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「え?」
旧校舎の前で遙一はきょとんとした。そこには追っていた標的の少女の姿がなかった。
周辺を見渡してみるが人一人いない。そんなに距離は離されていなかったはずだ。仮に旧校舎に入っていったとしても、侵入する瞬間を捉えることくらいはできた。それほどの時間差で遙一は雑木林から出たはずだった。
遙一は旧校舎の前で暫く棒立ちしていたが、突然壊れた目覚まし時計のように笑い始めた。彼のその笑い声が誰もいない旧校舎の前で虚しく響き渡る。
「はははっ。何やってんだ? 俺は――」
自嘲気味に笑っていたら突然上からゾクリとした冷たい視線を感じ取り、思わず息を呑む。
面食らったまま遙一は旧校舎を見上げ、そして凍りついた。
少女が屋上から遙一を見下ろしていたのだ。
目を見開いたまま遙一はまるで金縛りにあったように硬直していた。まさに蛇に睨まれた蛙状態。
屋上からこちらを見下ろす、感情を全く持っていないかのような無表情の少女の顔。切れ長の二つの眼が遙一を凝視している。
遙一は無意識的に口を開けたが、何も発せない。ただ静かに互いの視線だけが衝突し続けていた。
催眠術にでもかけられたように時間の流れの感覚すら失っていたその時、背後から左肩をとんっと叩かれた。
普通なら驚いて尻餅をつくか、その場から慌てて逃げ出しているはずだ。だが遙一は何事もなかったかのようにごく自然に振り向いた。
そこには三枝がいた。後ろには鷹谷も立っていた。
「こんな場所で何やってんだ? もうすぐ昼休み終わるぞ。サボるんなら付き合うが」
「……ああ。もうそんな時間なのか」
焦りが微塵もこもっていない乾いた声で遙一は答えた。
ここは校内なので、遙一も含めて三人は当然学校指定のブレザーの制服姿である。
真っ白な半袖のワイシャツに学年毎に色分けされたネクタイ、下は紺のスラックスというのがここでの夏季の恰好なのだが、三人は皆ワイシャツの上二つのボタンを外し、ノーネクタイ、更にワイシャツの裾をスラックスから出してと、制服を乱暴に着ていた。これが彼らのいつもの恰好だった。
そして髪型に至っては、遙一は肩まで伸びた外はねっ毛のある黒髪とまだ普通だが、三枝は明るい茶色の短髪、更に今帽子を被っていない鷹谷は金髪が煌びやかにさらけ出されている。ショートより若干長めの髪型だ。昨日と同様に茶縁のメガネをかけている分、金髪の派手さが幾分抑えられているだろう。
「屋上見てたみたいだけど……何かあるのか?」
鷹谷は眼を細めて旧校舎の屋上に視線をやったが、それからすぐに遙一の方を向いて首を傾げた。目に立つようなものは何もなかった、と言いたげな面持ちだった。
遙一は上半身を捻って屋上の方をちらっと見てみたが、少女の姿はなかった。
この時になって、遙一は確信を持った。
(なるほど。標的は俺か。そりゃあそうか。肝試しであの女と接点を持ったのは俺だけだもんな)
遙一は二人に気づかれないように嘆息し、捻っていた上半身を戻した。
「しかし怖いもの苦手のくせしてなんでわざわざここに?」
三枝は意外そうな顔をして尋ねる。
遙一はそれに答えるのを少し躊躇した。肝試しの時に見たセーラー服の女子が雑木林の中へ入っていったから追いかけたらここに着いた、と正直に二人に告げたところで信じてもらえない気がした。だから、
「まあ、ただの気分転換だ」
と、御茶を濁すことにした。
「ふーん。まあいいけど。それよか、どうやってこっちへ?」
「え? どうやって、とは?」
今度は不思議そうに尋ねられたが、遙一はその質問の意図が分からなかった。すると、遙一の心中を読んだように鷹谷が続けた。
「俺たちはいつもの喫煙場所から通常ルートを通って戻ったんだ。そしたらお前がいない。耕太が旧校舎の方に言ってみようって言い出すからもう一回通常ルートを通ってきてみればお前がいた。普通ならどちらも通常ルート使うんだから鉢合わせするだろ? なのに遭遇しなかった。こりゃあどうなってんのかなって」
そういうことかと遙一は納得したと軽く頷いて、どう誤魔化そうかと考える。が、それより先に三枝が範例を挙げてくれた。
「わざわざ予備のルート通ってここにきたのか?」
「あ、ああ。俺あの道通ったことなかっただろ? だからどんな道かなってちょっと好奇心が湧いてな」
なんとか平静を装いつつ遙一が答えた直後、昼休みの終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。
「はい、これにて昼休み終了。どうする? 今からわざわざ叱られに戻るか?」
悪びれた様子もなく三枝は雑木林の通常ルート入口の方を見やった。
「俺は別にどっちでもいいよ」
鷹谷は午後からの行動内容を二人に委ね、食後の睡魔に襲われているのか眠そうにあくびをした。
「ああ。そうだな。たまにはサボるのも悪くないか」
午後をどう過ごすかを一任する彼らに対して、遙一は後頭部をかきながら答えた。実は彼の頭の中では『先の少女の件があったから全うに授業を受ける気力が削がれた』という、まるで少女に責任があるかのように強引にねじ曲げた言い訳が出来上がっていた。
「決まり! じゃあ、駅前のゲーセン寄ってこうぜ。軍資金いくらあったっけなー」
三枝は尻ポケットから茶色い財布を出して中身を確認し始めた。
「俺は書店に寄りたい。ちょうど今日は集めてる漫画の新刊の発売日でな」
そう言いながら鷹谷は眠たそうにメガネを右手でずり上げて左手の甲で眼を擦った。
それから早速三人一行は雑木林の通常ルートに向けて歩き出した。だが、遙一は微かな違和感を感じて雑木林に入る手前で一人立ち止まった。
(俺、そういえばどっちから出てきたんだ?)
脳内の記憶を遡り、少女を追いかけて雑木林に入ってから旧校舎の前に出た時までの記憶を素早く辿ってみる。
最初に少女の姿を見かけた時、校舎側から雑木林を見て、通常ルートの左側から少女は雑木林に入っていった。そして少女を追って雑木林を抜けて旧校舎の前に出てきた時、遙一は通常ルートの右側に立っていた。そこでようやく遙一は見え隠れしていた違和感を把握した。
遙一の考えた通りならば、少女を追いかけて雑木林を抜けるまでの間に、絶対に一度は通常ルートと交差しなくてはならない。だが、少女を追っている間に通常ルートを横切った記憶などなかった。
「どうした?」
魂でも抜かれたかのように硬直していた遙一は、鷹谷の呼びかけで我に返った。ほんの数メートル先で二人が振り返っていた。
「な・なんでもない」
二人に動揺を見せまいと平静を装い、それと同時に遙一は心中で呟いた。
(こりゃあ、本気でやばいかな)




