優しくできるのかと、不思議に思ったのだ。
――臆病な後輩を気にかける優しい彼女も。
――刃のような殺意を振るう死神のような彼女も。
どっちも本当で、どっちも嘘じゃない。
……初めてスポットに入ったあの日、葉月はそう感じた。
あの時感じたことが間違いだと、あれから一ヶ月以上経った今でも露ほども思っちゃいない。
ただ、相反するその二つを両立させている……いや、両立できてしまっていることが、異様だと感じてしまった。
だから、だろうか。
そこに、月原紅音という人間の核があるのではないかと、そう思った。
そんな風に大好きな先輩のことを考えながら少女は、柔らかい眠りに入っていった。
X
「なんか今回の、長くない?」
――カリフォルニア州の森林地帯の奥深くにて。
魚人のような鵺――デザイアは軽い調子で鬼女のような鵺――ピースにそう問い掛けた。
「長いって、何が」
「それは勿論、『死神』の滞在期間のことよ。今までは最長でも二週間強だったのに、今回はもう一ヶ月以上に滞在してる」
「……あぁ、確かに長いな」
ピースはうんざりしたような表情を浮かべて、
「『外』で状況が何かしら変わったってことか?」
「だと思うけど、その割には、五十年前みたく大軍で来たとかそんな感じじゃなさそうだけどね。ただ、私が探った感じだと、助っ人を一人連れてるみたいよ」
「助っ人?」
デザイアがもたらした情報に、ピースは眉を顰める。
「あの『死神』に助っ人?この五十年、たった一人でスポットに攻め込み続けたあのイカレにか?」
「助っ人、って言っても、ちょっとしたサポート役みたいだけどね。戦闘には一切参加してないみたいだし」
「へぇ……」
ピースは興味深そうに呟く。
「そのサポートで『死神』の滞在時間が伸びたってことか」
「多分ね。……そのせいで、『死神』は今までの中で一番『中央』に近付いてきてるわ」
「それを先に言え」
デザイアが口にした追加の情報で、ピースは顔を歪める。
「ってことはつまり、とうとうあの『死神』が、あたしらの居る『中央』に辿り着くかもしれないってことか?」
「そういうこと。もしかしたら、私達を殺し切るまで、もうスポットから出るつもりないかもね」
「……面倒くさ……」
ピースは忌々しそうに吐き捨てる。
これから『死神』が自分を殺そうとしてくるのだから、当然と言えば当然なのだが、その反応に『嫌悪感』こそあれ『恐怖』は一切見られなかった。
「ってか、ゼロの野郎はこのことを知ってるのか?『中央』に居る連中で最も人間嫌いだろ、アイツ」
「さぁ。ただ、ついさっき『死神』を遠くから観察してたら、たまたま近くにノブレスが居たんだけど、アイツいきなり『これはこれはこれはこれは!』とか叫んでゼロ達の方に向かってったし、これからその辺のことを話し合うんだと思う」
「ノブレスの『死神』への執着具合はぶっ飛んでるからな……。ま、どう転ぼうと、面白いことになりそうだ」
「ピース、あなた、さっきは『面倒くさ』とか言ってたじゃない」
「面倒以上に面白いってことだよ。わかれ」
ピースはカラカラと愉快そうに笑う。
それに対しデザイアは、自身の鱗に覆われてない肌の部分を撫でながら、これまた楽しそうに破顔して、
「そうね、私としても面白いことになりそう。特に、『死神』じゃない人間がここに来てることとか」
「……まぁ、あんたはそうだろうなぁ」
……デザイアは世にも珍しい『人間に憧れている鵺』だ。
その憧れによって彼女がどう動くかは誰にも与り知らぬとこではあるが、デザイアの行動を観察するのも楽しそうだと、鬼女は笑みを強くする。
「ま、どっちにしろ、ゼロの奴次第か」
「私、あいつ苦手なのよね。自分の思い通りに世界が回ってると思ってるとことか」
「そりゃそうだろ」
ピースは目を細めながら、明後日の方向に向ける。
そしてそのまま、鬼女はボソリとこう呟いた。
「――アイツがここで一番強いんだからさ」
――カリフォルニア森林地帯の奥深く。
一人の男――正確には男性型の鵺が、倒れた大樹の上に腰掛けていた。
その鵺は、腕と脚に黄金に輝く鎧のようなものを纏っており、胴が細いのも相まってアンバランスな見た目をしていた。
そんな彼の前に、マント状のヒレを身に纏う男性型の鵺――ノブレスが立っていた。
「ゼロ。あなたに話があって来ました」
「貴様の用はわかってる。どうせ『死神』の件だろう」
ノブレスの慇懃な態度に、鎧の男――ゼロは鷹揚に返事をする。
「貴様の要求はこうだ。『自分と死神は愛し合っているのだから、「中央」に辿り着いても殺さないで欲しい』。違うか?」
「……ええ、そうですよ。私の想いを僅かとはいえ察してくれて何よりです」
「やはりな。そして、その答えはもう決まっている」
ゼロはゆっくりと目を細める。
そして、
「答えは、ノーだ。我の邪魔をすれば、貴様から殺す」
圧倒的な殺意の奔流を、ノブレスに叩きつけた。
「……!」
あまりにも莫大な影胞子が、威圧感となってノブレスに襲いかかり、全身に震えが走る。
(流石、最強と言われてるだけはありますね……)
それほどまでの、影胞子量。
影胞子生物において、影胞子量は絶対的な力となる。
そして、ノブレスの目の前の男は、その影胞子量を『中央』に居る誰よりも多くその身に宿していた。
故に、最強。
だが、
「……ゼロ。あなたは少し勘違いをしている」
ノブレスはマント状のヒレを大きく広げる。
「あなたは確かに最強だ。あなたのその影胞子量にあなたの『法臓』を組み合わせれば、誰だろうと討ち倒すことができるでしょう」
そして、その動きを皮切りに、
「しかし、それは一対一での話ということをお忘れなく」
木々に隠れていた大量の『擬鵺』が、一斉に黒い顔出していた。
「私の法臓の能力を知っているでしょう。いくらあなたが最強でも、こちらの戦力は無限。あなたを倒すことは叶わなくても、一生消えない後遺症を残すことはできると思いますよ」
そう言いながら、ノブレスはマント状のヒレを僅かに揺らす。
すると、マントの表面から獣のような顔が出現し始めていた。
「どうします?ここで無意味な殺し合いをしますか?」
「本当に後遺症を残せるか、試してみるか?我は、それでも構わん」
ゼロは切り捨てるようにそう言うと、ゆっくりと立ち上がる。
そして、そのまま――
「私の話を聞いてなかったんですか、ゼロ。『無意味な殺し合い』と私は言ったんですよ」
「……」
「つまり、あなたが私と『死神』を放置しても、あなたの希望は叶うということです。それでも、殺し合いますか?」
「…………」
ゼロは少し考えるように目を細めると、結局何もすることなく、元の場所に腰を下ろした。
「わかってもらえて、良かったです」
マントの表面及び木々の隙間から見えていた擬鵺達の頭が引っ込まれる。
その様子を見届けながらゼロは、
「もし、言ってることが違えたら、簡単には死ねないものと思え」
「ええ、わかってます」
ノブレスは軽くそう言うと、別れの挨拶なども特になく、その場から消えるようにして去って行った。
……。
十秒後。
「良かったんですかぁ?」
甘ったるい声が、背後からゼロに掛けられる。
ゼロは首だけを動かして、そちらに振り返る。
その視線の先には、十代前半の少女のような華奢な女性型の鵺が居た。
彼女の名前は、アクトレス。
ゼロの忠実な下僕の一人だ。
彼女はフリルのようになってる皮膚を揺らしながら、
「ノブレスの奴、『死神』と愛し合って駆け落ちするつもりですよぅ?」
「それはない……というより、そうはならんだろう。愛なんて感情、理解も興味もないが、ノブレスが抱いてるのが愛ではなくて妄執ということぐらい我にもわかる」
「理解がないと言いつつも愛について語るなんて、意外とロマンチックなことするんですね、ゼロ様」
「……貴様は、ノブレスが『死神』を番いにできると思うのか?」
「案外、上手く行くかもですよぉ?美しい女は強い男に惚れるもんですからね、私があなたに惚れてるように☆」
「……」
ゼロは下らないものを見るかのように、少女のような鵺に視線を送る。
その視線に、アクトレスは、
「その瞳、すごく良いですよぉ」
アクトレスは絡みつくかのように、後ろからゼロに抱きつく。
ゼロは片手でアクトレスの首を掴むと、強引に引き剥がし、腰掛けていた大樹に叩きつけた。
「いやん。ゼロ様、大胆♪」
アクトレスは余裕を感じさせるふざけた声を出しているが、彼女の顔は痛みと興奮により紅潮していた。
「……『死神』の奴も、貴様から同類扱いされるのは迷惑だろうよ」
『まぁ、憐れもうとも殺すには殺すがな』とそう付け加えながら、アクトレスの首から手を離す。
アクトレスは残念そうに首をさすりながら、
「『死神』といえば、私が彼女を直接見たのはもう三十年ぐらい前になるんですよねー……。正直、一目見ただけですぐ逃げたんで、あんまり覚えてないんですけど」
「貴様は臆病だからな。だから、こうして我に擦り寄ってる」
「それは言っちゃだめですよぉ」
アクトレスは甘えた声を出す。
しかし、その直後真剣な表情で、
「そういえば、初めて見た時、なんかどっかで見たことある気がしたんですよねー……」
「……あの『死神』がここを出入りしだしたのは五十年前からだ。つまり、三十年前に見たのは二回目だったというだけの話だろう」
「つまらない答え合わせしないでくださいよぉ。折角なんで『前世で知り合ってて、その運命が!』ぐらいに思わせてください、綺麗で強い人とは仲良くなりたいですし☆」
アクトレスはピョンと大樹から飛び起きると、艶かしく科を作り、
「ところでゼロ様。『死神』がそろそろ中央まで来るとのことですし、面倒ごとが増える前に忌々しいイカれジャックでも殺しませんか?」
「……貴様はことあるごとにそれだな」
ゼロは浅くため息を吐く。
「過去、ジャックは我の命をも狙ってきていたが、それも今は無い。力の差を理解したのだろう、現時点では我にとって無害だ」
「でも、ゼロ様も知ってるでしょう?ジャックの本当の能力を。アレは放っておいたら、大分厄介なことになるヤツですよぉ」
少女のような鵺は一旦そこで言葉を切ると、顔を斜め上に向ける。
「ね、あなたもそう思うでしょ、レジィ」
「……」
枝の上に、一体の鵺が居た。
大柄な男性型の鵺で、身体中から葉のような鱗が出ている。
彼もゼロの配下の一人なのだが、器用にも枝の上で寝ているようだった。
「ほら、レジィもそうだって言ってますよ?」
「寝てて何も言ってないだろう、そいつは」
ゼロはアクトレスの言葉を適当に切り捨てる。
「レジィもそう思ってますって、絶対!」
「そんなわけあるか。そいつは自分が楽になることしか考えてない」
「そうですけどぉ」
アクトレスはゼロにしなだれ掛かる。
そんな華奢な少女をゼロは冷たく一瞥し、
「貴様が何をしようと、何が起きようとも、我の決定と我が最も強いという事実は変わらん。それをいい加減に理解しろ」
「十分わかってますよぉ、もう」
アクトレスはいじけたように言いながら、ゼロの擦り寄る。
そうしながら、彼女は願う。
『誰でもいいから、早くジャックを殺してくれないかな』、と。
――ノブレスがゼロに話を持ち掛けたその時。
彼らのその様子を、遠くから観察している者が居た。
その鵺の名は、ジャック。
鵺でありながら、この地に居る鵺全てを殺すことを願いに掲げている異端者だった。
「……チッ」
舌打ちしながら、構えていた悪魔のような右腕を下ろす。
「……そう上手くは行かないか」
ボソリと呟きながらジャックは右腕を勢いよく真横に向け、灼熱の爆炎を放つ。
すると、
「Gugeeeee!」
隠れていた擬鵺が吹き飛び、この世から消滅した。
――ここはスポットの中央。
ノブレスによって常時作られている擬鵺が、鬱陶しいほど生息している。
「……ノブレスの奴がゼロと戦闘になれば、どっちもまとめて殺せたかもしれなかったのに」
ジャックは悔しそうに歯噛み。
……ここ二十年ほどは、ずっとこうだ。
擬鵺は何体も殺せてるのに、本物の鵺は一体も殺せてない。
――魚人の鵺、デザイアも。
――鬼女の鵺、ピースも。
――蝙蝠の鵺、ノブレスも。
――少女の鵺、アクトレスも。
――欲の鵺、レジィも。
――そして、最強の鵺、ゼロも。
五十年かけ、何度も何度も接触してるのに、この六体だけはどうしても殺せなかった。
「……クソ」
だが、それも当たり前の話だ。
知恵のある鵺同士、ある種の同盟……とまでは行かなくも暗黙の不可侵協定が結ばれてる中、ジャックだけが一人で戦っているのだから。
……。
「……『死神』、か」
五十年前からスポットに現れるようになった厄災。
そう耳には挟んでいるものの、ジャックはその姿を目にしたことがなかった。
「まさか、『中央』に近付いてきてるなんてな」
ジャックは先程盗み聞きした内容から、そう推測する。
そうでもなければ、今更『死神』への対応で揉めたりしないだろう。
「……」
……ジャックは『「死神」に近付くのは無用なリスク』と考えていたため、『死神』を観察という形ですら接触していない。
だが、その『死神』の目的が『この地に居る鵺の殲滅』だというのは知っていた。
つまり、『死神』の目的は自分と同じ。
「……どうするか」
協力関係はあり得ない。
『死神』の方はどうだか知らないが、ジャック自身の手で鵺達を倒さなければ、自分の願いは達成されない。
そして、何より。
『死神』の殲滅対象には、当然自分も含まれているだろう。
「……どうする」
ジャックは考える。
自分が生き残る方法を。
己の願いを、叶える方法を。
(……生き残る、か)
……本当は。
ジャック自身、もうそこまで生き続けたいと思っていなかった。
彼の希望は、そこまで途方もなく難しい。
だけど、それでも。
諦めることなど、決してできやしない。
例え、何があっても。
「ククク……」
蝙蝠の翼を持つ鵺――ノブレスは独り笑う。
「これでゼロの邪魔は入らない。だから、私は……」
ノブレスは片手で顔を覆う。
その状態で彼は。
「……ククク。ははは」
笑う。
ようやく本当に愛し合えることを喜び、破顔う。
「ずっとずっと、『姫』は私の仔を殺すことで、殺意を私に向けてくれていた。その蜜月は本当に素晴らしい日々でした」
――自分がこの地に誕生して九十年。
最初の四十年はあまりにも退屈な日々だったが、彼女が現れてから五十年はあまりにも甘美で、思い返すだけで口角が上がる。
笑顔のあまり、つい口の端が裂けそうになってしまうが、今はそれも我慢しよう。
「ですが、その日々ももうお終い。ついに『姫』は私の仔を殺し切って、私の所に来てくれる……!」
最高の笑顔は、最高の時に取っておくべきものなのだから。
「あぁ、『姫』よ。我が『姫』よ。早く、私に会いに来てください」
そして。
思う存分に。
十全に。
「私は貴女と早く殺し合って、そして思いっきり殺したいのです――」
――八十年級鵺。
それが、ARSSが観測した鵺の中で最大級の鵺であり、同時に月原紅音が倒した中で最も強かった鵺である。
しかし。
鵺の存在、及び鵺の巣であるスポットは九十年前から存在しており、観測されてないだけで、当然スポットには九十年級が居るのだ。
つまり。
今までかつて、人類の誰も見たことのない七つの災厄が。
森の奥深くで、妖しく蠢いていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
ゼロ
アクトレス
レジィ




