過去編 紅音の思い出7
過去編 紅音の思い出7
1977年1月
1
「そういや、紅音、アンタさー」
「?」
それは、一騎と仲直り(?)した二日後の昼休み、友達の山崎ひかりと一緒に中庭で昼食を食べている時のことだった。
いきなり、ひかりは、
「月原と正式に付き合い出した聞いてたんだけど、あんま二人とも変わらないね。まぁ、元々が元々だからそりゃそうだって感じはあるけどさ」
「……っ!?」
私は口に含んでいた緑茶を吹き出しそうになる。
「あれ?その反応だともしかして違うの?でも、確かに昨日月原の奴に『いい加減コクったら?』って聞いたら、『一昨日した』って言ってたんだけどなぁ……」
……ひかりは超どストレートに、一騎に質問していたようだ。
というか、ひかりの中では、私と一騎が両想いなのは当然のことらしかった。
「……ねぇ、もしかして、アンタ、断ったの?」
私が黙っていると、ひかりが半信半疑といった感じにそう尋てきた。
だから、私は、
「実は――」
何があったのかと、要点をまとめて喋る。
すると、ひかりの表情はみるみると険しくなっていき、私が最後まで言い切るとすぐさま、
「紅音って、アホの子なの?」
と、思いっきり罵倒してきた。
「……返す言葉も、ない」
好きな男の子の告白に対して『何を言ってるんだ、お前』って返事をかまし、しかもその次の日に彼への恋心を自覚するなんて、アホとしか言いようがないと私でも思う。
そんな私の返答を聞いたひかりは呆れ顔を浮かべ、
「まぁもう過ぎたことを言ってもしょうがないか。で、それはそれとして、なんで本当は両想いだってこと月原に言わないの?」
「……」
「……もしかして、『恥ずかしいから』とか、そんな理由じゃないよね?」
「……………」
私は無言でひかりから目を逸らす。
「アンタさぁ………」
ひかりはあからさまにため息を吐く。
「一応、誤解自体は解けてるでしょ?なら、あとは言うだけじゃん」
ひかりは軽くそう言う。
「……それができたら、苦労しない」
私は顔を伏せる。
……ひかりに『恥ずかしいから?』と推測され、それは決して間違いではないのだが、正確ではない。
本当は、怖いからだ。
私が自分の好意を伝えて付き合って……それでどう変わってしまうのかが怖い。
彼と一緒に居られる今が楽しくて、幸せで……だから、『男女の交際』って変化で『幸せな今』が壊れてしまうかもと考えると、体が硬くなってしまう。
……普通に考えれば、そんなことないはずだ。
でも、彼とこれ以上距離が近付いて、もっと自分のこと知られるのは確実だろう。
その結果幻滅され、嫌われたら……って考えると、それだけで胸が締め付けられる。
……今現在、彼が私のことを好いてくれているとしても、更に深く自分のことを知られた後もそのまま好かれ続ける自信なんて、とてもじゃないけど持てれなかった。
「……まぁ、もうこの際そのことも横に置いとくとして、付き合ってないならないで不思議。二人とも変わってなさ過ぎない?むしろ、イチャイチャしてるの見ちゃったぐらいなんだけど」
「……イチャイチャってなんだ、イチャイチャって。そんなことした記憶が――」
「一昨日の帰り道、たまたま後ろから見てたんだよねー」
「……」
私は二日前のことを思い出す。
……その日は、一騎から嫌われなかったことがわかったばかりか『これからも一緒に居たい』って言われた日で、そして、私が一騎への恋心を自覚した日でもある。
だからだろうか、一騎に誘われて一緒に歩いてる帰り道の途中で私はつい、『……手、繋がないか?』と言ってしまった。
言われた一騎を目を丸くしたので、だから私は咄嗟に『ほら、今日寒いから』と、どこかで聞いたことのある言い訳をした。
そしたら一騎はクスクスと笑いながら、『そうだな。なら、仕方ないな』って言って、私の手を優しく握った。
……そんな小っ恥ずかしいやり取り、周りに人が居ない時間帯での帰り道だったからやってしまったのだが、まさか人に、しかも顔見知りに見られてるとは思わなかった。
「無言で耳赤くするぐらいなら、もうちょっと気をつけなさいって」
ひかりはカラカラと笑う。
そして、何か思い付いたかのよう、口の端を意地悪そうに歪めると、
「でもまー、紅音と付き合ってないってことは月原もフリーってわけで?そんでもってアイツは背高い上に顔良いし?どっかの誰かが取ってっても仕方ないよねー」
「…………」
「あ、いや、ごめん。本当、ただの冗談だから。そんな顔しないで??」
……私は今、どんな顔をしているのだろう。
自分では、よくわからなかった。
「いや、本当に大丈夫だって。だって、あの月原だもん」
「……一騎だから、なんなんだ?」
私は小首を傾げる。
「あ、そういや紅音は中学違うから知るわけないか」
ひかりはそういうと、テーブルに置いてあったアルミ缶を手に取り、中にあるスポーツドリンクを一口飲む。
そして、
「月原の奴ね、感じが良くて面も良いから中学の時結構モテて、まぁまぁな頻度で告白されてたの。なのに、一度たりとも良い返事したことないってことは中学ではそこそこ知られてた話だったりすんのよ。だから、月原の奴は異性に興味無いもんだとみんな思ってただろうし、なんなら私も思ってた」
「……そうだったのか」
まぁ、そうだろうなと思ってた。
一騎の性格、モテそうだからな。
……先のひかりの台詞は『一騎は異性に興味無いという噂があった』という趣旨のものだとわかっていたけれど、何故かそんなことまで気になってしまった。
「だから、月原が女子をコクるのは……正確にはコクるほど好きになる女子ができるのはちょっと意外だった。本人に『告白しないの?』って聞いといてなんだけどさ」
喋りながらひかりは、空になったアルミ缶を少し離れたゴミ箱に投げ入れる。
そして、
「つまり、紅音は、月原にとってそれほど特別な存在なんだってこと。なんか月原が今更他の女に媚びてるところなんて想像できないし、自信持って」
ひかりは、はっきりとそう言い切った。
だから、私は、
「……ありがとう。慰めてくれて」
素直に感謝の言葉を伝えた。
『一騎が自分の元から離れるかもしれない』。
その恐怖が、ひかりの言葉で確かに少し和らいだから。
そんな私の言葉を受けたひかりは目を丸くし、その直後皮肉げに口角を上げる。
「どういたしまして……って言いたいとこだけど、元々アンタを落ち込ませたのは私だから、ただのマッチポンプなんだけどねー。アンタ、悪い奴に騙されないよう、気をつけなよ?」
「大丈夫。そこ、ちゃんと理解した上でお礼を言ったから」
「そっか。なら、安心だ」
二人で適当に言葉を返しながら笑い合う。
友人とノンビリ過ごす、ある日の昼休みの出来事だった。
2
放課後。
私は下駄箱に寄りかかりながら、ぼんやりとしていた。
具体的なことは何も考えてなくて、今日の出来事を思い返したり、これからの事を考えたりしていた。
そんな時のことだった。
「ねぇ、そこのアンタさ」
金属を擦り合わせたような甲高い男の声――知らない声だ――を、真横から浴びせ掛けられる。
「……」
私はチラリと視線をそちらに向ける。
そこに立っていたのは図体がやたらとでかい男で、声から察していたがやはり知らない男だった。
ただ少し予想外だったのは、男は二人組だったことだ。
図体がでかい男の後ろには、ヒョロ長い男が立っていて、これもまた知らない奴だった。
私が視線を向けると、ヒョロ長い男と図体がでかい男はニヤニヤと笑い、
「俺達、これから遊びに行くんだけど、付き合ってよ。華が欲しくてさー。ま、適当に相手してよ」
「そーそー。後輩なんだから、先輩の言うこと聞けよ?」
二人して、不快で面倒なことを言ってきた。
私は彼らの襟のエンブレムにチラリと目を向けると、確かに彼らは三年生のようだった。
まぁ、私には関係のないことなのだが。
「……これから用がある。他を当たれ」
目の前の男二人に対し敬う気持ちが一ミリも湧かなかったため、先輩だとわかっていながら、私はタメ語でボソリと呟く。
「は?なんで俺達がテメェの事情を考慮しなきゃいけないの?」
「てめぇはただ黙ってついてくればいいんだよ」
「……」
……こいつら、本当うるさい。
ぼんやりと良い気分に浸っていたのに、こいつらのせいで台無しだ。
この手の手合いに絡まれることはたまにあるが、大体冷たくあしらうと文句を言いながらどっか行く。
しかし、目の前のコイツらはまだ諦めないようだった。
こういう時の対応は一つしかないだろう。
「おい、なんとか言えよ」
図体のでかい方が、私に向かって手を伸ばす。
それに対して私は腰を落とし、相手の腕を――
「あの、すみません」
しかし、私が『対応』するよりも先に、横から伸ばされた手が、図体の大きい男の腕を掴んでいた。
その伸ばされた手は当然ヒョロ長い男のものではなく、この場に現れた新しい第三者のものだった。
私はその第三者に目を向ける。
そこに居たのは、
「彼女は俺の友達です。勘弁してくれませんか」
私の待ち人の、月原一騎だった。
「だから、なんで俺らがテメェらの事情を」
「勘弁して、くれませんか」
一騎は同じ台詞をゆっくりと繰り返す。
口調は丁寧なままで、なんなら表情は笑顔だ。
しかしその笑顔は、見る者に彼の怒りを伝えるものだった。
(……感情、わかりやすい奴だよな)
私は一騎の顔を見ながら、そんなことを思う。
その間も一騎は、図体がでかい男の腕を掴んだままだ。
図体のでかい男は苦悶の表情を浮かべて、
「……おい、この手を離せ」
「彼女に絡むのを金輪際やめるなら」
男は威圧するような声を出すが、一騎は僅かにも笑顔を崩さない。
それを見た男はたじろぐ。
「……わかった、約束する。だから、離してくれ」
「……」
一騎はパッと手を離す。
すると図体のでかい男は腕を押さえながら、ジリジリと後ろに下がる。
その表情は、最初に私に話しかけた勝気な表情と違い、怯えたものになっていた。
「じゃ、じゃあな」
そう言うと、図体のでかい男はヒョロ長い男の肩を掴み、逃げるようにその場から去っていた。
ゆえに、その場に残ったのは私と一騎の二人っきりになる。
そんな二人だけの空間の中、先に口を開いたのは、
「紅音、待たせて悪かった。部活の先輩に引き止められてちょっと遅くなっちまった。……さっきの、気分悪かったろ?」
怒りから申し訳無さそうな表情に変えた一騎は、男達が去っていた方向にチラリと目を遣る。
「大丈夫だ、全然気にしてない。というより、さっきの一騎を見たらどうでもよくなった」
私の言葉に驚いてか、一騎は軽く目を見開いて視線を私の方に戻す。
彼のその様子を見た私はつい笑みを浮かべて、
「さっきは助けてくれてありがとう。カッコ良かった」
思ったことを、そのまま告げた。
一騎はカチリと体を固める。
しかし、それも一瞬のことで。
「どういたしまて」
一騎は照れ臭そうに笑って、そう呟いた。
「……じゃあ、紅音。とりあえず、もう帰ろうか」
さっきまで私がこの下駄箱に寄りかかっていたのは、一騎の帰りを待ってのことだった。
「ん。ああ、そうだな」
私もそう言って、下駄箱で下履きを脱ぎ、靴を履き替える。
ゆえに私の顔は一騎から逸らしており、ゆえに私の熱っぽい顔をこれ以上一騎に見られずに済んだ。
……私だって、照れ臭かったのだ。
「そういや、紅音、さっきさ」
「ん?」
空が橙色に染まった帰り道。
私と一騎は手を繋ぎながら歩いていた。
理由は……まぁ、なんとなくだ。
「アイツらが紅音に向かって手を伸ばしたとき、その手を殴り飛ばそうとしてたように見えたんだけど、気のせいか?」
「よくわかったな。そうだぞ」
実際、一騎が割って入らなかったら、喧嘩になっていたかもしれない。
「……あんま、危ないことしないでくれ」
一騎は心配げな表情を浮かべる。
「心配してくれるのはありがたいが、大丈夫。私、結構喧嘩強いから」
「……そうなのか」
一騎は口では納得したように言っているが、表情は心配げなままだった。
私は一騎の手を少しだけ強く握って、
「あの程度は本当になんてことないんだ。だから、気にするな。……それにしても、一騎って結構力あるんだな。さっきの奴、腕全然動かせてなかったぞ」
「……ああ」
話が微妙に変わったから、一騎の顔が和らぐ。
「まぁ、俺、運動神経は自分で言うのもなんだけど結構良い方だからかな。筋トレも割としてるし」
「へぇ……」
私は一騎の体をジッと見る。
……一騎の体型は細身と呼べるものだが、服の下は筋肉質ってことなのだろうか。
(そういえば、体育の授業でも、一騎は運動が得意だったな)
そんなことをふと思い出し、私は、
「鍛えてるって、良いな」
思わず、雑で素直な感想を口にする。
「そうか?実際のところ、暇つぶしの惰性だったんだけど、そう言ってもらえるのなら無駄じゃなかったな。さっきも一応役に立ったし」
私の簡素な言葉にも、一騎は嬉しそうに笑う。
そんな彼の笑顔を見ていると、なんとなく私まで嬉しい気持ちになってくる。
「ホント不思議な奴だな、お前は」
「え?なんか変なことしてたか、俺?」
「独り言だ、気にしないでくれ」
「そう言われたって気になるもんは気になる。教えて」
「大丈夫、『不思議な奴』って言っても良い意味だから」
「……具体的にはどんな意味?」
「恥ずかしいから言いたくない」
「そんな言い方されたら、余計に気になるじゃん!」
「教えない。絶対いやだ」
私と一騎はワイワイと騒ぎながら歩く。
楽しそうな笑顔のままで。
――ちょっとだけスパイスがかかった、いつも通りの帰り道だった。
3
1977年4月。
私達は二年生になった。
と言っても、環境はほとんど変わらない。
なぜなら、
「クラス替えが無いとは思ってなくてビックリした」
いつも通り隣の席に座る男――月原一騎は笑いながらそう言う。
「そうだな。私もクラス替えがあるかとばかり思っていた」
……少し前まで、『もう一騎と別々のクラスになるのかな』と寂しく感じていたのだが、杞憂だったようだ。
「ま、とにかく、また紅音と一緒のクラスになれてよかったよ」
「ああ。正直、私も一騎と一緒のクラスになれて良かったと思ってる」
「本当?それじゃあ、両想いじゃん。良かった、良かった」
一騎は冗談めかしたように笑いながらそう口にする。
私はその一騎の言葉を肯定しない。
でも、決して否定はしなかった。
……これから始まる一年も、良いものになりそうだった。
――――。
――――――――。
――ふと、私は思う。
たまに私の頭に過ぎるある思考。
しかし、『それ』を口にすると、夢から覚めてしまいそうで、私は心の中で押し殺す。
『それ』は、たった一つの素朴な疑問だった。
――なぜ、彼は私なんかを好きになったのだろう?
見た目?
――彼が見てくれで人を好きにならないだろうことは、この一年の付き合いでなんとなくわかる。
性格?
――好意を素直に返せないこんな性格、マイナス要素であっても、プラス要素ではないだろう。
……正直なところ、私の容姿は、そんなに悪くないと思う。
実際、それが理由で知らない男に声をかけられることもあり、果ては喋ったこともほとんどないのに告白紛いなことをされた経験だってある。
だけど、どの男も私のこのぶっきらぼうな喋り方を受け、私の人を寄せ付けない無愛想な性格を知るとすぐにどっかに行った。
別に、それが嫌というわけではない。
むしろ、邪魔なのが居なくなって清々するぐらいだ。
とは言っても、多少の外見のプラスより私の内面のマイナスの方が遥かに大きいという事実に変わりはない。
ゆえに、私という人間に対する客観的な評価は決して高くなく、むしろ低いのは明らかだ。
だから、私は思う。
なぜ、一騎は私なんかを好きになってくれたんだろうか、と。




