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遙一は自室のベッドの上で横になっていた。まるで何かに怯えるように掛け布団を頭の天辺まで被り、この日の午後を過ごしていた。
時刻は午後二時過ぎ、そして本日は平日である。普通なら学校で授業を受けている時間だ。別に体調を崩しているというわけではない。つまり、学校をズル休みしていた。
肝試しを行った日から早数日が経過していた。そしてこの数日で、遙一は誰が見ても精神的に追いつめられているとわかるくらいに憔悴した顔を浮かべるようになっていた。それもそのはず、ここのところ毎日あの少女を見るようになっていたのである。
ある時は授業中だった。遙一がいる二年の教室は現校舎の二階にあるので、窓から遠くにある旧校舎の屋根を雑木林越しに見ることができる。そしてそれは、とある日の午前最後の授業の最中に起きた。
遙一は突然窓の外からひんやりとした冷たい視線を感じとり、ちらっと旧校舎の方へ目をやった。そしたらなんと、旧校舎の屋上にセーラー服の少女が立っていたのである。慌てた遙一は授業中だというのに唐突に立ち上がってしまい、周りからは注目の的となって、挙げ句先生にも注意されてしまった。
更には現校舎の屋上でも見かける始末である。午後からの体育の授業でサッカーの最中だった。グラウンドで遙一はまたも冷たい視線を感じとった。まさかと思って現校舎の屋上を見上げると、あの少女が柵越しにそこに居たのだ。
現校舎の屋上はいつも鍵で施錠されているので、一般人どころかここの生徒がいたとしても不自然極まりないのだ。
それから遙一は絶望的になり、なるべく校内で一人になることだけは回避しようと努めた。休憩時間やトイレに行く時、美術室や音楽室に移動する時は常に誰かの後を追うように動いた。
幸いにも校内で見かけることはあっても、学校から一歩出れば少女を見かけることはなかった。登下校時にも見かけることはなかったが、それでも夜の外出は控えた。
これだけならば、まだなんとか学校に行くこともできた。
遙一を完全な不登校に陥れた要因は、また別にあったのである。
肝試しの後、遙一が極度の怖がりだということを決して誰にもばらさないと三枝と鷹谷は約束してくれた。そのことについては決着はついたのであるが、問題は肝試しから数日後に送信されてきた鷹谷からのメールにあった。
本文の内容には『偶然西野のパンチラ撮れた。ありがたく拝見しな』とあった。
西野とは校内では高根の花とも称されている少女の名前だ。遙一とは同じ学年だが別のクラスで、彼女の名は学年問わず校内に広がっていた。それほど男子から注目の的だった。
そして本文の通り、メールには一枚の写真が添付されていた。
意気消沈していた遙一は、この写真が少しは活力源となりえるであろうと期待した。その考えが浅はかだった。
遙一は添付されていた写真を開き、そして愕然とした。
その写真は、以前の肝試しで旧校舎内の屋上の手前にある階段前で撮られたものだった。遙一が屋上であの少女に初めて遭遇し、全速力で一階まで駆け下りて三枝と鷹谷に合流、そこから再び屋上へ上がった時のものだ。
まさしくトラップだった。写真の構図は踊り場から屋上へと続く階段を撮ったもので、階段の途中に立つ遙一と三枝の後ろ姿が写っていた。そして遙一に止めを刺したのが、写真の中の彼のすぐ隣に写っていたオーブと呼ばれる発光体だった。
しかし、雨滴や埃がオーブのように写り込むことはよくあることだという。だがそのオーブは明らかに普通ではなかった。大きさはサッカーボール以上はあるだろう。つまり、写真の中の遙一の顔よりも大きいのだ。
更にそのオーブは赤く発光していた。色が付くとなると、もはや埃とは考えにくい。しかも心霊写真では、赤い色はそこに写ったものの怒りを示していると言われている。
これを目の当たりにした時、遙一は危うく気を失いそうになった。
『あの女が怒ってるのか? 完全に呪われてるのか? どこぞのホラー映画みたいに期限付きで俺を仕留めにくるのか? 一週間後か? 一カ月後か一年後か? もうやってらんねえ!』
そんなこんなで遙一は自室のベッドに引きこもることになったのである。だが、いつまでもこうしてるわけにはいかない。期末試験が目前にまで迫っているのだ。それに期末試験を休んだところで、その次は夏休みが待っている。一ヶ月以上ある夏休みの間はいいが、それが終わればまた普段どおりの学校生活が待っている。このままだと、少女の存在に怯えながら二学期からの学校生活を迎えなければならないのだ。
掛け布団から亀のように頭を出した遙一は、意を決したように枕元にあったスマートフォンに手を伸ばした。画面上に電話帳を開き、『おやじ』の項目をタッチしようとした。が、その手はぴたりと止まる。
止まっていた手が少しだけ画面の下方向へ動く。その項目には『母さん』とあった。だが、タッチする寸前でやはり手は止まった。
遙一は諦めたように画面を消灯させ、スマートフォンを元あった場所へと放ると、また掛け布団の中へと潜り込んだ。
遙一は一人っ子だった。そして生まれてから数年間は父と母の三人でごく普通に暮らしていた。だが今は父も母もいない。正確には父とも母とも一緒には暮らしていなかった。
二人とも滅多に家に帰ってくることはなく、戻る時期もばらばらで三人揃うことは稀だった。それもそのはず、父は悪魔祓いとして、母は占い師として世界を旅しているのだ。
誰もが胡散臭く感じるだろうが、遙一は今まで真剣な眼差しで二人を見てきた。実は、遙一の父と母はともに霊感を持っているのである。
遙一は物心ついた頃から、父と母の後ろ姿をずっと見続けてきた。
身に降りかかる祟りに慄き必死に父にすがる者や、人生の岐路に立たされて迷いの果てに母の占いを頼りにする者。
そんな彼らに救いの手を差し伸べたり道標を与える二人の背中をずっと見てきたが故に、遙一は幽霊の存在を信じて疑わなかった。そして遙一には霊感は全くなかった。それ故に遙一は幽霊の存在を人一倍怖れるようになったのだ。
父がいる時は母が家を離れ、また母がいる時は父が家を離れ、それが数年続いた頃には、遙一の両親は世界規模にまで活動範囲を広げていた。それと同時に遙一は一人家に置いてけぼりにされてしまった。こうして今に至るのである。
二人に電話をすれば、もしかしたらすぐにでも飛んで戻ってくるだろう。何しろ自分たちの得意分野で息子が追い詰められているのだから。
だが、遙一は二人に助けを求めることを拒んだ。ただ親に反抗したい気持ちからか、または自分に霊感がないことで劣等感を感じているからか、もしくはその両方か。
だから連絡をとることをやめたのだ。
遙一は掛布団を身体からどけると、徐にベッドから立ち上がった。
「ちくしょうっ! 手前の背負った荷物くらい手前で片づけられずにどうすんだ? 片づけてやるよ、自分一人ででもな!」