過去編 紅音の思い出10
過去編 紅音の思い出10
1978年1月
1
『ピンポーン』
日が昇ったばかりの朝、とあるアパートの一室にインターホンの音が鳴り響く。
私――篠川紅音は、小さな鞄を肩にかけ、トトトと小走りで玄関に向かう。
少し慌てながら靴を履き、ドアノブに手をかける。
「はい。どちら様ですか?」
『誰が来ているのか』。そんなこと、本当はわかっているのに、私はそう問いかけながら玄関のドアを開ける。
玄関の前に居たのは、やっぱり、
「月原一騎という者です。……紅音、明けましておめでとう」
時間通りに迎えに来てくれた、クラスメイトの男の子だった。
今日は一月一日。
数日前、一緒に初詣に行こうって、私から一騎を誘ったのだ。
「明けましておめでとう、一騎」
私は彼に笑いかけながら、正月特有の挨拶を返す。
そしてそのまま玄関の外に出ると、金属のドアをバタンと閉めて玄関の鍵を掛ける。
振り返ると、視線の先の一騎が、
「じゃあ、初詣行こっか」
「うん」
彼の言葉に私は頷く。
そうして、二人で神社に向かって歩き始めた。
「俺、初詣に来たの、かなり久し振りなんだけど、結構混んでるもんなんだな」
私の隣で、一騎がそうボソリと呟く。
「私は毎年母と来てるが、こんなもんだぞ」
喋りながら私は後ろを振り向く。
そこには、神社に向かって並んでる人達が居た。
皆お参りするために並んでおり、私達もそのうちの一組だった。
「……紅音、いつも家族と来てたのに、俺を誘ってくれたの?」
一騎は私の瞳を覗き込む。
だから、私は目の前の瞳を見つめ返して、
「そうだな。ちょっとお前と初詣したくて、それで誘った。……迷惑、だったか?」
「迷惑なわけないよ、めちゃくちゃ嬉しかった。誘ってくれて、ありがとう」
一騎は優しく微笑む。
ほんのり照れ臭くなるが、彼の笑顔を見てたくて、視線を外さず彼の方をジッと見てしまう。
そして、
「……どういたしまして」
なんとか、それだけは口にした。
……もう彼と知り合って、二年近くは経つ。
それなのに、私は未だに彼の笑顔に胸をときめかせてしまっていた。
ガランゴロン。
お賽銭を入れた後、二人で太い縄を揺らして神社にぶら下げられた鈴を鳴らす。
パンパンと両手を鳴らし、私と一騎は揃って目を瞑る。
……。
短く願い事した後、次の人達のために横に捌ける。
「紅音は神様に何をお願いした?」
「内緒だ」
私は即答する。
その内容が、かなり恥ずかしいものだったからだ。
「そういう一騎は、何をお願いしたんだ?」
「……紅音が言わないなら、俺も内緒」
「一緒に来たのに隠すなんてズルいぞ」
「最初に隠したの、紅音だったよな?」
一騎はクスクスと笑う。
「ってか、こういうのは胸の内にしまっていた方が願い叶うんじゃなかったっけ。……俺から紅音に聞いといてなんなんだけどさ」
「そうだぞ、一騎。だから、私のは秘密にするから、お前のを教えろ」
「紅音、言ってることがめちゃくちゃだぞ?」
一騎は笑いながら肩を落とし、
「それで俺の願いが叶わなくなったらどうすんだよ?」
「心配するな。聞いたからには、一騎の願いが絶対叶うよう私も手伝う。だから、お前の願いが叶わないことはない」
私の言葉に驚いたのか、彼は一瞬目を見開くが、すぐに表情を笑みに戻す。
「……頼もしいな、紅音は」
「それはそうだ。だって、私にとってお前は――」
私はそこで言葉を区切り、体を固める。
しかし、それも一瞬のことで、すぐに私の口は動き出した。
「――私にとってお前は、特別な人間だ。だから、お前の願いは叶えて欲しいってそう思う」
「……!」
一体どう受け取ったのか、私の言葉は素直なものではなかったのに、目の前の少年は全身を硬直させ、顔を僅かに赤くする。
そして、その顔のまま一騎は、
「……紅音とって、俺は特別な人間なんだ?」
「……何度も言わすな、恥ずかしい」
「そっか」
私は恥ずかしさで目を逸らしそうになるが、なんとか耐える。
すると一騎は、
「俺もそうだよ。俺にとっても紅音は特別な人間で、紅音の望みは叶って欲しいって思う」
「……そうか」
私はぶっきらぼうにそう言う。
だけど、今は真冬にも関わらず、顔が熱くなっていた。
「ま、話を戻すと願い事は恥ずかしいから教えない。ただ、これからも一緒に居てくれたら、ありがたい」
「……そんなの、私だって同じだ」
……『願い事は恥ずかしいから教えない』、か。
少なくとも、私に限ってはもうほとんど意味がない。
だって、先の一騎の言葉に同意した時点で、願い事を口にしたようなものだったのだから。
「ただいま」
私は玄関の鍵を開けると、中には誰も居ないことを知っているのについそう言ってしまう。
「……お邪魔します」
後ろから、少し遠慮がちな一騎の声がする。
私は苦笑しながら振り返る。
「何硬くなってるんだ。初めて来たわけでもないだろ?」
「って言われてもまだ三回目だよ。ちょっとは緊張する」
私と一騎は靴を脱ぎ、私を先頭にして廊下を進む。
リビングに続くドアを開けると、私達はキッチンで袋を下ろした。
袋の中身は食材。
初詣の帰り道、私達はスーパーに寄って昼ご飯の買い物をしたのだ。
そして、その昼ご飯を作るのは、
「キッチン、使っていいんだよな?」
「ああ。好きに使ってくれ」
一騎はキッチンに立ち、私は覗き込むように彼の後ろに立つ。
今日の昼ご飯は、一騎が作ってくれることになっていた。
彼曰く、クリスマスの時――その時、この部屋で母と私と一騎の三人で夕食を食べた――のお礼がしたいとのことだった。
私は一騎の後ろから、
「何か、手伝えることはないか?」
「うーん……。食器並べてもらうのもまだ早過ぎるし、今はテレビ見て休んでて。……紅音ん家のことを勝手に言うのは何だけどさ」
「……じゃあ、そうさせてもらう。手伝って欲しいことができたら言ってくれ」
「ありがとう。そうする」
私はキッチンから離れ、リビングの椅子に座る。
……本当は、食材を切るとか何かしらの手伝いをしたかったのだけど、邪魔になるのも不本意だったから、大人しくテレビを付ける。
(この前電話で話した時、私に料理を振る舞いたいみたいな言い草だったしな)
自分一人で料理をして、それを私にご馳走したいということなのだろう。
一緒に作れないのは残念だけど、彼のその気持ち自体は嬉しい話だった。
「……」
テレビから、ワハハと芸能人の笑う声が聞こえる。
後ろから、トントンと食材を切る音が聞こえる。
その二つの音の中、私は心を躍らせながら、彼の料理の完成を待った。
一時間後。
「お待たせー」
間延びした声を出しながら、一騎はテーブルの上に料理を二種類並べる。
どちらも、好きな人が自分のために作ってくれた料理。
それだけでも頬が緩みそうになるのに、実際に出された料理は、見た目からしてもう美味しそうだった。
一つは、色とりどりの野菜に小さい海老が入ったピラフ。
もう一つは、オレンジ色のソースが絡まった牛肉の煮込み料理だった。
「はい、ピラフとスペッツァティーノ」
「スペ……なんだって?」
ピラフは予想通りだったが、もう片方は全く聞いたことのない料理だった。
一騎は向かいの席に座りながら、
「スペッツァティーノ。ざっくり言うと、白ワインの牛すじ煮込み。結構美味しいよ、正月感ゼロだけど」
「……あぁ、そういえば今日正月だったな」
若干、忘れかけてた。
そもそも正月だからこそ、一騎とお参りに行ったのだった。
「まぁ、正月に特別なものを食べるという意味ではそう間違ってないと私は思うぞ。……食べていいか?」
そう言うな否や、私はスプーンを手に取る。
質問こそしたものの、食べる気満々だった。
「どうぞ」
「じゃあ、いただきます」
私はオレンジ色のソースに包まれたお肉掬い、口の中に運ぶ。
……。
…………。
「……美味しい」
思わずそう呟き、もう一口、口に入れる。
オレンジ色のトマトソースの酸味と程よく柔らかくなった牛肉が合わさって、口の中で今まで体験したことのない旨味が広がっていた。
……正直、一騎が自分のために料理してくれたってだけで十分嬉しいのに、味も美味しいとなると、最早感激の域にまで達してしまっていた。
「美味しいか。良かった」
目の前の一騎はニコニコと笑っている。
ほんの少しだけ気恥ずかしくなったが、私は無視して食べ続ける。
というか、
「一騎、お前も食べろ。美味しいぞ」
「あ、そうだった」
一騎は小さく笑うと、スプーンを手に取る。
そして、私達は、彼が作ってくれた料理を勢いよく食べ進めた。
結局、この日はずっと一騎と一緒に過ごした。
冬休みで会えなかった分を埋めるかのように。
だから、たまには、こういう日があっても良いだろう。
うん。
1978年4月
2
桜が舞う四月。
私達の学年は一個上がり、三年生になった。
「一騎、おはよう」
「おはよう、紅音」
私達はいつも通りの席に座る。
……実は、クラスは変わらないとはいえ、席替え自体は年に一回はあり、生徒達で自由に決められる。
だけど、私と一騎は、結局一回も席を変えることはなかった。
「紅音、今日出す数学の課題やった?」
「出来に自信は無いが、とりあえずやった。……そう聞くってことは、もしかしてやってないのか?」
……この学校の数学の教師はかなり小煩く、課題を忘れた生徒に怒鳴り散らすから、数学の課題を絶対にやっておくのが鉄則になっていた。
「登校中に思い出して、今からやるとこ」
一騎は恥ずかしそうに笑いながら、鞄から課題のプリントを取り出す。
「……見せようか?」
「ありがたいけど、ギリギリまで頑張りたい。ただ、もしガチのギリになったら見せてもらうかも」
「なるほど、了解した」
私は一騎の言葉に頷く。
――課題をやったかどうかなんて、他愛も無い普通の会話。
気軽に話す、何でもない日常のやり取り。
しかし、この日常も、一年後には終わってしまう。
……。
「そうだ、一騎。明日の昼休み、弁当を一緒に食べないか?弁当、私が作るから」
「マジで?いいの?」
一騎は筆箱からペンを取り出しながら、驚きの声を上げてこちらを見る。
「ああ。お前に何度か料理してもらってるしな、私もお返ししたい」
とはいえ、このお返しのハードルはかなり高い。
なぜなら、ハッキリ言って、私より一騎の方が断然に料理が上手いからだ。
……一騎が作る料理は普段食べないものばかりで、どれも美味しかった。
それに何より、好きな人が私に料理を作って振る舞ってくれることが、単純にすごく嬉しかった。
ただ、ずっと私が振る舞われている立場なのがちょっぴり悔しくて、料理上手の一騎に美味しいって思ってもらえるよう、結構練習していたのだ。
……その練習の成果を披露する場所が、お弁当という普通より難しい場になってしまったのは、まぁ致し方ないだろう。
「お返しなんて気にしなくていいんだけど、紅音が弁当作ってくれるのは純粋に嬉しい。明日の昼、楽しみだ」
そう言って、一騎は楽しそうに笑う。
私は、その笑みだけで『言って良かった』と思ってしまう。
「そっか。じゃあ、なんとか頑張るから、楽しみにしててくれ。……というか、課題の邪魔して悪かった」
「あ、そうだ。課題やらなきゃだった」
一騎は思い出したかのようにシャーペン握り直し、プリントと向かい合う。
「……」
私はこれ以上邪魔にならないようにと、顔を窓の外に向ける。
「……明日の昼、か」
私は一人、小さく笑う。
……明日の弁当、絶対美味しく作ろう。
――次の日の昼休みにて――
一騎の言葉を聞いて、私はホッと胸を撫で下ろす。
喜んでもらえて、本当良かった。
1978年6月
3
春が終わり、夏が始まる。
そんなある日の昼休み、私は隣の席に座る一騎に、
「外、行かないか?」
「……外?」
一騎はゆっくりと首を傾げる。
「ちょっと気分転換に行きたくなってな。……いいか?」
「いいよ、行こっか」
一騎は二つ返事で頷きながら、席を立ち上がる。
私も席から立ち上がって、二人でのんびりと教室を後にした。
「学校内のこんなとこに道あったんだなぁ」
木々生い茂る林の中、一騎は木枠で作られた道を歩きながらそう呟く。
「私も最近知った。何の道なんだろうな、これ」
私は軽やかに地面を蹴り、一騎の隣に並ぶ。
「そうなんだ。じゃ、これはちょっとした冒険かもな」
一騎は楽しそうに笑って、息を大きく吸う。
「……空気が澄んでて良いな、ここ」
「そうだな」
私も一騎に倣って大きく息を吸うと、確かに気持ち良かった。
「……」
「……」
風で葉がカサカサと音が鳴る中、私達は無言でどこかわからない場所に向かった。
ただ、一応、
「そういえば、一騎、そろそろ五限が始まる時間だぞ」
「……あぁ、もうそんな時間か」
一騎はチラリと腕時計を見る。
すると、彼は私の方に顔を向けて、
「……サボろっか」
一騎にしては珍しい、不真面目な提案をしてきた。
私はクスリと笑って、
「私もそう言おうと思ってた」
一騎の隣で、雑に整えられた道を歩き続ける。
ゆっくりと、のんびりと。
私達は、目的地も無く歩き続けた。
五分ほど歩くと、途中で開けた場所に辿り着いた。
今真っ直ぐに続いていた木枠が、大きく円を囲うように配置され、その中心には木のベンチがポツンと設置されていた。
「紅音、あそこでちょっと休憩しないか?」
一騎は私と同じものを見て、そう提案する。私は無言で頷いて、彼と一緒に木のベンチに近付く。
その木のベンチは結構幅が広かったけど、私達は膝が触れ合うんじゃないかと思うぐらいの近さで座った。
「……」
「……」
私達はやはり無言で、ベンチの上から木々を眺める。
全方位から葉が風に揺れる音が響き、視覚だけでなく、音からも自然が感じ取れる。
この林自体は学校内にあるだけあって、そんなに広くは無さそうだったけれども、それでも自然の壮大さを全感覚で感じた。
「……紅音さ」
「ん?」
私は木々から視線を外して、顔を横に向ける。
すると、当然と言えば当然であるが、目の前には一騎の顔があった。
三十センチも離れてない近さで、彼は口を開く。
「なんで、誘ってくれたの?」
「誘うって、この散歩のことか?」
私は頭を僅かに傾ける。
「うん、そう」
一騎は短く肯定する。
「どうして誘ってくれたのか、気になって」
「……」
私は少し考える。
答えに悩んだんじゃない。
言っていいのかどうかを、悩んだのだ。
「……お前が」
私は口を小さく動かす。
葉の音に掻き消されるかもしれないほど小さい声だったけど、この近さだ。
目の前の彼には、ハッキリと届くだろう。
だから、私は、
「お前が、辛そうに見えたから」
思っていたことを、そのまま言葉にした。
「……そうだったか?」
私に合わせてか、一騎の声も小さくなる。
「うん。いつもより、元気が無かった」
……今月は六月。
毎年、彼の身体が悪くなる時期。
とはいうものの、何か病気がかかってる様子ではないのだ。
いつも、前日辺りから暗くなったと思うと、次の日には学校休む。
だから私は、一騎の不調は病から来るものではなくて、精神的なものから来ているのではないかと思った。
そして、今日の彼はどこか落ち込んでいて、だからリラックスできるよう散歩に誘ったのだ。
「……元気無かったかな、俺」
「全く無いってこともないけど、いつもより無かった」
「そっか。自分では気付かなかった」
一騎は苦笑いを浮かべる。
「じゃ、紅音は俺を慰めようとしてくれたんだ?」
「……まぁ、そうなるな。恥ずかしい話だが」
「なんで恥ずかしいんだよ」
目の前の一騎は楽しそうにクスクスと笑う。
そして、
「紅音、ありがとう。紅音のおかげで、元気になれたよ」
ニッコリと優しい笑みを浮かべながら、嬉しそうにそう言った。
その彼の笑みは、確かに彼が元気になったことを、しっかりと伝えてくるものだった。
「……良かった」
私は一騎の前で安堵の息を吐いて、
「うん、いつものたらしみたいな台詞吐けるならもう大丈夫だな」
「え、ちょっと待って、紅音いつもそんなこと思ってたの?」
目の前の一騎が急に慌て出す。
「安心しろ、冗談だ」
私はクスリと笑う。
実際のところ、彼の笑みに見惚れてしまったのが癪だったから、照れ隠しで適当に揶揄っただけだ。
しかし、『冗談だ』と言ったにも関わらず、一騎はまるでショックを受けたように顔を私から逸らし、固まっている。
そんな彼は、なんだか可愛くみえた。
だから、私は。
彼の頬に、触れるようにキスをした。
「……?」
彼は一瞬何が起こったのかわからないのか、キョトンとする。
直後、
「な……!」
慌てながら、身体ごとをこちらに顔を向けた。
彼が驚くのも当然だ。
なぜなら、『した』方である私だって自分の行動に驚いているのだから。
「……顔、すごく赤いぞ?」
私は笑いながら、揶揄うようにそう言う。
……私は、優しい笑みで嬉しいことを言ってくれる一騎が好きだ。
そんな一騎をカッコいいなって、いつも思っている。
でも、だからこそだろうか、そんな大好きな彼が、照れて恥ずかしがっている姿を見るのも、可愛くて結構好きだった。
「……紅音だって顔赤くなってるじゃん」
一騎はちょっと拗ねたようにそう言う。
「気のせいだ」
私は熱くなった顔を一騎に向けたまま、適当に嘯く。
「……ハハ」
彼は赤い顔のまま、楽しそうに笑う。
心の底から、彼は楽しそうで。
嬉しそうで。
それは、私も同じだった。
「……」
「……」
私達は互いに相手から目を逸らし、顔を上に向ける。
私達を囲う木々の音が耳に聞こえてきて、木漏れ日が私達を照らす。
そんな自然の中、私達はゆっくりと、のんびりと二人っきりの時間を重ねた。
――あとで、一騎本人から聞いた話だ。
五年前まで、一騎には父と母と妹が居たそうだ。
しかし、交通事故で三人とも亡くなった。
夏に入ったばかりの、六月のことだったらしい。
一騎は、その時から独りぼっちで広い家に住んでいるとのことだ。
そんな話を、彼はなんてこともないように語った。




