過去編 紅音の思い出8
過去編 紅音の思い出8
1977年6月
1
初夏に入ったある日。
月原一騎は、体調不良で学校を休んでいた。
――『俺、一年に一回ぐらいこういう体調の崩し方するんだよ』
去年の今頃、彼がそう言っていたのを思い出す。
今年のが、もう来たということなんだろう。
「……」
その時、彼は『いつも見た目ほど大したものじゃない』みたいなことを言っていたが、あの時の彼の顔は真っ青で、本当に辛そうだった。
それに、仮に彼が言っていたことが正しかったのだとしても、今回のが去年のより軽いとは限らない。
「……」
……私に、そんなことを考える資格があるかなんてわからない。
一騎が言っていた通り、本当に大したものじゃないかもしれない。
それでも、心配してしまうのは、止められなかった。
2
「篠川、お前、月原と付き合っていたよな?今年もプリント持って行ってくれよ」
一騎が休んだ日の放課後。
担任は私を教卓まで呼びつけ、軽い調子でそう言うと、プリントの束を無造作に渡してきた。
担任の戯言に対し私は返事をせず、無言でプリントを受け取る。
「じゃ、任せたぞー」
そんな私の態度は決して良いものではなかったけど、担任の先生は何も反応せず、気怠そうにどこかに去っていった。
……。
……さて。
掃除も無いことだし、今日はもう帰ろうか。
3
「……」
私は無言で帰り道を歩く。
一人なのだから、当たり前だ。
しかし、今日はいつもの帰り道とは違う道を歩いていた。
なぜなら。
「……着いた」
私はある家の門の前で足を止める。
目の前にあるのは、屋敷とも呼べるほど大きい一騎の家。
来たのは一年ぶりだが、迷わず来れて良かった。
……来た理由が、一年前と全く同じだから、何となく既視感を感じる。
その理由が『一騎の不調』なのだから、良い物では決して無かったが。
「……お邪魔します」
一騎の家の門にはインターホンが付いてないので、門を抜けて玄関の扉まで足を進める。
玄関にたどり着き、私は一回だけ大きく深呼吸すると、インターホンのボタンをしっかりと押した。
ピロリロリン、と、扉の向こうから軽快な音楽が聴こえてくる。
私は扉の方を見つめながら、誰かが出てくるのを待つ。
……。
四十秒ほど待った頃、
「どちら様ですか?」
知ってる若い男の声が、扉の向こうから小さく響いてきた。
「篠川紅音です。休んだ一騎にプリントを届けに来ました」
扉の向こうに誰が居るのかわかっていたけれど、礼儀として敬語で名前と目的を告げる。
「紅音?」
玄関の扉が勢いよく開けられると、目の前には一騎の顔があった。
ただその顔色はいつもの健康的なものではなく、真っ青になっていた。
「……大丈夫、か?」
私は思わず、そう呟いてしまう。
……予想していたとはいえ、思った以上に彼の顔色は悪かった。
「大丈夫大丈夫。前も言った気がするけど、見た目ほど酷くないから。……あ、プリント届けに来てくれたの?ありがとう」
一騎はそう言いながら手を伸ばすから、私は手に持っていたプリントを渡す。
「さんきゅ」
彼は受け取ったプリントを下駄箱の上に置く。
ただやはり、その彼の動きは異様なほどゆったりとしたものだった。
私は再び『大丈夫か?』って聞こうと思ったが、多分彼の言葉は変わらないだろう。
(……あれ)
そんなことを考えてる内に、私はある一つのことが気になった。
私はその疑問を深く考えず口に出す。
それは、
「一騎、今日、ちゃんと飯を食べたか?」
こんな酷い状態で、ご飯を用意できたのだろうか。
「……あー」
一騎はバツの悪そうな笑みを浮かべてる。
「……もしかして、食べてないのか?」
「……」
一騎は笑みを浮かべたまま、私から目を逸らす。
すごくバツが悪そうだった。
何も食べてないのは、明らかだった。
「何か、食べなきゃダメだろう。例え固形物が喉を通らなくても、粥ぐらい飲んだ方が良いと思うぞ」
「それはわかってるんだけどさ、作るのが面倒くさくて」
「……確かに、それはそうだろうな。なら、私が何か作ろうか?それとも、外で何か買ってこようか?」
「え?」
一騎は目を丸くする。
何を驚いているんだろう、私は当然のことを――。
……。
……深く考えず口にしてしまったが、もしかしたら非常識だったかもしれない。
でも、本当に、一騎のことが心配だったのだ。
病人が何も栄養を取らないのは、明らかに体に悪い。
「……」
一騎は下を向いて少し考え込むようにする。
その直後、彼は顔をゆっくりと上げて、こう言った。
「……じゃあ、夕飯、作ってもらってもいい?」
4
「器具も材料も結構あると思うから、適当に使って。勿論、紅音の分のご飯を作っていってもいいから」
一騎は私を台所に案内すると、短くそう言って、倒れるようにリビング……というよりリビングと台所の境目に敷いてあった布団の中に潜り込んだ。
「……あー、普段はこんなことしてないんだけど、水飲みたくなったときとかなるべく歩かず済むよう、今日だけこうしてんだ」
一騎はまるで言い訳をするかのように、恥ずかしそうにそう笑う。
「……そっか」
多分、一騎はズボラだと思われたら恥ずかしいと思ってるみたいだったが、私はそんなことより、一騎の体調が想像より悪そうなのが心配だった。
(……しっかり、しないと)
私は気合いを入れ直す。
「固形物は食べれそうか?」
「んー……。実際に出てきたら食べるかもだけど、自信はない。柔らかいのなら、問題無く食べれそう」
「了解した。……じゃあ、野菜とか卵を入れた粥でも作ろうかと思うんだけど、それでいいか?」
「全然問題ない。っていうか、それが良い」
「そっか、ならそうする。……もし寝れるようなら、一騎は寝ていてくれ。ご飯できたら起こす……のも良くないな。起きた時にでも食べてくれ」
「ありがとう……。じゃあ、ちょっと寝させてもらおうかな」
そう言って、一騎はすぐに目を瞑った。
もう限界だったのか、一瞬で彼の吐息が寝息に変化していた。
……。
「……よし」
一生懸命、がんばろう。
二時間後。
「ん、ん〜」
布団の中から伸びをする音が聞こえてくる。
私は適当に読んでいた教科書を閉じて、彼の様子を見て待つ。
すると、彼に掛かっていた布団がガバリと剥がされ、そのまま彼は上体を勢いよく起こした。
「ふあぁ」
眠気まなこのまま、彼はキョロキョロする。
だから、壁に寄りかかって座っていた私とパチリと目が合った。
同じ視線の高さで、私はニッコリと笑いかけながら、
「一騎、おはよう。よく、眠れたか?」
「……紅音、おはよう。おかげさまで、ぐっすり、眠れた……ふぁあ」
一騎は少し恥ずかしそうに笑いながらも、大きく欠伸をする。
その彼の顔色は寝る前と比べて断然に良くなっていて、私はホッと胸を撫で下ろす。
「寝起きで悪いが、起きて何か食べれそうか?それとも、もう少し後にするか?」
私は教科書を横に置き立ち上がりながら、一騎にそう問いかける。
「食欲も元気も出てきたから、大丈夫。むしろ、今食べたい」
「そっか、良かった。……じゃあ、はい」
私はスッと目の前の一騎に右手を差し出す。
一騎はパチクリ目を見開くと、クスリと笑って私の手を握る。
「……っと」
一騎は私の手を支えに、ゆっくりと立ち上がる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
私は一騎の手を握ったまま引っ張るようにリビングに移動する。
「じゃあ、少し温め直すから、一騎は適当に座って待っててくれ」
「わかった」
数分後。
「はい、野菜入り卵粥だ」
私は小さい鍋をテーブルの鍋敷きの上に置く。
中身は宣言通り、色とりどりの野菜を入れた卵粥。
普通の粥に、細かくした人参、ジャガイモ、キャベツ、玉ねぎを軽く炒め茹でたものと卵を加えて、しょうゆとみりんで味を整えたものだ。
色彩豊かなその粥を、白いお椀によそう。
「量はこれぐらいでいいか?」
「ちょうど良いよ。ありがとう」
一騎は私からお碗を受け取り、テーブルに置く。
私はそのまま自分の分もお碗によそって、一騎の前に座る。
「では、いただきます」
「いただきます」
二人して手を合わせ、そしてそのままスプーンで粥を口に運んだ。
……。
「……美味しい」
一騎がスプーンを片手にしみじみと呟く。
「ふふ、ありがとう。だけど、そんな大した手間かけてないぞ?」
「そうだとしても、本当に美味しいよ。ありがとう」
そう言いながら、一騎は勢いよく粥を口に運ぶ。
そんな彼の様子は、病人とは思えないほど活発なものだった。
(……元気になって、良かった)
私は心の底からそう思って、『美味しい美味しい』という一騎の言葉を聞きながら、彼と一緒に粥を食べ進めた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
二人して鍋の中身を食べ終わり、二人して手を合わせる。
「いやー、本当良かった。紅音、ありがとな」
「そう言われると、作った甲斐があった」
私は喋りながら立ち上がる。
「じゃ、洗い物してくる」
「洗い物ぐらい、俺がやるよ」
「病人はゆっくりしておけ。それに片付けまで含めて料理だし、皿の量もほとんど無い。だから、気にするな」
私は鍋と食器を重ねて、台所のシンク台にもって行く。
「……なら、その言葉に甘えようかな」
一騎はそう言うと、リビングに置いてあったテレビを付ける。
テレビは何かしらのニュースをやっていたようだが、洗い物の音で上手く聞き取れない。
でも。
「……なぁ、紅音」
「ん?」
一騎の声は、ハッキリと届いた。
「どうして、ここまでしてくれるんだ?」
「ここまでって、何が」
「料理して、看病して、一緒に飯を食べてくれて……なんでそんな面倒なこと、してくれるんだ?」
「面倒じゃないからだ」
一秒。
たったの一秒もかけることなく、私は一騎の疑問にそう答えた。
「私がやりたくてやっているんだ、面倒なわけないだろ」
「……どうして?」
「それは、お前がお前だからだ」
私は洗い物を続ける。
洗い物を続け、一騎の顔を見ないまま、話し続ける。
「例えばそうだな……去年の今頃の話だ。私は思いっきりクラスで浮いていて、独りぼっちだった。そんな私に、お前は何度も声を掛けてくれた。……当時はあまり自覚なかったけど、心は結構楽になっていたよ」
「……そんなの、ただ俺がしたかったからそうしただけだよ。そんな風に言われることじゃない」
「そうだろうな。だから、私もそうだ」
「え?」
「別に、今私がここに居るのは、一騎への礼とかそんなんじゃない。ただ、色々気配りできて優しいお前と言う人間を……人に頼られるくせに人を頼らないお前を、助けたくなった。ただそれだけの、私の想いなんだ」
「……」
一騎はいきなり沈黙する。
だから私は、返事を待たずに言いたいことを言い切る。
「そんなお前だから、私はなんとかしてやりたいと思ったんだ。だから、面倒だなんてことは絶対に無い」
……。
……テレビの音だけが、リビングと台所の間に流れる。
私その音の中で、ふきんで食器の水滴を拭き取る。
そうしてる中、リビングの方から、
「紅音」
「なんだ?」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
私は最後に自分の手を拭いて、リビングに戻った。
「一騎の顔色も良くなったことだし、そろそろ帰ろうかな」
私はそこら辺に放り出していた教科書を鞄にしまいながら、そう呟く。
「そうだな、そうした方が良い。日もそろそろ完全に落ちそうだし」
私は鞄を肩にかけ、一騎と二人で広い廊下の先にある玄関を目指す。
「廊下が広いの、開放感があって良いな」
「開放感は良いんだけど、この広さがたまに面倒に感じる。床掃除の時とか」
そんな雑談をしている内に、玄関に辿り着いた。
私はローファーを履き、一騎の瞳を覗き込む。
「顔色、結構良くなったけど、まだ体気をつけろよ」
「うん、わかってる。……何度も言ってるけど、ありがとう。本当に嬉しかった」
「こちらも何度目かになるが、どいたしまして、だ」
「……」
「なんだ、黙ったままジッと見つめて」
「いや、やっぱり俺、紅音のこと好きだなぁって思ってさ」
「……ッ!」
あまりも唐突な好意の宣言に、私の全身がビキリと固まる。
それと同時に、顔が思いっきり熱くなるのを感じた。
側から見れば、絶対に真っ赤っかになっていたことだろう。
そんな私を目の前に、一騎は一瞬キョトンとすると、
「……はは」
楽しそうに、そして嬉しそうに笑った。
その笑みを見て私は理解する。
私のこの顔の赤みが恥ずかしさだけではなく嬉しさ――、つまりは一騎への好意から来ている物だということを、彼が今察したのだと。
「……っ!!」
『私も本当は一騎に好意を寄せていることに、彼は気付いてないのではないか』
そう思うことは、何度かあった。
私は自分の想いを口にできないくせに、いつか自然と伝わればいいなんて勝手なことを思っていた。
ただいざ伝わってみると、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
更に赤くなっただろう私の顔を見て一騎は、
「紅音、お前、めちゃくちゃ可愛い」
楽しそうに笑いながら、そうクスクスと呟いた。
「……帰る」
もう我慢の限界だった。
私は一騎に背中を向けて、ドアに手をかける。
「うん、そうだな。もう夜になるし、帰った方が良い。気をつけて帰れよ」
「ああ。一騎も、体に気をつけて」
私は一騎の家のドアを開き、後ろ手で閉めようとする。
閉め切る直前に私はボソリと、
「また、学校でな」
「うん。また、学校で」
そう言い合って、私は一騎の家を後にした。
「……」
私は一人、自宅に向かって歩いている。
私の自宅は一騎の家から五分程度で、もうすぐ着く。
その間に、私は彼の家のことを思い出していた。
「……」
以前から、もしかしたらと思っていたが、今日はっきりとわかった。
一騎はあの広い家に、一人で住んでいる。
だから、彼を看病する家族は誰も居なくて、食器も男物しか無かったのだろう。
……両親の二人とも、別々に単身赴任している可能性だってゼロじゃない。
でも、恐らく、彼の両親は――
「……」
私は頭を横に振って思考を切り替える。
それでも、彼に対して失礼だとわかっていながら、心を痛めてしまった。
好きだからこそ、余計に。




