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第八章 天使街の女王

 

第八章 天使街の女王



 2034年4月


 1


「そういえば、紅音さん」


 時速100キロ超えの赤いスポーツカーの中で。


「私達はこれから『鉄鋼』の黒幕をやっつけるって話ですけど、具体的には何をするんですか?」


 雲林院葉月は小首を傾げながら、隣で運転している月原紅音にそう尋ねた。

 今二人は、大量の人死の上で成り立っている『ペット用鵺ビジネス』を潰すため、一先ず主犯格の一人である『鉄鋼』をARSS U.S.A.本部に連行している最中だった。

 紅音は視線を前に固定させたまま、


「まず、後ろで転がしている奴に尋問を行う。そして、黒幕の名前と居場所を把握したら、そのままそのアジトに攻め込む手筈になっている。……と言っても、実際に尋問するのは私達ではない。だから、次に葉月に動いてもらうのは、黒幕へ攻め込む時だろうな」


「……彼女、素直に吐いてくれますかね?」


 葉月は後部座席をチラリと見る。

 そこには人間大の大きさの赤い袋が無造作に転がっていた。


「正直にベラベラと喋ってくれる……ってことはまずないだろう。だが、それでも問題ない。二時間もしない内に必要な情報全て手に入るだろうな」


 紅音の返答を聞いて、葉月は驚きで目を軽く見開く。


「二時間って、めちゃくちゃ早いですね。尋問を担当する人ってそんなすごい人なんですか?」


「ああ。彼女の前で隠し事することは、どこの誰であれ不可能と言えるだろう」


 紅音は時速100キロ近くのスピードで、他の車の間を縫うかのようにスポーツカーを走らせる。


「だから、葉月は尋問については気にしなくて大丈夫だ。むしろ、葉月は尋問の後に働いてもらうつもりだから、それまで休んでいて欲しい」


「はい!」


『休憩しろ』と言われた葉月は、元気良く返事する。

 そのタイミングで、茶髪の少女はあることに気付いた。


「紅音さん、紅音さん。今思ったんですが、考えてみると紅音さんって車より自分の足で走った方が速くないです?」


 今でも十分なスピード感を感じるが、スポット内でお姫様抱っこされて運ばれていた時の方が明らかに速かった気がする。


「……確かに、葉月の言う通り私は自分の脚で走った方が早い。だが、車より速いスピードで街の中を駆けたら確実に周囲に被害が出るから、スピードを殺すことになっても街中では車を使うようにしている。歩道より車道の方が広いしな」


「あー……」


 言われてみれば、その通りだ。

 紅音の実力なら、歩道を亜音速で走り抜けることになっても人的被害は出ないように工夫できるだろうが、踏み込むコンクリの地面は確実に砕け散るだろうし、建物への被害までのカバーは流石に難しいだろう。


「……まぁ、それでも一秒でも遅れたら死人が出てしまう、もしくは増えてしまうような事態だと道路や建物の被害を無視して全力で駆けるが、今も急いでいるとはいえそこまでではない。それに」


 紅音は緩やかにブレーキを踏み、赤いスポーツカーは減速する。

 なぜなら、


「スポットからU.S.A.本部までの距離だったら、車でも飛ばせば数分で着く」


 紅音は滑らかな動きで赤いスポーツカーをARSS U.S.A.本部のエントランスに停めると、二人揃って流れるように車から降りる。

 直後、紅音は後部座席にドアを開き、座席のクッションに置いていた赤い袋を肩に担くと、U.S.A.本部正面入り口に向けて足早に歩く。

 そんな先輩を後ろから追いかける後輩に向かって彼女は、


「今から私は『これ』を引き渡す。そしてそのまま尋問のサポートに入るから、葉月はU.S.A.本部のどこかで休んでいてくれ。恐らく一時間半以上はかかるだろうし、仮眠室で寝ていても構わない」


「わかりました!」


「なら、一旦ここで……」


 正面入り口に足を踏み入れた紅音は、何故か急に言葉を切り、ロビーのある場所をジッと見つめる。


「?」


 葉月は不思議に思い、紅音の横に並び立ちながら彼女の視線を追う。

 その視線の先に居たのは――。




 2


 紅音達がARSS U.S.A.本部に着く五分前。

 U.S.A.本部一階のロビーにて。


「これはどういうことなんだ、リーダー」


 白髪に褐色の肌の少年――セオドア=ライトはイラつきも隠さず、指でテーブルをトントンと叩く。


「僕達は『鉄鋼』の居る予測地点に向かっていた。なのに、急に別の奴にも僕達と同じ仕事が割り振られ、その五分後にそいつが『鉄鋼』を撃破、そして僕達はこんなとこで待機だって?ふざけんな」


 ――日本から来た『共喰い』の少女、百鬼円。

 ――プライドが高く中性的な容姿の少年、セオドア=ライト。

 ――三つ編み金髪の暗い少女、レベッカ=ハートホール。

 ――おっとりリーダー、ルビィ=エバンス。

 彼女達四人で構成された『対鉄鋼チーム』は、セオドアの言葉通り『鉄鋼』を討伐するためにここ二週間追いかけており、つい先程、ようやく具体的な予測ポイントの情報を入手できた。

 なのに、その直後に他の人に同じ任務が下され、そしてそのまま『獲物』を取られた。

 しかも、現在はまるでお預けを食らったようにARSS U.S.A.本部の一階ロビーで待機。

 少年セオドアが苛つくのも当然のことだろう。

 しかし、『対鉄鋼チーム』のリーダーであるルビィ=エバンスは宥めるように、


「でも、セオドア君も知ってるでしょ?簡易報告書を見る限り、彼女……復讐姫(クローザー)は『鉄鋼』との戦闘を避けられる状況じゃなかったし、『鉄鋼』を一分もかけずに倒すなんて彼女にしかできない。むしろ、それを察したからこそ、本部長は復讐姫(クローザー)に依頼したんだと思うよ?」


「理解はしている。理解はしているが、理解と納得は違うもんだ、リーダー」


 リーダーの言葉を受けても、セオドアの苛つきは全く収まらなかった。

 彼はチラリと横に目を遣る。

 その視線の先には、


「お前はどうなんだよ、百鬼。獲物を横取りされて、悔しくないのか?」


 若くして『共喰い』と畏怖される少女――百鬼円が、楽しそうに微笑んでいた。


「ん?悔しいかと聞かれたら、悔しいですよ?」


 円は日本語の時とは違い、丁寧で流暢な英語でそう答える。


「なら、なんでそんな風に笑っていられるんだ?」


「だって、滾りませんか?」


「は?」


 セオドアは首を傾げる。

 そんな少年を百鬼円は流し目で見ながら、


「低い最強(ハードル)なんてつまらない。ハードルが高ければ高いほど、それを乗り越えた先にある称号(もの)の価値は高く、そして欲しくなる。他の人はどうだか知りませんが、少なくとも私はそういう人間です」


「……」


 セオドアは、こちらを見る百鬼円の瞳を見つめ返す。

 その緑色の瞳を見て、『強者の眼だ』と少年は思った。

 彼は視線を同僚の少女から外し、ボソリと、


「お前は楽しそうで良いな、百鬼」


「人生、楽しんだ者勝ちですから」


「……そうだな」


 セオドアは顔を向けることなく、円の言葉を短く肯定する。

 ライバル視している少女が堂々としているのを見て、セオドアの苛つきは収まったようだった。

 ――ちなみに、この場で唯一会話に参加してない十三歳の金髪少女レベッカ=ハートホールは、興味無さそうに……というか興味が無いので終始ボーッとしていた。


「あぁ、でも」


 円はパンッと両手を打ち合わせ、


「私達の出番もまだまだあると思いますよ」


「……どういことだ?」


「だって」


 円は自分の携帯端末を操作し、簡易報告書を表示させる。


「『鉄鋼』がやっていたペット鵺ビジネスですが、どう考えても一人でできるようなものではないです。『鉄鋼』が直接前に出てきていたことを考えると、少なくとも彼女を含む諸々を取り纏める黒幕(フィクサー)的なのが居るのは確定的。というか、更新された指令書にも、黒幕が居ることは前提に書かれてましたよ?」


「だけど、それも復讐姫(クローザー)のとこに回ったんじゃないのか?」


「それはまぁそうでしょうね。ですが、黒幕以外は……例えば『取引相手』の捕獲やら討伐やらはこちらに回ってくるでしょう。あの本部長が無駄にじっと待機してろなんて言うとは思いませんし。ですよね、ラッセルさん」


 円は座ったまま、右斜め上を見上げる。

 そこには、音もなく近付いていた円達の大柄な上司、ゾフィア=ラッセルが居た。


「百鬼の言う通りだ。少ししたら、お前達に追加の指令が出ることだろう。それまでよく休んでおけ」


「「「「はい」」」」


 四人は偶然にも声を揃えて返事をし、その内何人かが苦虫を噛み潰したような顔をする。


「……噂をすれば、だ」


 ゾフィア=ラッセルはそんな部下達を無視し、U.S.A.本部の正面入り口に目を遣る。

 円達もそこに視線を送ると、黒い装束を身に纏わせた白髪の女――月原紅音が、何か大きな赤い袋を担ぎながらU.S.A.本部に足を踏み入れたところだった。

 彼女はチラリとこちらを――正確にはゾフィアを見ると、後ろから付いてきた居た少女に短く何かを告げ、堂々とした足取りで近付いてきた。


「……ミズ月原、私に何か用ですか?」


 ゾフィアは意外感を顔に表しながら、紅音にそう問い掛ける。


「言いたいこと……いや、聞きたいことが少しな」


 問われた紅音は、ゾフィアから二、三メートルのほどの距離で足を止める。


「私は今、『鉄鋼』とその周りを掃除する任務を請け負っているのだが……代わりたいと思うか?」


 ゾフィアは不審げに眉を顰める。


「なぜ、そのようなことを?」


「お前、『鉄鋼』に殺されたエバ=ジョンソンと仲が良かっただろ」


「……!」


 紅音の言葉に、ゾフィアは驚きで目を開いた。


「……そんなこと、よく知ってますね」


「お互い何十年もここに出入りしてるんだ、そのぐらい知ってる。……それで、どうする?お前にとっての仇だろう?」


「……どうするものも何も、命令違反です」


「私はお前の気持ちを聞いたんだ。その結果出た希望全てを叶えられるかどうかはともかく、出来るだけ叶えられるよう働きかけるつもりだ」


「……」


 ゾフィアは『同情ですか?』と尋ねようと思ったが、その言葉を飲み込む。

 確認するまでもなく、明らかに同情だったからだ。

 ――月原紅音は、復讐者だ。

 自分の手で仇を殺すことに拘る人間だ。

 ゆえに、ゾフィアも『そう』なのではないかと思ったのだ。

 しかし、ゾフィアは、


「ありがたいが、遠慮しておきます」


 真っ直ぐ紅音を見ながら、そう断った。


「……なぜだ?」


 紅音は本気で疑問に感じていそうだった。

 だから、ゾフィアは自分の考えを述べることにした。


「ウォーカー本部長がそう判断したからです。彼女が『ミズ月原が適任』と言うのなら、それが一番でしょう。……私は、誰が仇を取っても構わない。最も確実に仇を取えれば、それで」


「……そうか」


 紅音は小さくそう呟くと、踵を返しゾフィアに背を向ける。


「考え方なんて人それぞれだ。なのに、余計な口出しをしてすまなかった」


「口出しと言っても、あなたのは気遣いと呼べるものでしょう?それ自体はありがたい。ただ」


 ゾフィアはそこで目を瞑り、顔を下に向ける。

 そして、まるで何かに耐えてるような顔のまま、最も叶えてもらいたい希望を告げる。


「一つ、約束して欲しい。エバを死なせた連中にケジメをつけさせると」


「約束しよう。必ず報いは受けさせる」


 紅音はその希望に力強く肯定し、袋を担いだまま、足早にその場から去って行った。


「……」


 その場に残った対鉄鋼チームの間に、沈黙が流れる。

 彼女達の誰も、ゾフィア=ラッセルが抱える切実な想いを知らなかったからだ。

 ゆえに、何と声を掛けたらいいかわからなかったのだ。

 そんな沈黙を破るのは、


「月原紅音さんが抱えていた袋、一体なんなんデスかね?」


 この場で一番歳下の少女、レベッカ=ハートホールだった。


(((マイペースな奴だなぁ……)))


 他三人は自分のことを棚に上げ、レベッカの方になんとも言えない視線を送る。

 そんなある意味息ぴったりなチームに向かってゾフィアは淡々と、


「先程、月原紅音が運んでいたのは、十中八九気絶した『鉄鋼』だろう」


 爆弾を投下した。

 全員が一斉に、ゾフィアの方に体ごと目を向ける。

 円は首を傾げながら、


「……あの袋、気絶した『鉄鋼』が入っていたということですか?」


「恐らくな。そして、これから尋問が始まるだろう」


「月原紅音って、尋問までするんですか?」


「いや、彼女もその場に立ち会うだろうが、メインはリリア=ウォーカー本部長だろう」


「……アレ?あの本部長のリリアさんって、指揮をするだけなんじゃないんデスか?」


 ゾフィアのその言葉に意外感を打たれたのか、レベッカは再び疑問を発する。


「……あぁ、そういえば、ルビィ以外は最近U.S.A.本部に来た奴らばかりだったか」


 ゾフィアは目を細め、何かを思い出すかのように天井を見上げる。


「月原紅音に『鉄鋼討伐』の仕事が回った際、『終結指令(オーダーザクローズ)』という名称の指令が出されていたと思うが、アレは『最速かつ確実に終わらせなければならない』と本部長が判断したときのみ発令されるものだ」


 他の四人は気付かなかったが、そのゾフィアの視線の方向には、この建物の主の居室があった。


「『終結指令(オーダーザクローズ)』が発令されると、U.S.A.本部の一番の戦力である月原紅音が駆り出される……というか、ほとんど月原紅音への救援依頼のようなものだが、実際に動くのは彼女だけではない」


「……あの月原紅音に、補助が要るのか?」


 セオドアは眉を顰める。

 彼は何度か彼女を見かけていたが、他者の助けが必要のあるアーベントには見えなかった。


「ほとんどの場合において必要は無いだろう。彼女の能力は汎用性が高く、戦闘以外のことに関してもスペックが高いからな。だが、全てにおいて最高峰というわけではない。月原紅音の本分は戦闘で、『計略』や『政治』に関しては本部長の領域。ゆえに『最速かつ確実』にするためには、月原紅音のバックアップに本部長が着くのが基本的なパターンだ」


 ゾフィアは視線を天井から視線を四人に戻す。

 そして、


「最も強いアーベントは誰かと聞かれたら、月原紅音と私は答えるだろう。だが、最も恐ろしいアーベントは誰かと聞かれたら、私はリリア=ウォーカーの名を出すだろうな」



 最強と最恐。

 U.S.A.本部が誇る二つの極点の名を、彼女は当然のことのように告げた。




 3


 そこは、暗く狭い一室だった。

 小さい窓なら一つあるが、その位置が天井近く――床から五メートル以上の高さにあるため、陽の光は天井を僅かに照らすばかり。

 そのため、その一室はビルとビルの間の路地裏よりも暗い場所と化していた。

 あまりにも怪しいその部屋には一つのテーブルと二つの椅子があり、二つの椅子のどちらとも誰かが座っていた。

 一人は、『鉄鋼』と呼ばれているアーベント、キーラ=アソチャコフ。

 灰色の髪を短く整えたSランク札付き(バッドマーク)だ。

 彼女は直前まで気を失っていたのだが、今は目を閉じているものの、もう意識を取り戻していた。


(クソッ……!)


 月原紅音があそこまで強いとは完璧に予想外だ。

 これで、億を超える取り引きは不成立となった。


(あと、もうちょっとだったのに……!)


 ――そもそも、このペット用鵺のビジネスには、ハードルが山のようにあった。

『人を鵺にする』には、まずARSSの目を何重にも掻い潜る必要があるかつ、その鵺がペットに適してるどうかもランダム、そして、捕獲できるかも不確定。

 その上、このビジネスの性質上、買い手を大っぴらに探すわけにもいかず、顧客を探すだけでもかなりの苦労を労する。

 そんなリスクが大きいペット用鵺ビジネスのメリットは、あまりにも高リスクなことを顧客に説明するまでもないかつ、自分達が唯一の供給者であるため、高額な請求を吹っ掛けれることだ。

 実際今回は、今までで最高の二億ドルで商談がまとまっていた。


(今回は客の希望で、『スポット産』を確実に仕入れて、このL.A.(ロサンゼルス)で引き渡さなきゃいけなかった。ただスポットで『養殖』する都合上、『霧を待つ』必要がないことを考えて、金額の事も含め、あたし達の本来のテリトリー外でやるデメリットをメリットが上回ってると思ってたんだが、このザマか。クソがっ!)


 ……失敗をいくら後悔したところで、意味などない。

 キーラは、月原紅音に敗け、そして捕まった。

 本来、自分のように何十人も人を殺した『札付き(バッドマーク)』はいきなり殺されても――犯罪者アーベント『札付き(バッドマーク)』と認定された時点で、人権は剥奪されている――おかしくないはずだ。

 なら、生かされている今は絶好のチャンス。

 自分の命が風前の灯火であることには変わりないが、それでも『鉄鋼』と呼ばれた札付き(バッドマーク)は活路を見出そうとする。

 彼女は、まず自身の腕や足を動かそうとしてみるが、


(当然のように動かないか。じゃ能力の方は……ッ!?)


『鉄鋼』――キーラは自身の固有能力『鉄鋼鎧(スタイスティナ)』を発動しようとしたが、そう考えただけで激痛が全身を走り、『発動しよう』という思考が掻き消される。


(……チッ。勿論対策してるか。面倒ったらありはしねぇ)


 四肢は動かず、アーベントとしての固有能力も発動できない。

 明らかに絶望的なその状況でも、キーラは僅かな希望を探すのを止めない。


(あたしはARSSに捕まって、牢屋……いや、目の前に誰かが座っていることを考えると、取調室に入れられたってことか)


 だが、これは相手は、キーラの脳及び心を直接調べれなかったことを意味する。


(読心系はレアな上、下級(スート)程度の読心じゃあ、弱ってるあたしの影胞子操作でも干渉を弾くのは余裕……ってことを考えると、それも当然か)


 つまり、キーラの心を直接覗くには、最低でも中級(オルデン)には達している読心系アーベントが必要となる。

 そして、その条件に達しているのは世界に五人と居なかった。


(なら、この取り調べさえ乗り切れば何とかなる。時期が経てば、『旦那』が助けてくれる)


 ……考えは、まとまった。

 なら、とりあえず目を開けよう。

 意識を失ったふりなんて、そう長く続くものではない。


「……」


 キーラはゆっくりと目を開け、正面を見つめる。

 その視線の先に居たのは、


「……『解導卿』リリア=ウォーカーだと?」


 ここ、U.S.A.本部の本部長(トップ)を務める者だった。

 キーラは驚きのあまり、思わず口に出して呟いてしまう。


「あら、自己紹介は要らなそうね。二つ名の方も知られてるみたいだし」


 椅子に姿勢正しく座るリリアは悠然と微笑む。

 そして、その彼女の横には、黒い装束を纏った白い女――初めて自分に敗北を与えたアーベント、月原紅音がそこに立っていた。


(おいおいおいおい!U.S.A.本部きっての有名人二人が揃い踏みかよ、クソが!)


 しかも、紅音から何か赤いロープが伸びており、そのロープの先端は自分の腕に刺さっていた。


(あたしの動きと能力を封じてるのは十中八九『これ』だな)


 考えてみれば、『札付き(バッドマーク)』の中でもトップクラスであるSランクの自分の能力を封じる事ができる人間なんて、そうは居ない。

 とはいえ、ARSS U.S.A.本部のツートップが同時に出てくるとは夢にも思わなかったが。

 どうやら自分は、彼女達の逆鱗に触れていたらしい。


(さて、どうこの場を……)


「『鉄鋼』さん。少し、あなたに尋ねたいことがあるのよ」


「あ?」


 リリアの言葉にキーラは思考を遮られ、眉を顰める。

 U.S.A.本部長はそんなキーラを無視して、問いを投げかける。


「あなた、自分が何をしたのか、わかってる?」


「……」


 キーラは沈黙を貫く。

 拒否の意志を示しているのではなく、リリアがどう出てくるのか知りたかったからだ。


「今日、あなたはスポットの中に四十人もの人を投げ入れた。あなたは知らないかも知れないけど、その内十七名は死亡、生存者は二十三名のみだったわ」


「……」


 だろうな、とキーラは思う。

 むしろ、生存者が半分を超えていたことに驚きだ。


「その生き残った二十三人の内、十六人の侵食度はレベル3……つまり完治及び社会復帰不可能な域まで影胞子に侵されていた」


「……」


 だからどうした、とキーラは思った。

 レベル3といえば、精神が永続的に錯乱状態となり、周りに対して攻撃的になるため専門の施設送り……と聞くが、そんなことキーラにとってはどうでもいい。

 まぁ、万が一、そのレベル3から『適性者』……アーベントが誕生したら、それはそれで『商品価値』が生まれるのだが、捕まっているキーラにはやはり関係の無い話だ。

 なのに、目の前の女は何故ダラダラとそんな話を続けるのだろう。


「あなたはそれ以前にも何人も殺してる。確認できただけでも五人で、その内の一人はウチに所属してるアーベントだった」


「……」


 もしかして、この女。


「あなた、少しは罪悪感とか無いのかしら?」


 このキーラ=アソチャコフが、罪の意識から自供するとでも思っているのだろうか。


「……」


 キーラは笑い出しそうなのを堪えて、強引に無表情を作る。


(コイツ、本物の馬鹿だ!指揮だけは上手い上級(ヘルト)とは聞いていたが、本当に指揮『だけ』だったみたいだな!)


 しかし、笑いを堪えるのが大変とはいえ、今の状況は好都合だ。


(こんな馬鹿、上手く利用しない手はない。ホンット、最下位の上級(ヘルト)で良かったぜ)


 キーラは息を吸い、小さく吐く。

 まるで、罪悪感からため息が出ているかのように。


「……確かに、悪いことだったとは分かっていた。わかっていたけど、仕方なかったんだ。アイツが恐ろしくて、仕方なかったんだ」


 キーラはボソボソと呟き、まるで罪の意識に苛まれているかのように演技をする。


「だけど、アンタらに捕まったことで、ある意味あたしの命は保障された。だから、何でも質問に答えてやるよ。それでアイツがやられたらあたしの命は安泰だし、減刑できれば万々歳だ」


「……」


 饒舌に喋り始めたキーラを、リリアは無言でジッと見つめる。


(……少し、わざとらしかったか……?)


 確かに、いきなりベラベラと話し過ぎたかもしれない。

 そう思い、キーラが慌てて何か追加で言葉を発しようとした正にそのとき、


「あなたという人間が大体わかったわ」


 リリアがパンと大きく一回手拍子をするものだから、キーラは『言い訳』を口にするタイミングを失う。


(……ま、あんなんで『わかった』とか言うんだから、問題ないだろ)


「ではまず、この二つのリストと地図を見て頂戴」


「?」


 キーラは机に置かれた三枚の紙を覗き込む。そのタイミングでリリアは、


「では、一枚目のリストから、あなたが言う『アイツ』……ペット用鵺ビジネスの黒幕もしくは首謀者の名前を指で差して」


(……へぇ)


 キーラはリストの名前を見て、心の中で感嘆する。

 なぜなら、数十の名前が羅列されてるリストの中には、確かにキーラのバックに居る『あの男』の名前があったからだ。

 目の前の女も、全くの無能というわけではないらしい。

 勿論、その名前を指すどころか、注視することすらしないが。


「……コイツだ。ブライアン=ロジャース。コイツはマフィアのボスで、あたしに色々と指示を出していた」


 キーラは全く知らない赤の他人の名前に指を差す。

 ただ、『全く知らない』とはいっても、『ペット用鵺』のビジネスをしててもおかしくないほど脛に傷を持った人間だということは知っていた。


(こっちに来るとき、地元のマフィアのことぐらい調べてあるっつーの)


「そう」


 リリアはリストの方を見ず、キーラの方をじっと見る。


「間違いないのね?」


「ああ、間違いない」


 キーラは誠実そうにリリアの瞳を見つめながら、堂々と嘘を吐く。


「そう。じゃあ、もう一度確認なんだけど」


 だから、リリアは。


「あなたに色々指示していた黒幕は」


 つまらなそうに目を細めて。


「ARSSロシア本部長、アーダルベルト=シュルツで合ってるかしら」


 自分が導き出した解答の、答え合わせを行った。


「…………………………は?」


『鉄鋼』と呼ばれた札付き(バッドマーク)は、驚きで目を大きく開く。

 それもそうだろう、リリアが確認と言いながら口にした名前は、キーラが語った名前とは全く違うものなのだから。

 だが、一番驚いたのはそこではない。

 キーラが最も驚いたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「はっ、ちょっと待ってよ、あたしの話を聞いてなかったのか!?あたしはブライアンってのに従っていたって言ってんだろ!!」


「合っているみたいだから、次の質問に行ってもいいかしら」


 キーラが恫喝するも、リリアの態度は一切揺るかず無視する。

 揺らぐ必要も、返事をする必要もないからだ。


「じゃあ、次の質問だけど――」


「そのまま続けていいわけねぇだろうが!!」


 キーラは一際大きな声を出す。


「納得できるかこんなもん、あたしの言葉をそんなに無視するならこっから質問は答えねぇ。そんな奴らに言うことなんかない」


 そう言って、キーラは不貞腐れたような顔を横に向ける。

 だが、不貞腐れてみせたのは演技だ。

 キーラの心の中では、困惑と混乱の嵐が吹き荒れていた。


(なんでわかった!?あたしの態度で旦那に繋がる素振りは一切見せてなかったはずだ、一体どうやって!?)


 少なくとも、アーベントの固有能力ではない。

 能力の対象になっていたら、キーラの体内の影胞子が反応及び抵抗をし、能力を防げるかどうかはともかくとして、能力の対象になったかどうかはわかるはずだ。

 だから、()()()能力を使われたわけではないはずなのだが、それだと方法が余計にわからない。


(この感じだと、旦那(アーダルベルト)がバックに付いてたことは確信を持たれてる!それはもう覆せねぇ、ならせめて手段だけでも暴かねぇと、他の情報まで抜かれちまう……!)


 だから、ここは多少みっともなくても、不機嫌になった演技をし、U.S.A.本部長から情報を――。


「紅音さん」


「ああ」


 真横を向いているキーラの視界の端で、リリアと紅音が一言だけの会話とも言えないやり取りをする。

 直後、


「……あ?」


 右横に向いてたはずのキーラの顔が、彼女の意思とは関係なく、目の前を真っ直ぐ向いていた。


「……クソッ!!」


 未だにキーラは、どうやって黒幕を言い当てられたのかを理解できていない。

 しかし、なぜ自分の頭が勝手に動いたのかは理解できた。


(月原紅音!!全身の動きと能力を封じるだけじゃねぇ、あたしの筋肉だが神経だがを完璧に支配してやがった!!)


 月原紅音の固有能力は身体操作系。

 自身の肉体しか操れないと聞いていたが、自分に刺さってるロープと今自分に起きている現象を考えるに、接続した相手の肉体まで操れる能力なのだろうとキーラは予想する。


(なんつーめちゃくちゃな力だよ……!!)


 ――実際のところ、紅音の固有能力『血躯操作(オペレートブラッド)』はキーラの予想とは異なり、正真正銘『自身の肉体を操る』という能力だ。

 だが、自分(あかね)の血液を他者(キーラ)の全身のありとあらゆるところ食い込ませ、その血液を操ることで他者(キーラ)の筋肉や神経を強引に操作する……という間接的な力技は可能だ。

 とはいえ、この他者操作は紅音を持ってしても度を超えた高い精密性が求められるため、『血を他者に流し込み、筋肉と神経に食い込ませる』下準備を慎重かつ入念に行う必要がある。

 その下準備に少なくとも数十分はかかるため、他者操作は戦闘には一切使えない技術……ではあるのだが、気絶していた相手に行う分には一切の支障がない。

 例えば、今のように。


「クソッ!」


 キーラは堂々と悪態を吐く。

 それに対しリリアは涼しい顔で、


「で、なんで私が本当のことを言い当てれたのかって話なんだけど……別に話しても良いわよ。ここだけの話になるけどね」


「ああ」


 キーラは不機嫌そうに呟く。

 今は、話を聞ければあとはどうでもいい。


「プロファイリング、って言葉知ってるかしら?」


「?」


「知らないようね。まぁ、一言で纏めるなら、統計的に見る犯罪者の心理分析のことよ。簡単なところだと、そうね……わざわざ現場にサインを残す連続殺人犯が居た場合、彼または彼女は『他人と一緒にされたくない』という自尊心が高い人物で、対処法として報道規制、もしくは逆に報道カメラの前で軽く煽ることによって怒らせて、そしてボロを出させる……とか、そんな感じよ」


 そう言うと、リリアは自身の胸に手を当てて、


「そして、私の固有能力『完璧なる解答(パーフェクトゲーム)』は色んな使い方があるけど、その一つが極限までに高めた犯罪心理分析(プロファイリング)ってわけ。要はあなたの今まで犯罪行動、及び最初の雑談であなたという人間の解析ができたということよ。その解析結果と、リストを見た時のあなたの無意識下に生じた僅かな視線・口元・頬の動きを合わせると、『アーダルベルトが本当の黒幕』ってなったっていうわけ」


「……!」


 リリアの言葉を聞いたキーラの思考が、一瞬にして真っ白になる。

『無意識下に生じた僅かな動きで真実がわかる』、だって?

 そんなふざけた規格外、対策のしようがない。

 なぜなら、『意識』して対策を打ったところで、その対策の『無意識』の部分で真実を見つけ出されるからだ。


「……あ」


 ふとキーラは、数分前リリアに言われたことを思い出す。

『あなたという人間が大体わかったわ』

 あの言葉は、キーラという人間の解析が終わったという意味だったのだ。


「いや、ちょっと待て。そもそもなんで、リストの名前にアーダルベルトの名前があった?それはあたしと会話する前から用意されてたモンだろ!」


「言ったでしょう、会話による犯罪心理分析(プロファイリング)はあくまで数ある使い道の一つだって。彼、アーダルベルト=シュルツはU.S.A.本部(ここ)に来て、『鉄鋼の捕縛』を手伝いたいって言ってたけど、私の目には『捜査の進捗状況の偵察』にしか映らなかった。だから、彼の周りを色んな角度から調べ上げて、あなたと彼が密に連絡を取っていたり、密会までしていたことまで掴んでいたっていうわけ。……あなたと彼が時間差でホテルを出てくる写真があるんだけど、見る?」


「……要らねぇよ」


 キーラは忌々しそうに呟く。

 ……この調子だと、『リスト』という形はキーラを油断させるためで、ほとんどアーダルベルトが黒幕だと確信していたようだった。

 キーラに質問したのは、あくまで確認作業だったのだろう。


(旦那が……アーダルベルトが余計なことしたせいで、尻尾を掴まれていたといことか、クソ)


 ただ、それでもおかしいことはある。

 自分はARSSのカメラは避けていたはず――。


「それにしても、あなた達露骨過ぎじゃない?鵺を捕捉するためARSSのカメラは街中にあるっていうのに、それに一度も映らないなんて。そんなの、『ARSS内に協力者が居る』って言ってるようなものじゃない。……監視カメラの場所なんて、中級(オルデン)以上だったら好きに手に入る情報だしね」


「……!」


「その状況でわざわざロシアから本部長が来るんだもの、疑わないわけないじゃない」


「……チッ」


 何も、しくじったのはアーダルベルトだけではないらしい。

 だが、それでも写真として残ってる理由にはならない。

 一体どこから……?


「初めは、ロス市警だった」


「?」


「同じ『街を守る』という点で、ARSSは警察組織と少し密な関係でね。連携を取ることは決して少なくない」


 その程度はキーラも知っている。

 例えば、『札付き(バッドマーク)』がアーベントではない犯罪者と手を組んでいる場合、アーベントは逮捕権を持ってないため、警察と手を組むことが通常だ。


「基本的には共通の目的のために協力し合うってことなんだけど……私の能力が能力だから、地元の警察……所謂ロス市警から、ARSSの業務に全く関係の無い重犯罪の解決依頼が来ることが時々あるのよ」


『まぁARSSのアーベントが、業務外で特定の組織に与することは本来禁止なんだけどね』とリリアは軽く笑う。


「まぁ殺人や強姦、覚醒剤の類の話は聞いてて気分がいいものじゃないから、二つ返事で引き受けてそのまま解決したのだけど、話の流れ上、ロス市警に貸しを作ることになったのよ」


 リリアは何かを思い出すのように昏く目を細める。

 その視線に、キーラは正体不明の『何か』を感じた。


「そして、重犯罪の捜査に携わっていく過程で、色んな微罪も見えてくる。大企業だったら脱税、マフィアだったら不法入国斡旋とかね。……警察の倫理だったら捕まえるべきなのだろうけど、私の倫理はそこまでじゃない」


『まぁマフィアは潰しても良かったんだけど、追い詰め過ぎて自爆テロ起こされてもたまらないからね』と、リリアはキーラの様子を無視し、これまた軽い調子で語る。


「だから、私はロス市警以外の大組織にも『微罪の見逃し』という貸しを何個も作ってる。つまり、『監視カメラの映像をこっちに渡して』ってお願い程度なら、快く引き受けてもらえるのよ。例えば、あなたがホテルから出てくる映像は、丁度あなたがさっき身代わり(スケープゴート)として名前を出したマフィア、ブライアン=ロジャースさんからもらったものよ」


 リリアは二枚目のリストをトントンと指で叩く。


「ここにはあなたの取り引き相手の容疑者のリストが書いてある。……さっきも言った通り、私はこの街ロサンゼルスの大物達と『貸し』というパイプで繋がっていて、彼らは『大量の人死によって成り立つペット用鵺の売買』なんて重犯罪を犯したらどんな目に遭うかをよくわかってる。だから、あなたの取り引き相手は他所者で、そしてビジネスのリスクから予測するに億単位での取り引きだろうから、それ程の金を趣味の用途で動かせる人間……って考えると候補はA4サイズの紙一枚で収まるわ」


「……!」


 キーラはそのリストを視線に入れまいと瞼を閉じようとするが、自分の意思に反して『鉄鋼』と呼ばれる札付き(バッドマーク)はリストをマジマジと見つめていた。


「クソが!!」


 キーラは何度目になるかわからない悪態をつく。

 自身の瞼を含む全身が、少し離れて立つ白い女に支配されていたことを思い出したからだ。


(……だが、これは好都合だ。顔の向きを強引に変えられたり、無理矢理目を開けさせられているが、その分あたしの視線や動作にあたしの意思が純粋に反映されないはず――)


「って考えてるところ悪いのだけど、追加調整(チューニング)はもう終わったわ。だから、雑談はここでお終い。あとは私からの質問を答えて……いえ聞いてくれればそれでいいから」


「……!」


 ……少し、おかしいとは思っていた。

 なぜ目の前の女は、自分の疑問にわざわざ答えてくれるのかと。

 それは、月原紅音に支配されてる状態のキーラの反応パターンを把握し解析するためだったのだと、彼女は今ようやく理解した。


「では、二つ目の質問から。あなたは――」


 そこからは、もう、ただの作業だった。

 柔和に笑う金髪の女が一方的に質問し、札付き(バッドマーク)はその質問に『無意識の反応』をすることで、金髪の女は解答を導き出す。

 取り引き相手の名前も。

 黒幕(アーダルベルト)の潜伏先も。

 取り引き場所も。

 キーラの仲間の暫定アジトも。

 取り引き相手の宿泊先も。

 キーラが隠したかった情報の全てが、『解導卿』リリア=ウォーカーの知る所となった。

 その段階になって、『鉄鋼』は漸く気付く。

『どれだけリターンが大きくても、ロサンゼルスに来るべきではなかった』のだと。




 ARSS U.S.A.本部には二人の極点が居る。

 己が復讐のため究極の域にまで刃を研ぎ澄まし、全ての敵を討ち滅ぼす最強の戦士、月原紅音。

 笑顔の裏に殺人者への怒りを隠し、深い闇を解き明かす最恐の女王、リリア=ウォーカー。


 彼女達二人が手を組んで、解決できなかった事件(トラブル)は未だかつて存在しない。




 4


「スポット侵攻及び鉄鋼捕縛直後だというのに、一時間の尋問に付き合ってくれて、ありがとうございました」


 リリアは『取調室』の扉を閉めながら、目の前の紅音にそう言う。


「必要なことだとわかってる、問題ない」


 ――固有能力『完璧なる解答(パーフェクトゲーム)』を持つリリアの推理力は人外の域に達している。

 だが、相手が暴れ回って物理的に話を聞かないようにされてしまったら、『無意識の反応』すら引き出せない。

 だから、暴れないように取り押さえる役が居てくれた方が、かなり尋問が捗るのだ。


「って言われましても、もっと効率よくできれば……とは思ってしまいますよ。具体的には、中級(オルデン)クラスの記憶探査系アーベントが居たら一瞬で終わりますし」


「……確か、精神系も探索系もどちらもレアだったな。なら、複合の記憶探査能力はかなりの希少か」


「そうなりますね。下級(スート)でも一桁しか居ないですし、中級(オルデン)以上は過去には居たらしいですが、現在はゼロですから。……もし他本部に現れたら、ダメ元でもスカウトするでしょうね」


 そう言うとリリアは携帯端末に視線を落とし、話を本筋に戻す。


「ゾフィアさん達には一足先にペット用鵺ビジネスの『客』の方に向かわせてますので、紅音さんは葉月ちゃんと共にアーダルベルトのアジトに向かってください。私は、ロシア本部長アーダルベルト=シュルツの重大な背信行為について、夜明議会(ダウンディスタ)で彼への罷免と『札付き(バッドマーク)』認定を請求します」


「了解した」


「ただ、アーダルベルトの罪状が認定されるまで、『あの場所』には攻め込まないでくださいね。そんなに時間はかからないはずなので、議決が下り次第連絡します」


「それも了解した。……『あの場所』を根回し無しで攻めるのはマズいことぐらい、あまり世俗に関わってなかった私でもわかる」


「ええ、中々面倒な所に居を構えられたものです」


 リリアは呆れたように肩をすくめて見せる。


「紅音さんの自前の手札だけでなんとかなりそうですか?」


「問題無い。『唯一の特例』は難なく発動できる」


「流石、かの復讐姫(クローザー)ですね」


 紅音の無表情の返答に、リリアは愉快そうに笑う。

 そして、


「では、実働の方はそちらに任せます」


「ああ。根回し、頼んだぞ」


 そう言い合うと、二人は別々の方向へ歩き出した。

 各々のしなければならないことを、するために。




 5


 明かりが落とされた、ARSS U.S.A.本部1Fの仮眠室にて。


「くかー……」


 寝息を立てながら、爆睡している雲林院葉月が居た。

 先輩に『仮眠を取っていても問題ない』的なことを言われたので、仮眠室のベッドに潜り込むことにしたのだ。

 本人としては少しだけ眠るつもりだったのだが、精神的な疲労が思っていた以上に溜まっていたのか、思いっきり爆睡していた。

 そんな中、

 コンコン。

 と、ドアをノックする音が部屋の中で響く。


「……はぁい?」


 寝起きは良いのか、爆睡していたにも関わらず、寝ぼけ眼のまま葉月は上体を持ち上げ、声がした方に目を向ける。

 その視線の先にあるドアはもう既に開けられており、一人の女がドアに寄りかかっていた。

 葉月の目からは逆光でよく姿が見えず、目を擦っていると、


「……よく、眠れたか?」


 その人影から、優しげな声でそう話しかけられた。


「あ、おはようございますー。よく眠れましたー、ふぁあ」


 欠伸をしながら葉月は返事をした直後、葉月は頭をブンブンと振って中身のギアを切り替える。


「眠気はもう覚めました!どこにだって行けます!」


「そうか。切り替えが早いのは、ありがたい。だが、寝起きですまないが、一つだけ今の内に確認しとかなければならないことがある」


「?何ですか?」


 葉月は頭を横へとパタリと倒す。

 そんな葉月に対して女の人影は、


「ペット用鵺ビジネスの黒幕の正体、それが一昨日ここに現れたアーダルベルト=シュルツだと判明した。だから、私達はこれからアーダルベルトの潜伏先に行くのだが……大丈夫か?」


「……!」


 葉月は驚きで目を見開き、体を固める。

 だが、それもほんの一瞬のことだった。


「全然大丈夫です、行けます!」


 葉月は勢いよく返事する。

 恐れることは何もないと言わんばかりに。


「……お前ならそう言うだろうと思っていたが、一昨日のことがあっても、やはり怯えなかったか」


「……あれ?」


 葉月は顎に手を当てる。

 ……一昨日、葉月はアーダルベルトを目の前にした時、恐怖が全身を蝕んでいた。

 にも関わらず、『ロシア本部長ともあろうものが、非人道的ビジネスに加担している』ことに驚きこそすれ、恐怖の類は一切を感じていなかった。

『なんでだろう』と自問していると、葉月の表情から何を考えているのかわかったのか、ドアに寄りかかる人影は、


「今日、葉月はスポットに初めて入り、そこで強力な鵺の大群と遭遇した。アレらに比べれば、あんな奴など取るに足らん」


「あ」


 ……確かに、そうだ。

 スポットに居る鵺の一部は、上級(ヘルト)ですら苦戦すると聞く。

 なら、今更、上級(ヘルト)一人に怯えるのはおかしな話だった。


「それに、一昨日と違うことが一つある」


 そう言いながら人影は、ドアの付近に設置されていた照明のスイッチをパチリと押す。

 直後、暗かった仮眠室が明るくなり、人影の姿がはっきりと見える。

 正面から明かりに照らされた女は、強気な笑みを浮かべ、


「今日は私が付いている。だから、今の葉月が落ち着いているのは、何も不思議なことじゃない」


 堂々とそう言い放った。

 そんな人影の――月原紅音の言葉を聞き、葉月の疑問は氷解した。

 同時に、『紅音さんは、私がいざアーダルベルトを目の前にしても怖がらないよう、今の内に励ましてくれたのかな』と考えていた。

 だから、葉月の返事は、


「はい!」


 シンプルで、元気が良いものとなった。

 その葉月の様子に紅音は満足げに頷くと、


「では、これから一緒に出撃する。行く支度をしてくれ」


「了解です!」





「そういえば、紅音さん」


 一階のエントランスに向かっている最中、葉月はふとあることが気になって、隣で並んで歩く紅音に声を掛ける。


「なんだ?」


「これからアーダルベルトの潜伏先に向かうとのことでしたが、具体的にどこなんですか?」


「ああ、それか」


 当然の疑問だろう。

 だから、紅音は勿体ぶらずに答えを口にする。


「アーダルベルトの潜伏している場所。それは」


 何者でも――例え国家権力だろうと簡単には介入できない、その場所の名を。



「駐L.A.ロシア領事館。治外法権に守られたその場所に、奴は居る」






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