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過去編 紅音の思い出11


過去編 紅音の思い出11



 1978年7月


 1


「なぁ、紅音って進路もう決まってるのか?」


 授業と授業の合間の10分休みにて。

 隣の席の男が、今までしてこなかった話題を口にした。


「……まだ具体的には決まってない。ただ、大学に進学するとは思う」


 ちなみに、私はあまり真面目に登校していない(と言っても遅刻だけだ)が、私達が通っているこの高校は一般的には進学校と言われているとこだ。

 だからというわけでもないが、母親に望まれていることもあり、大学には進むつもりでいた。


「……一騎はどうなんだ?」


 私はそっぽ向きながら、小さい声で彼に問いを返す。

 今まで直視できず聞けなかったことを、さりげなさを装いながら問う。

 すると、一騎は軽い調子で、


「俺も紅音と同じで進学は決めてるけど、どこかはまだ決めてない感じ」


 一騎はチラリとこちらを見る。

 そして、


「……あのさ、どうせなら一緒の大学にしないか?ほら、紅音と俺の成績も近いし」


「――」


 世間話のような流れでそんなことを言い出すものだから、私は目を見開きながら彼の方をジッと見てしまう。

 しかし、口調とは違って一騎の瞳は真剣なもので『照れて詰まってしまわないよう、サラッと言ったんだな』ってことがわかった。

 ……もう、二年以上の付き合いなんだ。

 それぐらいは、口に出されなくてもわかる。

 だから私は、


「……いいぞ、それで。一緒の大学にしようか」


 彼に倣って、適当な調子で返事をした。

 答えを聞いた一騎は先程の私はのように目を大きく開く。

 直後、彼は、


「そっか。良かった」


 短く、だけど満面の笑みを浮かべながらそう言った。


「……あぁ、そうだな」


 それに比べれば、私の反応なんて微々たるものだろう。

 だけど、私も僅かに、だが確実に頬が緩んでいた。





 1979年3月


 2


「今日でもう卒業だよ、お別れだよ、紅音え〜」


 桜舞う春の日。

 今日は、三年間通った高校の卒業式の日。

 私、篠川紅音は、教室にて友人――山崎ひかりに抱きつかれていた。

 ……ひかりの腕力は結構強く、腕と胸がちょっと痛い。


「……私の進学先、こことは大体電車で一時間程度の距離だから、別にいつでも会えるぞ?」


「わかってるけど、でも寂しいじゃん!!」


 ひかりが耳元でそう叫ぶものだから、私はひかりの腕を振り解いて二歩ほど距離を取る。


「なんで逃げようとするの!!」


「逃げてるんじゃない。耳と腕が痛くなるから、距離を取っただけだ」


「え〜やだ〜!」


 目の前でひかりが駄々をこね始め、私は額を手に当てる。


(なんか幼児退行してないか、ひかりの奴)


 ……まぁ、幼児化してる方はともかくとして、寂しい気持ちはわからないでもない。

 私だって、そうなのだ。

 だから、私は、


「……ちゃんと電話するし、これからも一緒に遊ぼう。私にとって、お前は一番の友達だからな」


 そう言って、今度は私の方からひかりを軽く抱き締めた。

 すると、ひかりは、


「……うぅ……」


 唸り声を上げながら泣き出した。


「……ひかり?」


 私は名前を呟きながらひかりを離し、彼女の顔をジッと見詰めると、ひかりは涙を目に溜めたまま、


「だって、紅音、あんた、いつもクールで何考えてるかわからない時あるし、正直『こんなに絡んでててウザくないかな』とか、『遊びに付き合ってくれるのは紅音が良い奴ってだけで、楽しいのは私だけで紅音は本当は嫌なんじゃないかな』とか、そんなこと考える時もあったから、一番の友達だって言ってもらえて本当……」


 そう言うと、ひかりは俯いて口を閉ざす。

 そんな彼女の本音は、私にとって驚きのものだった。


「……嫌なわけないだろ。私は好きな奴としか一緒に居ない」


「わかってるんだけどさぁ、言葉にされないと不安になるときもあるのよぉ……」


「……そっか。それはすまなかった」


 そう言って私はひかりの顎を持ち上げて、強引に目を合わさせる。

 そして、


「なら、もう一度言おう。ひかりは私の親友だ。卒業しても会いたいと思ってる。だから、笑ってくれ。ひかりに辛気臭い顔は似合わない」


 堂々とした口振りで、ひかりのことをどう思っているかを告げた。

 それを聞いたひかりは驚いたように目を見開いて、


「紅音、そんな堂々とカッチョイイこと言う奴だったっけ?」


「……ひかりが普段と違ってしょげていたから、私も普段と違うことを言ってみただけだ」


 私はひかりの顎から手を離し、一歩分距離を取る。


「それで、どうなんだ」


「え、どうって何が?」


「……だから」


 私は一拍開けて、


「これからもたまには会ってくれるかって、私はそう聞いたんだ」


 照れてしまいそうな問いを、真っ直ぐ見つめながら告げた。

 問われたひかりはキョトンとした表情を浮かべる。

 そして、


「……うん。絶対に、そうしよう!」


 少し乱暴に、でもいつも通りの笑顔でそう答えた。






 私は一人、校内を歩く。

 ある少年――月原一騎を探すためだ。


(どこに行ったんだか)


 ついさっき、近くで木村の奴と話しかけているのを見かけたばかりだ。

 そう遠くには行ってないはずだが……。


「あ」


 見つけた。

 一騎は桜の樹の前で、見た目『は』二十代後半の女性に絡まれていた。


「はぁ……」


 私はため息を吐く。

 彼と一緒に居る女性は、卒業式を見に来た一騎の親戚……とかそんな話ではない。

 ……もしかしたら、本人はそのつもりかもしれないが。


「……何をやっているんだ、母さん」


「ん?」


 私の声で一騎に絡んで――というか写真を撮りまくっていた――女がこちらを振り向く。

 彼女の名前は、篠川赤子(しのかわあかこ)

 正真正銘、私の母親だった。


「紅音、あんたどこ行ってたの!もう私暇で、一騎君で遊ぶしかなかったじゃない!」


 目の前の母が意味不明な主張を大きな声でする。

 ちなみに、隣の一騎は苦笑いを浮かべていた。


「ほら、一騎君も遅いあんたに呆れてるじゃない!」


「……一騎は母さんに呆れてるんだと思うぞ。というか、なんで母さんが一番テンションが高いんだ?」


「そりぁあ今日があんた達の卒業っていうめでたい日だからでしょ。特に将来義理の息子になる一騎君の写真撮る機会なんてあんま無いしね。あんただって、一騎君の写真欲しいでしょ?」


「――――」


 ……反応に困ることを矢継ぎ早に言うのはやめて欲しい。

 そもそも、私達は恋人同士ですら……。


「……」


 私は目だけを動かして、チラリと一騎の顔を覗き見る。

 ……当の一騎は涼しい顔をしていて、なんだか悔しい。


(……まぁ、私も澄ました風に取り繕ってるし、似たようなもんか)


「黙ってないでハッキリ『うん』とか何とか言いなさいよ、あんたは。ま、とにかく紅音を撮るからその良い感じの桜の木の前に立ちなさい」


 母はそう言って、一騎がさっきまで立っていた桜の木の前を指し示す。


「……」


 ちょっと照れ臭かったが、私は母の言う通り、桜の前に立ってピースをしながら写真を撮られる。

 二枚ほど撮ると母は、


「ほら一騎君も紅音に隣に立って」


 そんなことを言うもんだから、一騎はするりと私の横に移動する。

 私は横に立つ彼をチラリと見ると、一騎もこっちの方を見ていた。

 彼は照れたような笑いを一瞬浮かべ、前を向く。

 私も彼に倣って前を向くと、すかさず母は、


「はいチーズ」


 パシャリと一枚撮る。


「……母さん、撮るのが早すぎる。まだポーズも何も取ってなかったのに」


「良いじゃん、今が良いって思ったんだから。それにもう一枚撮るから、そん時にポーズを気にしなさい」


 そう言って、母はカメラを構え直す。

 私は今度はキチンとポーズを取ろうと、隣の男と一緒に二本指を立てる。


「はいチーズ」


 パシャリ、と音が鳴って再び写真を撮られる。

 母は満足げに頷き、カメラを仕舞おうとするが、


「あ、赤子さん待ってください。俺、紅音と赤子さんの写真撮りますよ」


「ん?……言われてみれば、確かに撮っておきたいかも。一騎君、ナイス!」


 母はそう言うと、こちらに近付きカメラを一騎に渡す。


「ここ押せばシャッター切れるからー」


 そう言って、母は私の隣に立ち、一騎は先程まで母が立っていた場所に移動する。

 ……ちなみに、私の意思は一切確認されなかった。


(いや、まぁ別に嫌ではないんだけどな。嫌ではないんだけどさぁ……)


「?紅音、どうかした?」


 カメラを構える一騎は不思議そうに首を傾げる。

 ……本当、細かいとこに気付く男だ。


「……いや、なんでもない。気にしないでくれ」


 ただ、好きな男の子に、親と仲良くしてる写真を撮られるのが恥ずかしかっただけだ。


「ん、そっか。なら、笑ってくれ。笑顔の写真を撮りたいから」


「ああ、わかった」


 私はコクリと頷いて、満面の笑みの母の横でピースしながら笑みを浮かべる。


「はい、チーズ」


 パシャリ。

 シャッターが切られる音が鳴り、一騎は顔からカメラを離す。


「撮れましたよ。カメラ、返します」


「ありがとー。お礼に、ってのも変だけど、一騎君が写ってる写真、ちゃんと後であげるねー」


「ありがとうございます。……もしよかったら、紅音だけの写真もいただけませんか?」


「お、ストレートに要求してきたねぇ。勿論、あげましょう!」


「ありがとうございます、赤子さん。この恩は忘れません」


「良いってことよ!」


 ……二人はカメラの受け渡しをするだけのはずなのに、何か取引のようなものまで行っていた。(本人(わたし)の目の前で)


(気付いたら仲良くなっていたなぁ、この二人)


 初対面時にはそこまで仲良くない……というか互いに硬くなっていたはずだが、いつの間にかめちゃくちゃ打ち解けていた。

 そんな二人が怪しい取引(?)をしている最中、一騎はふと何かを思い出したかのように腕時計に視線を落として、


「すみません、赤子さん。そろそろクラスの連中と打ち上げに向かう時間になっちゃったんで、俺達はそっちに向かいます」


「ありゃ、そうなの。じゃ、私はもう帰るわ」


 母はカメラを鞄に仕舞う。

 そして、


「紅音、一騎君、じゃあねー」


 大きく手を振りながら、帰って行った。

 私と一騎は控えめに手を振りながら見送る。

 直後、一騎は私の方に手を差し出して、


「じゃ、行こうか」


「うん」


 私は彼の手を握る。

 そして、私達二人並んでクラスメイトとの待ち合わせ場所に向かった。




 3


 まずは、カラオケだった。

 適当に数部屋借りて、クラスのみんなで歌いまくった。

 そのあとは焼肉屋に移動して、若者らしくお喋りしながら暴食の限りを尽くした。

 特にひかりと木村の食いっぷりは凄まじく、何故かみんなで二人の大食い対決を観戦していた。

 そんな風に私達のクラスは適当に打ち上げを過ごし、なんだかんだ三年間クラスのまとめ役だった一騎の『じゃ、解散!』って言葉を最後に、みんなバラバラに別れの挨拶をしながら、笑顔で帰路についた。

 そして、私と一騎は家が近かったこともあり、二人並んで夜の暗い道をゆったり歩いていた。

 そんな時だった。


「……え、アンタ、篠川……?」


 目の前に、チャラそうな女子数名が現れた。

 見覚えはある。

 風貌は変わっているが、中学のクラスメイトだ。

 久し振りに見る彼女達は、忌々しそうな顔を浮かべるか怯えた顔を浮かべるかの二種類に別れた。

 だが、どちらも『関わりたくない』と言わんばかりに、足早に目の前から去って行った。


(……あいつら、こんな時間にぶらついていたのか)


 通りで、近所なのに全然見かけないわけだ。

 実に三年程ぶりに見る顔だったが、思ったより心は荒れなかった。

 それは多分、私にとってもう彼女達は過去の存在で。


「……何だったんだ、今の奴ら」


 そして何より、私の隣に彼が居たからだ。

 一騎は怪訝な顔を浮かべ、去って行った奴らの背中を視線で追う。

 私はその彼の横顔を見ながら、


「中学の頃の知り合いだ。……まぁ、仲良くは無かったな」


「……何か、あったのか?」


 一騎は怪訝そうな声から一転、少し心配したような声色で尋ねてくる。


(よく気が付く奴だ)


 この場から立ち去った奴らの態度が友好的でなかったというよりも、私が少しだけ暗くなったことに彼は気付いていたのだろう。

 だが、


「そう聞いてくれるのはありがたいが、聞いてて気分の良い話じゃないぞ」


 聞いてくれるのも、心配してくれてるのも勿論嬉しい。

 だが、もう終わった過去の話で、一騎の迷惑になりたくなかった。

 だけど、


「別に、そんなのは構わない」


 そう言いながら、一騎は私の方に瞳を向け、私と彼は互いを見つめ合う。


「言いたくないことを言えとか、そんなんじゃない。ただ、俺が紅音の話を聞きたくないなんてことは絶対にないから」


 そう語る彼の目は真剣そのもので、一騎が本気で私のことを考えてくれていることを伝えてくるものだった。


「言いたくないんだったら無理に言わなくてもいい。ただ俺は、お前の話なら良いことも悪いことも全部聞きたいってそう思う。……勝手で悪いけどさ」


「……そうか」


 私は若干ぶっきらぼうな口調で短く返事をする。

 ……一騎の奴、恥ずかしいことを言っている自覚があるのだろうか。

 聞いてるこっちが恥ずかしくなってくる。

 だから、私は前を向きながら、


「じゃあ話すから、適当に聞き流してくれ」


 彼と自分の手を、深く絡み合わせた。





 ――今からもう、五年以上も前の話だ。

 私が中学一年の頃、クラス中から無視されて、クラスメイトからしょっちゅう嫌がらせを受けていた。

 ……結論から言うと、そんな大したことじゃない。

 だから心配しなくていい。心配してくれること自体は嬉しいけどな。

 ……話を戻そう。

 嫌がらせをする具体的な理由はハッキリとは聞いていない。だが、『調子乗っているから』とかそんな曖昧なことを言っていたと思う。

 確か、つい先程すれ違った女の内の一人がそう言ってたはずだ。

 だけど、私は気にしなかった。

 靴箱に画鋲を詰め込まれようと、机の上に落書きされようと、そしてその上に花瓶が置かれていようと、どうでも良かった。

 彼女達は私に直接向かうことはなく、いつも私の周りの物を弄った。

 とはいえ、さっき言ったことからわかると思うが、取り返しのつかないことはなかった。

 画鋲なんてゴミ箱に捨てればいいし、落書きは無視して花瓶はそこら辺に置いておけばいい。

 ただ、敢えて嫌だったことを挙げるなら、小学校の頃の友達からも話しかけられなくなったことぐらいか。

 ……また話がズレてしまったな、すまない。

 話を戻すと、要は私はどうでもいい嫌がらせを受けていて、それを無視してきたということだ。

 だが、その嫌がらせが『どうでもいい』ものじゃなくなるのにそう時間は掛からなかった。

 ある夏の日のことだった。

 私がトイレから教室に戻ると、真っ二つに折られた私のシャーペンが床にばら撒かれていた。

 彼女達が私の所有物に手を出したのは初めてのことだった。

 彼女らは固まっている私を横目にクスクスと笑う。

 ……床にばら撒かれていたペンは、物心着く前に病死した父が『いつか紅音もこんなのを使うのかなぁ』と言いながら買ってきたものだった。

 勿論、ペンを貰った時も物心着く前のことだから、そんな父の言葉を覚えてるわけがなく、母から聞いただけの話だ。

 だから、特に思い入れがあるものではなかったけど、何となく気に入っていて、いつも使っていた。

 赤とピンクの模様が可愛かったしな。

 それが、真っ二つになって床に散っていた。

 その光景を見た私はまず驚き、次に悲しんだ。

 そして、怒った。

 私は迷わず、ニヤニヤ笑ってる連中の主犯格の机に近付くと、筆箱の中身を床にばら撒いた。

 次の瞬間、私は出来る限りの力を込めてペンを踏み抜いた。

 勿論、壊れなかった物の方が多い。

 だが、何本かは折ることに成功した。

 ……その間、女達は呆気に取られてポカンとしていたな。

 私の行動は、そんなにも意外だったらしい。

 私が別の奴の筆箱に狙いを定め、そいつの机に近付こうとしてようやく連中は動き出した。

 連中が拳やらカッターやらを手に握って私に迫ってきた。

 だが、こう言っちゃなんだが、私は喧嘩が強かった。

 場所が教室だったことも幸いした。教室内ゆえに机が点在していたため、連中は私を囲むのに手間取ったんだ。

 だから、連中を一人ずつ鳩尾とか顎に拳や蹴りを入れて、全員倒した。

 とは言っても、流石に無傷というわけにはいかず、殴られた目は霞み、カッターで切られた腕からはドクドクと血が流れていた。

 でも、不思議と痛みはそんなに感じなくて、むしろスッキリとした頭のまま、目的通り連中のペンを壊した。

 丁度全員分終わった頃、五人ぐらいの教師が慌てて駆けつけた。

 私はもうそれ以上何もする気は無かったけど、一体どう伝わっていたのか、教師から羽交い締めされ、そして保健室に連れて行かれた。

 そして、血を多く流していたため、そのまま腕を強引に掴まれながら病院に連れて行かれた。

 私の扱いは『怪我を負った犯人』さながらだった。

 ちなみに、他の連中は目に見えての怪我は少なかったからか、保健室だけで済んだようだ。

 病院で処置を受けたあと、私は学校に連れ戻され、そのまま見知らぬ部屋で担任から説教を受けた。

 一応『やられたことをやり返しただけ』ぐらいのことは言ったと思うが、そんなこと関係なく怒鳴られた。

 元々、私がイジメの類を受けていたことを知っていても――机の上に花瓶なんて、誰が見ても嫌がらせを受けているなんてわかる――見て見ぬ振りをしていた担任だ、騒ぎになって自分の責任問題になるのが嫌だったのだろう。

 私は素知らぬ顔をして聞き流していたら、今度は校長と母さんが現れた。

 私が驚いてると、母は『怪我、痛くない?大丈夫?』と聞いてきた。

 ……仰々しく包帯が巻かれていたからな、気にされるのも当然だった。

 それに対して私が『見た目ほど痛くない、大丈夫』と答えるな否や、母と一緒に入室した校長が『何があったのかお話します』と言って母に事情を話始めた。

 私からは一言も話を聞いていないのにも関わらずにだ。

 校長は穏やかそうな顔のまま、『被害者』の言い分を母に話した。

 それはもう酷いものだった。

 要約すると、『いつも通り遊んでいたら、急に私がキレて暴れ出した』というものだった。

 私の持ち物を壊すことが、連中にとっては遊びらしい。

 というより、急も何も、物を壊したのも襲いかかってきたのも連中が先だ。

 話を聞いている内に、怒りが溜まってきていた。

 しかし、母はその校長の言葉に対して頷きながら、『ウチの紅音がごめんなさい』と丁寧に謝っていた。

 そんな母さんを見て、私は冷や水を浴びたように冷静になった。

 ……謝る母に対して内心怒ったとか、そんなんじゃない。

 だって、母さんの謝罪が適当に話を合わせているだけだとわかったからだ。

 理由は恐らく、娘の私の立場がこれ以上悪くならないようにするためだろう。

 実際、校長が『あなたの娘は停学処分になるのが妥当です。よろしいですね?』と脅すようなことを言ったら、『ウチの娘は刃物で大きな傷を負わされたようですが、相手の子の処分はどうなるんでしょうか?』と逆に脅し返していた。

 ……学校側は、とにかく騒ぎになって欲しくないという立場だ。

 今回の騒動を長引かせたくないのは明らかで、私一人のせいにしようとしたのもそのためだろう。

 大人数処分するより、一人を処分する方がずっと簡単だから。

 だが、母の言葉は『場合によっては』長引かせることを予感させるものだった。

 校長は私の方をチラリと見ると、大きく溜息を吐き『まぁ、今回はお咎め無しということにします』と呟いた。

 それに対し母は『ありがとうございます』と言い、頭を下げた。

 ……私のために、あの活発な母が、何も悪くないのに頭を下げていた。

 母が現れるまで、自分自身のことしか考えてなかった自分が恥ずかしかった。

 だから、その時になってようやく、私は『すみませんでした』と謝罪の言葉を口にした。



 騒動の後の帰り道。

 私は本心から母に、


『ごめんなさい』


 って謝った。


『何が』


『……母さんに迷惑かけて、嫌な思いさせた。しかも、仕事中だったろ?』


『んなこと気にしないでいいけど、何があったのか、あんたの口から聞かせて』


『実は……』


 私は一通り説明した。

 自分が日常的に嫌がらせを受けていたことも含めて。

 聞き終えると母は、


『……そっか。あのペン、壊されちゃったか』


『うん』


『あんた、あんなに気に入ってたのにね』


『……うん』


 そう呟く自分の声に驚いたのを、今でも覚えてる。

 その声色が、まるで今にも泣き出しそうなものだったからだ。


『……紅音、悲しんでるとこ悪いけど、一つあんたに説教しなきゃいけないことがある』


『……何?』


『紅音が嫌がらせ受けてるなんて、初めて聞いたんだけど』


『……それは』


『ま、あんたことだから心配かけたくないとかだろうけどね。紅音、面倒を起こしたことなんてほとんどないし』


『……う』


『でもあんたはまだ中一で、私はあんたの親なんだ。学校で嫌なことがあったら私に話せ。解決できなくても一緒に悩むぐらいはできるし、なんだかんだそれが一番ありがたい』


『……ごめんなさい』


 私はもう一度謝った。

 迷惑をかけたことではなく、相談せずこんな騒ぎを起こしてしまったことに対して。


『分かればよろしい』


 母はニカって笑うと、


『よし、景気付けにどこか良いモンでも食べに行くか!紅音は何が食べたい?』


『なんでもいい。……母さんが食べたいのでいい』


『さっき遠慮すんなつったろ、いい加減殴るぞ』


『……じゃあ、ステーキが良い』


『お、良いねぇ。じゃあそうしよっか!』


 母はそう言っていつものように豪快に笑い、私も小さく笑った。

 そしてそのまま、私と母は並んでお店に向かった。



 ……。

 ……うん。

 そうだな。

 自慢の、母親だ。




 …………。

 ……………………。

 ……その後の中学生活は何も無かった。

 文字通り何も、だ。

 嫌がらせを受けるどころか、話し掛けられることさえなかった。

 触らぬ神に祟り無しと言わんばかりに。

 それは生徒達だけでもなく、教師達もそうで、必要最低限の連絡の時しか話かけられなかった。

 勿論、古くからの友達も。

 ……嫌がらせを受けていた時からそういう傾向はあったが、今度はそれが徹底されていた。

 善意も悪意も、何も向けられない。

 私がしたことは、それほどの出来事だった。

 誰も、私とは関わろうとはしない。

 誰もが、私のことを避けていた。

 だから、私は、中学の三年間を一人きりで過ごした。




「……話、長くなってしまったな。すまない」


 私は小さい声で謝る。

 しかし、隣の一騎は無言だった。

 私はそんな彼の態度に不安になる。


「……一騎?」


 私は彼の顔を恐る恐る覗き見る。

 なぜ、『恐る恐る』なのか、自覚が無いまま。


「……紅音」


 だけど、彼の表情は『無意識の予想』とは違うもので。

 今まで見たことが無いほど、真剣なものだった。


「紅音」


 彼はもう一度私の名前を呟くと、繋いでいた手を離した。

 その彼の行動に、私の心臓がチクリと痛む。

 ――いや、痛む暇さえ、彼は与えなかった。


「……え?」


 私は間の抜けた声を出す。

 なぜなら、私は、一騎に思いっきり抱き締められたからだ。


「一騎?」


「……悪い、紅音。少しだけこうさせて」


「……」


 私は無言で頷き、言われるがまま彼に抱擁される。

 数秒後、彼は、


「……味方だから」


「え?」


 一騎の声が小さくて、イマイチちゃんと聞き取れない。


「……」


 彼の息が、私の耳にかかる。

 抱き締められてるのだから、当然だ。

 その近さで、今度はハッキリとした声でこう言った。



「どんなことが起きても、何があっても、俺は紅音の味方だから」



 ……。

 ……あぁ、そうか。

 私は、自分が何で高校の入学当初という違う環境の中でさえ、人間関係を築こうとしなかったのかを(ようや)く自覚した。

 私は、裏切られることが――作り上げた人間関係を喪ってしまうことが、当たり前だと思っていたのだ。

 古い友人達が、中学の出来事をきっかけで、離れてしまったように。

 それなら、最初から一人の方がまだマシだとそう考えた。

 どう転んでも、最後には一人になってしまうのだから、傷は少ない方が良いと、自然とそう思って。

 私自ら、一人になろうとした。



『キッカケさえ有れば人は簡単に離れる』

『――血を分けた家族でもない限り』



 それが、私の考えだった。

 だけど、目の前の男はそれを否定する。

 私の味方であり続けてくれるって、そう言ってくれる。

 ……。


「一騎」


「……何?」


「――ありがとう」


 私は囁くようにそう呟くと、ぎゅっと彼を抱き締め返した。




 ――孤独でも、構わなかった。

 それが辛いものだなんて、考えたこともなかった。

 高校入学当初の私は、『仲良い人なんて要らない』……とまでは思ってなかったが『仲良い人が欲しい』とも思っていなかったのだから。

 だけど、今は、彼の言葉でこんなにもあたたかい気持ちになっている。

 ……彼がさっき手を離した時は、私を嫌ったんじゃないかと不安になった。

 でも、それも一瞬だけ。

 今は全く逆の感情を抱いている。

 彼は私の味方で居続けてくれると、心の底から信じられる。

 そう思えるほど、彼は優しい人間で。

 そう思えるほど、私は彼のことが好きだった。





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