第十一章 出撃
第十一章 出撃
2034年4月
1
「……」
茶髪の少女――雲林院葉月は、フリル付きのブラウスに若草色のカーディガンを羽織るという普段のブレザー姿とは違う出で立ちで、U.S.A.本部の入り口にて手持ち無沙汰気味に人を待っていた。
今日の夜は、先輩である月原紅音とのお食事会。
つまり、葉月は紅音を待っていたのだった。
「早く来ないかなぁ……」
楽しみのあまり約束時間より早く来たにも関わらず、葉月はそう呟いて手首の腕時計をチラリと見る。
……あと五分の辛抱。
そう思った直後。
スーッと見覚えのある赤いスポーツカーが現れ、葉月の目の前でピタリと止まった。
目の前のスポーツカーのドアがゆっくりと開かれる。
「葉月、待たせたか?」
中から、いつもとは違う私服姿――白いシャツにベージュのコートを羽織らせた先輩が降りてきた。
「いえ、全然待ってません!」
いつもとは違う格好の紅音を見た葉月はテンションが高くなり、実際三十分ほど待っていたにも関わらず適当な台詞を口にする。
「そうか。良かった」
元気な葉月を見て紅音は微笑むと、車を指差し、
「では、車に乗ってくれ。そのまま家に招待したい」
「はい!」
紅音の言葉に葉月は、首を痛めるのではないという勢いで頷く。
……先輩の家で、先輩の料理を食べる。
それがもう、楽しみで仕方がなかったのだった。
2
「お家、広いんですねー」
葉月は家に入るな否や、周りを見渡しながらそう言う。
「……自覚はあまりなかったが、確かに日本の住宅に比べると大きいかもな。まぁ、アメリカは土地が広いし、ロサンゼルスの家は大体どこもこんなもんだ」
紅音は車のキーをコートのポケットに仕舞うと、葉月を先導するようリビングに向かって歩く。
「ハンガーはそこにあるから、上着はそこに掛けてくれ」
紅音はリビングに入ると、ハンガーラックを指さす。
しかし、葉月の目線は全く別のものを捉えていた。
少女が視線を向けていたのは、
「……これって、紅音さんが作ったんですか?」
「ん?あぁ、そうだぞ」
紅音は葉月の視線を追う。
その先には、テーブルの上に整然と並ばれていた数々の料理があった。
「コース風にしようかとも思ったが、面倒だから最初から並べといた。とはいえ、肉料理とかスープは冷めると微妙だったりするから、今からやる。仕込み自体はもう済んでるから、数分待っててくれ。……というか、先に食べていてくれ」
「いやいやいや!待ちます待ちます」
葉月は首と手をブンブンと横に振る。
そんな少女に対し紅音は苦笑を浮かべて、
「そうか。なら、出来上がるまで座って待っていてくれ。さっさと終わらせてくる」
紅音はやや早歩きでキッチンの方へ姿を消す。
宣言通り、これからメインの料理に取り掛かるのだろう。
葉月は席につき、テーブルの上に置かれた料理をジッと眺める。
「……おぉ」
葉月はつい感嘆の声を漏らす。
オードブルを始めとした数々の料理の外観が、高級レストランのコースのそれらと遜色無いレベルの華やかさだったからだ。
(オードブルのサーモンのカルパッチョの盛り付けとか、彩りの野菜もそうだけど、サーモンの載せ方から凝ってて芸術品みたいな形してるし、なんだか『え、私が食べていいの、これを??』感がすごい)
と言っても、食欲をそそらないかと聞かれたらそんなことは全くない。
なんなら、今すぐにでも食べたくなるほどだった。
(いけない、私、ダメ)
自分から『待ちます!』と言っておきながら、食欲に負けたらあまりにも格好が悪過ぎる。
少女は眼前の欲求から逃げるよう、テーブルから目を離し、周囲を見渡す。
……それにしても、広い家だ。
その上、物もほとんど置かれていないから、解放感よりも寂しさの方が勝ってしまう。
(紅音さん、あまりオーナメントの類が好きじゃないのかな)
ぼんやりと、葉月はそんなことを考える。
視界内に個人の趣味的なものは一つも見えず、せいぜい在る物といえばテーブルと椅子、あと木製の大きなタンスがあるぐらいだ。
まるで、寝て泊まる以外の機能を求めていないかのような、そんな寂しい家。
しかし、
(……あれ?)
一つだけ、葉月の目に不思議な物が映った。
それは、普通の家に在ってはおかしくないものだが、この無機質な家では浮いているものだった。
(……写真立て?)
葉月が今座ってるリビングの大きいテーブルから離れた、壁際の小さいテーブルに一つの写真立てが置かれてあった。
その写真に映っているのは――
「葉月、待たせたな」
家主の声で葉月の思考は遮られ、少女は目の前のテーブルに視線を戻す。
そこには、暖かそうなスープと、赤ワインのソースがかけられた旨そうな肉料理が並べられていた。
「結構上手くできたと思う。是非食べてくれてくれ」
「……」
葉月はジッと料理を見つめると、ナイフとフォークを手に取り、流れるように正方形状の肉を切り分けて口に運ぶ。
葉月は口に入れた肉を咀嚼し味わい、ゴクリと飲み込む。
直後、彼女は、
「……美味しい」
ウットリとしたようにそう呟いた。
葉月は他の料理にもフォークまたはスプーンを向ける。
前菜、スープ、魚料理。
どれも今までで食べた料理の中でもトップクラスで美味しく、つい頬が緩んでしまうほどだった。
「……紅音さん、どうしてこんな料理が美味いんですか……?」
食通の葉月だからこそわかる。
目の前の料理は、店で金を取れるレベルだ。
「……あぁ、葉月には『あまりちゃんとした料理は食べない』としか言ってなかったな」
紅音はボソリと呟きながら、グラスに入っている葡萄ジュース――葉月が高校生なこともあって酒はこの場にない――を一口飲む。
「ただ、以前は違ったんだ。むしろ、料理を趣味にしていたぐらいでな。……大学生の頃なんかはレストランのバイトを多く入れて、実地で料理の勉強したりもしたんだぞ。だから、今は私の方が――」
話してる途中に紅音は僅かに目を見開き、言いかけたセリフを途中で止める。
そんな紅音を不思議に思ったのか、葉月は小首を傾げる。
紅音は取り繕うかのように苦笑を浮かべて、
「……まぁ、頻度は減ったとはいえ要は料理の腕は鍛えていたということだ。調理師免許だって持ってるしな」
「……すごー」
葉月は感心したように、ボソリとそう短く呟く。
ちなみに、料理を食べる手はほとんど止まっていない。
紅音の料理に夢中になっているようだった。
とはいえ、葉月は紅音自身のことも興味津々なので、
「学生の頃の紅音さんって、どんなんだったんですか?」
心のままに、そう質問した。
「……」
紅音は料理に向けていたフォークの動きをピタリと止める。
そして、何かを思い出すように視線を上に向けると、
「学生の頃の、私……」
ピタリと体の動きを止め、
「学生の頃の私か……………」
一体何を思い出したのか、気が遠くなったかのように額に手を当てた。
「あの、紅音さん?」
「……すまん。話が変わるが、葉月って今十七歳だったか?」
「あ、はい。今年で高校二年生です」
「……そうか……………」
葉月の答えを聞くと、紅音はついに頭を両手で抱え始めた。
「え、紅音さん、どうしたんですか??」
目の前の紅音の様子に葉月は慌てる。
「……いや、なんでもない。ちょっと葉月と昔の自分を比較して情けなくなっただけだ」
紅音は頭を抱えるのはやめて、恥ずかしそうな照れ笑いを浮かべる。
「考えてるみると、葉月はすごいな。若いのにもう十分しっかりしてるし、ちゃんとした一人前だ」
「そんなことないですよ!」
葉月はすごい勢いで首をブンブンと横に振る。
「私、全然紅音さんみたいにカッコ良くないですし、一人前なんてとても……」
「そんなことはない。格好良くても無くても、自分のやるべきことがキチンとできるのが一人前だ。そういう意味では、葉月はちゃんとできていると言える」
「……本当?」
葉月は小声で目の前の先輩に尋ねる。
だから紅音は、力強い声で、
「本当だ。だから、私はお前がパートナーで来てくれて良かったと思ってるし、最後までパートナーで居続けて欲しいと、心から思ってる」
思っていることを、そのまま告げた。
「……へへ」
いきなり褒められた葉月は照れて、思いっ切りニヤニヤと笑っている。
そして、
「で、紅音さんの学生時代ってどんなんだったんですか??確か、紅音さんって学生の頃はアーベントじゃありませんよね?」
逸れた話を元に戻した。
褒められて凄く嬉しかったとはいえ、元の話題への興味が無くなるわけではないのだから当然だった。
「……まぁ、隠すような話ではないか。恥ずかしい話ではあるが」
紅音はわざとらしく咳払いすると、頭の赤い花型の髪飾りを軽く触れ、視線を横に向ける。
「……高校の頃の話だ」
ポツリと、紅音は囁く。
「私の隣の席に、優しくてカッコいい男の子が居たんだ」
五十年以上前の、古い話をゆっくりと言葉にする。
「彼となら何をしても楽しかったし、何もしなくても、彼と一緒に過ごす時間は幸せだった」
それは、ちょっとした思い出話だ。
「私は彼が好きだった。心の底から好きだった。そして、彼も私のことを好いてくれていた」
長く語ると目の前の少女も退屈だろうからと、白い女は自分の幸せだった思い出を掻い摘んで語る。
しかし、
「だけど、私は恥ずかしがり屋の怖がりで、自分の気持ちを彼に告げたことは無かった。……私の気持ちなんて、明らかに彼にバレていたっていうのにな」
その思い出の中には、悔いがあった。
「結局、私は彼に自分の本心を口にしたことは一度も無くて、そのことを、今でもずっと後悔している」
その後悔は、今も彼女の胸に深く突き刺さっている。
「……」
葉月はなんと声を掛ければいいかわからなくて沈黙する。
『今からでも、言えばいいじゃないですか』
なんて台詞は、決して言えない。
だって、目の前の先輩が語るその好きな人は、恐らくもう既に……。
「……ふふっ」
目の前の紅音はいきなり笑い出す。
「……後悔はある。彼への申し訳なさも、勿論ある」
そう言う彼女の視線は、少女の方を向いていなかった。
「だけど、それ以上に」
彼女の視線は、少し離れた写真立てに向かれていた。
「彼との日々は幸せで、何度思い出しても色褪せない、私の一番の宝物なんだ」
そう言いながら古い写真を見る紅音の笑顔は、愛おしさが溢れるもので。
そんな笑顔は、葉月が紅音と出会って初めて見たものだった。
「……少し、感傷的になってしまった。すまない。料理、食べてくれ」
紅音は葉月の方に視線を戻し、手をテーブルの方に向ける。
葉月のフォークは、つい止まっていた。
「そうですね、食べます!」
葉月も想いに耽ってしまっていたが、それを振り払って料理を勢いよく口に運ぶ。
……。
……あまりの美味さで、口の中が溶けるかと思った。
葉月は拳でテーブルを軽く叩きながら、
「紅音さん、私、紅音さん家の子になっていいですか?」
「ダメだ。食欲に負けないで、ご両親の子のままで居とけ。ご両親、健在なんだろう?」
「ウチの両親とも、放任主義気味ですけどねー。仲は良いんですが」
実際、葉月がアーベントの仕事でU.S.A.に行くと両親に話した際、『すごいなぁ、がんばれ!!!!』と激励されはしたが、心配の方はほとんどされなかった。
ぶっちゃけ、葉月の渡航理由すら把握してない可能性までありそうだった。
「連絡は取っているのか?」
「数日に一回ぐらいは。でも、クラスの友達との方が連絡取ってるかもです」
「葉月、友達多そうだもんな。……そういえば、友達の話はたまに聞くが、葉月って恋人とか、好きな奴は居たりするのか?」
「居ないですねー。というか、当分無理そうです」
葉月の好みとしては大雑把に言うと『カッコイイ人』なのだが、どんな人でも目の前の先輩に比べたら霞んでしまう。
「そうなのか、葉月のそういう話も聞いてみたかったんだが……。そう言えば、こっちの友達と仲良くできているのか?」
「はい!こっち……と言っても日本からの友達ですが、円ちゃんとテーマパークに遊びに出掛けたりして、その時――」
葉月は楽しそうに語り、紅音もまた笑いながら相槌を打つ。
先輩と後輩の二人で過ごす、穏やかなひと時だ。
楽しいお食事会が終わり、紅音はARSSの寮に葉月を送った。
見送る際、紅音は葉月に、
「葉月、リリアから聞いていると思うが、明後日のスポット侵攻で本スポット攻略作戦は終了となる。最後の作戦となるが、よろしく頼む」
短く、最終作戦の確認をした。
長々言葉は続けない。
葉月という少女がどういう人間かはもうわかっていて、葉月というアーベントを心から信頼していたからだ。
「……はい!」
葉月は紅音の言葉に大きな声で返事する。
「最後までキチンと頑張ります!」
少女は力強く頷く。
それを見た白い女は、嬉しそうに笑みを浮かべた。
3
スポット侵攻最終作戦、その決行日の前日。
大方の準備終わらせた葉月は、U.S.A.本部のフリースペースを手持ち無沙汰気味にぶらついている。
そんな、のんびりとリラックスしていた時だった。
「お、ようやく見つけた」
横から声を掛けられる。
それは、知っている人の声だった。
葉月はそちらに振り返る。
その先には、
「あ、円ちゃん?どうしたの?」
百鬼円。
U.S.A.本部に来る前からの友達が、そこに居た。
「葉月、明日からスポットなんやってな?」
「うん」
葉月は小さく頷く。
「明日のスポット侵攻で最後まで行くことになってるの。だから、しばらくは会えないかなー」
葉月はいつものように明るい笑みを浮かべながら、そう軽く口にする。
しかし。
「なぁ、葉月」
目の前の友達の表情は、真剣そのものだった。
「あんたに一つ言いたいことがあって、あんたを探してたんよ」
普段の円は、余裕綽々で勝気な笑顔を浮かべている、そんな少女だ。
だが、今はそのいつもの余裕が無くなっていた。
「葉月、あんたは何があっても絶対に生きろ。どんなことをしても、生きて戻ってこなかったら私が許さない」
「……ん、ありがとう。勿論、死ぬつもりなんかない。絶対に生きて――」
「例え、月原紅音を見殺しにすることになってもや」
「……」
円の言葉に葉月は目を見開く。
そんな仮定、考えてみたこともなかったからだ。
「……紅音さんは、負けないよ。絶対」
「あんたなら、そう考えるやろうな。本人だって、そう思ってるやろ。……むしろ、『一人で敵を全て殺す』って心から思い、出来ると信じ込める狂気があったからこそ、月原紅音はここまでやってこれたはず」
「だから、紅音さんはこれからも勝ち続けれるはずだよ」
「そうかもしれんけど、私は今万が一の話をしてるんよ。スポットの最奥には、スポットの誕生の元とも言われてる『始まりの鵺』が居る。そして、ARSSの観測史上最も高い等級の八十年級鵺を単独で倒した月原紅音だろうと、九十年級の始まり鵺に勝てるとは断言できない。未知数だから、どっちが勝てるかなんで誰にも言い切れないやろ」
「……」
葉月は返事をせず、何かを考えるように無言で円を見詰める。
だから、円は言葉を続けた。
「月原紅音が死ぬかもしれない事態。……言っちゃあ悪いが、月原紅音がピンチになるほどの相手に対して、葉月がどうこうできるとはとても思えない。だから、死人が二人になるより、あんた一人だけでも生きるべきだ。……月原紅音だって、『絶対にスポットの鵺を殺す』という狂気に囚われてなければ、そういうことを言うはずやろ」
「……」
「だから、もう一度ハッキリ言う。月原紅音を見捨ててでも、あんたは生きて戻ってこい」
「……」
葉月は目を瞑る。
目を瞑って、円の言葉を咀嚼する。
数秒後、葉月はパチリと瞼を開けて、円の方をジッと見つめる。
「……ありがとう、心配してくれて」
葉月は円の言葉に対して、心からの礼を言う。
しかし、頷くことはしなかった。
「円ちゃんが言ってることが正しいってわかってる。でも、紅音さんを見捨てるなんて、とてもじゃないけど思えない」
「……一緒に死ぬ覚悟はできているということ?」
「違うよ。死ぬ覚悟なんてできてないし、潔く死ねるとも思えない。その場になってみないとわからないよ」
葉月は円の緑色の瞳を見つめながら、自分の心の弱い部分を吐露する。
だけど、少女の言葉には続きがあった。
「でも、どんな状況だったとしても、紅音さんを置いて私一人逃げるなんてことも到底思えないの。だから、円ちゃんの言葉は頷けない。ごめん」
「……」
弱さと強さを孕んだ少女の言葉。
その言葉は明らかに葉月の本心で、それ故に円は葉月の言葉を否定することができなかった。
「それに円ちゃんだって、私と同じ立場だったとしたら、『置いて逃げる』なんてこと考えない。そうでしょ?」
「……」
円は沈黙することで、葉月の言葉を肯定する。
葉月はニッコリと笑って、
「円ちゃん。心配してくれてありがとう。本当、嬉しかったよ。だから……ってのも変だけど、今はお菓子でも食べよ?今から飲み物とお菓子を持ってくるねー」
「葉月」
葉月はくるりと踵を返そうとするが、円の声で動きを止める。
「ん?」
「あんた、死んだら呪ってやるからな」
「……うん、わかった。絶対に生きて戻ってくる」
「なら良い。……早よ、お菓子持ってきてな。今から食べるんやろ?」
「うん」
葉月は頷くと小走りでその場から去って行った。
円は一人その場に取り残される。
「……ふぅ」
百鬼円は一人深く息を吐く。
……言いたいことも、言うべきことも言った。
だから、この後のお茶会を楽しもう。
そう思い、席を確保しようと周囲を見渡すと、知人の目とバッチリと合った。
クールな少年セオドア=ライト。
その隣には、昏い少女レベッカ=ハートホールにおっとりリーダーのルビィ=エバンス。
三人ともU.S.A.本部で組まされた百鬼円のチームメイトだ。
「…………」
「「「…………」」」
お互い無言で固まる。
しかし、それも一瞬のことで、目の前の三人はそれぞれ、
「百鬼、お前、他人を心配するような人間性とかあったんだな」
「百鬼サン、友達居たんですね」
「円ちゃん、ちゃんとコミュニケーション取れてて安心したよー」
超失礼なことを口にした。
……というか、さっきまで自分と葉月は日本語を使っていたはずで、二人が横で聴いていてたとしても具体的な内容はわからなかったはずだ。
とはいえ、表情や剣幕で会話の内容は察せられていたようだった。
「……」
円は耳をほんのり赤くしながら顔を歪める。
そして、その表情のまま、少女は無言で中指を突き立てた。
4
プルルルルルル。
一般的な電話の呼び出し音が、白い女――月原紅音の耳に届く。
待って数秒、『ポン』と言う音共に電話が相手へと繋がった。
直後、電話の向こうの相手は、
『おー、紅音か。久し振りに電話掛けてきたなぁ。一年振りぐらい?』
「ああ。確かに、ひかりの声を聞くのは一年振りだな」
山崎ひかり。
いや、今は姓は変わって竹田ひかりだったか。
とにかく、電話の向こうに居るのは、高校からの紅音の親友だった。
「そっちは、元気にしてたか?」
『元気も元気よ。と言っても、今は孫を可愛がることが生き甲斐の婆ちゃんだがな。……チッ、見た目が二十歳そこらで止まってるあんたが羨ましい!』
「そうか。元気そうで良かった」
『私は恨み言を言ってるんだけど??』
電話の向こうから聴こえるのは、五十年以上前から聴いていた元気の良い女性の声で、なんとなく紅音は微笑む。
ただ、台詞の中身と声質は年月を感じさせるものだった。
『そういや、あんたはまだ復讐続けてるの?』
ひかりはバッサリと聞いてくる。
失礼スレスレのこの質問はいつもことで、白い女は一々気にしない。
むしろ、この事を問うひかりの声には、いつも心配の声色が乗っているから、嬉しさまであった。
しかし、
「終わってない。まだ、巣に居る鵺を殺し切ってないからな」
復讐を止めることは、決してなかった。
『……あんた、それで人生終らせる気?他にやることはないの?』
「やること、とは少し違うが、ついこの前初めての後輩ができた。中々良い奴で、手伝ってもらったり色々教えて経験を積ませたりしてるが、これが結構楽しい」
『へぇ、良かったじゃん。楽しいことあって』
紅音の声が明るく、電話の向こうに居るひかりは僅かに安堵する。
だが、紅音の言葉には続きがあった。
「仲良い後輩ができて、そいつと関わるのは楽しいと本当に思ってる。だけどそれは、私が一騎の仇を取りたいという願いとは全く関係の無い話だ」
喋りながら紅音は壁に寄りかかり、天を仰ぐ。
「私は許せないんだ。一騎を殺した鵺が今でものうのうと生きている『かもしれない』ことが、どうしても許せないんだ」
紅音は怨嗟の言葉を口にしながら、左手で頭の赤い花型の髪飾りに触れる。
「だから、何があってもこの願望は消えない。巣に居る鵺を一匹残さず殺すまで、永遠に消えることはない」
スポットに居る鵺は全て殺す。
月原紅音の中でそれは決定事項だ。
だから、彼女は例え何が起ころうとも復讐を止めることは決してない。
彼に抱いた、たった一つの想い故に。
『……一途だね、あんた』
「その言葉は褒め言葉として受け取っておく」
紅音はクスリと笑う。
その直後、紅音は、
「そうだ。電話の本題だが、復讐の終わりに目処が経った。あと、二ヶ月以内で終わりそうだ」
『……マジ?』
「マジだ。今までより長い遠征になるから、その前にひかりに連絡しときたいと思って電話掛けたんだ」
『……そっかぁ』
電話の向こうのひかりはしみじみと呟く。
……ひかりは紅音の親友で、紅音の夫とも友人だった。
思うところがあるのだろう。
しかし、彼女が一番気になったのはそこではなくて、
『紅音、最後の最後で死ぬんじゃないよ。まだ若いんだからさ』
「……見た目はそうかもしれんが、実年齢はひかりと同じだぞ?」
『そうだけど、あんた、五十年前から体だけじゃなくて心の方の時も止まってるでしょ。……気持ちだけ若い奴はまぁ居るけど、あんたほど変わってない奴、私の知り合いで居ないよ』
「……まぁ、そうかもな」
あの時、『あの知らせ』が届いた時から。
自分の時は、凍り付いてしまっていた。
『だから、まだまだちゃんと死なないで生きろよ。これは私だけじゃなく、月原の奴だって絶対にそう言うはずだ』
「そうか。……そうだな」
目の前に誰も居ないのにも関わらず、紅音は微笑みながら頷く。
「心配してくれて、ありがとう」
『良いって事よ。日本来たら連絡しろよ?孫自慢してやる』
「ああ、楽しみにしてる」
紅音が親友の誘いにそう返すと、どちらともなく電話を切った。
「……さて」
紅音は携帯端末をポケットに仕舞うと、笑顔から一転無表情に変えて遠くの方を見詰める。
その先にあるのは――
「明日、か」
遂に、終わる。
五十年も掛けてしまった、復讐の旅が。
5
スポット侵攻最終作戦の決行当日。
「葉月、準備はいいか?」
「はい、問題無いです!」
「では、行くぞ」
たったそれだけの短い遣り取りを交わし、白い女と茶髪の少女は、散歩に出かけるような気軽さで地獄の土地に足を踏み入れた。
死地に向かう覚悟なんて、とうにできている。
だから、あとは勝つだけだ。
X
――『スポット』と呼ばれる鵺の巣の中心には、通称『始まりの鵺』と呼ばれる特殊な鵺が居る。
黒い霧の晴れない『スポット』は、九十年前の1944年に突如出現した『始まりの鵺』が作っていると言われており、『始まりの鵺』を殺せば霧が消えることがわかっている。
『場所が凡そわかっているのなら、航空兵器で吹き飛ばせばいいのでは?』という意見も当然ながら過去に出たが、実際に実行した場合、霧の中から『謎の光』が発せられ、戦闘機の類は全て撃墜された。
過去の具体例を挙げるとするならば、カリフォルニア州のスポットでは、スポット誕生直後……つまりは九十年前に一度、影胞子について何もわかっていなかった時代に大規模軍事作戦が行われたが、部隊は全滅し、ほとんど鵺になってしまった事例がある。
とはいえ、その事例の四十年後に現れた一人の女によって、スポットに居る鵺の多くは狩られることになり、九十年前から現在まで生きている鵺は実はほとんど居ない。
だが、ほとんどであって、例外もある。
スポットのほぼ中心に居るこの鵺も、そんな鵺の一体……いや『一人』だった。
「ねぇ、最近この森の様子おかしくない?」
一人の女『のようなもの』が適当に呟く。
『のようなもの』と付いているのは、『それ』の見た目が明らかに人間とは言えないものだったからだ。
頭には黒い角が。
腕と脚には紺色のヒレが。
そして、全身には群青色の鱗が散りばめられていた。
……いくらベースが人型と言っても、彼女を見て『人間』だと思う人はただの一人も存在しないだろう。
しかし、この場にいる『人間ではない人型』は彼女だけではなかった。
「……確かにおかしいなぁ」
魚人のような『人型』に話しかけられた『人型』は、まだ人間に近い見た目だった。
とはいえ、頭から二本鬼のような角が伸びている上に、全身が踊り子風の白い『皮膚』で覆われている辺り、この人型も明らかに異形と呼べる見た目だった。
しかし、この二人の女(?)は互いに相手が人間ではないことを気になどしない。
二人とも、影胞子によって突然変異した無限に進化する生物『鵺』なのだから。
『鵺』である踊り子のような鬼女は考え込むかのように天を仰ぎ、
「『死神』のヤツが最近全然来てない。まぁ、あたしとしちゃあ来ないなら来ないに越したことはないが、ここまで静かだと流石に不気味だよなぁ」
「でしょ?だから私、気になって外周部の近くに行ってたんだけど、『死神』のヤツ、三日前なんかたったの一時間かそこらで帰って行ったのよ。いつもなら二週間近く滞在するのにさ」
「……デザイア、あんた、わざわざ見に行ったの?物好きだねぇ、自分が襲われるかもっていうのに」
「そういうあなたは臆病過ぎよ、ピース。実際闘ってみたら私達より弱いかもしれないじゃない。ま、なるべく接触は避けるべきって意見には賛成だけど」
魚人のような鵺――デザイアは、踊り子のような鬼の鵺――ピースに向かって軽い調子で呟く。
そんな風にのんびり話している二人だったが、そのお喋りは中断することになる。
なぜなら、
彼女達二人に、摂氏五千度を越す巨大な炎塊が襲いかかってきたからだ。
二人は数十メートルにもなる炎塊に目を向けると、片方が一歩前に出て、もう片方は一歩下がりその場から全力で離脱する。
この場に一人残り、前に出たのは魚人の鵺デザイア。
彼女は迫り来る炎塊に右手を向ける。
直後、炎塊に勝るとも劣らぬ莫大な水流が彼女の掌から噴出した。
その水流は龍のように舞い、炎塊を完璧な形で鎮火させる。
しかし、
「……はぁ」
鎮火させた魚人のような鵺、デザイアの表情は曇ったままだった。
何故ならば、例え炎塊を消したとしても、自分達を焼き殺そうとした張本人が目の前に居るからだ。
「……今のでも、やれなかったか」
――炎塊を作り出した鵺は、男ような形をしていた。
しかし、彼の顔の半分程が仮面のような赤黒い鱗に覆われており、表情がイマイチ読み取り辛い顔立ちだった。
それだけでも十分人の身から外れていたが、彼の右手は物語に出てくる悪魔そのもので、人型でありながら鵺でしかあり得ない見た目をしていた。
「ようやく二体……少なくとも一体は殺せると思ってたんだけどな」
「あの程度でやられやしないわよ」
一人この場に残った魚人の鵺、デザイアはそう言いながらも、忌々しそうに顔を歪める。
「ってかジャック、あなた、いい加減私とか他の連中に襲い掛かるやめてくんない?どうせ襲いかかるなら、この広い霧の外周部を彷徨っている『死神』でも襲っててよ」
「見た事も無い『死神』のことなんて知らない。ただ、俺はお前達全員を殺す。それだけだ」
悪魔の腕を持つ男性型の鵺――ジャックは右手を前に構える。
それを見たデザイアはあからさまにため息を吐き、
「……無差別に同族を殺すイカレ野郎が。あなたこそ、ここで死ね」
同じように、右手を構えた。
そして、二人は同じタイミングで、
「法臓器動――『憤怒の獄炎』」
「法臓器動――『海闢の大魔』」
殺意を込めて、鵺としての能力を解き放つたむの祝詞を囁いた。
直後、その場は業火と水禍が舞う地獄と化した。
――鵺は動く物を襲うが、同じ鵺だけは襲わない。
それがARSS、ひいては世界の常識だ。
しかし、それは、どの生物も持っている『同族殺し』を忌避する本能が鵺にも備わっているというだけであり、理由があればその限りではない。
それこそまるで、人間のように。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
ジャック
デザイア
ピース




